“サドル割れ ( Saddle Crack )”の原因は 表板の変形です。

ヴァイオリンや チェロの表板下端に取り付けられたサドル付近の ひび割れを、弦楽器業界では『 サドル・クラック 』と言います。 この破損の原因が、サドル端の影響と考える方が多いからです。

なお、このサドル・クラックは ヴァイオリンより チェロに発生しやすい傾向が認められ、弦楽器製作者によっては その対策として、サドルの端に 1mm程の隙間を設けたり サドル両端の角切りを選択するなど 知恵をしぼっています。

しかし、それらはあまり役には立っていません。その典型を 下写真の、製作されてから3年程しか経っていない 新しいチェロに生じた ひび割れに見ることができます。

Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年

このチェロには、製作時に サドル・クラックを予防するためと考えられる 厚さ2.9mm程の それなりに丈夫な補強材 ( 111.0 × 17.2 ) が、ボトムブロックとバスバーの間に 入れられていました。

ラベルでも分かるように この楽器は 2014年に ドイツで製作されたものですが、3年程で 鳴りが悪くなり サドル・クラックも長く伸びてしまったので、所有者の依頼により 私が 2017年に 割れを修理すると共に バスバーを入れ替えバランスを合わせる整備をしました。

写真のように割れの長さは 18cm 程もあり、この補強材が サドル・クラック対策に全く役立たなかったことが分かります。

Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年 Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年

これは その修理の際に撮影したものですが、魂柱が立てられていた表板には 既にダメージ窪みが出来ていました。

このように バランスが合っていない ヴァイオリンや チェロは、皆さんが想像する以上に『 あっという間に・・』表板が歪んで 鳴りが悪いだけでなく、そのまま使用するとサドル付近から 割れが入ったり、テールピース左側のバスバー下端にあたる表板が沈み込んで割れたりします。

例えば 下写真のチェロは 1994 年にドイツで製作されたもので、私は その年にアマチュア・オーケストラに所属する方に販売しました。

この写真は それから 10 年程たった 2004 年に調整のために持ち込まれた時のものです。 Gustav Franz Wurmer ( Stuttgart )   Cello,  1994年

このチェロには テールピース脇の バスバー下端部の表板に、すでに ヒビ割れが ( 矢印①から②まで ) 入っていました。

そこで私は 表板が割れたのがほかにおよんでいないかを確認するために、クルッと裏返してエンドブロックの裏板側をみました。

そこには下の写真のように 両方のエンドブロック端の位置に35∼40 mmほどの フレッシュな割れが入っていました。

もちろん、表板を外して修理しましたが、私にとっては これが 短期間で生じた響胴変形の典型事例となりました。

Rainer Leonhardt    Cello,  Mittenwald   2014年
Front  760 -345-243-440
Back  760-344-240-440

因みに、はじめに例示したチェロは解決策として この様に バスバーを入れ替えました。上が製作時に入れられたバスバーと補強のための裏打ちで、その下は 私が入れ替えた補強木片とバスバーです。

このように、表板の凹凸が少ない楽器は どうしても縦方向の強さが不足しがちですので、このチェロの 製作時バスバー ( 長さ 578mm 、高さ24.0mm ) より、私が入れたような( L 598mm – H 27.6mm ) 明快な強さがあるバスバーの方が バランスが調和しやすくなります。

Warped violin

それでは ここで「逆反り ( warp )」の メカニズムについて整理したいと思います。

弦楽器は、弦の張力を 6個のブロック*と側板*、 アーチなどの立体的形状( 不連続曲面 )*や それぞれの板厚*、バスバー*魂柱*などによって支えることに失敗すると、表板が 平らに変形して接着部が剥がれながら 響胴が歪んでゆくとともに‥

⦅  この写真の撮影後に “カノン”は 修理されています。⦆

ジェノヴァに展示されている “カノン”のように エンドブロック中央部や、側板のブロック端部が割れ、エンドピン位置にある側板の合わせ目がV字に開いて 変形が進行していきます。

そして、表板の変形により エンドブロックの割れが進行¹しながら サドルが はがれ²て起き上がり、側板内側と エンドブロックの接着部³も剥がれてしまい、エンドブロックが不安定*となり、その穴に差し込まれたエンドピンが テールピースに引きずられるように ブロックを傾けてしまいます。

Arthur Richardson ( 1882-1965 )  Cello,  Devon 1919 年

Arthur Richardson ( 1882-1965 )  Cello,  Devon 1919 年

下は エンドブロック割れなどが修復されたヴァイオリンです。中央部  C   エンドピン の傷は エンドピンの外縁部エッジが 食い込んだものです。

因みに、このヴァイオリンは痕跡をつきあわせると 最初のエンドピン穴は割れた A- B ライン上の中心と表示した位置で、二重に書いた円の 小円の直径6mmから 6.5mmで開けられていたと推測できます。

このように 表板の変形により生じた「逆反り ( warp )」は、最後に 裏板の割れを引き起こします。 その参考として 撮影時点で割れは修復済みの状態ですが、ストラディバリと ヨーゼフ・ガルネリが製作したヴァイオリンに入った割れ痕を赤線で書き込んでみました。

このように、ストラディバリウスや ガルネリ・デル・ジェスであっても響胴が 逆反り変形した場合には、最終的に‥ 例外なく裏板にひび割れが入ります。

現代では 弦楽器の不調や割れなどの破損を、板厚の不足や ”乾燥”などの影響と思う方が増えてしまいましたが‥ 破損のメカニズムを考えれば 実際に何が起こったかが判断することは 十分可能ではないでしょうか。

Aegidius Klotz ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1790年頃

私は これらの不都合は、製作時やその後の”修復”により 板厚、ブロック、ネック、ヘッドなどの 応力バランス が合っていない状態が根本的な原因となっていると思っています。

なお、バランスが調和していない響胴にみられる変形の進行速度は、かなり早い段階‥ たとえば 弦を張ってから数時間後から 数日で、初期症状として レスポンスの遅さや 響きの劣化などから 推測出来ます。

また、変形が緩慢に進行している場合は F字孔に段差が発生しやすいので、私は その確認をおすすめしています。

Cello 1930年頃

   Cello 1930年頃

一般論として言えば、現在 製作されているチェロの表板厚などは 破損を心配して厚くされています。

持ったときに重たいと感じる・・ そのタイプは、多少なりとも演奏技術がある方が鳴らすと、早ければ半年ほどで 表板と側板、あるいは裏板と側板の貼り口や サドル接着部などが剝れてきます。

これは、過剰に厚くされた表板などの動きが悪く、その代りとして 部材どうしの接着部が動いてしまうからと考えられます。

表板変形による魂柱割れ ( サウンドポスト・クラック ) の例

最悪の場合ですが サドル割れが入る弦楽器は、バスバーのボトム側が「つり合いの破れ」を起こし陥没しやすく、その陥没部と対をなすゾーン ( バスバーの反対側 ) ・・・ 特に魂柱年輪に沿った軸に負担がかかり、駒の下を通る魂柱割れ ( Sound post crack ) に至ります。

非常に希な事例ですが、このヴァイオリンのように 響胴にそのような変形ストレスで小さな割れが複数箇所あり、接着部もあちらこちらで剥がれた状態で使用され、その上で 落下事故にあってしまったら 真っ二つになることさえあります。

これは、複数のひび割れが繋がった時の 最終段階としての見本のようなものだと 私は思っています。

ともあれ、”サドル割れ ( Saddle Crack )” が入った場合、表板の変形を 応力バランスを設定しなおすことで、解決することが大切であるということは 納得していただけたと思います。

 

 

2022-1-13      Joseph Naomi Yokota