『 バイオリンの弦 』 の移り変りについて書きます。
バイオリンの ” 響き” に大きな影響をあたえる弦の歴史について書かせていただきます。 16世紀の半ばにバイオリンが誕生したときに使用された弦は、現在 バロック・バイオリン用として製造されているピラストロ社の 「 コルダ 」のD線ような ( 下左写真 )プレーンなガット弦と基礎となっている技術はそれほど違わなかったと考えられます。 ( ここでは重金属を使った高度な加工をされたガット弦やロープ編みのガット弦や、ねじり加工の差、弦表面のコーティング仕上げの違い、使用前のオイル技術などの話は省略します。)
上の右写真はピラストロ社の 「 コルダ 」のA線をほぐしたものです。 シープ・ガットが 3枚ねじって製造されています。弦の製造は文字では説明がむずかしいので、ガット弦の製造工程がわかる動画へのリンクを下に貼っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=k1aYaHEl9Rg&feature=related
イギリスでテレビ放映されたもので、ガット弦の製造工程のねじり加工がわかりやすいです。
http://www.youtube.com/watch?v=2_Cwe_pz0Uo&feature=player_embedded
イタリアの絃メーカーを見学したご夫婦が( 奥さんは日本人だそうです。)交互にホーム・ビデオで撮影した映像です。 ワウンド加工の実演がとても分かりやすいと思います。 とくに後半の オープン・ワウンド のシーンは 見ておく価値があると思います。
http://www.aquilacorde.com/en/researches/stringmaking-museum/video.html
http://www.youtube.com/watch?v=2CAkXyqPyXA&feature=player_embedded
さて本題に入りたいと思います。ローマから東方へ( ペスカーラ Pescara の方面です。)150㎞ほどの山間地にあるイタリアのガット弦職人( Cordaro )の町 サッレ・ヴェッキア ( Salle Vecchia )は多くの職人が育てられたことで知られています。しかし 今日でも人口が200人程の谷間のこの小さな村に 17世紀頃の弦製造の記録はごくわずかしか見当たりません。
演奏においてもそうですが 弦についての記録はアルカンジェロ・コレッリ Arcangelo Corelli( 1653-1713 )の活躍した街ボローニャ や ローマなどに関してわずかに残っているだけのようです。 コレッリは Bolognaから約40㎞ほど Ravenna方面に行った Fusignanoの出身で 13歳である1666年にボローニャに移り1670年には わずか17歳でアカデミア・フィルアルモニカに入る事を認められ、1675年にはローマの 聖ジョバンニ・ディ・フィオレンティーニ教会の主席ヴァイオリン奏者となり 演奏活動を終えた5年後の 1713年にローマで亡くなったヴァイオリン演奏家で作曲家として知られています。
私は 当時のボローニャの資料を調べた結論として バイオリンの” 響き” に大きな影響をあたえた出来事が 少なくとも 1660年頃 注)1 この街であったと考えています。
それは ” 巻弦技術 “によって製造された『 ワウンド弦 』の誕生です。 これは上の動画の後半に少し出ていましたが現在製造されている弦にとって重要な技術となりました。
ガット弦についての興味深い記述が モーツァルト(1756 ~ 91)が生まれた1756年頃父である レオポルト・モーツァルト(1719 ~ 1787)が出版した本の翻訳版 ( ” Versuch einer Grundlichen Violinschule ” L.Mozart / 『 バイオリン奏法 』 塚原哲夫訳・全音出版 http://www.zen-on.co.jp/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=15193&dispNo=001001001001002 )の第一節4ページにありますので引用させていただきます。
『 バイオリンには4本の弦が張られていて、それぞれの弦は、他に関連して適切な太さでなければなりません。 私は ” 適切な太さ ” と言いましたが、他との釣合いにおいて、1本の弦が少しでも太かったら、均一なよい音色を出すことは不可能だからです。 バイオリン奏者とバイオリン製作者は弦の太さを目で測りますが、多くの場合その結果がとても悪いものだということは否定できません。 もちろん、バイオリンの弦を正しく張り、弦の音程が互いに適切な釣合いをもっていて、従って、2弦間で正しい音が向かい合っているようにするには、非常な忍耐と注意をもってむかわなければなりません。 この苦労を進んで受けようと思う人は、これらを数学的法則によって試みることができます。 よくのびた2本の弦、A と E 、D と A 、D と G を取ります。 1本1本の弦はできるかぎり直径、横断面が均一でなければなりません。 2本の弦のそれぞれに同じおもりを取りつけます。 2本の弦がよく選ばれたならば、それを打った時完全5度の音階が出ます。 もし1本の弦が半音高く、5度を越えるようでしたら、その弦は細すぎるので、もっと太い弦にするというしるしです。 また、音が下がっている場合は、その弦が太すぎるので、細い弦と交換しなければならないというしるしです。 このようにして完全5度が得られ、弦の釣合いがとれ、本当に純良になるまで続けなければなりません。 しかし、均一につくられた太い弦を見つけるのはなんと困難なことでしょう。 それらは、一方の端は他方の端よりたいてい太いのではないでしょうか。 不均一な弦で確かな試験をどうやってすることができるでしょうか。 従って、弦を選ぶことは最大の注意をはらって行い、単に行き当たりばったりで選んではいけない、ということに気付いて頂きたいと思います。 』
現在使用されている弦は 『 モーツアルトの同一張力 』ではなく たとえば Vision E と Dominant の組み合わせでしたら E ‐ 8.0 ㎏ 、A ‐ 5.5 ㎏ 、D ‐ 4.1 kg 、G ‐ 4.4 kg の張力差を積極的に取り入れてありますのでその辺の事情は違いますが、 ガット弦の製造方法があたまにあれば 1750年頃のガット弦の状況と演奏者の苦労がしのばれます。
ところでガット弦のなかでバイオリンのガット弦だけ少し特別な事情の影響をうけています。 上の写真は ピラストロ社のバイオリン用ガット弦 『 オリーブ 』の D線です。 芯材 ( コアー )のプレーン・ガットを巻線のくい込み防止と防湿のために中間材で包みその上から 平らな断面のアルミ材とゴールド材が 「 理髪店のカンバン 」のように交互に巻かれています。これを フラット・ワウンド弦と呼びます。 このピラストロ社のモダン・バイオリン用ガット弦は長年にわたって演奏家に選ばれてきた実績があります。 これはニコロ・パガニーニ ( Nicolo Paganini 1782 ~ 1840 )が使用した事に始まるといわれています。 イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹のエリーザ・バチョッキ ( Elisa Baciocchi )が 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷における独奏バイオリン演奏者となりました。 その後 1809年より北イタリアからはじめた演奏活動はイタリア全土にひろがり、1828年にはウィーンで演奏会を成功させついでプラハそしてドイツ全土、1831年には3月から4月にかけて有名なパリ・デビューをおこない 5月にロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめ 1834年9月まで続けられます。 これらの演奏により彼はヴィルトーソとして ” 近代バイオリン演奏技法 ” を完成させた人物として記憶されることになりました。
現在、弦の製造メーカーとして有名な ピラストロ社 ( Pirastro GmbH / Germany )は 1798年にイタリアからドイツに移住してきた エヴァ・ピラッツイ ( Evah Pirazzi )さんがマイン川沿いの街 オッフェンバッハ ( Offenbach )に小さい仕事場 ( ジョルジョ・ピラッツィ & フィッッリ )を設立したことに始まるそうです。 パガニーニさんがいつ頃から エヴァ・ピラッツイ さんの製造したガット弦をつかいはじめたのかははっきりしませんが 1828年のウィーン・デビューの頃にはすでに使用していたと言われています。 このパガニーニさんがヨーロッパの音楽界に与えた衝撃とともに ピラストロ社は世界に普及することと成り現在に至っています。
さてバイオリンにとって巻き弦 ( 『 ワウンド弦 』 )の登場が重要な意味をもっていたことは先にふれましたが、もうひとつ大事な技術が 『 パテンティング技術 』です。 それまでスチール弦として製造されたのはすべて低炭素線材を加工したものでした。 ところが 1828年頃高炭素線材が製造されるようになると、それを利用した技術開発が進みました。 そしてついに 『 高炭素鋼線材を加熱し オーステナイト化した後に500℃から600℃くらいに急冷し、さらに常温まで空冷する操作技術 』が開発されます。 この技術は 1854年に世界で初めてイギリスで特許法が成立した際に、 栄えある特許第一号として登録されたため 『 パテンティング 』 と呼ばれています。 一般に 『 ピアノ線 』と呼ばれるスチール弦の誕生でした。
例えばこの技法により ドイツ・マルクノイキルヒェンの近くのエアルバッハに 1900年にグスタフ・レンツナーが創業した レンツナー社 ( Lenzner )は 1900年代前半にゴールドブロカットE線 ( Goldbrokat )を発売し現在でもヴァイオリンE線のトップブランドとして評価され続けています。 また現在も強い人気を誇るドミナントを製造する トマスティーク・インフェルド社も 1919年 ウィーンで フランツ・トマスティークと オットー・インフェルドが創業した直後に発売したスチール弦はバイオリン用としては世界最初と言われており、 世界の演奏家たちの絶大な支持を得て 伝統的なガット弦の存在を脅かすほどとなりました。 これについて 1903年から1926年まで ベルリンの音楽大学で教授をつとめて後世のバイオリン演奏に大きな影響をあたえた ハンガリー人のバイオリニスト カール・フレッシュ ( Carl Flesch 1873 ~ 1944 )が 1923年から1928年にかけて出版した 『 ヴァイオリン演奏の技法 』の翻訳版 佐々木庸一訳 音楽之友社刊( 絶版 )の 5ページより参照のため引用させていただきます。
『 金属線は、ガット線を次第に駆逐しそうである。 二十年前にはまだ厳禁されていたスチールE線で転換が開始された。 アルミニュームDがこれに続き、スチールAが最近この転換を完了するように思われる。 私はスチールで出来たA線には少なくとも当分はまだ反対する。 これに反して、私は既に他の二つの絃の信奉者である。 アルミニュームD線はたやすく音が出、抵抗力が強く、音色が明るいという長所を持っている。 ガットD線ではなかなか出にくいフラジオレットが、アルミニュームD線では比較的確実に出るようである。 スチールE線の使用に必然的に伴う十分に知られた長所の方が一層重要である。 ここではスチールE線が湿気に負けないということと、高い音がたやすく出るということを想起するだけに止めておこう。 しかし更につけ加えるなら、絃が切れる危険が殆どない。 スチール線を毎週一回取り替えるならば、それが切れないということを確実に信頼できるから費用がかかるということは問題にならない。 この信頼感が演奏家をどれほど安心させるかは、ある大きな作品の公演中に、だんだんゆるむ E線にすっかり気をとられて、そのことを腹立たしく思ってもどうにもならなかったことを経験した者のみが知っている。 こういう場合、絃の切れる音が、演奏者を( 時には聴衆をも )この残酷な苦痛から救い出すものである。 なお スチールE線は、調子がすばらしく良く合い、それにガット線よりも安い。 しかし私たちは、スチールE線の短所を黙って見逃してはならない。 これらの短所はまず第一に弓の毛の磨滅がはげしくそれがよく切れるということにある。 次にはレガートにおいて、しばしば開放絃の音が出ないというところにある。 たとえば次のようなレガートの絃の移行においては、開放絃のEが振動しないで ヒュッと鳴ることが多い。 ( 音符を省略。) それ故、スチールE線をたえず使用するときには、レガートにおいては、開放絃は出来るだけ一貫して第四指で代用されなければならない。 しかしながら、作曲者によって開放絃がはっきり指示されている場合には、接触点を駒のすぐそばに移すことが危険な瞬間を脱するのに役立つだろう。 また開放絃のオクターブ上のフラジオレットもたびたび出ないことがある。 金属的に響きすぎる不安定な開放絃のEを最高音として含んでいる和音では、次に示す指使いをするとよろしい。 ( 音符を省略。) ピッチカートも比較的乾燥した響き方をする。 それにもかかわらず、スチール線は今や ヴァイオリン演奏界において、その勝利をすでに完全に獲得し、そして ガットE線は、現在もはや職業ヴァイオリニスト達によっては殆ど用いられていない。 -本文注釈ー 次のことがこれを最も良く証明している。 即ち私は 1923年 に刊行されたこの本の第一版の中で、この問題を両方面から十分に論じた。 それは当時なお存在していた スチール線に対する反対論と闘うためであった。 ところがその後五年間を経た今日 ( 1928年 )、その間に起こった急変を証明するためには、ごくわずかの説明で十分である。 』
『 プレーン・ガット 』、『 ワウンド絃の登場 』、『 スチールE線の登場 』 そして次は 『 ナイロン絃の誕生 』です。
世界ではじめてナイロンの合成が成功したのは 1935年 のことでした。 それは アメリカ・デュポン社で ポリマーの研究を続け 1931年に合成ゴムの「 ネオプレン 」の開発に成功していた ウォーレス・カロザース ( Wallace Hume Carothers 1896 ~ 1937 )によるものでした。 この偉業は彼の急死の翌年である 1938年にナイロン製品の発売開始に繋がりました。
このナイロンにいち早く目をつけたのが トマスティーク・インフェルド社を 1919年に ウィーンで創業しスチール弦で革命的な実績を達成していた フランツ・トマスティークと オットー・インフェルドです。 そして彼らはスチール弦の成功で得られた資金をつぎ込み ナイロン弦の『 ドミナント弦 』を開発し発売しました。 この『 ドミナント弦 』は 第二次世界大戦の終了とともに 瞬く間に ヴァイオリン弦のマーケットを席巻し世界標準に登りつめました。
下の3枚の写真は 左からヴァイオリン・ドミナントA線 ( 青 )、D線 ( 緑 )、G線 ( 黄 )です。 フラット・ワウンドの2段巻きで外側の巻線はA線、D線がアルミニュームで G線がシルバーなのは公開されていますが内側の巻線の材料は公開されていません。 コアー( 芯材 )は現在 「 シンセティック・コアー 」とされています。
ドミナント弦の成功に影響をうけて 現在も多くの弦メーカーが製品開発を続けています。 検証には拡大鏡が必要で目立ちませんが巻線の加工と材質特性だけでも興味深い工夫がみられます。 例として下にあげた アメリカ・ダダリオ社のヴァイオリン弦のザイエックス ( Zyex )のように D線はフラット・ワウンドの2重巻きですが G線は フラット・ワウンドの外側巻線の内側に ラウンド・ワウンドの巻線があり、ドミナント弦の銀色と違い銅色をしているのがわかります。 この巻線の比重や硬さはどうでしょうか? コアー( 芯線 )が ナイロンであれば比重は 1.02 ~ 1.14 です。 これに対し巻線の金属は軽いタイプとして比重 2.7 のアルミニウムや 比重 4.5 の チタン、そして比重が5以上の重金属、例えば 鉄 ( 7.86 )、マンガン ( 7.2 )、クロム ( 7.19 )、銅 ( 8.92 )、鉛 ( 11.34 )、金 ( 19.3 )、銀 ( 10.5 )、白金 ( 21.45 )、タングステン( クロム元素 / 19.3 )などの利用が考えられます。 これらの金属は純度が高い場合には スリー・ナイン( 99.9% )以上のものであれば一般に使用されている比重値で済みますが、実際によく使用されるのは硬さなどの関係で合金や金属間化合物が多いですからやっかいです。 紛らわしいことに 「 銀 ( シルバー )」と表示されていてもよく見ると AgCu = 99.99% ( フォー・ナイン )などと表示してあったりします。 これを彫金などの業界では 「 銀 」と呼びならわしていますし、絃のメーカーも使用する巻き線にこういう合金類を使用している場合がよくあります。 それからラウンド・ワウンドは弦の命である「 しなやかさ 」をコアー( 芯線 )が失わないための工夫であったりもします。 これらはすべて高度な加工技術のたまものです。
弦について追っていくと たとえばチェロ弦のスタンダードのひとつとなった 1956年創業のヤーガー ( JARGAR STRINGS )があったり 1980年代半ば創業のラーセン ( LARSEN STRINGS )があったりなど、音楽に重要な貢献や影響をあたえたメーカーや製造技術があったことがわかります。 私は どれも興味深く受け止めていますが 紙面の都合もありますので今回はここまでとさせて頂きます。
注)1 John Playford 1664年刊 … 記述より