5つめのチェック・ポイントは “ スジ状のキズ ”です。 この写真のヴァイオリンはMatteo Goffrillerが1702年に制作したもので V.E.Bochinsky の弦楽器写真集“Alte Meistergeigen ” Venezianer Schule 注)1 の表紙に使われたものです。 このヴァイオリンで “ スジ状のキズ ”が “谷線” ( the valley line ) として入れられているのをお見せしたいと思います。
注)1 ヴェネチアと音楽 : 世界最初のオペラ劇場として1637年に建築された「テアトロ・サン・カッシアーノ」や 1638年に演劇専用劇場として開設された「テアトロ・サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ」が 1654年にはカルロ・フォンターナによって最初の馬蹄形のイタリア・バロック・オペラハウスとして改造されるなど オペラ劇場が狭いヴェネチアの街中で1600年代の終わりには10ヶ所ほどあったと言われています。 当然そこに器楽の需要があり弦楽器製作の上でも重要な都市でした。 ただ当時の状況は1797年のナポレオンの侵攻によるヴェネチア共和国崩壊のかなり前である 1538年に“プレヴェザの海戦”でオスマン帝国に敗れて制海権をなくした時に凋落がはじまり 1700年代にはすでに影が差していました。 しかし長年にわたり繁栄した都です“デル・ジェズ“の Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698~1744 )の兄であるPietro Guarneri ( 1695~1762 )が1718年にクレモナからヴェネチアに移り弦楽器製作をすることを決断したのも理解できます。 そして24歳のピエトロが訪れた当時ヴェネチアでは Matteo Goffriller ( 1659~1742 )や Domenico Montagnana ( 1683~1760 )が素晴らしい仕事を続けていました。
この写真は当工房で1702年に Matteo Goffriller( 1659~1742 )が制作したヴァイオリンを撮影したものです。 右側F字孔の外側中央にスジ状の「キズ」が見えますね。 これは制作者本人が この楽器を作った時に入れたものです。 それは次の撮影時の光線角度をあわせたもので見ると 納得していただけると思います。
この写真で見えるように「キズ」に見えたスジは傷が最も付きにくい窪みの底にあたる“谷線”に入っています。 当然ですが偶発的なものでないと理解していただけると思います。 右側F字孔は弦楽器の“音”なかで特に高い音域を担当していますので “節”が強化された名器はよく見かけられます。 5つめのチェック・ポイントとして挙げた “ スジ状のキズ ”は製作者がどのように “響”を整えようとしたかを知るよすがとなるので、名器であることの決定的な根拠となる場合があることを覚えて置いて下さい。
震える場所(腹)は 動きにくい場所(節)とセットではじめてコントロールが可能になるために、 名器にはその工夫が取り込まれています。 この写真のF字孔にもそれが複雑に組み込んであるのがはっきり見えます。
前にあげたF字孔の加工技術は Matteo Goffriller ( 1659~1742 )の独自のものではありませんでした。 その証拠として Walter Hamma が1986年に出版した “ Violin-makers of the German School from the 17th to the 19th century ”の vol.Ⅱの125ページに掲載されている Johann Adam Popel ( Ende 17.~Anfang 18.)のビオラの写真を例示します。 これは ミュンヘン郊外のBruck出身で Markneukirchenで弦楽器を作ったと言われている製作者が Bruckで1664年に製作したものとされています。 この楽器の右側F字孔に2本の“ スジ状のキズ ”が入っているのは Matteo Goffriller と 同じ考えによるものです。 念のために下に表板の全景を挙げておきます。 ながめてみるとF字孔の2本の“ スジ状のキズ”が 『 これは、“技術”です。』 と 言っているのが聞こえると思います。
このような “スジ状のキズ” を入れてある弦楽器は1800年以前では特にめずらしくありません。 しかしこの楽器のように右F字孔外側だけに限定して取り入れたものはほとんど皆無だと思います。
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このヴァイオリンは ミラノで弦楽器製作を栄させた Carlo Giuseppe Testore ( 1660~1738 )の息子で同じく ミラノ派を代表する Carlo Antonio Testore ( 1687~1765 )が 1740年頃に制作したヴァイオリンです。 このヴァイオリンの右側 F字孔 内側の “ スジ状のキズ ”を見てください。 そして次には 角度を変えて撮影した写真が挙げてあります。
この写真で “ スジ状のキズ ” に見えた線は “谷線”として刻まれていることがご理解いただけると思います。 このような傷が偶発的に入ることはほとんどあり得無いので 弦楽器の“スジ状のキズ” が 「谷の中に」あった場合は、製作者の “音響設計”の意図を読み解くのに役立つ場合が多いのです。 そしてこのような複雑な機能を 取り入れた弦楽器は 「 すばらしい響 」を持っている場合がほとんどです。 まさにチェック・ポイントに相応しいと思います。
もう一度正面から位置関係を確認してみましょう。 そうすると先程ご覧いただいた “スジ状のキズ” の “谷線”の左側にある “焼痕点”が一直線に並べてあるのが見えると思います。 また4つめのチェック項目としてあげた テールピース部の“尾根線” と “谷線”で構成される “節”がはっきり確認できます。 その他にも これくらいクオリティの高いヴァイオリンですと 制作技術の上で特記すべき事がいくつもあります。 たとえば Antonio Stradivari ( c.1644~1737 )の名器で最初に制作された装飾入りヴァイオリン “ Sunrise ” 1677年 を知っている方だと 『 ウーン…。』 とうなられるかも知れません。 通常 表板は左右2枚の板を接ぎ合わせて製作されますが、名器“ Sunrise ” は一枚板を使用し 最上の仕上げで完成されているのは良く知られています。 Stradivari 以外にも 表板に一枚板を使用した名工はそれなりにいますが どれも “特別”と言って良いほど力がこもった楽器として仕上がっています。 そして この Carlo Antonio Testore ( 1693~1765 )が 1740年頃制作したヴァイオリンも 見事な一枚板で表板が作られているのです。 それから弦楽器製作にとってとても大事な技術なので 後ほどチェック・ポイントとしてあげようと思っていますが、ここでは 『 このヴァイオリンの表板はサドルの位置で “ 中央 ” a に位置する年輪を一本選び赤線でトレースすると b の位置に到達することから 材木が少しだけ “反時計回り”にして使われている。』 という事を記憶しておいて下さい。