これはドミニク・アングル( 1780-1867 )が描いたとされる ニコロ・パガニーニ( 1782-1840 )の有名な肖像画です。
イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹であるエリーザ・バチョッキが 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷においてヴァイオリニストとしての活動を開始しました。
そしてナポレオンが失脚すると ヴァイオリン独奏者として演奏旅行を企画し‥ まず 1809年に北イタリアから演奏会をはじめ、その後に開催場所をイタリア全土に広げました。
このあと彼は 1828年にウィーンで演奏会を成功させると、ついでプラハ そしてドイツ各地で開催した後の 1831年には 3月から4月にかけて有名なパリ・デビューに成功します。
そしてこの年の 5月にはロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめた事もよく知られています。
彼の積極的な演奏活動は 1834年9月まで続けられ 多くの聴衆が鮮烈な印象を持つこととなりました。 パガニーニはこのヴィルトーソとしての演奏活動によって ” 近代バイオリン演奏技法 ” を完成させた人物として歴史に記されました。
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ところでこの パガニーニの肖像画( 1819年頃 )には下左にあげさせていただいたように 『 余分な弦 』が描き込まれていることを皆さんはご存じでしょうか?
面白い事に‥ この素描のように 弦をペグボックスから飛び出させて巻くやり方は 150年間くらい継承されたのですが、現在はその理由を正確に答えられる人はほとんどいないようです。
どなたがご覧になっても意図的にペグボックスから弦を飛び出させているのが確認できると思います。
この投稿ではこの‥ 弦をペグボックスから飛び出させて巻く工夫については写真などによって検証してみたいと思います。
写真の発明宣言は ニセフォール・ニエプス( 1765-1833 )がおこない、彼が 1825年に撮影した下の写真 『 Un cheval et son conducteur( 馬引く男 )』は世界最古の写真として有名です。彼は自分の技術を『 太陽で描く 』という意味の『 ヘリオグラフィ 』と呼んでいたそうです。
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Nicéphore Niépce Oldest Photograph 1825年
( この写真は 2002年3月21日にサザビーズに出品され 44万3000ドルで落札されました。)
彼が 1833年に脳卒中で亡なったのちに その研究は ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール( 1787-1851 )に引き継がれて ダゲレオタイプ( 銀板写真 )となって 1839年に実用的な技術として完成しました。 そしてその後の研究によって 最終的には露光時間を数分にまで抑えることに成功し肖像写真の撮影が容易な時代を迎える事になりました。
Daguerre jemayall 肖像写真 ( 1848年 ティッソン : Thiesson )
ダゲールが発明したダゲレオタイプ( 銀板写真 )は 一般の人々でも製作可能な設備や装置により実用的な撮影時間と、撮影した映像の定着保存技術のすべて実現させたことが重要でした。
フランス政府はこの技術を公益のために無条件で公表することを決定し ダゲールへ補償として終身年金を支給するとともに その写真技術を一般に公開しました。この結果として 銀板写真技術は 19世紀のなかばに世界中へ急速に普及していきました。
こうして普及が始まった写真技術ですが 1840年代には ネガ・ポジの原理ではなく ダゲレオタイプによるものが ほとんどでした。これは紙ではなく金属板の上に写されたものでしたので 当然 一点だけのものでした。その上 初期には撮影のためには 数十分間にわたってポーズをとり続ける必要がありました。
しかし当時の中産階級には熱烈に受け入れられ 1848年には ダゲレオタイプのスタジオがパリを中心に 56ヶ所も出現し 1860年にはダゲレオタイプの写真家が 207人もいたと言われています。
写真の初期はこういった状況でしたが 1855年に開催された万国博覧会のころから ダゲレオタイプは いわゆる ” 写真 ( ネガから紙に焼き付けられたもの )” に その座をゆずります。
この時期である 1854年半ばに ディスデリ( 1819-1889 )は パリの繁華街に豪奢なアトリエをかまえ 1857年ころまでには有名な『 名刺判 』の特許を取得します。 これはステレオスコープからヒントを得た 4つのレンズに差し込み型のプレート・ホルダーを付けたものでした。つまり ディスデリは写真の大量生産の第一歩を踏み出した人物の1人と言えます。
このほかにも 彼が 1854年 12月に設立した株式会社は 1855年の万国博覧会のすべての展示品の撮影許可を取りつけるなど 写真の普及に大きな影響をあたえます。
また 他のプロのスタジオも ダゲレオタイプから 湿板写真法に移行しながら大規模化します。 たとえば 『 ナポレオン3世の写真家 』と呼ばれたメイエール・エ・ピエルソンが 『 写真工場 』と呼ばれる大規模スタジオ を開設したことが知られていますし、ナダール( 1820-1910 )は 1854年に 湿式コロジオン法で写真を撮影するスタジオを開設し繁盛しました。
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Atelier Nadar 35BoulevardDesCapucines 1860年
上写真は 1860年にキャプシーヌ大通りに移転した ナダールの写真スタジオです。 ここには多くの有名人が肖像撮影に訪れたほか、あの『 第1回印象派展 』もここで開催されました。
これらの状況を撮影枚数でみると 1842年に レールブールは年間 1500点のダゲレオタイプによるポートレートを撮影しましたが ディスデリのスタジオは 1862年に一日で 2400枚の肖像写真を撮影したと伝えられています。
ヴァイオリンなどに関する写真はこのような状況により ニコロ・パガニーニ( 1782-1840 )以降に盛んに撮影され‥ これにより、たとえば彼の唯一の弟子であるカミッロ・シヴォリ( 1815-1894 )などのヴァイオリンもある程度検証が可能となっています。