私は ルネサンス期の1500年代中頃に誕生した ”オールド・ヴァイオリン” は 1650年から1750年頃ヨーロッパ各地で盛んに製作されたものの、 1800年頃にはその製作者が激減し‥ ついには絶えてしまったと考えています。
そして その状況は、イタリアの ヴァイオリン博物館に遺された ストラディヴァリの木型( モールド )や、型紙などの製作補助具の扱われ方が象徴していると思っています。
これらは、最近も新しい器材を用いた丁寧な再計測がおこなわれており 考古学的な資料としては大切にされてはいますが、実際の弦楽器製作には それほど活用されていません。
ストラディバリウスなどの “オールド・ヴァイオリン”の名器は、音の立ち上がりが俊敏で 倍音の響きがとても良く、指板上だけではなくフラジオレットなども含めて指向性を持った響が作り出せます。そして演奏者自身の耳でも 音程や響きの輪郭が捉えやすく、弾き方によったヴァリエーションが工夫しやすいため豊かな色彩感を生みだすことが可能です。
そのような “オールド・ヴァイオリン”ですので、弦楽器製作者や演奏者にその特質について尋ねると『 音が生みだせる 』という要素に意識が向きがちのようです。
しかし、私の結論は違いました。
私は “オールド・ヴァイオリン” の特質は 端的に言って『 演奏者が随意に音を止められる 』という操作性こそにあると思っています。
1700年代の弦楽器製作者にとって、演奏時に レスポンスが良いことはとても大切で、その探求は 最終段階で『 音の始末が良い‥ 』という高難度の演奏が生みだせる操作性能にまで至ったと考えられるからです。
この仮説で 重要な意味をもつのが、ストラディヴァリが 弦楽器を製作するために使用した木型( モールド )や、型紙などに製作時の基準として刻まれた 印しや括弧、あるいは 同心二重括弧 ( Concentric double parenthesis ) などの読み解きです。
Stradivari’s moulds
Form G | Length 347 | UB 161 | CB 103 | LB 201 |
Antonio Stradivari made his violins by utilising a thick ca.14 mm wooden mould or ‘form’, to which the four C-bout corner blocks, together with the top and bottom blocks, were lightly glued, and around which the thin lengths of rib were shaped and then strongly glued to the blocks. Simplistically, once all the glue had dried, the ‘garland’ of blocks and ribs could be carefully detached from the inner mould, and the front and back plates could then be attached to the garland to create the soundbox. Although Stradivari’s moulds, made of walnut wood, have varying lengths, widths and proportions, these variations are often by no more than a few millimetres and sometimes the difference between a particular measurement on one mould and the same measurement on another is just one millimetre; for example, the three bout-width measurements of the P mould, and those of the PG mould, are identical, while the body lengths differ by just one millimetre: P mould 343.5 mm; PG mould 344.5 mm (Stewart Pollens’s measurements).
Almost all the moulds bear identifying letters, inked or incised in block capitals: for example, the letters P, S, and T, G, PG, and MB. Because there are so few extant documents known to be written in Stradivari’s hand, it is not certain which, if any, of these mould letters were drawn by him. Some of the moulds have dates, also inked or incised into the surface of the wood: the mould marked SL is dated November 9, 1691 (incised), and one of the two moulds marked S is dated September 20, 1703. The two B moulds are dated June 3, 1692 and December 6, 1692 (both incised), while the PG mould is dated June 4, 1689 (also incised).
弦楽器の音響メカニズムは難解ですが、これらを少し読み解くとすれば‥ まず、上図の点 P が “オールド・ヴァイオリン “の裏板にみられる『 セントラル・ピン 』とほぼ一致するという状況証拠から、点 P を 裏板におけるつりあいの中心点として印されていると考えることができます。
Jacob Stainer ( ca.1617-1683 ) Violin, Absam ( Tirol )
Underneath the parchment covering the center joint of the back of the violin by Jacob Stainer, five marking points are hidden.Their distance from the lower end of the body can be measured precisely.
ヤコブ・シュタイナーによる このヴァイオリンの裏板では、中央部を縦に覆う羊皮紙の下に、5つのマーキングポイントがあります。余談ですが 現在では、それらと響胴の下端からの距離は正確に測定されています。
Nicolò Amati ( 1596–1684 ) Violin, “The Brookings” 1654年
“Guarneri del Gesù” / Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )
また、グァルネリ・デル・ジェズ や ニコロ・アマティのヴァイオリンのなかには 裏板中央部のピンだけが埋め込んであるものが見られるので、それは『 セントラル・ピン 』、『 背部ピン ( Dorsal Pin ) 』と呼ばれています。裏板の表面に達するまで円錐状の穴を穿った上で、埋め込まれた木片は 皆さんにとっても興味深いのではないでしょうか。
Nicolò Amati ( 1596–1684 ) Violin, “The Brookings” 1654年
さて、弦楽器の音響メカニズムの読み解きでは『 セントラル・ピン 』以外にも、下図のように 『 同心二重括弧 』から同心円を導きその中心に点 C を置き 点 P との距離の意味や、コーナーブロックとの関係を検討することもできます。
Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Violin, “San Lorenzo” 1718年
また、それらの モールド と対応している可能性がある楽器‥ この ヴァイオリン製作用木型 “Form G” の場合は、1718年製の ストラディバリウス “San Lorenzo” などと照らし合わせて 駒位置や 魂柱位置の条件設定も学ぶことも可能です。
しかし 残念なことに、 現代では このような 音響システムに関する研究はおざなりにされ、”販売”を目的とした “製品”としての “現代ヴァイオリン”が盛んに製作されています。
そのような昨今ですので、ヴァイオリンネック材として ヘッド部がこの状態まで加工されたものを インターネットを検索することにより、私たちは ¥5,000 以下で購入出来たりします。
まあ‥ 機械加工のものや「工場制手工業」タイプなど出来はいろいろユニークですが‥ 。
また、下写真の製作学校系の人達のように、敢えてネック部が全体価格の20%だと換算すると ヘッドを削りあげた状態でそれが おおよそ¥100,000 を超えると考えられる製作者も 大勢います。
しかし残念なことに 音響上の特性において、この両者にほとんど差はないのではないかと 私は思っています。
そこで まずこの点に関する資料として、 レオポルト・モーツァルト著の書籍( 翻訳版 )を紹介させてください。
レオポルト・モーツァルト( 1718-1787 )は 息子のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生した年である 1756年の秋に『 Versuch einer gründlichen Violinschule( ヴァイオリンの基礎的入門の試み ) 』を出版しました。
この書籍は 日本でも 塚原晢夫氏が翻訳したものが 全音楽譜出版社から1974年に『 バイオリン奏法 』として出版されています。
ところがこの翻訳底本は 1951年に出版されたクノッカーの英語版の改訂版であったため、私たちの間では ながらく原典版の翻訳が待ちのぞまれていました。
そうして時が経ちましたが‥‥、 今年5月に 同じ全音楽譜出版社から 原典版である「初版」がついに レオポルト・モーツァルト『 ヴァイオリン奏法 』新訳版( ISBN978-4-11-810142-2 C3073 ¥3800E )として出版されました。
これは音楽学の久保田慶一氏が 初版( 1756年 )、第2版( 1770年 )、第3版( 1787年 )、第4版( 1800年 )などを検証した上で 「初版」を底本として翻訳したものだそうです。
献呈文に続く「はじめに」の部分に書かれたあいさつ文の署名は
” ザルツブルク、1756年7月26日 モーツァルト “ となっており、そのあとに『 ヴァイオリン奏法への導入 』として 第1節が 『 弦楽器、とりわけヴァイオリンについて 』のテーマで 7項目に分けて並べられていて(本文 P.1~P.11)、 全文は 295ページです。
[ Small size violin of Wolfgang Amadé Mozart ]
Andreas Ferdinand Mayr 1746年頃
Worked for the Salzburg Court ( 1720-1764 ).
少し長くなりますが、18世紀半ばの弦楽器製作を考証するために この翻訳本の一部をここに引用させて頂きたいと思います。
【 第1節 弦楽器、とりわけヴァイオリンについて 】
第3項目
Füssen trained maker.
(中略)‥‥ ヴァイオリン製作者は、カタツムリのような優雅な曲線や 巧みに彫られたライオンの頭などを最後に装着して、楽器を完成させる。
彼らは楽器本体よりも こうした装飾にしばしば手間をかけるのだ。そのためにあろうことか、ヴァイオリンは 外面的な虚飾という、俗に言うごまかしの犠牲になってしまうのである。
Salzburg, 1713年
Ole Bull ( 1810-1880 ) Violin / West Norwegian Museum of Decorative Art
鳥を羽でもって、馬をブランケットでもって評価する人は、きっとヴァイオリンも、色艶やニスの色でもって判断して、本体部分の状態を詳しく調べたりはしないであろう。
またこのような人たちすべてが、頭脳ではなく、 見た目 を判断基準にしているのである。ぼさぼさ髪のカツラをかぶったところで、生身の人間の頭がよくならないのと同じように、美しく彫られたライオンの頭がつけられても、ヴァイオリンの音はよくならないだろう。
こうは言っても、多くのヴァイオリンは見た目のよさだけで評価されるのである。身なりのよさや 金を持っているだけで、そして華やかで巻き毛のカツラをかぶっているだけで、多くの人々は、やれ学者だの、助言者だの、医者だのと思ってしまうのである。
それにしても、私は何の話をしているのだろうか!うわべの見かけだけで判断してしまう習慣を嫌うあまり、脱線をしてしまったようだ。
第5項目
とりわけ嘆かわしいことは、今日の楽器製作者たちが、自分たちの仕事に対して あまり努力していないことである。注( 3 )
では何が必要なのだろうか? ひとりひとりが 自分なりの考えや 想像で仕事をしていて、楽器の諸部分についての確かな基準を持っていないのだ。
例えば、側板が低い場合には、胴は高く湾曲させなくてはならない、しかし反対に、側板が高くても、表板を少しだけ湾曲させて高くするだけで、音の通りがよくなる
注( 3 )
楽器製作者は今日でも たいていは生活のために仕事をしている。ある点で彼らは批判されるべきではないだろう。それというのも、人々はいい仕事を求めるが、それに対して多くを支払おうとしないからだ。
―― 要するに、音は側板の高さからは それほど悪い影響は受けないという原則を、ヴァイオリン製作者は 経験から得ているわけである。
さらに裏板となる木は 表板の木より強くなくてはいけないこと、そして表板も裏板も周辺よりも中央部分で厚くなっていること、さらに次第に薄くなったり厚くなったりするにしても、木の厚みにはある一定の均一性がなくてはならないことを知っていて、このようなことを 外側カリパス( 訳注:厚みを計測するはさみ尺のこと )を使って検査するのである。
● どうして ヴァイオリンは ひとつとして同じではないのだろうか?
● どうして あるヴァイオリンは大きな音が出て、別のヴァイオリンは小さな音しか出ないのであろうか?
● どうして ある楽器は、いわば鋭くとがった音がし、別の楽器の音は響かないのだろうか?
● 荒々しく叫ぶような音がしたり、悲しく押し殺したような音がするのは、どうしてなのだろうか?
これ以上 問うのはやめよう。
これらすべては 楽器製作者のやり方の違いに起因しているのだ。ある製作者は目分量で 高さや厚さなどを決めていて、十分な確固とした原則に立っているわけではないのである。
そのために、ある人にはうまくできるのに、別の人には まずい結果に終わるのである。このことこそ、音楽から 多くの美しさを現実に奪っている諸悪の根源なのである。
第6項目
(中略)‥‥ それよりも、私たちがいい楽器にあまりに出会わない、そして出来映えも不揃いで 音質もさまざまであるということを、もっと真剣に考えた方がいいのではないだろうか?
そうすれば 学者先生たちの研究の力を借りて、もっと進展だってできるであろう。
○ 例えば、どんな種類の木が弦楽器には適しているのか?
○ そのような木をどうすればうまく乾燥させられるのか?
○ 製作にあたって、表板と裏板とで木の年齢が違うとうまくいかないのではないだろうか?
これは 1998年にロンドンで Peter Biddulph さんが出版した ジュゼッペ・ガルネリ( 1698-1744 )の原寸大写真集 ” Giuseppe Guarneri del Gesu “の 161ページから引用させていただきました。
年輪年代学の研究者である ピーター·クラインさんが 25台の ガルネリ・デル・ジェスのヴァイオリン表板を研究した結果を表にしたものです。
現代ではヴァイオリンを製作する場合‥ 材木のスプルースを上からみて放射状に切断して、その板の外側どうしをジョイントすることで左右対称の木組みが なされているために、表板の年輪は左右で違ったとしても数本以内で製作される場合がほとんどです。
ところが ピーター·クラインさんの研究では、これら25台のガルネリ・デル・ジェス( ロワー・バーツ部での左右の年輪合計は 131本から 260本です。)のうち 16台が ジョイントされた左右の年輪数が 10本以上( 10~63本 )も違うことが指摘されています。
これに 年輪年代学 の材木の時代考証をあわせて考えると、ガルネリ・デル・ジェスは 積極的に” 木伏技術 ” として左右が非対称の表板によってヴァイオリンを製作したと考えられます。
私は、ジュゼッペ・ガルネリは 表板に” 木理 ”を考慮して別々の時期に伐採された木材をジョイントした” 疑似的な一枚板 ”を 強いねじりを生みだすために使用していたと思っています。
○ どうしたら 木の気孔はうまく埋めることができるのだろうか?
○ そのために内側にもニスを塗るべきなのかどうか、そして どのようなニスが適しているのか?
○ さらに大切なこととして、表板、裏板、そして側板がどのくらいの高さや厚さであればいいのだろうか?
第7項目
とにかく研究熱心なヴァイオリン奏者というのは、弦、上駒、魂柱を改良しては、自分の楽器をできる限りいいものにしようと努力している。
ヴァイオリンの胴が大きければ、確かに太い弦がいい効果を生むだろう。反対に小さければ、細い弦を張らなくてはならないだろう。
魂柱は高すぎても低すぎてもいけないし、駒の足の下の少し右側に置かなくてはならないだろう。魂柱を正しく置くことのメリットは決して小さくない。
かなり大変ではあるのだが、ときどき魂柱の位置を変えるべきだろう。そのつどすべての弦でいろんな音を出して、楽器の響きを調べ、いい音の状態が見つかるまで、これを繰り返し続けてみるとよい。
駒もまた大いに役にたつ。例えば、音が荒々しくて刺すような、言うなれば、鋭くて、心地よく響かないときには、低い、幅広の、いくぶん厚めの、とりわけ下部を少し切り抜いた駒を使うと、少しはましになる。
音そのものが弱く、静かで、沈む場合には、薄い、あまり幅広でない、そしてできることなら、下方だけでなく中央部も大きく切り抜かれた駒を使うとよくなる。
しかも このような駒の材料は総じて、とても木目が細かくて、気孔のない、よく乾燥した木でなくてはならない。この駒は、表板のローマ字のf形に切り抜かれたふたつの孔の間に置かれる。
また 音が沈まないようにするために、弦が固定されエンド・ピンにつけられた、一般には狩人たちの言葉で「緒留め」と呼んでいるテールピースを置くにしても、下方の細くなった端が ヴァイオリンの表板から突き出したり、はみ出したりしないよう、表板と同じ高さになるようにうまく調節しなくてはならない。
最後に、自分の楽器はいつもきれいにしておくように。特に演奏をはじめる前には、弦と表板にある ほこりやコロフォニウム( 訳注:松ヤニのこと )は取り除いておかなくてはならない。
ものごとがしっかりと考えられる人には、とりあえずは この程度のわずかなことで十分であろう。やがて私の望みどおりに、私のこの小さな試み( 訳注:この「ヴァイオリン奏法」のこと )を さらに広げて、すべてのことがらを 正しく規則として示してくれる人が、きっと現れるだろう。
( 引用終了 )
[ Concert violin of Wolfgang Amadé Mozart ]
until November, 1780.
Klotz family of violin makers in Mittenwald.
私は この レオポルト・モーツァルト著『 ヴァイオリン奏法 』において、音楽家の立場から 弦楽器製作者に対し 告発文のような怒りが込められた意見や疑問が提起されているのは、現代の私たちににとっても本当に重要だと思っています。
少なくとも 1756年頃にはすでに 弦楽器製作者達のなかに『 楽器の諸部分についての確かな基準を持っていない。』実力に問題を抱えた人が増えていたことがハッキリと証言されているからです。
話しは変わりますが、これは 私が大切にしている新聞記事です。
「 過去へ 」と題されたこの記事の終わりには
そう考えると、私たちの日常はだんだん貧しくなっているようにも思える。極端な例では、あの輝かしい音を響かせるバイオリンの名器は、18世紀からあと二度と私たちの手から生まれなくなった。今後、あの音は失われてゆくだけだ。と書かれています。
ジャーナリストであり西洋音楽史の研究者でもある 梅津時比古さんは、現在 桐朋学園大学学長でもあるようですが、私はこの記事を目にしたとき『 流石‥。』と思いました。
もう 20年ほど経ちましたが、私はこの頃から ”オールド・ヴァイオリン” の音響システムは『 原則に従うことで ヴァイオリンの諸部分が相互に補完しあうバランスを礎とした仕組 』にあると考えるようになりました。
そして、このように ”オールド・ヴァイオリン” の音響システムに関する検討を経た後の 2004年11月11日 に本格的な復元楽器の製作に着手しました。
Violin – Joseph Naomi Yokota , Tokyo 2008年
この研究は “オールド・ヴァイオリン” や “オールド・チェロ” などを精査し、仮説を立てそれを製作に反映し‥ その結果から 再び検証と仮説を進めるもので、私は あくまで楽器としての性能の復元をめざしました。
因みに、この研究が終了したのは 2015年12月26日 でした。
“オールド・ヴァイオリン”の 音響システム