弦楽器の最上の響きは・・ サウンド・ホールで変換された弦の振動と、響胴の ねじりによる「ゆるみ」から生じた共鳴 ( レゾナンス )によって生まれていると考えられます。
このために優れたオールド弦楽器は ねじりが生じやすいように工夫がしてあるようです。
この、ねじりに関しての条件設定は 響胴内部や素材特性のように簡単には判断できない範囲までおよんでいますが、外見上からも それに繋がる要素を見いだす事は可能です。
それが 非対称条件を観察する理由です。
Antonio Stradivari 1673, Violoncello ” Harrell, Du Pre, Guttmann ”
例えば チェロを観察する場合に、上図で A とした コーナー部に大きな摩耗が見られるようでしたら、それほど判断に迷う必要はないと思います。
それらが単純な摩耗ではなく 製作時に人為的な左右差として設定された可能性を見つければ済む訳ですから。
では、このストラディヴァリが 1673年に製作したチェロはどうでしょうか?
また 、これは、ロジェーリ作とされていますが、コーナー部の左右差は どのように考えられますか。
次は 左右の面積差が見えやすい グランチーノと ストラディヴァリのチェロです。
そして、私自身が 摩耗説が誤りであることに気づく きっかけとなった『 オールド・チェロ 』を見てください 。
Old Italian Cello 1700年頃
( F 734-348-230-432, B 735-349-225-430, stop 403 ff 100 )
また、有名な楽器で 参考例を挙げるとすると、エドゥアルド・ウルフソン( Eduard Wulfson )氏が所有し、グートマン( Natalia Gutman )さんが使用している グァルネリ・デル・ジェスによる このチェロが 思い浮かびます。
” Guarneri del Gesù ”
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )
Violoncello 1731, ” Natalia Gutman ”
私はこのチェロを 知らなかった8年ほど前に 共通の知人から ウルフソン( Eduard Wulfson )氏が グートマン( Natalia Gutman )さんたちと美術館のなかでトリオで演奏している DVDをいただき拝聴したのですが 、このチェロがもつ深い響きには衝撃をうけました。
この グァルネリ・デル・ジェスのチェロでも 裏板高音側コーナーに施された摩耗加工を見ることが出来ます。
Guarneri ‘del Gesù’ Violoncello 1731, ” Natalia Gutman ”
Bach : Suite for solo cello No. 3 in C major
( Paris, Musée du Luxembourg, 2002/11/16 )
Natalia Gutman,Violoncelle
【Bach, Mozart, Schubert 】”La Société Stradivarius”
Yvietta Matison, Alto ( instrument )
Eduard Wulfson, Violin
それから、 Francesco Ruggieri が 1675年に製作したとされるチェロでも同じ景色を見ることができます。
Francesco Ruggieri ( ca.1645-1695 ), Violoncello 1675年
確かに、チェロは A コーナーにひざを添えたり グリップしたりする際に触れることがあるので 摩耗痕跡は それにより生じたように思えます。
Joseph Thomas Klotz ( 1743-1809 ) Violoncello piccolo Mittenwald 1794年
ところが 摩耗痕跡をよく見ていくと、それが不自然である事に気がつきます。
上のクロッツで これを見ると コーナーである A 部の塗装は多少はがれていますが、それよりも Q 部の方がもっと 剥がれています。問題なのは この Q 部に 演奏時にチェリストが 触れることは まず無いということです。
これは R 部についても言えますが、 実際にチェロの肩にはさわりますので 判断しにくいのですが、上のクロッツでいえば 摩耗したようになっているゾーンの中でも特に Q 部と S 部はアーチの不連続面の間にある谷状にくぼんだ部分ですから 自然な摩耗ではないことが分かります。
Giovanni Battista Genova ( warked ca.1740-ca.1770 )
Cello, Turin 1770年頃
Nicolò Amati ( 1596-1684 ) Cello, “Herbert” 1677年
Girolamo Amati Ⅱ ( 1649ー1740 ) Cello, “Ex Bonjour” 1690年
Carlo Ruggeri ( 1666–1713 ) Violoncello, 1706年
このように、演奏によって出来たとは思えない Q 部の摩耗痕跡は、オールド・チェロでは めずらしくはありません。
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, “Enescu – Cathedral” 1725年頃
また、当然のことですが・・ この位置は オールドヴァイオリンでも意識されていることが確認できます。
もし仮に、これらを 演奏や運搬による摩耗であるとすると、それなりの期間使用される必要があります。
とすると・・・『オールド』より使用された期間が短い『モダン』の弦楽器はどうなっているでしょうか。
170年程前のことですが、厳密な意味で最後の名工である ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca 1807-1865 )は、トリノで 弦楽器製作をおこなっていました。
彼の作品は、非対称条件に 摩耗痕跡の要素も取り込まれ あたかも”様式化”されたかのような工夫がなされています。
Giuseppe Antonio Rocca( 1807-1865 ) Contrabass, 1850年頃
その端的な例が、彼が製作した摩耗や打撃痕跡があるコントラバスです。チェロと違ってコントラバスは A コーナーをグリップしませんので、これらの傷跡は 製作時の加工である状況証拠となっています。
Giuseppe Antonio Rocca( 1807-1865 ) Contrabass, 1850年頃
このように観察をしていくと『オールド弦楽器は、コーナー部などの 摩耗痕跡も駆使して 非対象( アシンメトリー )なバランスで製作されている。』と定義することが出来ます。
2016-10-22 Joseph Naomi Yokota