フランス、ボルドーの高名なメドック地区にあるポイヤックのシャトー・ラフィット・ロートシルトの赤ワインは、フランクフルトに発し200年以上金融界に君臨するロスチャイルド家のひとつ フランス・ロスチャイルドが1868年より保有するクラレットなのはよく知られています。
そしてもう一つの シャトー・ムートン・ロートシルトは 1853年にイギリス・ロスチャイルド家の所有となった為に 1855年のランクインが見送られ1973年 シラクによって正式にクラレットとなりました。
このように彼らは 金融、鉱業、鉄道、保険、石油、マスコミ 、製薬 、ワインなどの他にも 鳥類標本を集めれば一つ博物館 ( ウォルター・ロスチャイルド動物学博物館 )ができる収集家があらわれるほどのこだわり方と 『 目利き 』が知られています。
このロスチャイルドの一人 バロン・ナタニエル・ロスチャイルドは 1890年に ストラディヴァリの 1710年作といわれているチェロ “Gore – Booth ” を購入しました。
ペグホールの位置を考える場合に「 非常に興味深い 」そのスクロール写真を 1987年にクレモナで開催された 「 ストラディヴァリ没後250年祭 」の展示会資料集として1993年に Charles Beare がロンドンで出版した ” Antonio Stradivari – The Cremona Exhibition of 1987 ” の 165ページより引用させていただきました。
ところで このチェロのペグボックスの外側に 4番線から2番線のペグホールまで一筋の”線”が入っています。 このスジ状の”キズ”は 弦楽器製作者が 目にすると「 あっ!」と思うくらいの意味があるものだと私は思います。
このスジ状のキズが見やすいように 右側に赤線を入れた画像を並べました。
ヴァイオリンなどの製作経験がある方だと おそらく同じ意見になると思いますが 『 2番線と4番線のペグホールの中心はライン上で、1番線と3番線は外接円として穴をあける。』 と読めます。 そして、実際に ペグホールの位置をこのように設定したヴァイオリンやビオラ、チェロは たくさん残っています。
この位置に ペグを取り付けると 張られた弦がナットの溝からペグまでの間で 3番線ペグや1番線ペグと接触する状態になることがあります。 そして現在これを避けるために「ブッシング」と呼ばれていますが ペグホールを埋めた上で、穴の位置を移動する “修理” が世界中で行われています。
Giuseppe Gagliano 1726-1793 & Antonio Gagliano 1728-1805 Violin 1754年
さて、このヴァイオリンは 15年前となりますが‥ 私が最後にペグホールを “移動する修理” をした ガリアーノ兄弟( Giuseppe Gagliano 1726-1793 , Antonio Gagliano 1728-1805 )が 1754年に製作したヴァイオリンです。
因みに、このヴァイオリンは以前にも穴を埋めたうえで穴位置の変更がなされていました。そこで わかり易いように最初のブッシング部に 丸く白線をいれました。
そして 右側には比較対象として1980年に出版された V.E.Bochinsky の弦楽器写真集 “Alte Meistergeigen / Band Ⅴ Neapel Schule” の 123ページから長男の Ferdinando Gagliano ( 1706-1784 )の 1761年製作のヴァイオリン ヘッド写真をならべました。
Ferdinando Gagliano ( 1706-1784 ) Violin, Napoli 1761年
このヴァイオリン ヘッドでも「 私以外のだれか…。」 が同じようにペグホールを埋めて、位置を移動したうえで 新たな穴が開けてあります。
これらの ヴァイオリンのペグ位置設定の共通性により、製作時の設定は それなりに理由があったという事は 皆さんに同意していただけるのではないでしょうか。
そして残念ながら 私も含めて これが 留意できなかったのが 現代の弦楽器工房の実力だと思います。
さて告白の時間です。 私は 15年前 この ガリアーノを販売した際に 上写真のように引き渡し前の ”サービス” として一晩でペグ穴のブッシングをして位置を移動しました。
上右の画像は ペグ穴を埋める作業にはいった その日の 夜8時頃 私が 業務用コピー機で直接横にしたスクロールをコピーし、その後 エンピツと赤ペンで “修正位置” を計算したものです。
移動前の穴が G 線ペグと E 線ペグのグループと A 線ペグと D 線ペグのグループの間が 34.0mm ほど離れて設定されているのが分かります。
着手時に私は この E 線ペグと D 線ペグのスパンを元々の 34.0mmから 23.0 mm とする予定で作業に入りましたが このヴァイオリンは ヘッド長が 109.4mmであることから考えを修正して 25.0mm とすることを選びました。
そして、このあと予定通り作業をすすめ 12時間後の 翌朝8時頃に弦を張りました。 そして この段階で「 半日前より 少し響が薄くなり、フレッシュになった。」ことに 初めて気がつきました。
もちろん家一軒ほどの価格で販売した名器ですから、 昨日と変わらない美しい高音域の響は そのままでしたが 、ペグの位置を変えただけなのに 昨日の 響から低音域の一部の音が消えていることが判りました。
私は頭をかかえる事になりましたが‥ 予定していたように 11時頃には受け取りにおいでになったので、購入者の方の意見をうかがったところ 許容範囲とのことで 上写真の状態でそのまま使用していただくことになりました。
当然ですが、私はその後も ブッシングは頻繁にやっていますが、 この事例で学んだので ” ペグ位置移動” は一度もやっていません。
当時 私は 『 オールド・バイオリン 』などは ペグが「 上下2個、2個づつがグループになっている。」と表現していました。
実際に『 名器 』の響をもつヴァイオリン族の弦楽器は 最初にその位置にペグが取り付けられていた可能性が高く、たとえ移動されていても 上にあげた例のように埋めた跡がたやすく確認できる場合が多いのです。
私はその後の研究により 優れた弦楽器はヘッドの面取りのさいに不連続面とすることで立体性を高め、ねじりがスムーズに生じるように設定してあることに気がつきました。
これらの事から 私は ペグの上下グループの間にスペースがあるのは ヘッド部が回転運動をおこしやすくし、”対” となってゆれる響胴の良質な響きをうみだすための仕掛けと考えるようになりました。
私は このようにペグホールについては 弦楽器の音響システムをしっかり踏まえて設定するべきと考えています。
私の経験ではペグホールも含めて 音響システムの “写し”に成功した最後の弦楽器製作者は ミラノの レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach 1864 – 1945 )ではないかと思っています。
参照
弦楽器システムの最後の理解者 レアンドロ・ビジャッキについて
なぜなら‥ 私の工房から徒歩で 15分くらいの場所にお住まいの方が 1910年にベルギー・ブリュッセルで開催された万国博覧会のコンペテーションに出品し メダルを授与された ビジャッキが製作した ヴァイオリンを所有されていて、私は その響きを知っているからです。
これは所有者の方が 26年程前に 当時 ‥ 一般的に認識されているレアンドロ・ビジャッキ作 ヴァイオリンの2倍以上の値段で購入されたものです。
このヴァイオリンは 1910年に にイタリアから出品され メダルを受賞した製作当初の状況がほぼそのまま保たれていて、その響きも ジョヴァンニ・フランチェスコ・プレッセンダ( Giovanni Francesco Pressenda 1777-1854 )や ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca 1807-1865 )と並ぶ程すばらしい響きをもっています。
Giuseppe Leandro Bisiach( 1864-1945 )Violin Milano 1910年
Giuseppe Leandro Bisiach( 1864-1945 )Violin Milano 1910年
そのため 私はこのヴァイオリンを 100年前の最高技術で製作されたものとして参考にしています。
このヴァイオリンの ヘッド長は 106.5 mm で、ペグ・ホール位置 N-side 16.0 mm – 14.0 mm – 23.5 mm – 13.0 mm となっています。
私は 響から判断すると G 線ペグ、 E 線ペグのグループと A 線ペグと D 線ペグのグループの間が 23.5mm しかありませんが、ぎりぎりで “対の関係” が成り立たっている好例と考えています。
このヴァイオリンもペグボックスの中で 2 番線と 3 番線が ほかのペグに接触しています。ですから 現在でも他の専門家がこれを見るとペグ穴のブッシングをして位置を移動したくなるかもしれません。
しかし実際にこれが原因で弦が切れたりすることはほとんど無いのです。それなのに‥ これまでに なんと多くのペグ・ホールが移動されてきたことでしょうか。私はこの事を思うとき 本当に心が痛みます。
2016-10-20 Joseph Naomi Yokota