8. 【 スクロール基礎部はペグボックスとの接合部です。 】
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona 1684年
私は、アンドレア・ガルネリをリスペクトします。
彼は ガルネリ一族の礎を築いただけでなく、その創造性はストラディヴァリなど 数多くのクレモナ派弦楽器製作者に多大な影響を与えたと考えられるからです。
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona 1684年
その彼が、1684年に製作したとされる このヴァイオリンの ペグボックス上端部を 私はすばらしいと思います。
その理由は、先ず ペグボックス壁部の厚さを 左右上端 ( a. 、b. ) で はっきりとした差をつける条件設定が 選ばれている事です。
それから、中心軸 ( Central axis ) として 上端中央より右寄りの位置に窪みのような彫り込み ( ノッチ ) がしてある事も 音響上の効果は大きいと私は考えます。そして、なによりもこの楽器が製作された時期が重要です。
このヴァイオリンが製作された 1684年頃に、彼は 弦楽器製作家としての円熟期を迎えていました。
彼の工房があった クレモナは、 アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) が工房を設立する少し前の 1526年から『 スペイン継承戦争( 1701 – 1714 )』までは スペイン王国領でした。
そして、1701年から1702年の『 クレモナの戦い 』でオーストリア軍に敗れるまでフランスが短期間支配したのちに、1707年にミラノまでの北イタリア やナポリなどをオーストリア軍が平定したことによりハプスブルク家の所領となりました。
私は 当時の地図でクレモナの サン・ドメニコ教会 ( 下地図 ■② )と、”San Faustino” の ガルネリ工房 ( ピアッツァ・サン・ドメニコ地区中央 ● Casa Guarneri ) 、その左側の ● The Amati house 、そして 右隣の ● Casa Stradivari の位置関係をながめる度に神の恵みを感じます 。
アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698 ) は、おそくとも1650年頃には アマティ家の工房 ( ● The Amati house )で徒弟として働いていたと伝えられています。
彼の師匠 ニコロ・アマティ ( 1596–1684 ) は アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) の直系で、その工房は 祖父の代からクレモナの木工や金細工職人が集中した この “San Faustino” にありました。
アンドレア・ガルネリは 弟子として研鑽を積んだのち、1654年に 師匠の工房に隣接する建物にガルネリ工房 ( ● Casa Guarneri ) を立ち上げた時、28歳位だったそうです。
そして、すばらしい事に 1680年には 弟弟子の アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )が 新婚だった1667年から暮らしたガリバルディ通り57番地から、ガルネリ工房の隣である ピアッツァ・サン・ドメニコ 2番地に工房 ( ● Casa Stradivari ) を移設し、弦楽器の研究がより進展しやすい状況が生じました。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, 1733年
“Rode , Le Nestor”
冒頭のヴァイオリンが 製作されたと考えられる 1684年は、師匠 ニコロ・アマティ ( 1596–1684 ) が他界した年で、この時 アンドレア・ガルネリは おそらく58歳、隣家の アントニオ・ストラディヴァリが 40歳位だったと思われます。
製作技法に関しては 330年程 前のことですから判然としない事も多いのですが、少なくとも 彼は 1684年に窪み状の彫り込みがあるヴァイオリンを製作し、その後 アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698 ) 、アントニオ・ストラディヴァリ の両者とも ペグボックス上端に半円形ノッチ ( Chapel ) があるヴァイオリンを製作したということは確かめられます。
因みに、1685年は バッハ ( Johann Sebastian Bach 1685-1750 ) と ヘンデル ( Georg Friedrich Händel 1685-1759 )、そしてナポリで ドメニコ・スカルラッティ ( Domenico Scarlatti 1685-1757 ) が生まれた年です。
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona 1685年頃
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Nachez” 1686年
Santo Serafin ( 1699-1776 ) Violin, “Lady Flower” Venice 1733年頃
William ForsterⅠ( Brampton ca.1714 -1801 ) Violin, England 1740年頃
そして、18世紀になると このような工夫は イタリアだけでなくイギリスや フランスなど クレモナから遠く離れた地域においても見られるようになります。
現在に受け継がれているヴァイオリンなどの名器達の多くはこのような創造的な改変がうみだしたと考えられます。ですから、私は これら弦楽器製作者の相関関係を重要と考えます。
ところで‥ 私がアンドレア・ガルネリ ( 1626-1698 ) が クレモナ派において果たした役割について着目したのは、1997年に 有名な ガルネリ・ファミリーの研究書である ” The Violin-Makers of the Guarneri Family 1626-1762″ ( W.E.Hill & Sons 1932年 )に “1680~1685年頃”のものとして掲載されている左下のヴァイオリンと 出会ったからです。
このヴァイオリンは 2000年に出版された ” Masterpieces of Italian Violin Making – Important Stringed Instruments from The Collection at The Royal Academy of Music ” の 35ページにも掲載されています。
そして 写真でも分かるように、とにかく見事な非対称ヘッドで、ペグボックス上端部の左右壁厚差も明快な作りになっていました。最初は 感想をもつことすら難しかったです。『 まさか、こうなっちゃった‥ という訳では無いよね。』と、しばらく思考停止するほど 私は衝撃を受けました。
さて、その非対称ヘッドについてですが‥ ここまで ペグボックス上端部についてのお話しをしてきましたが、この位置はスクロールが始まる場所で そのゆれ方をつかさどる基礎部分の役割も持っています。
このため、左右壁厚差の意味を理解するには「オールド・バイオリン」などのスクロールの役割とそのバランス調整の仕方が念頭にあることが必要だと思います。
こうして軸組みのバランスを合わせた響胴を製作しました。
■ これに指板を取り付けたネック部を 取り付けるわけですが、当然ですが、先にこれ自体のバランスをあわせる必要があります。
先ずは、指板です。
はじめに、ネック端位置をとります。
それから、ゆらしてみます。
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今回の指板は最終的にこの規格としました。
これは多少コツが必要となりますが、たとえば下図のようにネック端部に節があっていれば「多重振り子」のような原理がはたらき、指板端が激しく震えるのが分かります。
このように節を想定した場所をタップしたり、重心位置を持って水平や垂直状態でゆらして仮説をたて、バランス修正の必要を感じた場合は それぞれの部位の剛性を調節したあとで 再度ゆらしてみると”ねじり”の感じや重心位置の移動がかんじられます。
このときにイメージするのは 豊かな響きをもつオールド・チェロのネック部を実際に手にしてゆらした時の記憶です。
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私はこれらの事から 1800年ころまでの弦楽器製作者はヘッドの特質として上図で1段目と赤色で塗ってある部分と、響胴部の回転運動につながる軸とのバランス( 関係性 )を、響胴にネック部
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参考としてヤーノシュ・シュタルケル( János Starker 1924 – 2013 )さんが使用していたチェロの画像を貼らせていただきました。このチェロでも” スジ状キズ線 ” などの ” 工具痕跡 ” が確認できます。
チェロのヘッドはヴァイオリンより大きいので”オールド・バイオリン”などを製作した弦楽器製作者の『 匠の技 』を確認することができます。これはヘッドのバランス調整技術のひとつでヘッド製作時の最後に左右のスクロール・サイドのうち高音弦側( 私は区別のためこちらを R側とし、低音弦側を L側と呼んでいます。)のカールなどを削り込んでヘッドのゆれを補正する技術です。
これを 東京都交響楽団の首席チェロ奏者が使用していた Nicola Albani ( worked at Mantua and Milan, 1753 – 1776 )のチェロのスクロールで見てみましょう。
オールド・チェロの時代には 上右写真の ▼Flat と書いてあるスクロール側面は多少の起伏だけで『 特殊な加工 』は加えず、反対側の ▼Unevennessとしている部分には 下の写真のような意図的な彫り込み加工がなされているものがいくつも製作されました。
私はこの特殊な加工を『 パティーナ加工 』と呼んでいます。
私のホームページにおいて別の投稿でもふれていますが『 オールド・バイオリン 』などの研究の結果‥ これらは製作時にタップなどでネックやヘッドのゆれる条件を確認しながらバランスを調整した痕跡と私は考えています。
歴史上の検証は難しいですが 少なくともこれは実験考古学の手法で説明できます。
チェロのネック、指板、ヘッドを仕上げる最終工程で全体のバランスを意識したうえでヘッドの揺れが不十分と感じた時にこの『 パティーナ加工 』を少しずつ彫り込んでいくとヘッドの回転運動が大きくなり ヘッドのゆれが重くなったと感じられます。
このバランスで組み上げると響胴のレゾナンスを豊かにできます。オールド・チェロでは完成させるために弦を張って響のバランス調整をする最後の段階で もう一度この部分の左右差を焼けた工具などを用いて調整したものがたくさんあります。
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この投稿の、サブ・タイトルは「 スクロール基礎部はペグボックスとの接合部です。」としてあります。
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私はスクロールの機能を 1段目( L1,R1 )と2段目( L2,R2 )、そして3段目( L3,R3 )と分け、なおかつ左右を区別して考えることをお奨めします。
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私はこの楽器から 中心軸の組み合わせによる「 穏やかなねじり 」に満足せずに、外観上の均衡を犠牲にしてでも 音響的効果を取りに行った アンドレア・ガルネリの強靭な意志を感じました。
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona “1680~1685”
私は このように本格的にバランスを改変したものは、この時期のアンドレア・ガルネリ ( 1626-1698 ) より前の弦楽器では 出会ったことがありません。
これらの時間軸の状況証拠から あくまで仮説ですが‥ 私は アンドレア・ガルネリが ペグボックス上端の切れ込みを 半円形ノッチ ( Chapel / Chapelle ) に進化させた可能性が高いと考えています。
半円形ノッチがある弦楽器は アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698 ) や アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 ) が製作しただけでなく、17世紀末からそれを試みる製作者が増え18世紀中頃には ヴェニスの サント・セラフィン( 1699-1776 )や パリの サロモン ( Jean Baptiste Deshayes Salomon 1713-1767 ) 派の人達が積極的に製作しました。
Santo Serafin ( 1699-1776 ) Cello pegboxes, “Chapel ( Chapelle )” The semi circular notch at the upper end of the pegbox.
Santo Serafin ( 1699-1776 ) Cello pegboxes, “Chapel”
Santo Serafin ( 1699-1776 ) Cello pegboxes, “Chapel”
Santo Serafin ( 1699-1776 ) Cello pegboxes, “Chapel”
Jean Baptiste Deshayes Salomon (1713-1767) Violon, Paris ca.1760
ここで、この事について少し考えてみたいと思います。
下写真の アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) が製作したヴァイオリンの ペグボックス上端部のように、ヴァイオリンは その誕生時から ヘッド部のねじりが生じやすいように工夫はされていたようです。
Andrea Amati ( 1505–1578 ) Violin, Cremona 1559年頃
ただし、それは「 様式的な美を損なわない範囲 」に留められていたと考えられます。
ところが 弦楽器を観察してみると、17世紀後半あたりから 外観上の均衡を破るかのような試みが 増えてきます。
私はこれに気づいた当初は、この改変を先導した人物は ニコロ・アマティ ( 1596–1684 ) か、アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 ) だったのではないかと考えました。
Stradivari’s first house 2012年
( ストラディヴァリは 新婚の1667年から1680年までこの家で暮らし、弦楽器などの製作に励みました。)
彼がクレモナ派の弦楽器製作者におよぼした影響については言うまでもありませんが、特に1678年ころからの活動は 意味深いのではないでしょうか。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Guitar, “Sabionari” 1679年
例えば 1679年には、つい先日ですが 六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー で開催された「 東京ストラディバリウス フェスティバル 2018 」”ストラディヴァリウス300年のキセキ展"に展示されていたギターを製作しました。
また、この時期にはマンドリンも製作していたようで、サウスダコタ州立大学のアメリカ国立音楽博物館に展示されている 1680年製のものや、1706年に製作されたマンドリンを製作したことが知られています。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) “Arpetta” ( Harp )
Cremona 1681年
それから ピアッツァ・サン・ドメニコ 2番地に工房を移転した翌年である 1681年には 現在、ナポリ音楽院に保存されている小型ハープ “アルペッタ ( Arpetta )” を製作しています。
そして活動の中心にあるヴァイオリン製作では、1679年に 非常に興味深い特徴をもつ “Parera”と呼ばれる名器を完成させたのです。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Parera” 1679年
このヴァイオリンは 彼が1677年に製作した有名な"Sunrise"と同じように一枚板で作られているすばらしいヴァイオリンですが、私にとってその F字孔は特に衝撃的でした。
F字孔の外側ウイング中央部切込み下にダンパーとして接ぎ木してあるのは、同様な事例を見つけることができます。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Parera” 1679年
非常に興味深いのは、 F字孔の上丸穴部に接ぎ木が施されていることです。私は このような事例を他に知りません。それにしても、何という大胆さでしょう。
Nicola Gagliano ( ca1710-1787 ) Violin, Napoli 1737年
Ferdinando Gagliano ( 1706-1784 ) Violin, Napoli 1761年
また、このヴァイオリンでは下図のように 一枚板で作られた表板、裏板の個性がよく考慮された木組みがされていることも、本当に見事だと思います。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Parera” 1679年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Parera” 1679年
これだけ”ねじり”が意識された木組みの場合は、すばやい音のレスポンスが期待できるのではないでしょうか。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, Cremona 1681年
このように アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 ) の活動においてもアマティ工房で学んだことを土台にして、積極的に音響的な改善を試み そのまま 1690年あたりから1699年頃まで 8年以上に及ぶロング・パターンの時代に突き進んでいきます。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Auer” 1699年
Andrea Amati ( 1505–1578 ) Violin, Cremona 1559年頃
Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) Violin, “Charles IX” 1564年
Antonio ( ca.1537–1607 ) & Girolamo I ( ca.1550–1630 ) Amati Violin, Cremona 1596年頃
Girolamo Amati ( ca.1561-1630 ) Violin, Cremona 1609年
Antonio ( ca.1540-1607 ) & Girolamo ( ca.1561-1630 ) Amati Violino piccolo ( Head L. 96.7mm ) Cremona 1613年
Francesco Rugeri ( ca.1645-1695 ) Violin, Cremona 1670年
Nicolò Amati ( 1596–1684 ) Violin, Cremona 1671年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Sunrise” Cremona 1677年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Parera” 1679年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, Cremona 1681年
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona 1680 – 1685年頃
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Violin, Cremona 1685年頃
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Nachez” 1686年
Girolamo Amati II ( 1649-1740 ) Violin, Cremona 1691年
Giovanni Grancino ( 1673-ca.1726 ) Violin, Milan 1700年頃
Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665- Milan1687- 1716 ) Violin, 1703年
Alessandro Gagliano (1640–1730 ) Violin, 1704年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Sleeping Beauty – Isabelle Faust” 1704年頃
Girolamo Amati II ( 1649 – 1740 ) Violin, Cremona 1710年
Matthias Albani ( 1620-1712 ) Violin Bolzano 1710年頃
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Cremonese” 1715年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Park” 1717年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Hamma” 1717年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “General kyd” 1720年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “General kyd” 1720年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, Cremona 1724年
Domenico Montagnana ( 1686-1750 ) Violin, Venezia 1727年
Georg Klotz ( 1687-1737 ) Violin, Mittenwald 1730年頃
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, “Posselt – Philipp” 1732年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “The Red Diamond” 1732年
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “Rode – Le Nestor” 1733年
Santo Seraphin ( 1699-1776 ) Violin “Chapel” Venice 1734年
Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ) Violin, Napoli 1737年
William Forster Ⅰ ca.1740 ( ca.1713 Brampton England – 1801 ) Violin
Guarneri del Gesù ( 1698-1744 ) Violin, “Kochanski” 1741年
Andreas Ferdinand Mayr ( 1693-1764 ) Violin, Salzburg 1750年頃
Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Violin, Milan 1754年
J. & A. Gagliano ( J. 1726-1793 & A. 1728-1805 ) Violin, Napoli 1754年
私はこれらのことから アントニオ・ストラディヴァリ ( ca.1644-1737 )の “創作期”と呼んでいいような 1678年から1699年頃までの20年間は、ストラディヴァリの仕事において 高齢のニコロ・アマティ ( 1596–1684 )の影響が低下し、結果として兄弟子アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698 ) と共に生きた期間だったのではないかと考えるようになりました。
つまり、ストラディヴァリの 20年に及ぶ “創作期”は アンドレア・ガルネリ ( 1626-1698 ) の影響により生じ、その死をもって終わったという仮説はどうでしょうか?
もし、アンドレア・ガルネリが「 様式的な美を損なわない範囲 」に留まるように製作されていたヴァイオリンなどの弦楽器を、外観上の均衡を破るかのようなバランスとなっても音響的要素を優先したとすると、彼が亡くなった年に生まれた孫の ヨーゼフ・ガルネリ ( “Guarneri del Gesù” 1698-1744 ) が 試み続けたことが理解しやすくなります。
“Guarneri del Gesù” ( 1698-1744 ) Violin, “Kochanski” Cremona 1741年
ヨーゼフ・ガルネリ ( “Guarneri del Gesù” 1698-1744 ) が製作したヴァイオリンの最高傑作のひとつとして挙げられる 1741年製 “Kochanski” の ヘッドでペグボックス上端をみると、祖父の執念が そこに結実しているように私には思えます。
少なくとも ヨーゼフ・ガルネリは 46歳という若さで亡くなる最後まで、ヴァイオリン製作において 挑戦的な姿勢を貫いた事実と、その作品が祖父であるアンドレア・ガルネリのアイデアにかなり影響を受けたという事実を 私は重要であると考えます。