Sandro Botticelli ( 1445-1510 )
” 地獄の見取り図”( La Carte de l’Enfer )1490年
ヴァイオリンという弦楽器は、14世紀初頭にはじまるルネサンスと 宗教改革により中世的な世界観に変わり 新しい認識や価値観がヨーロッパに広がっていくなかで考案され普及していきました。
その時期は、それまで長らく信じられてきた天動説の体系から コペルニクス ( 1473-1543 ) が唱えた地動説が常識となっていく激動の時代とかさなります。
Cathédrale Notre-Dame de Chartres
Cathédrale Notre-Dame de Chartres 130m × 46m ( 32m )
Cathédrale Notre-Dame de Chartres
身廊全長 128m / 幅 16.4m / 高さ 37mm
ピサの洗礼堂( ピサのドゥオモ広場 )
1409年に この地で「ピサ教会会議」がおこなわれクレタ島生まれのギリシャ人 アレクサンデル5世( 1339-1410 / 対立教皇、在位 1409年 – 1410年)が「教皇」に選出されました。カトリック教会においての教会大分裂 ( 大シスマ Scisma d’Occidente ) のはじまりです。
この「ピサ教会会議」は、1377年に 教皇グレゴリウス11世が アヴィニヨン ( Avignon 1309-1377 ) からローマに教皇庁を移しましたが その翌年に亡くなってしまい 、結果として ローマとアヴィニヨンに それぞれ「教皇」が存在する状況に陥っていたのを解決するために招集されたものでした。
しかし、ローマの教皇 グレゴリウス12世 ( 1326-1417 / ローマ教皇、在位 1406年 – 1415年 ) と アヴィニョンの ベネディクトゥス13世 ( 1328-1423 対立教皇、在位 1394年 – 1417年 )は廃位に応じませんでした。
その混乱の最中、「ピサ教会会議」で選出された アレクサンデル5世 ( 1339-1410 )が急死したために フィレンツェのメディチ家当主 ジョヴァンニ・ディ・ビッチ ( 1360-1429 ) の支援を受けた バルダッサレ・コッサ ( Baldassare Cossa ca.1370-1419 ) が ヨハネス23世 ( 1370-1419 対立教皇 / 在位 1410年 – 1415年 )として「教皇」となり、1399年にナポリから追われていたプロヴァンス伯 ルイ2世・ダンジューとともに軍を進め 1410年に ローマを占領しました。
そして目まぐるしいですが、ヨハネス23世 ( 1370-1419 )と ルイ2世・ダンジュー ( 1377-1417 )のローマ占領は、1413年にナポリ王 ラディズラーオの軍の反撃によりフィレンツェに退却する事で終わりました。
この教会大分裂を解消するために神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントは 1414年、ドイツで コンスタンツ公会議を召集しました。 この公会議で3人の教皇は退位あるいは 廃位さとれ、1417年にマルティヌス5世 ( 1368- 1431 / 在位 1417年 – 1431年 )が選出されたことにより3人の教皇が同時に存在するという混乱は収束しました。
Battistero di San Giovanni ( Pisa ) / Piazza del Duomo
1152 年~ 1363年 外側高さ54.85m / 直径35.5m
ヴァイオリンなどの弦楽器を知るには、16世紀初めから400年ほどの期間を俎上に上げなくてはなりませんので、時間軸上での考察のために 私はこの投稿をまとめることにしました。
念のために申し上げれば ここでは楽器と弓の製作者、そして時間座標のために音楽家、科学者などの生まれた年や重要な出来事を考慮して列挙してあります。そして、全体の項目を減らすために敢えて ハイドンやベートーヴェンさん達を記載していません。この点はどうかご了承ください。
■ Violin maker ● Violinist, Teacher, Composer □ Bow maker
▶ Pythagoras ( BC.582-BC.496 )
▶ Archimedes ( BC.287-BC.212 )
1321年 Dante Alighieri ( 1265-1321 ) “La Divina Commedia” ( 神曲 )
1378 ~ 1417年 “Schisma” Roma : Avignon ( 1309-1377 )
1453年 コンスタンティノープル陥落によるビザンツ帝国の滅亡 Constantinopolis / The Eastern Roman Empire ( 330-1453 )
1492年 San Salvador Island / Columbus ( 1451-1506 )
1498年 Santa Maria delle Grazie / Leonardo da Vinci ( 1452-1519 )
1499年 Vasco da Gama ( ca.1460-1524 ), Lisbon-Inldia-Lisbon
1517年 “95 Thesen” Martin Luther ( 1483-1546 )
1538年 Naval battle of Preveza / Turkish Empire
1543年 Nicolaus Copernicus ( 1473-1543 )
ヴァイオリンの歴史を紐解くと”クレモナ派”の存在が重要であると分かります。ポー平原の中央に位置するクレモナは ミラノから 80㎞、ブレッシアから 60㎞、トリノと ヴェネツィアからおおよそ200㎞ほどに位置する古都で、ポー川などの水上交通や街道などによって それらの都市や モデナ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリなどと繋がっていました。
ヨーロッパでは ヴァイオリンが誕生する直前にオスマン・トルコが支配地域を拡大させ、ついには 1453年にコンスタンティノーブルが陥落し東ローマ帝国 ( ヴィザンチン帝国 ) が滅亡するという事件がありました。
オスマン帝国はその後も勢力範囲をひろげ、この抗争の最終局面で ヴェネツィア共和国、スペイン、ジエノヴァ共和国、教皇領などの艦船で結成された神聖同盟艦隊( ローマ教皇連合艦隊 )とオスマン帝国艦隊が イオニア海にあるレフカダ島沖で戦うことになります。 この “プレヴェザの海戦”( 1538年 )は神聖同盟艦隊側の敗北に終わり、以降はオスマン帝国が地中海の制海権を握ります。
こうした変化はヨーロッパでの音楽事情に影をさし、当然ながらヴァイオリンなどの弦楽器製作にも影響を与えたと考えられます。
それから『 ペスト( 黒死病 ) 』などの疫病の大流行が大きな社会不安を発生させていたことも忘れてはならないと思います。
ペスト菌には3 種類の亜種が知られ、それぞれが歴史上有名なペストの大流行の原因となりました。541 年に東ローマ帝国から始まった大流行は ペスト菌 Antiqua によるもので、14 世紀からのヨーロッパでの大流行は Medievalis によるとされ 、そして中国雲南省で1855 年に始まった大流行は Orientalis によるものとされています。
このうち ルネサンス時代に大流行を引き起こしたペスト菌 Medievalis は まず1348年~1351年にかけてコンスタンティノープルをはじめ、キプロス、サルデーニャ 、コルシカ、マジョリカ等の地中海の主要都市、さらにマルセイユ、ヴェネチア等の港町に上陸します。
そして翌年に入ると アヴイニヨン、フイレンツェ、イングランドにまで広がり、その次の年にはスウエーデンやポーランドも浸食し 1351年末にはロシアにまで達したそうです。
この流行ではヨーロッパの総人口8000万人のうち、その3割にあたる2500万人が 犠牲となったといわれています。
悲しいことに このときの大流行をきっかけとして、ペストはいわば風土病化して ヨーロッパの地に根を下ろし、それ以後18世紀にいたるまで何度もくりかえし発生しました。
▶ 1656年頃 A plague doctor in seventeenth-century Rome
とくに 17世紀にはヨーロッパの各地 で頻発したことが記録されています。アムステルダムでは 1622年から1628年にかけて毎年 発生して 3万5000人程が死亡し、パリでは 1612年、1619年、1631年、1638年、1662年、1668年( 最後の流行 )にペストの大流行があり深刻な被害がでました。
▶ 1679年 ペスト撲滅( ウィーンでの ペスト最期の流行による 累計死者およそ10万人を追悼 ) 記念碑 1683~1693年建造
また、ロンドンでは 1593年から1664年にかけて、そして 翌年の1665年と ペストが 5回も流行し 死者の合計はおよそ 15万6000人におよんだと言われています。
CNNからの引用です。【 “ 1665年に英ロンドンで大流行して年間7万5000人超を死亡させたのは、ペスト菌が引き起こす腺ペストだったことが、DNA鑑定を通じてこのほど初めて実証された。ロンドン考古学博物館などの研究チームが発表した。
この年の大流行では当時のロンドンの人口のほぼ 4分の1が死亡。ピークだった9月には1週間だけで8000人が死亡した。原因は腺ペストとする説が有力だったが、これまで確認はできていなかった。
しかしロンドン市内で地下鉄の延伸工事中に見つかった集団埋葬地を 2015年に発掘調査したところ、1665年の大流行で死亡したと思われる17世紀の遺骨42柱が見つかった。
研究チームがその遺骨から採取したDNAを調べた結果、腺ペストを引き起こすペスト菌のDNAと一致することをが判明。発掘調査を主導したロンドン考古学博物館の専門家ダン・ウォーカー氏は「1665年のペスト大流行の原因が初めて分かった」と解説している。” 】
因みに、1664年に『スカラー』となっていた ニュートン ( 1642-1727 ) は、 1665年から 翌年にかけてペスト禍を逃れて故郷のウールスソープへ戻り 18ヶ月程の期間をすごしたと言われています。
回想録などでは、25歳までの この期間にニュートンの三大業績は全て成されたとされています。
†
同じように、クレモナの街も何度にもわたってペスト禍にみまわれ 1630年の大流行の際には、クレモナ派の始祖アンドレア・アマティの息子で父の工房を引き継いでいた ジロラモ・アマティ( Girolamo Amati 1561-1630 )とその妻 そして 2人の娘が犠牲となり、アマティ工房は 34歳となっていた ニコロ・アマティ( Nicolò Amati 1596-1684 )が引き継いだといわれています。
また、アントニオ・ストラディバリ ( ca.1644-1737 ) の 生年月日と出生場所が 判然としないのも、ペスト禍をさけた両親の避難先の町で誕生したからと伝承されています。
1500 – 1550
■ Andrea Amati ( ca.1505-1577 ), Cremona / 1539年
Established a workshop in Cremona.
■ Antonio Amati ( 1540-1640 ), Cremona
■ Gasparo di Bertolotti ( ca.1540- ca.1609 ), “Gasparo da Salò” Brescia
Andrea Amati ( ca.1505-1577 ) Violin, Cremona 1555~1560年頃
Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年 She married Henry II at the age of 14.
Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年 He was crowned the king of France.
Andrea Amati ( ca.1505-1577 ) Violin, “King Charles Ⅸ” Cremona 1566年頃
Andrea Amati ( ca.1505-1577 ) Violin, “King Charles Ⅸ” Cremona 1566年頃
Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) Violin, “ex Ross” 1570年頃
1572年 “St. Bartholomew’s Day Massacre”
Charles Ⅸ de France 1574年
1550 – 1600
■ Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ), Cremona
■ Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 ), Brescia
■ Nicolò Amati ( 1596-1684 ), Cremona
▶ Galileo Galilei ( 1564-1642 )
▶ Johannes Kepler (1571-1630 )
▶ Marin Mersenne ( 1588-1648 )
▶ René Descartes ( 1596-1650 )
● Biagio Marini ( 1594-1663 ), Brescia / 1615 Venezia ‘ Basilica di San Marco’ / 1620 Brescia / 1621 Parma / 1623 ~ 1649 Neuburg an der Donau / 1649 Milan / 1652 Ferrara / 1654 Milan / 1656 Vicenza / Venezia 1663 : Violinist
“Scordatura”, “double and even triple stopping”, “Tremolo”
1600 – 1650
▶ Otto von Guericke ( 1602-1686 )
Gaspar da Saló ( ca.1540-ca.1609 ) Violin, Brescia 1600年頃
■ Jacob Stainer ( 1617-1683 ), Absam, Tirol
● Maurizio Cazzati ( 1618-1678 ), Luzzara / 1641 Ferrara, Bozzolo, Bergamo / 1657 ~ 1671 Bologna / 1671 Mantova
Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 ) Violin, Brescia 1620年頃
Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 ) Violin, Brescia 1620年頃
Antonio Amati ( ca. 1540-1607 ) & Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 ) Violin, Cremona 1624年頃
■ Andrea Guarneri ( 1626-1698 ), Cremona / 1654年 He founded the workshop in Casa Guarneri .
▶ ca.1626 ~ ca.1761 ” Les Vingt-quatre Violons du Roi ” ( “The King’s 24 Violins” ) The Royal Palace in Paris
Antonio Amati ( ca. 1540-1607 ) & Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 ) Violin, Cremona 1629年頃
■ Giovanni Grancino ( 1637-1709 ), Milan
■ Hendrik Jacobs ( 1639-1704 ), Amsterdam
▶ Christiaan Huygens ( 1629-1695 )
▶ Antonie van Leeuwenhoek ( 1632-1723 )
▶ Robert Hooke ( 1635-1703 )
▶ Isaac Newton ( 1642-1727 )
■ Alessandro Gagliano ( ca.1640–1730 ), Napoli
■ Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 ), Bologna
■ Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 ), Brescia
● Jean-Baptiste Lully ( 1632-1687 ), Firenze / 1646 France / 1652 The Royal Palace in Paris / 1653 “Petits Violons” / 1661 French subject , 1661 ~ 1682 “Château de Versailles” / 1685,1686,1687
● Giovanni Battista Vitali ( 1632-1692 ), Bologna / 1666 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 Modena : Violinist
Nicolò Amati ( 1596–1684 ) Violin, Cremona 1641年
● Heinrich Ignaz Franz von Biber ( 1644-1704 ), Bohemia / 1668 Zámek Kroměříž / 1671 Salzburg, ca.1676 ” Rosenkranz-Sonaten ” ( Scordatura ) : Violinist
■ Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ), Cremona / 1680年 He founded the workshop in Casa Stradivari .
▶ Arp Schnitger ( 1648-1719 ), active in Northern Europe, especially the Netherlands and Germany, Pipe organ builder.
■ Francesco Ruggieri ( ca.1645-1698 ), Cremona
■ Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ), Cremona
1650 – 1700
● Arcangelo Corelli ( 1653-1713 ), Fusignano / 1666 Bologna / 1675 Rome / 1681 München / 1685 Roma / 1689 Modena / 1708 Rome : Violinist
● Giuseppe Torelli ( 1658-1709 ), Verona / Bologna / 1684 Accademia Filarmonica di Bologna / 1697 ~ 1699 Fürstentum Ansbach / 1699 Wien / Bologna : Violinist
Nicolò Amati ( 1596–1684 ) Violin, Cremona 1651年
■ Matthias Klotz ( 1653-1743 ), Mittenwald
■ Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ), Cremona / Mantua
Jacob Stainer ( 1617-1683 ) Violin, Absam ( Tirol ) 1655年頃
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ), Cremona 1658年頃
( 1654年 He founded the workshop in Casa Guarneri . )
■ Matteo Goffriller ( 1659–1742 ), Venice
■ Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 ), Cremona
■ Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 ), Milan
● Giacomo Antonio Perti ( 1661-1756 ), Bologna / Parma / Venezia / 1690 ~ 1756 Bologna : Violinist
● Tomaso Antonio Vitali ( 1663-1745 ), 1674 Modena : Violinist
■ Filius Andrea Guarneri ( 1666-1740 ), Cremona
Nicolò Amati ( 1596–1684 ) Violin, Cremona 1669年
Francesco Rugeri ( ca.1645-1698 ) Violin, 1670年
Giovanni Maria Del Busetto Violin, Cremona 1680年頃
■ Francesco Stradivari ( 1671-1743 ), Cremona
■ Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 ), Milan
■ Carlo Tononi ( ca.1675-1730 ), Bologna / Venice
■ Johann Michael Albani ( 1677-1730 ), Bozen / Bulsani in Tyroli / Graz
▶ Louis XIV ‘Roi-Soleil’ ( 1638 – ‘1643-1715’ )
“Château de Versailles” 1661 ~ 1682
Plan du Château de Versailles 1664年
1678年 (1678–1684 )
The opulent Hall of Mirrors at the Palace of Versailles
● Antonio Vivaldi ( 1678-1741 ), Venezia 1703 / 1740 Wien : Violinist
● Pietro Castrucci ( 1679-1752 ), Roma / 1715 London / 1750 Dublin : Violinist
■ Omobono Stradivari ( 1679-1742 ), Cremona
■ Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ), Cremona
▶ Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ) Saxony / Dresden, Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ), Pipe organ builder.
● Johann Sebastian Bach ( 1685-1750 ), Eisenach / 1703 Weimar, Arnstadt / 1705.10 Lübeck 1706. 1 / 1707 Mühlhausen / 1708 Weimar / 1717 Köthen, 1721 Anna Magdalena Bach / 1723 Leipzig
● Giovanni Battista Somis ( 1686-1763 ), Turin / 1731 Paris / Turin : Violinist
■ Domenico Montagnana ( 1686-1750 ), Venice
■ Georg Klotz ( 1687-1737 ), Mittenwald
● Francesco Geminiani ( 1687-1762 ), Lucca / 1711 Naples / 1714 London : Violinist
● Francesco Maria Veracini ( 1690-1768 ), Firenze / 1711 Venezia / 1714 London / 1616 Venezia / 1723 Firenze / 1733 London / 1744 Firenze : Jacob Steiner violin / Violinist
Hendrik Jacobs (1639-1704) Violin, Amsterdam 1690年頃
Giovanni Grancino ( 1637-1709 ) Violin, Milan 1690年頃
Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 ) Violin, Milano 1690年
Giovanni Grancino ( 1637-1709 ) Violin, Milan 1690年
■ Andrea Guarneri ( 1691-1706 ), Cremona
■ Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 ), Milan
● Giuseppe Tartini ( 1692-1770 ), Pirano / 1721 Padova, 1726 Violin School : Violinist
● Pietro Locatelli ( 1695-1764 ), Bergamo / 1723 Mantua, Venezia, München, Dresden, Berlin, Frankfurt, Kassel / 1729 Amsterdam : Violinist
■ PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 ), Cremona / 1718年 moved to Venezia
■ Sebastian Klotz ( 1696-1775 ), Mittenwald
Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 ) Violin, Brescia 1695年頃
Antonio Stradivari ( 1644-1737 ), Violin “Auer – Benvenuti” Cremona 1699年
● Jean-Marie Leclair ( 1697-1764 ), Lyon / Turin / 1723 Paris, ‘Palais des Tuileries’ / 1733 ~ 1737 ‘ Louis XV ( 1710 – ‘1715-1774’ ) / 1738 ~ 1743 Den Haag / 1743 ~ 1764 Paris : Violinist
■ Andrea Castagneri ( 1696-1747 ), Paris ■ Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ), “Guarneri del Gesù” Cremona / 1722年頃 He is independent.
1700 – 1750
Giovanni Grancino ( 1637-1709 ) Violin, Milan 1700年頃
Giovanni Grancino ( 1637-1709 ) Violin, Milan 1702年頃
Giuseppe Guarneri ( 1666-1740 ) “filius Andrea” Violin, 1703年
■ Camillo Camilli ( ca.1704-1754 ), Mantua, Violin maker.
Carlo Tononi ( ca.1675-1730 ) Violin, Bologna 1705年
1700 – 1750
1701 ~ 1714年 War of the Spanish Succession
“France : Louis XIV ( 1638-1715 ) × Habsburg : Karl VI ( 1685-1740 )”
Cremona governance countries
España ( 1513 ~ 1524, 1526 ~ 1701 ) – France ( 1701 ~ 1702 ) – Republik Österreich / Habsburg ( 1707 ~ 1848 )
スペイン継承戦争 ( 1701-1714 )のさなか クレモナは、1701年から1702年の クレモナの戦いで オーストリア軍に敗れるまで フランスが短期間支配したのちに、1707年にミラノまでの北イタリア やナポリなどをオーストリア軍が平定したことによりハプスブルク家の所領となりました。そして、この状況は 1713年の ユトレヒト条約などにより確定しました。
ユトレヒト条約によるヨーロッパの勢力図
茶色はイギリス、青はフランス、黄色はスペイン、緑はオーストリア、橙はサヴォイア、深緑はブランデンブルク=プロイセン
Casa Savoia : 1713年 Regno di Sicilia – 1720年 Regno di Sardegna / Torino – 1848年 The First War of Independence – 1859年 The Second War of Independence – 1866年 The Third War of Independence
● Giovanni Battista Martini ( 1706-1784 ), Bologna / 1758 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 “Saggio dl contrapunto”
● Franz Xaver Richter ( 1709-1789 ), Moravia / 1740 ~ 1747 Kempten i.a. / 1747 Mannheim / 1769 ~ 1789 ‘Cathédrale Notre-Dame-de-Strasbourg’ : Violinist
● Jean-Joseph de Mondonville ( 1711-1772 ), Narbonne / 1733 ~ 1772 Paris : Violinist
Antonio Stradivarius ( ca.1644-1737 ) Violin, “Viotti” 1709年
Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ) Violin, Cremona 1710年
Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 ) Violin, Cremona 1710年頃
■ Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ), Napoli
■ Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ), Cremona / 1729 Parma / 1740 Piacenza / 1749 Milan / 1757 Cremona / 1759 Parma / 1771-1786 Turin
Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 ) Violin, Milan 1715年
Antonio Stradivari ( 1644-1737 ), Violin “Tartini – Lipinski” Cremona 1715年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ), Violin Cremona “Marsick – James Ehnes” 1715年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ), Violin Cremona 1722年
● Johann Wenzel Stamitz ( 1717-1757 ), Bohemian / Praha / 1741 Mannheim / 1754 ~ 1755 Paris / 1755 Mannheim : Violinist
● Leopold Mozart ( 1719-1787 ), Augsburg / 1737 Salzburg / 1785 Wien, Salzburg : Violinist
1751年 “Versuch einer gründlichen Violinschule”
– – – Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 )
■ Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 ), Florence
■ Leopold Widhalm ( 1722-1776 ), Nürnberg
● Pietro Nardini ( 1722-1793 ), Fibiana / Livorno / Padova / 1762 Stuttgart / 1770 Firenze : Violinist
● Pierre Gaviniès ( 1728-1800 ), Paris / 1744 “The Concert Spirituel” / 1795 He became a professor at the newly-founded ‘Conservatoire de Paris ‘. : Violinist
Matthias Klotz ( 1653-1743 ) Violin, Mittenwald 1725年
Giuseppe Guarneri ‘filius Andreae’ ( 1666-1740 ) Violin, Cremona 1725年頃
Johann Michael Albani ( 1677-1730 ) Violin, Bulsani in Tyroli 1728年頃
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, 1729年頃
■ Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 ), Hague Netherlands
Georg Klotz ( 1687-1737 ) Violin, Mittenwald 1730年頃
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, Cremona
“Goldberg-Baron Vitta” 1730年頃
Antonio Stradivari ( 1644-1737 ) Violin, “Lady Jeanne” Cremona 1731年
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, “Posselt – Philipp” 1732年
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, “Spagnoletti” 1734年
● Gaetano Pugnani ( 1731-1798 ), Torino / 1749 Roma / 1750 Torino / 1754 Paris, Nederland, London, Deutschland / 1763 Torino / 1767 London / 1770 Torino / 1780 ~ 1782 Russia, 1782 Torino : Violinist
■ Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 ), Mittenwald
■ Aegidius Klotz ( 1733-1805 ), Mittenwald
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, Cremona
“Rode – Le Nestor” 1733年
■ Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ), Markneukirchen
Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ) Violin, Napoli 1737年
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, “Ex Menuhin” 1739年
Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 ) Violin, Milan 1740年頃
Andrea Castagneri ( 1696-1747 ) Violin, Paris 1742年
Bartolomeo Giuseppe Guarneri / ” Guarneri del Gesù”
( 1698-1744 ) Violin, “Carrodus” 1743年
■ Joseph Klotz ( 1743-1829 ), Violin Mittenwald 1760年
■ Lorenzo Storioni ( 1744-1816 ), Cremona
Andrea Castagneri ( 1696-1747 ) Violin, Paris 1744年
Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Violin, Piacenza 1747年
● Luigi Rodolfo Boccherini ( 1743-1805 ), 1743 Lucca / 1757 Vienna “The court employed” / 1761 Madrid / 1771 String Quintet Op. 11 No. 5 ( G 275 ) : Italian cellist and composer
● Johann Peter Salomon ( 1745-1815 ), Bonn / Prussia / ca.1780 London / 1791 ~ 1792, 1794 ~ 1795 Franz Joseph Haydn : Violinist
● Carl Stamitz ( 1745-1801 ), Mannheim / 1762 Mannheim palace orchestra / 1770 Paris / Praha, London : Violinist
□ Nicolas-Léonard Tourte ( 1746-1807 ), Paris : Bow maker
□ François-Xavier Tourte ( 1747-1835 ), Paris : Bow maker
Camillo Camilli ( ca.1704-1754 ) Violin, Mantua 1750年頃
Sebastian Klotz ( 1696-1775 ) Violin, Mittenwald 1750年頃
Sebastian Klotz ( 1696-1775 ) Violin, Mittenwald 1750年頃
1750 – 1800
● Johann Anton Stamitz ( 1754 – ‥ ), Mannheim / 1770 Paris / 1782 ~ 1789 Versailles / ‘ 1798‥1809 Paris ‘ : Violinist
■ Nicola Bergonzi ( 1754-1832 ), Cremona
■ Antonio Vinaccia ( 1754-1781 ), Napoli
■ Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 ), Violin Napoli
■ Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ), Cremona
Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 ) Violin, Florence 1755年
Joseph Klotz ( 1743-1829 ) Violin, Mittenwald 1760年
● Giovanni Battista Viotti ( 1755-1824 ), Fontanetto Po / Torino, Paris, Versailles, 1788 Paris, London, 1819-1821 Paris, London : Violinist
● Federigo Fiorillo ( 1755-1823 ), Braunschweig / 1780 Poland / 1783 Riga / Paris / 1788 London He played the viola in Saloman’s quartet. / 1873 Amsterdam, Paris
Marie Antoinette ( 1755-1793.10.16 )
1770年 She married Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 ) / ” Louis XVI ( 1774 ) “ at the age of 14.
French Revolution 1789 ~ 1793年
▶ 1793年 ” Louis XVI ” ( 1774 ) / Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )
● Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 ), Salzburg / 1762 München, Wien / 1763 ~ 1766 Frankfurt, Paris, London / 1767 ~ 1769 Wien / 1769 ~ 1771 Milano, Bologna, Roma, Napoli / 1773, 1774 ~ 1775 Wien / 1777 München, Mannheim, Augsburg / 1778 Paris / 1779 Salzburg / 1781 München, Wien / 1783 Salzburg / 1787 Praha, Wien / 1789 Berlin / 1790 Frankfurt / 1791 Wien, Praha, Wien
● Bernhard Heinrich Romberg ( 1767-1841 ), “The Münster Court Orchestra” / 1790 Bonn “The Court Orchestra” / He lengthened the cello’s fingerboard and ‘Flattened’ the side under the C string : German cellist and composer
Leopold Widhalm ( 1722-1776 ) Violin, Nürnberg 1769年
Tommaso Balestrieri ( ca.1735 – ca.1795 ) Violin, Mantua 1770年
Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ) Violin, Markneukirchen 1770年頃
Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 ) Violin, Florence
1770年頃
Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 ) Violin, Mittenwald 1773年
Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ), Turin “Ex Joachim” 1775年
Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 ) Violin, Napoli 1780年頃
● Rodolphe Kreutzer ( 1766-1831 ), Versailles / 1803 Wien “Kreutzer Sonata ” Ludwig van Beethoven 1770-1827, Paris 1795 ~ 1826 ‘Conservatoire de Paris’ – 1796年 Caprices – 1807 comprises 40 pieces – “42 Études ou Caprices” / Genève, Swiss : Violinist
● Pierre Baillot ( 1771-1842 ), Paris : Violinist
● Pierre Rode ( 1774-1830 ), Bordeaux / 1787 Paris / 1804 Saint Petersburg, Moscow / 1812 Wien ” Ludwig van Beethoven 1770-1827 Violinsonate Nr. 10 in G-Dur, Op. 96 ” / 1814 ~ 1819年 Berlin, “24 capricci” / 1830 Lot-et-Garonne : Violinist
□ François Lupot II (1774 – 1838), He worked for Leonard Tourte in Paris. Once Lupot set up his own Parisian establishment in 1815. : Bow maker
▶ 1763年 Haydn Saal ( Eisenstadt ) 38.0m × 14.7m ( H 12.4m )
▶ 1766年 Eszterháza ( Fertőd ) 15.5m × 10.3m ( H 9.2m )
▶ 1772年 The Crown & Anchor ( 271㎡ ) 24.7m × 11.0m
▶ 1774年 Hanover Square R. ( 235㎡ ) 24.1m × 9.8m ( H 8.5m )
▶ 1776年 Willis’s Rooms ( 305㎡ ) 25.0m × 12.2m
▶ 1781年 Leipzig Gewandhaus 23.0m × 11.5m ( H 7.4m )
▶ 1795年 “Le Conservatoire de musique” ( Conservatoire de Paris )
▶ 1780~1782年 弓のフェルールが考案される。
● Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
1802 ~ 1817年 ” 24 Caprices for Solo Violin ” : Violinist
● Louis Spohr ( 1784-1859 ), Braunschweig / 1802 Saint Petersburg / 1804 Leipzig / 1805 ~ 1812 Gotha / 1813 ~ 1815 Wien / 1816,1817 Italiana / 1817 ~ 1819 ‘Oper Frankfurt’ / 1820 England / 1821 Paris / 1822 ~ 1859 Kassel : Violinist
” Chin rest & Conductor’s stick “
■ Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 ), Lequio Berria / Cremona / 1815 Torino, 1821 was able to open his own firm.
Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 ) Violin, Hague Netherlands 1780年頃
Antonio Vinaccia ( 1754-1781 ) Violin, Napoli 1781年
1789年 “États généraux”
第一身分は10万人のカトリック聖職者で、彼らはフランス全土の10%程の土地を所有し、さらにその財産は免税されていました。第二身分は貴族で、子供や婦人を含んだ人口は40万人でした。1715年のルイ14世の崩御後、貴族は権力を回復し 高位官職や高位聖職、軍会議そしてその他の公共および半官半民の特権を独占していました。そして封建的慣習により彼らも第一身分と同じく免税されていました。第三身分は2500万人でブルジョワ、農民その他のフランス国民からなっていました。第一、第二身分と異なり、第三身分は納税を強いられていましたが、ブルジョワは何らかの手段でこれを逃れていたそうです。結局、フランス財政の重荷は農民や都市労働者といった貧しい人々に課せられていたのです。
French Revolution 1789 ~ 1793年
▶ 1791年 Metric system ( metre & kilogram )
Maximilien Robespierre ( 1758-1794 )
Aegidius Klotz ( 1733-1805 ) Violin, Mittenwald 1790年頃
Nicola Bergonzi ( 1754-1832 ) Violin, Cremona 1790年頃
Lorenzo Storioni ( 1744-1816 ) Violin, Cremona 1790年頃
Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ) Violin, “ex Havemann”
Cremona 1791年
□ ■ Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ), Vuillaume was born in Mirecourt, He moved to Paris in 1818 to work for François Chanot.
In 1821, he joined the workshop of Simon Lété, François-Louis Pique’s son-in-law, at Rue Pavée St. Sauveur. He became his partner and in 1825 settled in the Rue Croix des Petits-Champs under the name of “Lété et Vuillaume”.
In 1827, at the height of the Neo-Gothic period, he started to make imitations of old instruments. : Bow maker.
Aegidius KLOTZ ( 1733-1805 ) Violin, Mittenwald 1797年
Nicola Bergonzi ( 1754-1832 ) Violin, Cremona 1800年頃
1800 – 1850
□ Nicolas Rémy Maire (1800–1878), Maire was born in Mirecourt. He trained in the Lafleur workshop and served his apprenticeship in the workshop of Pajeot in Mirecourt. He opened his own workshop in Mirecourt in 1826 and left in 1853 to work in Paris.
: Bow maker.
● Georg Hellmesberger ( 1800-1873 ), Vienna / 1826 ~ 1833 ‘The Vienna Conservatory’ / His students were Joachim, Leopold Auer. : Violinist
● Charles-Auguste de Bériot ( 1802-1870 ), Leuven / 1843 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / ‥ 1852. – 1858 – 1866 Brussels : Violinist
■ Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ), Barbaresco / 1834 Turin, It was during this time that he became acquainted with Luigi Tarisio, a violin dealer / Rocca won prizes in his craft at a national arts and crafts exhibitions in 1844 and 1846.
■ Enrico Rocca ( 1847-1915 ), Turin / 1850 ~ 1865 Genova
■ Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 ), Prague
□ Pierre Simon ( 1808-1881 ), He apprenticed and worked in his hometown of Mirecourt until 1838, when he moved to Paris to join the workshop of Dominique Peccatte. : Bow maker
□ Dominique Peccatte ( 1810-1874 ), He was born in Mirecourt. On the recommendation of Nicolas Vuillaume he moved to Paris in 1826 to join J.B. Vuillaume’s workshop. Paris 1838 / 1847 Mirecourt : Bow maker
▶ 1804年 Napoléon Bonaparte “Emperor”
Napoléon Bonaparte ( 1769-1821 / ” 1804 – 1814, 1815″ )
1812 – 1814年 [ ナポレオンのロシアからの撤退 ]
● Heinrich Wilhelm Ernst ( 1812-1865 ), Moravia / 1825 ‘The Vienna Conservatory’ / 1828 Niccolo Paganini visited Vienna. 1830 He played Paganini’s Nel cor pìù non mi sento. / 1865 Nice : Violinist
● Jakob Dont ( 1815-1888 ), Vienna / 24 Etudes and Caprices : Violinist
● Henri Vieuxtemps ( 1820-1881 ), Belgium / Liège , Brussels / 1829 Paris / Brussels / 1833 Germany / 1835 Wien / 1836 Paris / 1849 ~ 1851 Saint Petersburg / 1850 Paris / 1871 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Paris 1879 / Algeria : Violinist
□ François Peccatte ( 1821-1874 ), Mirecourt / 1842 Paris : Bow maker
□ Joseph Henry ( 1823-1870 ), Henry studied with Dominique Peccatte and established his own shop in 1851. : Bow maker
Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
▶ 1827年7月12日( 木曜日 )プログラム
イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹のエリーザ・バチョッキ( Elisa Baciocchi ) が 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷における独奏者として演奏活動をはじめます。
そしてナポレオンが失脚するとパガニーニは独奏者としての活動をはじめました。彼は 1809年より北イタリアからはじめた演奏会の開催場所をイタリア全土にひろげました。
その後の 1828年にはウィーンでも成功をつかみ、ついでプラハ そしてドイツ各地で開催した後である 1831年には 3月から4月にかけて有名なパリ・デビューを成功させ 5月にロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめました。
1831年4月17日( 日曜日 )
□ François Nicolas Voirin ( 1833-1885 ), He was born in Mirecourt. He moved to Paris in 1855 to join his cousin Jean Baptiste Vuillaume. : Bow maker
▶ 1831年 Gesellschaft der Musikfreunde ( Tuchlauben, Vienna )a concert hall for ca. 700 people
● Joseph Joachim ( 1831-1907), Kittsee / 1833 Budapest / Wien / 1843 Leipzig / 1846 London / 1848 “Gewandhausorchester Leipzig ” / 1850 Weimar / 1852 Hannover / 1866 ~ 1907 Berlin : Violinist
● Henryk Wieniawski ( 1835-1880 ), Lublin / 1843 ‘Conservatoire de Paris’ / 1874 ~ 1877 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Moscow : Violinist
▶ 1842年 The founding of the Vienna Philharmonic.
● Pablo de Sarasate ( 1844-1908 ), Pamplona / 1854 Madrid / 1855 Paris / 1860 London, Paris, performing in Europe, North America, South America / 1864 Camille Saint-Saëns ‘Introduction et Rondo capriccioso en la mineur’ / 1878 Zigeunerweisen, 1883 Carmen Fantasy / Biarritz 1908 : Violinist
● Leopold Auer ( 1845-1930 ),Veszprém / Budapest, Wien / Hannover : Joachim / 1868 ~ 1917 Saint Petersburg : St Petersburg Conservatory / 1918 America / 1824 The Curtis Institute of Music : Violinist
Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 ) Violin, Prague 1840年
Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ) Violin, Genoa
1845-1850 年頃
Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ) Violin, Turin 1850 年頃
Enrico Rocca ( 1847-1915 ) Violin, Genova 1893年
□ Charles Nicolas Bazin ( 1847-1915 ), Son of Mirecourt bowmaker François Xavier Bazin, Charles Nicolas Bazin inherited the family workshop in 1859 following his father’s death from cholera.
Charles Nicolas was only 18 at the time, but already had ample experience from his father’s training, and the shop flourished under his leadership. : Bow maker
1848年 : ウィーン体制が崩壊しヨーロッパの不安定化が進みます。
たとえば イタリアでは 1861年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア統一をおこない、プロイセンは 鉄血宰相ビスマルク( 1815-1898 )の指導のもとクルップ社の鉄鋼製品( 鉄道、大砲 )を背景として 1866年の普墺戦争に勝利して 1867年に北ドイツ連邦に領土を拡大します。
そしてその後 の普仏戦争により 1871年には ワーグナーを擁護するとともにノイシュヴァンシュタイン城を建設させたルートヴィヒ2世( 1845 – 1886 )のバイエルン王国( Bavaria )やフランス領だったロレーヌ・アルザスを併合してドイツ帝国が成立しました。
また 1842年にアヘン戦争に勝利したヴィクトリア女王( 1819 – 1901 、在位 1837 – 1901 )のイギリスも植民地拡大をすすめ大英帝国を構築し繁栄します。 こうして帝国主義を国是としたヨーロッパ列強( ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オーストリア、ロシア )が世界地図を分割していったことで『 諸戦争を終わらせる戦争( War to end wars )』と言われた1914年の第一次世界大戦( 1914 – 1918 )が発生することになりました。
1850 – 1900
パブロ・デ・サラサーテ( 1844 – 1908 )
カミッロ・シヴォリは 神童の誉れ高くニッコロ・パガニーニに一人だけ弟子入りを許されたヴァイオリニストとして名を遺して います。
□ Charles Peccatte ( 1850-1918 ), He was born in Mirecourt, the son of François Peccatte and the nephew of Dominique Peccatte. : Bow maker
□ Louis Thomassin (1856–1905), He learned his craft in Mirecourt where he worked for the Bazin Family. In 1872 he went to Paris to work for François Nicolas Voirin and carried on Voirin’s shop after his death. : Bow maker
1858年
The world’s most valuable violin? The Messiah Stradivarius
0:57 ” 1716 ‥ It is the only as new Stradivarius ‥”
● Eugène-Auguste Ysaÿe ( 1858-1931 ), Liège / 1886 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / 1918 Cincinnati / Brussels : Violinist
● Jenő Hubay ( 1858-1937 ), Pest / Berlin / Paris / 1882 Brussels / 1886 Hungary, ‘Budapest Quartet’ / Hubay’s main pupils Joseph Szigeti. : Violinist
▶ 1870年 Großer Musikvereinssaal( Wien )1680席, 48.8m × 19.1m ( H 17.75m )
1861年 Wilhelm I ( 1797 – “1861 – 1888” / “Deutscher Kaiser 1871 – 1888” ) : Otto von Bismarck ( 1815 – 1898 / “Eiserner Kanzler 1862 – 1890″ )
▶ 1870年9月2日 普仏戦争
[ 投降したナポレオン3世とビスマルクの会見 ]
Napoléon III ( 1808-1873 / 1848 -“1852 -1870” )
□ Eugène Sartory ( 1871-1946 ), Bow maker from Mirecourt. After having first apprenticed with his father, he went on to work in Paris for Charles Peccatte and Joseph Alfred Lamy (père) before setting up his own shop in 1889. : Bow maker
□ Victor Fétique ( 1872–1933 ), He learned his craft in Mirecourt with J. B. Husson. Later he went on to work for Charles Nicolas Bazin II, before joining Caressa et Français in 1901. : Bow maker
● Lucien Capet ( 1873-1928 ), Paris / 1893 “Capet Quartet” : Violinist
▶ 1884年 Neues Concerthaus – “Leipzig Gewandhaus ”
Die Gewandhaus-Ruine, 1947年
Regno d’Italia ( 1861 ~ 1946 ) Last Casa Savoia : 1946年 UmbertoⅡ( 1904-1983 )
1894年 : ペスト菌がはじめて発見されました。
中国雲南省で1855 年に始まったペストの大流行はペスト菌 Orientalis によるものとされています。このとき香港でこの原因調査にあたっていた医師であるとともに細菌学者であった 北里柴三郎 ( 1853-1931 )さんと パスツール研究所のアレクサンドル・イェルサン( Alexandre Yersin, 1863-1945 )の両名が ほぼ同時にペスト菌を始めて発見し 治療法の研究がより進むようになりました。
ペストの世界的大流行の最後は 1903年~1921 年で、地域別ではインドでの死者が特に多く、1907 年には インドだけで131万人の死亡が報告されています。この最後の世界的大流行での死亡者は 約1,000 万人だったそうです。
1914年6月28日「20世紀が始まった街角 」サラエボ ( ボスニア・ヘルツェゴビナ )
By NAFTALI BENDAVID 2014 年 6 月 29 日 09:35 JST
Matt Lutton for The Wall Street Journal
当地の博物館の外壁に掲げられた横断幕からオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェンディナント大公が堂々と前を見据えている。別の壁では取りつかれたような顔をしたガブリロ・プリンツィプが大きく目を見開いている。ちょうど100年前、プリンツィプはこの美術館の前の通りで大公を銃撃し、第1次世界大戦の引き金を引いた。
「20世紀が始まった街角」――。横断幕にはそう書かれている。
38口径の銃から発射された2発の銃弾は最新の兵器の誕生を許し、いくつもの帝国を倒し、米国を孤立主義から引きずり出した。さらに凄惨な次の大戦や大虐殺、冷戦による欧州の分断の種がまかれたのもこの時だった。
100年経った今も、第1次世界大戦の傷跡は消えずに残っている。暗殺現場に掲げられた横断幕は現地のオーストリア人やドイツ人から「不適切で忌まわしい」と猛烈な怒りを買った。フェンディナント大公とプリンツィプはエイブラハム・リンカーン大統領と、大統領を暗殺したウィルクス・ブースのようなものだ。しかし、横断幕はまだ取り外されていない。
問題はプリンツィプをどのように記憶にとどめるべきか、そして、彼は英雄なのか、それともテロリストなのか、という点だ。弱々しい19歳のセルビア人革命家プリンツィプは100年前の6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の支配に抗議する目的で大公を殺害した。欧州では、戦闘員と市民を合わせて約1500万人が犠牲となり、現代の幕開けとなった第1次世界大戦の記念式典の準備が4年がかりで進められている。その間、くすぶり続けた議論の1つがプリンツィプの評価をめぐる議論だった。
ガブリロ・プリンツィプ
Historical Archive Sarajevo/Associated Press
1914年6月28日、大公の車列がサラエボの町を進むと、共謀者の1人が手りゅう弾を投げつけた。大公には当たらなかったが、複数の随行者が負傷した。大公は入院した随行員を見舞うことにしたが、車が道を誤り、プリンツィプの目の前を走った。プリンツィプは大公と妻のゾフィーを狙って至近距離から銃を発射、2人を殺害した。
当時20歳になっていなかったプリンツィプは絞首刑を免れたが、数年後、服役中に死亡した。オーストリア=ハンガリー帝国は報復としてサラエボを攻撃、欧州各国は即座に敵味方に分かれた。新しい兵器の登場によって大戦ではかつてないほど多くの人が死んだ。
プリンツィプの亡骸はサラエボ郊外の、ビールの看板のすぐ隣にある小さな礼拝堂に安置されている。そこを訪れたときには、2つの枯れた花束とろうそく1本が供えられていた。
多くのセルビア人は、戦争を望んでいた欧州の列強はプリンツィプによる暗殺を言い訳に利用した上、今になっても自らの罪を隠そうと、暗殺が大戦の原因だったと強調していると考えている。一部には、プリンツィプをオーストリア=ハンガリー帝国の支配からスラブ人を解放しようとした英雄とみる人々もいる。
ボスニアにあるバンジャ・ルカ大学の歴史家、Zeljko Vujadinovic氏は「第1次世界大戦に関係した全ての国、特に修正主義的な願望を持つ国は、ガブリロ・プリンツィプを大量虐殺者や暗殺者、オサマ・ビン・ラディンと呼び、彼を非難する口実を探している」と語った。
( 以上、下記からの転載です。)http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304057704579653160707644406
1917年 : 第一次世界大戦の 最終局面となった この年に ついにアメリカも参戦しました。
アメリカは南北戦争 ( 1861-1865 )を経て国力を拡大し 特にゴールドラッシュ以降はヨーロッパ各地から入国した移民が ‥ 例えば 1880~90年の10年間で520万人に達するといった状況で 1900年代初頭には当時世界最大の産業国であったイギリスに肩を並べるまでに成長していました。
不幸の連鎖という言葉が頭に浮かびますが‥ この参戦によって 1918年3月にデトロイトやサウスカロライナ州で最初の流行がはじまっていた『 スペイン風邪 』が世界中に広がりパンデミック( 大流行 )をまねくこととなり 感染者6億人、死者が4,000万人から 5,000万人といわれる状況まで招きました。
Old Manhattan 1929年
さてここまではウィーン体制崩壊以降のヴァイオリンを取り巻く状況のうち 負の側面についてまとめてみましたが、この時期には産業革命の勝者である『 富豪 』が登場するなど経済の発展が続きヴァイオリンに対する強力な追い風も吹いていました。
この例をアメリカでみてみましょう。 アメリカでは南北戦争の軍需景気もあり製鉄業、鉄道、駅舎・交通業、それと石油や電気関連のエネルギー産業などから大富豪が誕生します。
アメリカ富豪の総資産ランキングでは 1位のビル・ゲイツを除くと 2位ロックフェラー、3位カーネギー、4位ヴァンダービルトとこの産業革命当時の富豪たちが名を連ねています。
製鉄では スコットランドからの移民でのちに『 鉄鋼王 』とよばれたアンドリュー・カーネギー ( Andrew Carnegie 1835-1919 )が最も有名です。彼は1860年代から 石油、電話、鉄道と新しい時代の中心産業に次々と投資しました。 そしてペンシルバニア州のピッツバーグに製鉄技術の向上により製造可能となっていた鋼鉄( スティール )を生産する大規模な製鉄所を設立します。
この工場での大量生産と鉄道での大量輸送はアメリカの産業発展に大きな役割をはたしました。なお‥ このカーネギー製鉄社は 1901年に『 金融王 』といわれた J.P.モルガンに 4億8000万ドルで売却され、これにフェデラル・スチール・カンパニー およびナショナル・スチール・カンパニーの2社が統合されUSスチール( 資本金の14億ドルは 当時のアメリカの国富の4%に相当しました。)が誕生しました。この年に USスチールは 1社でアメリカで生産されたすべての鋼の67%を生産しました。
Carnegie Hall 2013年
Carnegie Hall 1891年
Carnegie Hall
大富豪となったアンドリュー・カーネギーは 1891年にマンハッタンの7番街57丁目に『 音楽堂 』であるカーネギー・ホール ( Carnegie Hall )を建設します。ここではニューヨーク・フィルが リンカーン・センター内のフィルハーモニック・ホールへと拠点を移した1961年まで レジデンス・オーケストラを務めていました。
そしてカーネギー・ホールのメインホール( 2804席 )では 1893年12月16日アントニン・ドヴォルザーク( Antonín Leopold Dvořák 1841 – 1904 )が作曲した交響曲第9番 作品95『 新世界より』がアントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルハーモニックで世界初演されるなど、中ホールであるザンケル・ホール( 599席 ) や 小ホールのウェイル・リサイタルホール( 268席 )も含めて アメリカの音楽文化の発展に大きく寄与しました。
アンドリュー・カーネギーは83歳の 1919年8月11日気管支肺炎のためマサチューセッツ州レノックスで亡くなりました。生前、既に3億5069万5653ドルを寄付済みで 遺産の3000万ドルも基金や慈善団体や年金などに遺贈されたそうです。
2018-2-16 Joseph Naomi Yokota