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弦楽器製作における 失われた技術について ‥‥ その確認方法

 

2014-10-22 Cello - B L
私は 18世紀末までの弦楽器製作者は 響胴の’節’と’腹’の原理をほぼ正確に理解し、実際に用いていたと考えています。

この投稿では 黄金期の弦楽器製作技術の特徴を見ていただき、そのあとで検証実験についてお話ししたいと思います。

Matteo Goffriller (1659–1742) Cello Venice 1705年 - 1 L
数年前に亡くなった ヤーノシュ・シュタルケル(János Starker  1924 – 2013 )さんが使用していたチェロは、1705年にベネチアで Matteo Goffriller ( 1659–1742 )  が 製作したものとされています。

Matteo Goffriller Cello Venice 1705年 MONO - 1 L
このチェロにはへり部分の’傷’が 沢山( おそらく200個程‥ )ありますので、A ゾーンと B ゾーンの’傷’もたやすく確認できます。

Matteo Goffriller (1659–1742) Cello Venice 1705年 - 3 L
この部分の’傷’は ストラディヴァリ・ソサエティの エドゥアルド・ウルフソン( Eduard Wulfson 所有し、ナターリャ・グートマン( Natalia Gutmanさんが使用している グァルネリ・デル・ジェスが製作したとされる チェロとも共通しています。

Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - C L
Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - B L
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )
Violoncello  1731,  ” Natalia Gutman ”

このガルネリが製作したチェロは  A ゾーンと B ゾーンの’傷’がとくに深くつけられています。

Domenico Montagnana Cello 1730年 - B L

それから 1982年にニューヨークで生まれたチェリスト、アリサ・ワイラースタイン( Alisa Weilerstein )さんが 2014年から使用しているチェロにも同じ特徴があります。

Domenico Montagnana Cello 1730年 - C MONO L
この楽器は Domenico Montagnana が 1730年に製作したとされています。そして この楽器ではA ゾーンとB ゾーンの傷が 確認できるとともに、C ゾーンの ‘深い傷’ も見ることができます。

Domenico Montagnana Cello 1730年 - A L
因みに C ゾーンの傷は、ヨーヨー・マさんが使用している Domenico Montagnana が 1733年頃に製作したとされるチェロにも ついています。

Domenico Montagnana Venezia ( Yo-Yo Ma ) 1733年頃 - A MONO LDomenico Montagnana Venezia ( Yo-Yo Ma ) 1733年頃 - A L

また C ゾーンの傷には このチェロのように ‘修復’として埋められていても、アーチの特徴などから 見分けるのはそれほど難しくない事例も多いようです。

Old Italian Cello c1680 - 1700 ( F 734-348-230-432 B 735-349-225-430 stop 403 ff 100 ) - A L
Old Italian Cello    1700年頃
( F 734-348-230-432,  B 735-349-225-430, stop 403 ff 100 )

これらの特徴的な’傷’が『 オールド・バイオリン 』の時代の弦楽器に認められることを 皆さんはどうお考えになるでしょうか。

私は 同時期に製作されたへり部分がオーバーハングしていない弦楽器に 答えをもとめました。

joachim-tielke-1641-1719-viola-da-gamba-1683%e5%b9%b4-hamburg-1-lJoachim Tielke ( 1641-1719 )  Viola da gamba  / Hamburg   1683年

joachim-tielke-1641-1719-viola-da-gamba-1683%e5%b9%b4-hamburg-2-lJoachim Tielke ( 1641-1719 )  Viola da gamba  / Hamburg   1683年

giovanni_dandrea_lira_da_braccio_1511_khm-2-lLira da braccio  by  Joannes Andreas ( Giovanni d’ Andrea) , Verona

giovanni_dandrea_lira_da_braccio_1511_khm-1-lLira da braccio  by  Joannes Andreas ( Giovanni d’ Andrea) , Verona

contrabass-double-bass-2-lcontrabass-double-bass-1-l
bartolomeo-giuseppe-guarneri-1698-1744-guarneri-del-gesu-carrodus-1743%e5%b9%b4-p-l

私は下の写真のように これらは ‘節’としての ‘折れ軸’を調整した痕跡と考えています。

jiyugaoka-violin-cello-r-l
ところで 私は チェロを製作するとき ‘座標’や ‘折れ軸’としてこれらの線分を 表板で 100本、裏板は 60本設定し利用しています。

言うまでもなく、これらは 私が「オールド・チェロ 」などの分析から導き出したものです。

Matteo Goffriller (1659–1742) Cello Venice 1705年 - 3 L

mirel-iancovici-a-lmirel-iancovici-b-l
ルーマニア生まれのチェリスト Mirel Iancovici さんが使用しているチェロもこんな感じです。

これらの軸は弦楽器にとって’節’の要素も兼ねる重要な条件だと 私は考えています。

そこでここから その効果を確認する実証実験についてお話ししたいと思います。

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皆さんは ヴィオール・オイル( Viol )をご存じでしょうか。ポリッシュオイルでは定番の ドイツ製の磨き油です。なお、現在の税込定価は2,160円となっています。

この製品がいつから輸入されているのか正確には分かりませんが、少なくとも私は 34年前から使用しています。

穏やかなポリッシュオイルで 成分的にも安定しているため、弦楽器工房はもとより 多くの演奏家にも愛用されています。

viol-a-lこの ヴィオール・オイルの一般的な使用法は 布に少量をしみこませ ニス部に塗布して、その後に別の柔らかい布でふき取るように磨きあげるそうです。

残念ながら 効力が続くのは  2~3日ですが、ヴィオール・オイルで丁寧に楽器全体をみがくと、明らかに音色が良くなる場合が多いようです。

viol-2-l
さて本題ですが、私は 皆さんに この ヴィオール・オイル( Viol )と綿棒を使って ‘折れ軸’の検証実験をすることをお奨めいたします。
viol-b-l
viol-p-l実験は簡単です。綿棒を使って 私が 【 No. 2 model 】と呼んでいる図の 14本の赤線部に ヴィオール・オイル( Viol )を線状に塗布します。
viol-c-l上写真のように 紙定規を使えば なおさら良いですが、私の経験では フリーハンドでも十分効果があると思います。

下図のように 裏板は 2本ですが、表板は 7本ですのでよろしくお願いいたします。
viol-q-l私の経験では 綿棒を用い 下の写真に指定したように 白字の番号順で、14本の軸にヴィオール・オイルを塗布するのに必要な時間は 約1~2分位だと思います。

viol-j-l
私はフリーハンドで塗っていますが、下のように 紙定規で目測をたててから ガイドとして線状に塗布する作業のほうがやり易いとの意見もありました。

viol-d-l

viol-o-l私の研究では この【 No. 2 model 】は ヴァイオリンなどの2番線を中心に音色を改善する効果がみとめられました。

また、チェロや ビオラなどの場合は 下にあげた【 No. 3 model 】で試すことを私はお勧めします。
viol-r-l【 No. 3 model 】は 裏板の線分AB の角度がすこし違います。こちらのパターンは チェロなどの3番線、そして4番線の改善が見込めるのではないかと 私は思っています。

viol-n-l

この実験では ヴィオール・オイルを塗布していない状態で音階を弾いたあとで、 手早く塗布して すぐに試奏し その後柔かい布でふき取ってから もう一度試奏する。

これを 2セットほど繰り返せば実証実験としては十分ではないかと思います。なお、ヴィオール・オイルは ほとんどのヴァイオリンやチェロのニスに適合しますが 念のために 実験を終了する際には柔かい布でふき取るように磨くのを忘れないでください。

また、この実験は フルサイズ弦楽器だけでなく 分数サイズのヴァイオリンでも コントラバスでも効果が確認できると思います。

なお新作イタリーのようなアーチがフラットな弦楽器だと より劇的な変化が楽しめるのではないでしょうか。

contrabass-1-l   contrabass-2-l

CONTRABASS - B
これらの軸は響胴に一定のバランスを生みます。

それは例えればバランスが取れずに歪みが溜まり振動板として機能出来なくなったコントラバスの表板に、下写真のように バスバーの形状を工夫して線分 abと 線分cdの曲がりを誘導し 表板に振動板としての機能を回復させるのに似ているのではないでしょうか。

CONTRABASS - F
冒頭で述べましたように 私は 18世紀末までの弦楽器製作者は 響胴の ‘節’と’腹’の原理をほぼ正確に把握し利用していたと考えています。

そしてその本質的な証明は ヴィオール・オイルを塗布する実験方法で、ある程度は可能と考えています。

これは 先程例示した【 No. 2 model 】と【 No. 3 model 】を選択する過程でわかったのですが、ヴァイオリンやビオラ、チェロを演奏できる状態で準備して、塗布していない状態で音階を弾いたあとで 下の表板図から線分を一本だけ選びヴィオール・オイルを塗布したあとで再び音階を鳴らしてみてください。

jiyugaoka-violin-cello-r-l

ヴィオール・オイルによって’軸線’と’響き’の関係を一本づつ確認するこの実験には 多少の時間と根気が必要になりますが、その結果は 皆さんに 弦楽器音響システムの意味を十分教えてくれると私は信じます。

jiyugaoka-violin-cello-f-l

この投稿は以上といたします。
ありがとうございました。

2016-10-12    Joseph Naomi Yokota

 

弦楽器システムの最後の理解者 レアンドロ・ビジャッキについて

この他に私はネックや指板について考える場合 1910年頃に ミラノで  レアンドロ・ビジャッキ(  Giuseppe Leandro Bisiach   1864 – 1945  )氏が製作したヴァイオリンに助けられています。 これは所有者の方が 23年程前に 当時 ‥ 一般的に認識されているレアンドロ・ビジャッキ作 ヴァイオリンの販売価格の2倍くらいの値段で購入されたものです。

すばらしい事に 1910年に ブリュッセルで開催された万国博覧会にイタリアから出品されゴールド・メダルを受賞した製作当初の状況がほぼそのまま保たれています。

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このヴァイオリンは 1910年のブリュッセル万国博覧会の写真と 2012年に私の工房で撮影した写真をつき合わせると 指板の左右表板の『  演奏キズ  』や 表板C型部センター・バウツ付近の『  弓の打撃痕  』や それ以外のへりについている『  キズ  』も製作時の加工によるもので、裏板やヘッドのニスが剥がれている『  景色  』も製作時に加工されたことが確認できます。

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ちなみにブリュッセル万国博覧会は 1910年 4月23日から 11月7日までベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際博覧会で 会期中に 1300万人が来場したそうです。 この博覧会にイタリアから出品されたレアンドロ・ビジャッキ(  Leandro Bisiach  1864 – 1945  )が製作したヴァイオリンのラベルには 1910年にミラノで製作したと書かれています。 これはおそらく 4月からの万国博覧会出品のために前年にはあらかた完成していたヴァイオリンに このラベルを貼って仕上げたものと 私は推測しています。

私はこのヴァイオリンを 100年前の『  標準型  』として参考にしています。 ネックや指板などもとても興味深い設定です。

Giuseppe Leandro Bisiach (  1864 – 1945  )  /    violin   1910  Milano

表板 サイズ          351.0 mm  –  165.2 mm  –  107.6 mm  –  205.0 mm
アーチ 17.0 mm
裏板 サイズ          351.5 mm  –  165.7 mm  –  107.6 mm  –  204.6 mm
アーチ  16.6 mm
ネック長さ      129.0 mm
ストップ          192.5 mm
ネック高さ( 表板からトップ・エッジまで )E-side 6.2 mm :  G-side  6.5 mm
(  指板エッジまで  )                  E-side 10.1 mm  :  G-side 10.5 mm
ネック厚さ  17.0 mm –  20.2 mm
指板端の高さ(  表板から  )   17.9 mm
指板                23.1 mm –  42.3 mm –  266.5 mm
ナット(  1-4 スペース )     16.3 mm
サドル           34.5 mm( 7 – 20.5 – 7  )、H 5.0 mm( 1.0 )、D 5.5 mm
F字孔間       39.4 mm
F字孔長さ    L 68.5 mm  –  R 69.0 mm
ボタン           20.9 mm  –  H 12.3 mm
側板 Eサイド    N 28.2 mm  –  28.8 mm  –  C 29.4 mm  –  C 29.3 mm  –  29.4 mm
側板 Gサイド    N 28.3 mm  –  28.2 mm  –  C 29.2 mm  –  C 29.4 mm  –  29.4 mm
ヘッド      106.5 mm (  38.0 mm  –  68.5 mm  )
アイ      39.5 mm
ペグ・ホール位置  N-side 16.0 mm  – 14.0 mm – 23.5 mm – 13.0 mm
パーツ無し重量     374.0 g

ただし 念のために申し上げないと私にはどういう事情かは分かりませんが、このヴァイオリンは 彼のどのヴァイオリンよりも特別です。

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弦楽器製作者として ペグホール位置について思うこと

 

フランス、ボルドーの高名なメドック地区にあるポイヤックのシャトー・ラフィット・ロートシルトの赤ワインは、フランクフルトに発し200年以上金融界に君臨するロスチャイルド家のひとつ フランス・ロスチャイルドが1868年より保有するクラレットなのはよく知られています。

そしてもう一つの シャトー・ムートン・ロートシルトは 1853年にイギリス・ロスチャイルド家の所有となった為に 1855年のランクインが見送られ1973年 シラクによって正式にクラレットとなりました。

このように彼らは 金融、鉱業、鉄道、保険、石油、マスコミ 、製薬 、ワインなどの他にも 鳥類標本を集めれば一つ博物館 ( ウォルター・ロスチャイルド動物学博物館 )ができる収集家があらわれるほどのこだわり方と 『 目利き 』が知られています。

このロスチャイルドの一人 バロン・ナタニエル・ロスチャイルドは 1890年に ストラディヴァリの 1710年作といわれているチェロ “Gore – Booth ” を購入しました。

ペグホールの位置を考える場合に「 非常に興味深い 」そのスクロール写真を 1987年にクレモナで開催された 「 ストラディヴァリ没後250年祭 」の展示会資料集として1993年に Charles Beare がロンドンで出版した ” Antonio Stradivari – The Cremona Exhibition of 1987 ” の 165ページより引用させていただきました。

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ところで このチェロのペグボックスの外側に 4番線から2番線のペグホールまで一筋の”線”が入っています。  このスジ状の”キズ”は 弦楽器製作者が 目にすると「 あっ!」と思うくらいの意味があるものだと私は思います。

このスジ状のキズが見やすいように 右側に赤線を入れた画像を並べました。

ヴァイオリンなどの製作経験がある方だと おそらく同じ意見になると思いますが 『  2番線と4番線のペグホールの中心はライン上で、1番線と3番線は外接円として穴をあける。』 と読めます。  そして、実際に ペグホールの位置をこのように設定したヴァイオリンやビオラ、チェロは たくさん残っています。

この位置に ペグを取り付けると 張られた弦がナットの溝からペグまでの間で 3番線ペグや1番線ペグと接触する状態になることがあります。  そして現在これを避けるために「ブッシング」と呼ばれていますが ペグホールを埋めた上で、穴の位置を移動する “修理” が世界中で行われています。

j-a-gagliano-1754-j-1726-1793-a-1728-1805-1 Giuseppe Gagliano 1726-1793  &  Antonio Gagliano 1728-1805   Violin  1754年

さて、このヴァイオリンは 15年前となりますが‥  私が最後にペグホールを “移動する修理” をした ガリアーノ兄弟( Giuseppe Gagliano 1726-1793 , Antonio Gagliano 1728-1805  )が 1754年に製作したヴァイオリンです。

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因みに、このヴァイオリンは以前にも穴を埋めたうえで穴位置の変更がなされていました。そこで わかり易いように最初のブッシング部に 丸く白線をいれました。

そして 右側には比較対象として1980年に出版された V.E.Bochinsky の弦楽器写真集 “Alte Meistergeigen / Band Ⅴ Neapel  Schule” の 123ページから長男の Ferdinando Gagliano ( 1706-1784  )の 1761年製作のヴァイオリン ヘッド写真をならべました。

ferdinando-gagliano-napoli-1761-1706-1784-356-1685-118-2085-stop197-side30-31-alte-meistergeigen-1Ferdinando Gagliano  ( 1706-1784 )  Violin, Napoli  1761年

このヴァイオリン ヘッドでも「 私以外のだれか…。」 が同じようにペグホールを埋めて、位置を移動したうえで 新たな穴が開けてあります。

これらの ヴァイオリンのペグ位置設定の共通性により、製作時の設定は それなりに理由があったという事は 皆さんに同意していただけるのではないでしょうか。

そして残念ながら 私も含めて これが 留意できなかったのが 現代の弦楽器工房の実力だと思います。

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さて告白の時間です。 私は 15年前 この ガリアーノを販売した際に 上写真のように引き渡し前の ”サービス” として一晩でペグ穴のブッシングをして位置を移動しました。

上右の画像は ペグ穴を埋める作業にはいった その日の 夜8時頃  私が 業務用コピー機で直接横にしたスクロールをコピーし、その後 エンピツと赤ペンで “修正位置” を計算したものです。

移動前の穴が G 線ペグと E 線ペグのグループと A 線ペグと D 線ペグのグループの間が 34.0mm ほど離れて設定されているのが分かります。

着手時に私は この E 線ペグと D 線ペグのスパンを元々の 34.0mmから 23.0 mm とする予定で作業に入りましたが このヴァイオリンは ヘッド長が 109.4mmであることから考えを修正して 25.0mm とすることを選びました。

そして、このあと予定通り作業をすすめ 12時間後の 翌朝8時頃に弦を張りました。  そして この段階で「 半日前より  少し響が薄くなり、フレッシュになった。」ことに 初めて気がつきました。

もちろん家一軒ほどの価格で販売した名器ですから、 昨日と変わらない美しい高音域の響は そのままでしたが 、ペグの位置を変えただけなのに 昨日の 響から低音域の一部の音が消えていることが判りました。

私は頭をかかえる事になりましたが‥ 予定していたように 11時頃には受け取りにおいでになったので、購入者の方の意見をうかがったところ 許容範囲とのことで 上写真の状態でそのまま使用していただくことになりました。

当然ですが、私はその後も ブッシングは頻繁にやっていますが、 この事例で学んだので ” ペグ位置移動” は一度もやっていません。
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当時 私は 『 オールド・バイオリン 』などは ペグが「 上下2個、2個づつがグループになっている。」と表現していました。

実際に『 名器 』の響をもつヴァイオリン族の弦楽器は 最初にその位置にペグが取り付けられていた可能性が高く、たとえ移動されていても 上にあげた例のように埋めた跡がたやすく確認できる場合が多いのです。

例外としてペグホールを移動した事例です。

私はその後の研究により  優れた弦楽器はヘッドの面取りのさいに不連続面とすることで立体性を高め、ねじりがスムーズに生じるように設定してあることに気がつきました。

これらの事から 私は ペグの上下グループの間にスペースがあるのは ヘッド部が回転運動をおこしやすくし、”対” となってゆれる響胴の良質な響きをうみだすための仕掛けと考えるようになりました。

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私は このようにペグホールについては 弦楽器の音響システムをしっかり踏まえて設定するべきと考えています。

私の経験ではペグホールも含めて 音響システムの “写し”に成功した最後の弦楽器製作者は ミラノの レアンドロ・ビジャッキ(  Giuseppe Leandro Bisiach   1864 – 1945  )ではないかと思っています。

参照
弦楽器システムの最後の理解者 レアンドロ・ビジャッキについて

なぜなら‥  私の工房から徒歩で 15分くらいの場所にお住まいの方が  1910年にベルギー・ブリュッセルで開催された万国博覧会のコンペテーションに出品し メダルを授与された ビジャッキが製作した ヴァイオリンを所有されていて、私は その響きを知っているからです。

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これは所有者の方が 26年程前に 当時 ‥ 一般的に認識されているレアンドロ・ビジャッキ作 ヴァイオリンの2倍以上の値段で購入されたものです。

このヴァイオリンは 1910年に にイタリアから出品され メダルを受賞した製作当初の状況がほぼそのまま保たれていて、その響きも ジョヴァンニ・フランチェスコ・プレッセンダ( Giovanni Francesco Pressenda  1777-1854 )や ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca  1807-1865 )と並ぶ程すばらしい響きをもっています。

 

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Giuseppe Leandro Bisiach( 1864-1945 )Violin   Milano  1910年

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Giuseppe Leandro Bisiach( 1864-1945 )Violin   Milano  1910年

そのため 私はこのヴァイオリンを 100年前の最高技術で製作されたものとして参考にしています。

このヴァイオリンの ヘッド長は 106.5 mm で、ペグ・ホール位置  N-side 16.0 mm  – 14.0 mm – 23.5 mm – 13.0 mm となっています。

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私は 響から判断すると G 線ペグ、 E 線ペグのグループと A 線ペグと D 線ペグのグループの間が 23.5mm しかありませんが、ぎりぎりで “対の関係” が成り立たっている好例と考えています。

このヴァイオリンもペグボックスの中で 2 番線と 3 番線が ほかのペグに接触しています。ですから 現在でも他の専門家がこれを見るとペグ穴のブッシングをして位置を移動したくなるかもしれません。

しかし実際にこれが原因で弦が切れたりすることはほとんど無いのです。それなのに‥ これまでに なんと多くのペグ・ホールが移動されてきたことでしょうか。私はこの事を思うとき 本当に心が痛みます。

2016-10-20      Joseph Naomi Yokota

ヴァイオリンと能面の類似性について – 後編

長文となり恐縮ですが、ここからは弦楽器の “写し” の特徴についてお話ししてみたいと思います。

まず弦楽器のヘッドの事例を見てください。能面とおなじように みごとな非対称形状のものがたくさんあります。また、複雑なゆれを意図的に生じさせるために 傷や摩耗したような加工が多用されています。

giovanni-battista-ceruti-1791%e5%b9%b4-cremona-1755-1817-a-lGiovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ),    Violin  1791年  Cremona   /  355-163-113-208  ‘Wurlitzer collection 1931’

1500年代半ばに登場した ヴァイオリンは 1700年前後には黄金期を迎え、弦楽器製作者が 技術の粋を尽くして 沢山の名器を製作しました。

しかし、当時 ヨーロッパ世界を恐怖に陥れたペスト禍や 相次ぐ戦争が 弦楽器製作の世界にも影をおとし、特にスペイン継承戦争でフランスとオーストリアの領地争奪戦に巻き込まれたロンバルディアの諸都市は 急激に没落していったと伝えられています。

‘三大ヴァイオリン製作者’ を輩出したクレモナも 実質的には このG.B. チェルーティを最後に技術の継承が途絶えたようです。

このヴァイオリンは 1931年の ‘Wurlitzer collection’ のなかでも 特別な楽器として扱われたもので、私は 彼の代表作と思っています。

写真のように スクロールの特徴ひとつとっても非対称技術のすべてを確認できるすばらしいヴァイオリンです。私はこの ヴァイオリンを作った G.B. チェルーティを、能面でいう”創作の時代” の 最後の弦楽器製作者だと思っています。
40623bcdc8be7303f55a6747dccc382eところで、ヴァイオリンや チェロのヘッドは錯視をまねき易い形状のようで、見る角度や撮影条件でかなり印象が変わります。

この上下二枚の写真は、 デジタル一眼レフカメラで 同じチェロのスクロールを撮影したものです。 上写真は 被写体距離が 約2.0m でしたが、下写真は 被写体距離が 約1.2mで 上写真より若干 見下ろす角度で撮影しています。

この楽器を実際に皆さんがご覧になると おそらく上写真のような印象になると思いますが、下のように少しズームアップされた写真は 私たちが二つの眼球でみる景色とは 違う視点を気付かせてくれます。

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因みに私が赤線でいれたような補助線は大切です。 ご覧のように これを書き加えると スクロールの角度設定などの確認が容易になります。

下に いくつかの事例をあげてみましたが、弦楽器は形状に加えてメープル材の虎目模様や 表板もふくむ木材の年輪、糸巻きなど 錯視の誘因条件をかかえているため 実相が捉えにくいという特徴を持っているからです。

1024px-cafe_wall_svg
カフェウォール錯視  :  水平の線が右または左に傾いて見える。
1024px-jastrow_illusion_revealed_svg
ジャストロー錯視  :  上のような二つの扇形では下の方が大きく見える。
delboeuf_illusion_svgデルブーフ錯視  : このように合同な内円( 黒 )が 外円の影響で違って見える。

zollner_figure
ツェルナー錯視  :    このように平行な線分に 羽を斜めに( 羽角度が 鈍角ほど顕著 )加える事によりおこる錯視。

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オッペル・クント錯視  :    等間隔の平行線 A,B,C が AB間に書き込まれた平行線によって ABの間隔のほうが BCより広くみえる。

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ポッゲンドルフ錯視  : 斜線を描き、その間の形跡を別の図形で隠すと その直線の始まりと終わりがずれて見える錯視。

この他にも錯視につながる条件がいくつもありますので 弦楽器の特徴を理解したいとお考えの方に 私は写真撮影をおすすめしています。

例えば 下画像はストラディヴァリウスのスクロールに 私が 白線を正中線として 傾斜角度をみるために赤線を入れその角度を書き込んだものです。

私はこれらの傾斜角度は 弦を張る前の木組みを含めた基本設定の段階で決定され 実行されたと考えています。意図的にこの角度差を彫り込むには かなり高度な技術が必要なのは 想像に難くないと思います。

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Joseph Thomas Klotz ( 1743-1809 ) ,  Violoncello piccolo  Mittenwald  1794年

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Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )   Violin,  Napoli  1737年

そして 弦楽器をみる時にもうひとつ念頭におかないといけないのが、弦を張ったあとの調整痕跡です。

その事例として このスクロールの右側突起部に注目してください。この部分は 製作された後の “修復” によって 現在この状態となっていると考えられます。

これは この ニコラ・ガリアーノが製作したヴァイオリン・ヘッドの “修理部分の損傷”( 下写真右側 )が、同時期に製作されたヴァイオリンの摩耗痕跡( 下中央 )と おなじように製作時に加工されていた可能性が高いことが 状況証拠となっています。つまり この “修理” は 製作時の加工があまりに大胆であったために、後年‥ はじめからと気がつかなかった担当者によって ていねいに修復されてしまったものと 私は判断しました。

それにしても、音響上の理由とはいえ この摩耗加工は‥  たとえば 千利休( 1522-1591 )の “わび茶” を端とする茶道において、 成型した灰型の最後にすじ棒などで崩す( 流派による差異はあります。)所作に似て、美学としても 十分に 意志的と 私は感じます。

まさに、「古( いにしえ )の 弦楽器製作者 恐るべし!」といったところです。

 

 

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Johann Jais  Viola  Tölz ( 1715-1765 )    Viola   1760年頃

弦楽器ヘッドの非対称性については、このビオラのように おそらく着手時に大胆な設定として選択されたと考えられる 事例もありますが 、摩耗痕跡を複数の作品で比較してみると 一定の加工原理としてとらえることが出来るようです。

antonio-stradivari-violin-1715%e5%b9%b4-lipinski-a-lAntonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )    Violin  Cremona  1715年
“Lipinski”   /   Giuseppe Tartini ( 1692 – 1770 )

たとえば このヴァイオリンは、1700年代に ヴァイオリンソナタ『 悪魔のトリル (  Devil’s Trill Sonata ) 』で有名となった 作曲家 ジュゼッペ・タルティーニ( Giuseppe Tartini  1692-1770 )が使用したと言われている すばらしい ストラディバリウスです。

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私は クレセント・カット(  Crescent cut  )と呼んでいますが 三日月型の” 激しい摩耗痕跡 “があります。

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そして右写真はイタリア・クレモナに展示されている 有名なヴァイオリンです。クレセント・カット部には 修復痕跡が認められます。さて、これは どう考えるべきでしょうか?

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残念ながら このような摩耗痕跡を 『 演奏するためのチューニングなどですり減った。』 と思っている方も多いようで、実際にその判断の誤りにより このように ‘修復’ されてしまう弦楽器もあとを絶ちません。

 

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Antonio Stradivari  (  ca. 1644-1737  )   Violin  1677年  “Sunrise”

これは、 ストラディヴァリが製作した装飾文様入りの有名なヴァイオリン “Sunrise” です。 彼が初期に製作した作品ですが 装飾加工も含めて製作時の状況がよく保存されていることでも知られています。

このヴァイオリン・スクロールにもクレセント・カットが入っています。ところがその周りには他に摩耗したような痕跡はあまり見られません。私は このヘッドにみられる摩耗部とその周りの’落差’ を不自然と感じます。

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これは オーストリア国立銀行が ウィーン・フィル( Wiener Philharmoniker )のコンサートマスターに貸与している 1709製ストラディヴァリウス ”ex-Hämmerle” の ヘッド写真です。

2008年に定年退団するまで ウェルナー・ヒンク氏( Werner Hink  1943 – ‥ )が使用し、その後 1992年から コンサートマスターに就任していた ライナー・ホーネック氏( Rainer Honeck 1961- ‥ )が 演奏に用いている有名な楽器です。

このヴァイオリンで摩耗部とその周りとの’落差’ を ご説明したいと思います。下画像のように 私はスクロール部を 1段目、2段目、3段目と区別していますが、摩耗痕跡が 1段目のエッジ部でみとめられるのに 2段目、3段目のエッジ部は 完成時のままであるかのように フレッシュです。

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もし チューニングでスクロールに触れたことが“摩耗”の原因だとしたら 「 この景色 」はあり得ないのではないでしょうか。

これらを検証した結果、私は ストラディヴァリは 摩耗加工を 多少不自然になるのを承知のうえで 音響上必要とおもわれる最低限にとどめた弦楽器製作者だと考えています。

さてヴァイオリン族のなかでも ヴァイオリンと ビオラは 演奏者がスクロールに触れることがある訳ですが、チェロのスクロールは人が触れることは殆どありません。  ところがオールド・チェロの中には 制作者が 前出のストラディヴァリウスのヴァイオリン・スクロールと同じように 二、三段目はそのままで一段目を”激しく摩耗させた” チェロが存在します。

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私も プロのオーケストラで2列目に座っているチェリストから 『 演奏の最中に目の前のチェロのヘッドをいつも眺めているけど”激しくすり減った” 理由が何度考えてもまったく解からないんだけどどうして?』 と聞かられた時には 『 うぅーん…。』でしたが、同じような質問を何人かから受けて本腰をいれて調べました。 オールドのチェロは本当に現存する台数がすくないですから結構大変でした。

 

 

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この写真は 1997年に ヴェネチアの南西80㎞程の街 Lendinara で開催された展示会カタログ ” Domenico Montagnana – Lauter in Venetia ” Carlson Cacciatori Neumann & C. の 109ページに掲載されている 1742年に Domenico Montagnana が制作したチェロのヘッドです。

クレセント・カットの意味が解かりやすいので引用させていただきました。  十六、十七世紀にヴァイオリンやチェロを製作した人は イタリア語 Liutaio やフランス語 Luthierであるように リュート製作者でした。 つまり リュート 、シターン や テオルボ 、キタローネや ヴィオラ・ダ・ガンバ をよく知っている弦楽器製作者だったのです。 右側に1993年に ボローニャの博物館カタログとして出版された ” Strumenti Musicali Europei del Museo Civico Medievale di Bologna ” John Henry van der Meer の105ページに掲載してある十七世紀に製作されたと考えられる テオルボのヘッド写真をおきました。 後ろから見たときに中心軸が右側に曲がっていくのが特徴です。

左右の写真を見比べれば同じ軸取りがしてあるのが理解していただけると思います。 下に資料映像をならべておきますが古楽器からヴァイオリン族まで胴体の中央軸線とネックの中心軸線ははじめから 『 く 』の字に組まれていました。

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[ 恐縮ですが ここからは 書いている途中です。]

”クレセント・カット”は制作者が スクロールを後ろから見たときの右曲がりの中央軸の傾きをより「 強化 」するために手を加えたものです。

 

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このように 弦楽器は 響きの立ち上がりのすばやさや 持続性、そして響きの豊かさを達成するために、徹底した音響条件の集合体となっています。

このため 16世紀から18世紀末までに製作されたクオリティの高い弦楽器は、あまりにも複雑な設定がなされているために19世紀後半になるとその音響機構を理解できる人がほとんどいなくなりました。

 

フランス、ボルドーの高名なメドック地区にあるポイヤックのシャトー・ラフィット・ロートシルトの赤ワインは、フランクフルトに発し200年以上金融界に君臨するロスチャイルド家のひとつのフランス・ロスチャイルドが1868年より保有するクラレットなのはよく知られています。 そしてもう一つの シャトー・ムートン・ロートシルトは 1853年にイギリス・ロスチャイルド家の所有となった為に 1855年のランクインが見送られ1973年 シラクによって正式にクラレットとなりました。  このように彼らは 金融、鉱業、鉄道、保険、石油、マスコミ 、製薬 、ワインなどの他にも 鳥類標本を集めれば一つ博物館 ( ウォルター・ロスチャイルド動物学博物館 )ができる収集家があらわれるほどのこだわり方と 『 目利き 』が知られています。  このロスチャイルドの一人 バロン・ナタニエル・ロスチャイルドは 1890年に ストラディヴァリの 1710年作といわれているチェロ “Gore – Booth ” を購入しました。

ペグホールの位置を考える場合に「 非常に興味深い 」そのスクロール写真を 1987年にクレモナで開催された 「 ストラディヴァリ没後250年祭 」の展示会資料集として1993年に Charles Beare がロンドンで出版した ” Antonio Stradivari – The Cremona Exhibition of 1987 ” の 165ページより引用させていただきました。

これはどういう事かを少しお話しすると‥  たとえばこれを研究したとします、私事で恐縮ですが 私の場合は 実験考古学の考え方で解明しようと 2004年11月11日に 独自に研究をはじめました。

 

先程お話しした ヘッド部の非対称加工については、その4カ月後である 2005年3月16日に下記の実験をおこないました。

弦楽器の特質上その条件変更の評価は最終的に響きで確認するしか方法がありません。

そこで私は 自分の娘4人が使用していた 4/4、1/2、1/4、1/8サイズの ヴァイオリン・スクロールで 試奏と削りを 五つの確認工程に分け実施しました。最終の補修工程は翌日でしたので 一台につき 四つの確認工程が終了すると、下の写真のような状態になりました。

実験結果が分かりやすいように 意図的な削りとしていますのでケガをしてるようですね。翌日違和感がないよう成形してニスの補修をおこない このヴァイオリンの実験痕跡が 他の方がご覧になっても分からない仕上げとしましたが、私の感覚としても いやなものでした。

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それはさておき、実験目的の方は 予想していたように「 一カ所ずつ 鑿(のみ)を入れて すぐに試奏する。」ごとに、この日 実験に立ち会った5人とも 感激のショックを受けるほどすばらしい響の変化が確認できました。

あまりにも劇的な効果でしたので 「こんなに簡単に ヴァイオリンの響きが改善できるのであれば 私の研究の完成は そんなに遠くないのでは‥ 。」と思ってしまった程でした。余談ですが 実際にこの研究が最終的な結論が得られ終了したのは 2015年12月26日でした。
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ともあれ‥ ヘッドの非対称加工の結果に意を強くした私は 翌日から数カ月に渡って、不都合な事情がないヴァイオリンやチェロに この加工をおこないました。その総数は30台ほどにおよびました。

しかし その試みは この年の秋には一旦 中止することになりました。なぜなら 重要な情報が この加工を加えたチェロを使用している人からもたらされたからです。

それは『 この加工による劇的な効果が3カ月程したら薄くなってしまった。』というものでした。非対称加工をする前より 状態が悪くなったわけではありませんが、すばらしい響きを一度自分の楽器で体験していると その喪失感は辛いものです。

このため私は 原因を徹底的に検証し ヴァイオリンもチェロもその響きは響胴が “ゆるむ” ことで生じている‥ という点から考えて 、一般に使用される弦楽器によくみられる ‘つり合いの破れ’ が生じ響胴にひずみが溜まったことが原因との結論に達しました。

この実験では ‘十分条件’ となり得る 響をうみだす響胴の音響条件の変更ではなく ‘必要条件’ のひとつを改善しヴァイオリンの響きを良くできました。しかしスクロールで私が試みた “まね”では すぐに限界が露呈するという事がわかりました。

着目は正しかったのですが、私は「 はじめから豊かな響きを持ち それが弦の交換だけで 何年間も安定した性能のまま使用できるヴァイオリン 」を作るために研究をはじめた訳ですから 立ち止まってはいられませんでした。

私が経験したように 弦楽器製作者が  ヘッド部の非対称性を検証しようとすると おそらく同じような一喜一憂があり、それは果てしない道のりに続いていると思えます。

18世紀中期から19世紀はじめにかけて産業革命により 社会構造の変革がおこり時代が 近世から近代に移行するなか 、弦楽器製作者も その流れのなかで立ち止まるのがむずかしくなったということだと思います。

さて話を戻しますが‥ このような事からも分かるように 弦楽器のもっとも重要な特性は響胴部の条件にあります。ピアノなどの鍵盤演奏する弦楽器もふくめて すべての弦楽器は 弦が加える圧力を支えきり、振動板の条件を安定的に維持するのが 最難関の課題となります。

歴史をながめると 多弦楽器において この問題を解決するための研究は 結局‥  弦数を減らしながら 低音域の共鳴音をとりこむ試行錯誤のなかで それぞれの完成形に達したようです。

例えばこれを コントラバスで見てみると 3弦型に行き着きます。

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黎明期には 合奏で低音域を担当する弦楽器は 5弦や 6〜7弦の バス・ガンバが 一般的だったのですが、 それが現在の 4弦ないしは5弦のコントラバスとなる手前の19世紀前中頃には 3弦のものが 主力として活躍していました。

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ハイドンや ベートーヴェンとの親交で知られる ドメニコ・ドラゴネッティ ( Domenico Carlo Maria Dragonetti  1763-1846 ) の晩年である 1840年代の写真や、コントラバスにフランス式運弓法を取り入れ この楽器が多様な音色をもった立派な独奏楽器たり得ることを示した ジョヴァンニ・ボッテジーニ ( GIOVANNI BOTTESINI  1821-1889 ) の 1865年頃 といわれる写真には どちらも3弦のコントラバスが写っています。

3弦のコントラバスは 楽曲演奏に対しての適合性は 別として、より明瞭な共鳴音が見込めるので、ある意味では「 響の完成形 」だと 私は思っています。

これは低い音域の響きを生むには 振動部の面積がどうしても広くなってしまうので システム損失が生まれやすく、この変換効率が落ちる条件のもとで振動部に 30.9~41.2ヘルツあるいはそれ以下の音高につながる運動をさせるエネルギーが要求され、その最終的な解答として製作されたのが 3弦の弦楽器だったからです。

もちろんこれには 幾何剛性を変化させるチューニング( 低い方から A、D、G の四度調弦と G、D、Aの五度調弦が一般的だったようです。 )など 演奏家の工夫に支えられた側面も大きかったと思います。

因みに ボッテジーニは後年 4弦コントラバスにシフトして通常チューニング [  高い方から 中央ハの1オクターブと完全 4度下の ト( G )、以下完全4度ごとに 二( D )、イ( A )、ホ( E )]より 長2度高くする ‘ソロチューニング’ を考案し通常チューニングとともに普及させたそうです。

ともあれ 物理学で最も基本的な法則とされるエネルギー保存の法則( 変換前のエネルギーの総量と変換後のエネルギーの総量は変化しないこと。)があるわけですから、 コントラバス響胴の剛体運動のためのエネルギー総量を弦のゆれのみで 調達するのは至難の業だと私は思います。

 

 

こうした弦楽器製作の繁栄は 残念ながら 19世紀になると急激に変化します。そしてこの時期以降の弦楽器を検証すると これらの音響設定を理解できる人が激減したことがわかります。

また演奏環境の変化( 18世紀の音楽ホール事情 )も影響して 弦楽器製作は『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器が製作された時代が終わり、『 モダン・イタリー 』などと呼ばれる弦楽器を中心とした時代となりました。

そして現代では「写し」の特徴である 弦楽器の傷跡状の加工や 製作時の工夫の多くが「 工具痕跡 」と呼ばれるようになりました。これはどうやら 刃物使いなどを失敗したと考えた方の命名のようですが、名工がこんな失敗をするでしょうか?。

そういうことで 弦楽器の特徴を理解するために ここから 私が これを 意図的につけてあると考えた理由をお話ししたいと思います。
Domenico Montagnana( 1686-1750 )  Cello   Venezia   1739年

例えば 1739年に製作されたこのチェロヘッドの背中下側の “工具痕跡” に着目してみましょう。これは 4番線のペグ取り付け位置より少し下についています。

まず ドメニコ・モンタニャーナが 1742年に製作したチェロ・ヘッド後部をまっすぐに撮影した写真 ①を下に置きます。

その下の②は 上の斜め写真の1739年製で ③は フランチェスコ・ルジェーリが 1695年に製作したものです。 三台のチェロに共通するだけでも偶然ではないと理解していただけると思いますが、この位置に同じ ” 工具痕跡 ” をもつオールドの弦楽器はめずらしくありません。

①  Domenico Montagnana( 1686-1750 ) Venezia   Cello 1742年

②  Domenico Montagnana( 1686-1750 )Venezia    Cello  1739年

③  Francesco Rugeri( 1626-1698 )Cremona   Cello  1695年

但し、すべてのオールド弦楽器についているわけでもありません。 下に例として4台のチェロをあげさせていただきました。④のベルゴンツィは上と同じ “工具痕跡” をもっていますが ⑤の “工具痕跡” は中央尾根の真上ですし ⑥と⑦のガダニーニはジグザグを強くしこの位置の軸の中央尾根の高さをさげることで同じ効果が得られるように工夫してあります。

 ④  Carlo Bergonzi( 1683-1747 )Cremona   Cello  1731年

 ⑤  Domenico Montagnana( 1686-1750 )Venezia  Cello  1739年 ” The Sleeping Beauty ”

⑥  J. B. Guadagnini( c.1711-1786 )Cello  1743年頃製作  ”Havemeyer ”

⑦  J. B. Guadagnini( c.1711-1786 )Cello  1777年   ” Simpson ”

それから上の画像を検証すると中央尾根だけでなくチェロ・ヘッドのヒールが楕円を基本型としている事がご理解いただけると 思います。 私はこれを ヘッドのゆれ( = 剛体運動 )の ふたつの運動のうち 回転運動をふやす( = ゆれる時間を長くする )工夫と考えています。

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cittern-%e3%80%80-english%e3%80%801600%e5%b9%b4%e9%a0%83-1-l 説明は省きますが  私はこのような軸組が分かりやすい弦楽器の特徴から 考察して、非対称の楕円部は ねじりを生じさせる仕掛けとなっていると思います。

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Antonio and Girolamo Amati    Violin  1595年頃製作  ” The King Henry IV ”

そして アマティ兄弟が 1595年頃製作したとされる ヴァイオリンです。このスクロール・エッジ部にある段差も  “工具痕跡” とよぶのは無理があると、私は思います。

 

上のスクロールと この 1603年頃に製作された アマティ兄弟のスクロールを比較すると『 段差加工 』は 8年後の方が 少しなめらかな削りとされていることが ご理解いただけると思います。

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Matteo Goffriller (1659–1742)    Violin,    Venezia 1702年

また、 このヴァイオリン・ヘッド右側( Bass side )にも段差加工を見ることができます。

それから 1742年製 とされるドメニコ・モンタニャーナのチェロでも ヘッド右側( Bass side )にも段差加工を見ることができます。

 

domenico-montagnana-vc-venezia-1742%e5%b9%b4-1686-1750-1-lDomenico Montagnana( 1686-1750 ) Venezia   Cello 1742年

私は 性能的に優れた弦楽器のヘッドは ゆれやすいように斜めに不連続面を構成して「 ねじり軸 」を設定していると考えています。
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『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器では、その軸がエッジをまわりこむ位置に 下の写真の 点 A, 点 Bのような傷跡状の加工をみることが よくあります。

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Jacob Stainer ( 1617-1683 )  Violin  Absam Tirol   1678年

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Jacob Stainer ( 1617-1683 )  Violin  Absam Tirol  1659年
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Nicola Gagliano ( 1675-1763 )  Violin Napoli 1725年頃
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彼らは弦楽器の発音メカニズムを熟知していたため 中には下のカルロ・ベルゴンツィ( Carlo Bergonzi  1683-1747 )が何台か製作したヴァイオリンのようにヘッドのヒール部分を切り取ることで その条件を調整したものがあるくらいです。



イヤハヤ‥ 頭が下がります。 私は カルロ・ベルゴンツィを本当にすばらしい弦楽器製作者だと思います。そしてパリで活躍した J.B.ヴィヨーム( Jean-Baptiste Vuillaume  1798 – 1875 )もそう考えたようです。カルロ・ベルゴンツィ( 1683-1747 )が亡くなって100年程のちに 下写真のヴァイオリンを製作したくらいですから‥ 。


Jean Baptiste Vuillaume    violin
( Nippon Violin )


この世の中の『 名器 』と呼ばれるすべての弦楽器を検証した訳ではありませんが 私の経験では ヘッド・ヒール部に弦楽器製作の名工達は ” 必ず ” 細やかな工夫を施していました。この事を知っていると『 オ-ルド・バイオリン 』の見分け方としても役立つと思います。

これをおおまかな言い方で表現すると ヘッド・ヒールの A部とB部をまず確認してください。とくに A部( 縁薄部 )は重要ですので焼いた針などの工具痕跡や段差の有無などもみていただきたいのですが‥ もっとも見分けやすいのは縁の厚みを薄く設定してあるかどうか? だと思います。これは B部の意図的に厚みが残してある部分と比較するとなおさら判りやすいと思います。

それからネック上端とヘッドの接合部の C部から斜め上方向( これらの画像の白い点線もそうですが 私は 33°を標準と考えています。)に『 ゆれ軸 』が設定されていないか?を確認します。この C部には焼いた針などでつけた工具痕跡がある場合が多いと思います。そして その上端にあたるD部は 縁がすりへったような加工により高さを低くしてあることが多いでしょう。また『 斜めゆれ軸 』の中央付近に 先ほど『 ヴァイオリンの工具痕跡 (  tool mark )について。』で私が指摘した 工具痕跡がある場合にはなおさら このラインの存在が確認しやすいと思います。

では参考のために 2011年の ” Masterpieces from the Parma 2011 Galleria Nazionale Exhibition ” に関連した研究書として 2012年に SCROLLAVEZZA & ZANRÉが出版した ” Joannes Baptifta Guadagnini fecit Parma ferviens  /  Celsitudinis Suae Realis ” ISBN 978-88-907194-0-0 より  J.B.ガダニーニ( 1711 – 1786 )のヴァイオリン・ヘッド写真を引用させていただきましたので観察してみてください。

①  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Franzetti ”  Piacenza   1742年

②  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Baron Knoop ”  Piacenza   1744年

③  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Dextra ”  Piacenza   1747年

④  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Zuber ”  Milan   1752年

⑤  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Curci ”  Milan   1753年頃製作

⑥  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Wollgandt ”  Milan   1755年

⑦  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Burmester ”  Milan   1758年

⑧  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Lamiraux ”  Parma   1763年

⑨  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Merter ”  Parma   1769年

 ⑩  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )  violin  ” Millant- Levine ”  Parma   1770年

これらの画像により J.B.ガダニーニのヴァイオリン・ヘッドには  A部の 縁薄部 、B部の意図的に厚くしてある部分と、ネック上端とヘッドの接合部の C部から斜め上方 D部までのライン上に『 ゆれ軸 』の要素となる特徴がみとめられるものが複数存在していることがご理解いただけると思います。

これらの特徴は『 オールド・バイオリン 』ではよく見られますので、私はヴァイオリンを精査する際のチェック・ポイントとしてきました。下に別の製作者事例としてジロラモ・アマティⅡ( ヒエロニムス・アマティ )が クレモナで 1710年に製作したヴァイオリンのヘッド・ヒール部の画像を貼らせていただきました。

⑪  Girolamo Hieronymus Amati Ⅱ ( 1649 – 1740 )   violin   Cremona  1710年

さすがアマティ家の製作者ですので 景色に調和する配慮が感じられますが、J.B.ガダニーニとおなじように音響上の設定はきちんと踏まえて製作していたという事がご理解いただけるでしょうか?

Girolamo Hieronymus Amati Ⅱ ( 1649 – 1740 )  violin


Giuseppe Tartini's - Lipinski Stradivarius 1715年 - A L
 Stradivarius   1715年   “Lipinski”  / Giuseppe Tartini’s
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『 オールド・バイオリン 』を見ていると似たような ” 修復 “がおこなわれているのをよく見かけます。例えば上写真は判断ミスでヴァイオリン・ヘッドが ” 修復?”された事例です。

 

Matteo Goffriller (1659–1742) Cello Venice 1705年 - 1 L
Matteo Goffriller Cello Venice 1705年 MONO - 1 LT
Matteo Goffriller (1659–1742) Cello Venice 1705年 - 3 LT
Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - C LT
Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - B LT
Domenico Montagnana Cello 1730年 - A LT
Domenico Montagnana Cello 1730年 - C MONO L
Domenico Montagnana Cello 1730年 - B LT
Domenico Montagnana Venezia ( Yo-Yo Ma ) 1733年頃 - A LT
Domenico Montagnana Venezia ( Yo-Yo Ma ) 1733年頃 - A MONO L
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Old Italian Cello c1680 - 1700 ( F 734-348-230-432 B 735-349-225-430 stop 403 ff 100 ) - A LT
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2014-10-22 Cello - B L
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ヴァイオリンと能面の類似性について – 前編

 

私は『 オールド・バイオリン 』が製作された 1500年代前期から1800年頃までの製作状況を検証した結果、それが能面の製作と重要な部分で共通していることに気がつきました。

それは 本物のヴァイオリンやチェロを理解する助けとなり得る事柄であると 私は考えています。

ところで 一般に知られていない能面についてお話しすることはとても難しいと 私は以前から思っていましたが、幸いなことに 2014年の年末に この内容を理解するのに適した展覧会が東京で開催されました。

そこで、まず この展覧会カタログを引用させていただきます。

Noh Masks - 1 L

能面 創作と写し

能面の造形的側面に関する研究は活発とは言えず、彫刻史における位置づけははっきりしていません。能面の製作年代の判定、作者( 面打 )の特定が困難であることが大きな障害になっています。

なぜ困難か。それは、非常に精密な写しが大量に作られたからです。面の形式、表情だけでなく、面裏の様子、さらには傷まで写すことが広く行なわれました。面打特定の手掛かりになるはずの刻銘、焼印なども写したのです。

しかし、創作の時代の面には写しにはない個性が見られることも少なくありません。華やかさ、力強さ、艶めかしさなどが際立って、彫刻作品としても魅力的です。が、その突出した表現力が、演能において用いられる機会を狭めることもあるようです。

写しは、忠実に作っているようでも個性を減少させることが多いので、能楽師にとっては幅広い演目に使いやすいという評価につながります。

美術品の世界では模造は原品より価値の低いものになりますが、能面の場合は それとは異なる独特の文化があると言えるでしょう。

写しの名手として豊臣秀吉から「天下一」の称号を授かった是閑( 出目是閑吉満 / でめぜかんよしみつ  ca.1526 – 1616 )、名工として名高い河内( “天下一河内”の焼印を用いた 河内大掾家重 = 井関家重 / いせきいえしげ  1581 – 1657 )を始め、その評価の高さは創作の時代の面打に劣りません。

この展示でご覧いただきたいのは二点です。まず、創作面の彫刻作品としての魅力です。日本の彫刻史上で、室町時代は衰退期とされています。それは仏像を見ると否定できませんが、能面に目を向ければ彫刻史を書き換える必要を感じます。

次に、写しのあり方です。原品の良さだけでなく、普通なら減点の対象となる傷や剥落、面裏まで写す様子にご注目ください。そこに能の特性を探る鍵がありそうです。

ここで展示するのはもちろんごく一部です。各地に伝来している面の調査、研究によって能楽、あるいは日本文化史の未知の世界が眼前に開けてくる可能性があります。

能と面

能の歴史は まだ明らかになっていない点が多く、その成立までの過程については諸説あります。奈良時代( 710 ~ 794年 )に中国から伝わった、大衆芸能「散楽」が寺社の余興として庶民に広まり、さまざまな変遷を経て能と狂言の要素を持つ「猿楽」となります。

この猿楽に、豊作祈願に端を発するといわれ、庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲(田楽)や寺社で行なわれた延年(えんねん)翁舞(おきなまい)などを、南北朝時代( 1336 ~ 1392年 )から室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )のはじめにかけて集大成したものが能狂言であると考えられています。

大成したのは南北朝時代、春日神社と興福寺の猿楽を務めた 大和猿楽四座のひとつ、結崎座(ゆざきざ = 観世座 )の観阿弥( 1333 – 1384 )・世阿弥( ca.1363 – ca.1443 )父子でした。

能は足利将軍家( 室町殿 = 足利義満  1358 – ‘1368-1394’ – 1399 鹿苑寺 – 1408 )、豊臣秀吉( ca.1537 – 1598 )、徳川家康( 1542 – 1616 )ほか諸大名などに愛好されました。

秀吉は金春安照、家康は観世忠親(身愛)を贔屓(ひいき)にしたように、諸大名家ごとに採用する流派が異なり、武士自らも能舞台に立ちました。やがて武家の式楽(公の儀式で行なわれる音楽や舞踏のこと )となります。

禅宗をはじめとした仏教の影響による、主に霊が主役となる幽玄な内容で、人間の哀しみや怒り、恋慕の想いなどを表わす能。そして さまざまな世相をとらえて風刺する笑いの台詞劇である狂言。明治時代に両者を合わせて能楽と呼ぶようになりました。

能楽で使われる面( おもて )がいつ、どのように生まれたかも詳らかではありません。技法では、翁面の切顎は舞台面の技法を継承するなど、ほかの仮面との共通点を持つ一方、目や歯に鍍金した銅板を貼るなど、能面独特の手法もあります。

平安( 794 ~ 1185年 )から鎌倉時代( 1185 ~ 1333年 )の舞楽面(ぶがくめん)、行道面(ぎょうどうめん)については、仏師が製作したことがわかっています。しかしながら仏像を造る仏師と、能狂言面を作る面打(めんうち)の関わりは不明です。

いずれにしろ南北朝時代から室町時代は、あらたな曲がつぎつぎ作られ、面の種類も増えた、言わば 能の「創作の時代」です。この時期に作られた面は造形的な魅力に富み、きわめて尊重されています。

能楽シテ方宗家には 能楽の演目と演出にあわせて工夫された面が備えられました。中には宗家が「本面(ほんめん)」と決めて別格の扱いをしてきたものもあります。

近世( ’1568 ~ 1867年’ )以降は型を伝える「写しの時代」です。諸大名が能面を備えるために面の需要が大幅に増大し、写しを作るようになります。

そして面打(めんうち)を世襲する家系が三つ現われました。越前出目家(えちぜんでめけ)、大野出目家(おおのでめけ)、近江井関家(おうみいせきけ)です。

彼らの仕事は、能楽の宗家である観世、金春、金剛、宝生等をはじめ、各地に秘蔵された名作を写すことでした。

模作は形や彫りだけでなく傷や彩色の剝がれた様子までも写しとることがありました。面の造形だけでなく、その歴史までも貴んでいたのかもしれません。面は 自分ではない何かに扮するための単なる道具という域を超え、能楽師の体の一部となる重要なものとして大切にされています。 [ 川岸 ]

Noh Masks - 能面 P3 L

面を打つ    面打

面(おもて)を作ることを「 面を打つ 」、能面作家のことを「 面打(めんうち)」といいます。面が完成するまでのさまざまな工程のほとんど全ては、ひとりの面打が 担います。

面打に関する文献は非常に少なく、その歴史はいまだ不明な点も多く残されています。世阿弥の『申楽談義(さるがくだんぎ)』には 日光、弥勒、近江の赤鶴(しゃくづる)、愛智(えち)、越前の石王兵衛(いしおうひょうえ)、竜右衛門(たつえもん)、夜叉、文蔵、小牛(こうし)、徳若(とくわか)、千種(ちぐさ)の名が挙げられていますが、彼らの実体はほとんどわかっていません。

近世に、面打 三光坊( さんこうぼう  ‘‥ – ca.1532’ )を祖とする 越前出目家、大野出目家、近江井関家が興り、面打の世襲が始まります。寛政七年(1795)、能役者 喜多古能(きたふるよし)が面打を七種類に分類する『仮面譜』を著しました。 [ 川岸 ]

鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)

鼻瘤悪尉は、鼻梁(びりょう)の途中に瘤(こぶ)があり凄味のある形相の老人の面(おもて)。「悪」は、強く激しいという意味。目と歯に鍍金した銅板を貼る。これは 人間を超えた存在であることを示すもので、荒ぶる神の役に用いる。額(ひたい)の深い皺(しわ)と浮き出た血管、瞳を上に寄せた容貌が特色である。

1 能面 鼻瘤悪尉  室町( ‘1336 ~ 1573年’ )から 安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )・16世紀 木造、彩色  20.9cm × 17.8cm
面裏(めんうら)に金泥(きんでい)で「文蔵作 / 満昆(花押)」と極書(きわめがき = 鑑定書)がある。

文蔵(福原文蔵  15世紀頃活躍 )は世阿弥の『申楽談義(さるがくだんぎ)』に名の挙がる面打で、南北朝時代頃の人らしいが詳細は不明。満昆は江戸時代の面打の家系である 大野出目家五代 洞水満矩(でめみつのり  ‥ – 1729 )のこと。

能面の極書は信憑性が低く、製作を文蔵の時代まで遡らせるのは難しい。しかし 血の通った彫に写しとは歴然とした差がある。

1 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう) - 1 L
2 能面 鼻瘤悪尉  江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.5cm × 17.5cm
面裏に「文蔵作正写杢之助打」と記す。杢之助は 面打の家系 大野出目家の七代、友水康久(ゆうすいやすひさ   ‥ – 1766 )のこと。これを信じれば、満昆が文蔵作と極めを書いた面を孫が写したことになるが、この銘文の真偽は不明。表も裏も形は忠実に写しているが、肉付きにやわらかみがない。彩色は後補(こうほ)。

2 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう) - 1 L
1 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 2 L2 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 2 L
1 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 1 L
2 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 1 L
【   裏まで写す  –  1  】

「写し」と呼ばれる面を、もとになった面と比べると、表情はもちろん、舞台では見えることのない面裏の 鑿跡(のみあと)や修理跡までもよく似ていることが あります。つまり面裏まで 写しているのです。

能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 1 L

文蔵作と記す面( 1 )と それを写した面( 2 )では、額裏側の鑿跡もよく似ていますが、特に注目すべきは布を貼っている部分です。

漆を塗って仕上げる面裏に布を貼ることは通常ありません。おそらく面 1 が割れたか、亀裂が入ったため、布を貼って修復したのでしょう。2 の面は同じところが割れたのではなく、1 の面の修復跡までも忠実に写したのだと考えられます。 [  川岸  ]

鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)

鼻先が鷲(わし)の嘴(くちばし)のようにとがった鷲鼻で、強い表情の老人の面。額に四条の皺(しわ)があり、目に鍍金した銅環(環状の銅板)を貼る。鼻瘤悪尉が 銅板で目全体を覆うのに対し、この面は瞳だけに用いる。歯は根元に墨、先に金泥を塗る。

能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)   室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 金春家伝来 木造、彩色  21.2cm × 15.5cm 重要文化財
「行者」という名称で伝わったが、鷲鼻悪尉と同じ顔である。額、頬骨、頬に刻まれた皺の上下あるいは左右の肉の部分のやわらかさが、生気のある表情を作っている。目に鍍金した銅板(後補)を貼るが、瞳の孔が小さいため迫力が減退しているのが惜しい。

3 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) - 1 L
4 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) - 1 L
能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) 「 甫閑打 」朱書  江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・18世紀 木造、彩色  20.6cm × 15.7cm
「 甫閑打 」の朱書により、大野出目家第六代 甫閑満猶(ほかんみつなお)の作と示す。

5 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) - 1 L
5  能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) 「出目康久」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・18世紀 木造、彩色  21.2cm × 15.7cm
「出目康久」焼印により、大野出目家第七代 友水庸久(ゆうすいやすひさ)の作と示す。

【   豪快な面裏  】

3 ・鷲鼻悪尉(行者)の裏面はきわめて起伏に富んでいます。額を深く刳り(くり)、両目の下と鼻の刳りの上端で山の字状の稜線を作り、鼻と両頬、顎を深く刳っています。

写しの二面は両目と鼻の裏しか刳っていません。これが一般的な面裏です。その差は歴然としており、3 は裏だけで室町時代の作と判断できます。こうした起伏に富む面裏を写す場合もありましたが、これほど豪快にはなりません。実際に着けた時に、山の字状の稜線が邪魔だったかもしれません。
3 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)裏面 - 1 L 4 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)裏面 - 2 L5 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)裏面 - 1 L

 

【   面打特定の手がかり  –  焼印、知らせ鉋  】

能面の裏側(面裏  めんうら)には、その面を知るための さまざまな情報が残されています。「焼印」、「知らせ鉋(かんな)」、「銘(めい)」、「極め」、「鑿跡(のみあと)」などがそれにあたります。

自らの名前の印を焼付ける焼印、裏面に固有の刀の跡を刻む知らせ鉋は、面打が、その面が自分の作であることを示すための方法として面裏に残したものです。ただし、焼印や知らせ鉋まで写し取った写しも存在し、面打を特定する決定的な判断材料にはなりません。

銘は その面の作者名、写しの場合にはオリジナルの面の作者や名称のほか、伝承や制作の目的、面の名称などが記されています。こちらも後世に書き込まれたものも多く、やはりこれだけで面打を特定することはできないのです。面打の特定は今なお大きな課題となっています。 [  川岸  ]

面打特定の手掛かり - 1 L
小面( こおもて )

若い女性の面。「小」は初々しく美しいことを示す。
金春流では 小面、観世流は 若女(わかおんな)、宝生流は 増女(ぞうおんな)、金剛流は 孫次郎(まごじろう)が それぞれ象徴的な女面である。小面は清楚で気品が高い。

能面 花の小面 - 1 L参考  1
能面 花の小面( はなのこおもて ) 室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 東京 三井記念美術館所蔵    重要文化財

参考  2
能面 雪の小面( ゆきのこおもて ) 室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 京都・金剛家所蔵    重要文化財

伝 竜右衛門作( たつえもん = 石川重政、室町時代の面打。越前大野から京都四条に移ったといわれる。 )の 小面三面を入手した豊臣秀吉( ca.1537 – 1598 )が それぞれ “雪”、”月”、”花” と名付けて愛蔵していたが、後に “雪”は 金春善勝(こんぱるよしかつ = 笈蓮 ぎゅうれん 、六十一世宗家 で  六二世となる次男の 金春安照 やすてる 1549 – 1621 は 秀吉の能指南役をつとめるなど 絶大な庇護をうけた。)に、”月”は 徳川家康( 1543 – 1616 )に、”花”は 金剛家に授けた。

“雪”の小面は流出し、現在 京都の金剛家の所蔵である。”月”は江戸城炎上と運命を共にしたと伝える。”花”は 東京 三井記念美術館蔵。”雪”の写しは多いのに “月”と”花”の写しは見ない。

能面 雪の小面 - 1 L
能面 雪の小面 - 2 L6  能面 小面( こおもて )「天下一河内」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.6cm 金春家伝来 重要文化財
6 能面 小面 - 1 L

7 能面 小面 - 1 L

7  能面 小面( こおもて )「出目満昆」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.6cm 金春家伝来 重要文化財

8  能面 小面( こおもて ) 「竜右衛門作ヲ似  /  宝来写作  /  宝来作  /  満昆(花押)  /  康久(花押)」金泥書  江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.6cm

8 能面 小面 - 1 L

9 能面 小面 - 1 L

9  能面 小面( こおもて )「出目満昆」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.0cm × 13.4cm 和歌山・根来寺所蔵

面裏に「金春本面  正」と記す金泥銘があるが、いつ書かれたものか不明。若く華やいだ美貌は 若い女面の中でも際立っている。クスノキ材製。

金春家には河内と洞水満昆( 大野出目家五代 洞水満矩 でめみつのり  ‥ – 1729 )が作った写し( 6、7 )があるが、あまり似ていない。むしろ河内の写しを写したと見られる面が多い。

8 は面裏を写していないが、頭髪の剝落の形が酷似していること、「竜右衛門作」を 宝来が写したと記すことから、”雪”の小面の写しとみて良い。

能面 雪の小面 裏面 - 1 L

6 能面 小面 裏面 - 1 L

7 能面 小面 裏面 - 1 L

8 能面 小面 裏面 - 1 L

9 能面 小面 裏面 - 1 L

【   裏まで写す  –  2 】

京都の金剛家に伝わる 雪の小面( 参考 1 )と、東京国立博物館と 和歌山 根来寺所蔵の 四つの写しの面裏を比較してみましょう。

まず、「金春本面」と記す 雪の小面には 両頬に焦げたような色が見られ、鼻の右側に肋骨状の鑿跡(のみあと)が確認できます。どちらも偶然できたものではなく、意図をもって作られたものに違いありません。

続いて写しの面裏を見ると、頬の焦げたような色、肋骨状の鑿跡が認められる面と、そうでないものがあることに気付きます。

8 では、頬の特徴の有無は判然とせず、鑿跡については明らかに表されていません。ところが それ以外の写しの面では、多少の違いはありますが、雪の小面の特徴を意図した表現が確認できます。面裏を写すもの、写さないものの差は、どのように生ずるのか興味深い問題です。

雪の小面( 参考 1 )と 6は クスノキ材製で、河内が雪の小面を写す際、材も忠実に用いたことが知られます。

一方、今回取り上げる ほかの写し 7、8、9は ヒノキ材製です。写しの製作における材の選定にも注意する必要があります。  [  川岸  ]

裏まで写す - 2 L
雪の小面を写した、河内の焼印のある小面にはこのほか面白い特徴があります。

鼻の頭に円形の傷です。
この傷は今回展示している「出目満昆」印と根来寺所蔵、二つの雪の小面の写しにも見られます。

(左) 重要文化財 能面 小面(鼻部分) 「出目満昆」焼印 金春家伝来  江戸時代・17~18世紀
(右) 能面 小面(鼻部分)  江戸時代・17~18世紀 和歌山・根来寺蔵    浅見龍介氏  ( 京都国立博物館列品管理室長 )


万媚
( まんび )

万媚は、媚(こび)を含んだ若い女性の面で、越前出目家三代の 古源助秀満( こげんすけひでみつ  ‥ – 1616 )が能役者の下間少進( しもつましょうしん 下間少進法印仲高  1551 – 1616 )とともに安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )に創作したのが始まりと言われる。

目がぱっちりと開いて、上瞼は強い弧を描く。頬の肉付きは丸みがあり、可愛らしさが強調された表情である。

10  能面  万媚( まんび )「長能(花押)」金泥書 「万媚  /  (花押)化生  / □ / □□(花押)」陰刻 安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )から 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・16 ~ 17世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.5cm

10 能面 万媚 - 1 L

11 能面 万媚 - 1 L
11  能面  万媚( まんび )(花押)金泥書   江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17世紀  上杉家伝来 木造、彩色  21.2cm × 13.9cm

10 の面は面裏に「 万媚 」と異名の「 化生(けしょう)」、三種の花押が陰刻され、能役者・喜多長能(きたながよし 1586 – 1653 )の名と花押の金泥による署名がある。さらに亀裂部分を補強したような ペースト状のものを充填した跡がある。

11 の面は 喜多長能の花押だけが金泥で記される。10 の丸みのある肉付きが 11 では引き締まっている。

10 能面 万媚 裏面 - 1 L
11 能面 万媚 裏面 - 1 L
曲見( しゃくみ )

曲見は、しゃくれた顔を意味する。生き別れた子を探し歩く 中年の狂女の役などに用いる。頬の肉は削げて、やつれた表情である。中年女性の面にはほかに 深井(ふかい)があり、曲見は金春流、金剛流で用い、観世流は 深井を、宝生流は両方を使う。

12  能面  曲見( しゃくみ )  「本」(針書き)室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 木造、彩色  21.2cm × 14.2cm 金春家伝来 重要文化財

額の左右に打痕、顎の左側にX字を連ねたような擦り傷がある。この面を写した面は多く、この面が傷まで写されるほどきわめて尊ばれたことがわかる。うつろな目に疲れた表情がよく表されている。面裏は 下地を作って厚く光沢のある黒漆を塗る。

12 能面 曲見( しゃくみ ) - 1 L
13  能面  曲見( しゃくみ ) 「天下一是閑 」焼印 安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )から 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・16~17世紀 木造、彩色  21.2cm × 14.2cm 金春家伝来 重要文化財
13 能面 曲見( しゃくみ ) - 1 L
14  能面  曲見( しゃくみ ) 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )17世紀 木造、彩色  21.2cm × 14.2cm 金春家伝来 重要文化財

14 能面 曲見( しゃくみ ) - 1 L
【   傷まで写す  】

面は舞台で使用されるため傷がつくことがあります。製作当初の姿でなく、年月を経た面についた傷まで写すことも珍しくありません。金春座に伝わった曲見の面 12 と、その写しを例に見てみましょう。

12 には、額の左右と顎の左側に傷があります。額の左の傷は丸みのあるもの、右は角ばったものによる圧迫痕です。是閑印のある 13 には顎の傷はなく、左右の額の傷は同じ位置にありますが 左の傷の形状は 異なります。

14 は、12 の傷を忠実に写そうとしているのがわかります。傷は その面の刻んだ歴史ともいえるものです。写しを製作する際に、傷を写すことに どんな意味を見出していたのか。興味深い問題のひとつといえるでしょう。  [  川岸  ]
傷まで写す - 1 L

12 能面 曲見( しゃくみ )裏側 - 1 L

13 能面 曲見( しゃくみ )裏面 - 1 L
14 能面 曲見( しゃくみ )裏面 - 1 L

長霊癋見 ( ちょうれいべしみ )

長霊癋見は、「熊坂」「烏帽子折(えぼしおり)」などに用いる。牛若丸一行を襲って逆に討たれる盗賊 熊坂長範(くまさかちょうはん)が着ける面である。鍍金した銅板を貼った瞳が 上目遣いに表わされる。

観世流、宝生流で用いる面・熊坂や、金剛家伝来の長霊癋見は、この金春家伝来の面に比べてもう少し自然な顔であるが、金春型の写しが 世に流布した。

16  能面  長霊癋見 ( ちょうれいべしみ )「 キヒノ  /  ケンセイ 」(陰刻)室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 木造、彩色  20.9cm × 16.4cm 金春家伝来 重要文化財

16 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 1 L16 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 2 L

17  能面  長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.2cm × 16.3cm 上杉家伝来
17 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 1 L18 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 1 L
18  能面  長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) 「天下一近江」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  20.9cm × 16.4cm 金春家伝来 重要文化財

長霊癋見は眉間(みけん)の皺(しわ)、眉から目の周辺の彫りに人間にはあり得ない作りこみがあるため、良さは一見しただけではわかりにくい。

この面は「天下一近江」の焼印のある面( 18 )と比べると造形の素晴らしさが理解できる。眉間の W字状の皺のやわらかさ、一文字に閉めた口の下唇下方の隆起、耳と鼻の間の頬のふくらみの自然な表現などである。

近江印の方は よく写しているが硬い。彫りだけでなく、髪、ひげの毛描きも勢いがあり、先端が蕨(わらび)のように丸まり、あるいは渦を作るなど剽軽(ひょうきん)な顔に似合って面白い。面裏に「キヒノケンせイ」と陰刻するが 意味は不明。

16 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 3 L

17 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 2 L18 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ )裏面 - 1 L

【  造形の美  】

能面は舞台で使われてこそ生きる、博物館に展示された能面は眠っている、と言われることがしばしばあります。たしかに舞台で役者が着けている時には、顔の向きによって照明の当たり方が変わるたびに表情が微妙に動く、ということがあります。本来能の道具として作られたものですから、舞台を離れるのは面にとって惜しいことではあるでしょう。

しかし、彫刻的に優れた能面が非常に多い、ということも間違いありません。鬼神系の面のような立体感に富むものだけでなく、起伏の少ない女面などでも息を呑むような造形の美しさが感じられます。能面を彫刻として評価することで日本の彫刻史が書き換えられます。これまで彫刻の衰退期とされていた室町時代にも 豊かな想像を続けていたのですから。

引用カタログ : 東京国立博物館
『 特集 日本の仮面  –  能面  創作と写し 』展
会期 2014年11月5日~2015年1月12日
執筆 浅見龍介氏(京都国立博物館)、川岸瀬里氏(東京国立博物館)ISBN 978-4-907515-07-2 C1071

 

江戸時代の面打について 詳しく書き記した人に、喜多古能(きたふるよし 1742 – 1829 )がいます。古能は 能役者で、喜多流を率いる9代目の大夫(たゆう)でもありました。彼は能面の目利きであり、鑑定にも携わっていたそうです。

彼が著した「仮面譜」( 1797年 )などによれば、面打(めんうち)の家には、越前出目家、大野出目家、井関家があり、さらに越前出目家から児玉家、弟子出目家という2つの家系が分かれたことになっています。これだけでも そこそこの人数がいたという事から考えると、能面にはどうやら私たちが知る以上に多くの面打が 写しを作り続けた深い歴史があるようです。

私は  この『 特集 日本の仮面  –  能面  創作と写し 』展のような機会に面(おもて)を観察することで、 それらの多くの面打が 創作の時代の面を尊びながら 写しの製作に取り組んだ様子を 感じることができ、彼らと同じくもの作りの一人としてほんとうに励まされました。

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また、能面の非対称性については‥ 本来、人の顔は左右非対称で 正面に向かって左側が人間の顔(迷い)、右側が神仏の顔(悟り)という考え方が能面に取り入れられた。という解釈があるくらい大胆に意図されると共に、舞台で人の想念の移ろいを表現したりするために 細やかに調和させる努力がされていることを本当にすばらしいと私は考えています。

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ところで‥ 個人的なイメージで恐縮ですが 創作の時代の能面を見るたびに ルネサンス期の画家 ボッティチェッリの テンペラ画 『 ヴィーナスの誕生 』を思い出します。

このテンペラ画が描かれたときに 私たちの国は 室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )でした。遠くはなれてはいますが イタリアのサンドロ・ボッティチェッリ ( 1445-1510 )と 面打 三光坊( さんこうぼう  ‘‥ – ca.1532’ )は 概ね同時期の人なのです。

そして、私は二人が非対称性を重要と考えたと信じています。

 

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少し話がそれますが‥ この貝殻は スペイン・マラガに滞在した 9歳の男の子からお土産でもらいました。3週間ほど滞在した海岸を離れるさいに足もとの砂浜でひろったものだそうです。

気がついている方が少ないようですが 二枚貝の片側は 巻貝のように渦巻きの形をしています。 ヨーロッパ・ザルガイのような二枚貝だと 美しく渦巻くようすを見ることができます。

ボッティチェッリの このテンペラ画では ヴィーナスの顔が非対称であるのみでなく、彼女がたたずんでいる貝は種類は違いますが ヨーロッパ・ザルガイのように渦巻いているのです。

私は『 オールド・バイオリン 』を製作した 弦楽器製作者の感性は こういうものに育まれたと信じていますが、これは能面を製作した面打と相通じるものがあるのではないでしょうか。

私が この投稿の冒頭で 能面の製作と弦楽器製作が重要な部分で共通していると申し上げたのは「クオリティーの高い作品を製作できる人が 一定数 育ち、結果としてそれが伝承され、また時代の要請によりあらたな “創作” も おこなわれる。」という歴史を 能面の “写し” や 弦楽器製作の黄金期にみることができるからです。

これは “志のある人”が 修業過程で「 写し= ていねいな模倣 」をおこなうことで知識と気づきを得ます。そしてそれをくり返す事で、製作者としての成長があり、当然ながら それが作品に反映されたと考えられるということです。

そして‥ どちらの国でも 社会状況が急激に変化するなか 人々は翻弄され “写し”と ”まね”の違いが分からない人が増えたことによりこれらの黄金期は終わったようです。

ヴァイオリンと能面の類似性について    –   後編

振動モード参考モデル

弦楽器にとって振動モードと剛体としての運動条件が響きをきめる重要な要素になっています。

皆さんがご存じなように一次振動モードはわかりやすいですね。
ちなみに今日ではギターやベースなどの弦楽器の演奏をiPhoneで撮影すると、カメラに搭載された CMOSイメージセンサの誤差によって起こる “ローリングシャッター現象” によってまるで自分の目がオシロスコープになったかのような映像で見ることができます。

ローリングシャッター現象とは CMOSセンサーが目の前の風景を一度に全て記録せずにイメージの上部から順番に記録を行なうために、高速に動く被写体を撮影すると取り込む時差によよって歪みが生じておこる現象です。

一次元モードのアニメーション
粒子速度

以下の4つのアニメーションは、それぞれ一次元音場の点 (0)において音が発生し、x方向へ伝搬し、右端の剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生する様子を示している。またこれは2次元音場における「軸波 (axial mode)」の一つの断面とみなすこともできる。

1.波の数が一つの時
sinmode1

2.波の数が二つの時
sinmode2

3.波の数が三つの時
sinmode3

4.波の数が四つの時
sinmode4

ニ次元モードのアニメーション
二次元音場の固有振動モードの生起

以下のアニメーションは剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生する様子を示す。またこれは3次元音場における「接線波 (Tangential Mode)」の一つの断面とみなすこともできる。

音圧
1.固有振動モード(1、1、0)

このアニメーションは、xy 平面における音圧 p の時々刻々の変化の様子をあらわしている。
剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。

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<注意>厳密には、二次元音場において点音源から生じた音は「円筒波」として伝搬すると考えられる(あるいは、二次元の波動方程式の解は円筒波を表わすハンケル関数を用いて得られる)。しかしここでは簡単のため、現象を平面波で近似して示している。このため波面は矩型となっている。なお数学的に球面波は平面波を重ね合せて得られることが知られている。

2.固有振動モード(1、2、0)

二次元モード
このアニメーションは、xy 平面における音圧 p の時々刻々の変化の様子をあらわしている。
剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。
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<注意>厳密には、二次元音場において点音源から生じた音は「円筒波」として伝搬すると考えられる(あるいは、二次元の波動方程式の解は円筒波を表わすハンケル関数を用いて得られる)。しかしここでは簡単のため、現象を平面波で近似して示している。このため波面は矩型となっている。なお数学的に球面波は平面波を重ね合せて得られることが知られている。

粒子速度
上の(1,1,0)の場合の、x, y 二つの方向に関する粒子速度成分を左右の図で示す。反射波が干渉した結果、剛壁における法線方向速度成分が0になる様子が示されている。

固有振動モード(1、1、0)
このアニメーションは、xy 平面における粒子速度 u の時々刻々の変化の様子を x , y 二つの方向に分けて表わしている。
剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。
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<注意>厳密には、二次元音場において点音源から生じた音は「円筒波」として伝搬すると考えられる(あるいは、二次元の波動方程式の解は円筒波を表わすハンケル関数を用いて得られる)。しかしここでは簡単のため、現象を平面波で近似して示している。このため波面は矩型となっている。なお数学的に球面波は平面波を重ね合せて得られることが知られている。

三次元モードのアニメーション

音圧の固有振動モード (1,1,1)
このアニメーションは、xyz 空間における音圧 p の時々刻々の変化の様子を表わしている。
剛壁に囲まれた三次元音場の点(0,0,0)において音が発生し、(x,y,z)それぞれの正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。

( 三次元空間を表現するのは困難なため、三次元空間の断面を並べて表現している。)
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ポテンシャルモード
ここでは速度ポテンシャルの変動を黒点の大きさの変化で示している。つまり、音圧の変動はその動きの逆(ポテンシャルが大きい場所では音圧は小)で示されている。室の中央部で音圧が低く周壁部で音圧が高いことが分かる(アニメーションでは、中央での黒丸の動きが大きく、ポテンシャルの変動が激しいことが表されている)。

このアニメーションは、立方体室の点(0,0,0) から音が発生し、時々刻々のポテンシャルの変化の様子を表わしている。

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(1,1,1)モードです(776 k)(.mov)

■『 オールド・ヴァイオリン 』型の弦楽器と科学史

さて ”オールド・ヴァイオリン”型の弦楽器は 16世紀前半に和声学の基礎となった機能和声が着目された頃に弦楽器工房で誕生し、パイプ・オルガンもそうであったように この時代の音楽的希求に応えて成長し続けました。

私は これらの状況を検討した結果 ” 弦楽器製作にとってルネサンス末期から 物理学などが急速に発展したことが とても重要な意味をもっていた。” という結論に達しました。

Andrea Amati ( c.1505-1577 ), Violin maker.
1539年   Established a workshop in Cremona.

Antonio Amati ( 1540-1640 ), Violin maker.

Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ), Violin maker.

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年  She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年  He was crowned the king of France.

16世紀の物理学で重要な役割をはたした人物の筆頭はイタリアの物理学者 ガリレオ・ガリレイ ( 1564-1642 )でしょう。

彼はギリシャの アルキメデス ( BC.287-BC.212 )の諸研究‥  たとえば研究書『 平面のつりあいについて 』で示された ”てこの原理 ”( 反比例の法則 )など 7個の原理 ( 公準 )と15個の命題  ( 代表的なものは「三角形の重心は 3中心線の交点である」というよく知られた命題  )、”浮体論”、”円周の求め方” などを オステリオ・リッチから学びました。

そして 1586年に フィレンツェの アカデミア・デル・ディシェーニョ( 学士院 )に 論文『 小天秤 』を、1587年には『 固体の重心について 』を提出し、1589年に ピサ大学の数学教授の仕事を得たと言われています。

この時期にドイツには 天文学者で数学者の ケプラー ( Johannes Kepler, 1571-1630 ) がいて 1609年と1619年には”ケプラーの法則”を発表しています。

また、フランスには メルセンヌ ( 1588-1648 ) がいました。 彼は神学者であるとともに 数学、物理学に加え哲学、そして音響学の理論研究をおこなっていました。1636年には 論文『 Harmonie universelle 』において 平均律を 2の12乗根の計算を用いて数学的に証明しました。また 弦楽器の音の高さについて 振動数と弦長、密度、張力によることを数学的に定式化しました。

そして フランスではもう一人‥  哲学者、数学者として高名な デカルト ( 1596-1650 ) が 活躍していました。”コギト・エルゴ・スム” の人ですね。デカルトは 慣性の法則や 運動量保存の法則を研究し、1637年には 平面上の直交座標系である”デカルト座標”を『方法序説』において発表し確立しました。

Nicolò Amati ( 1596-1684 ), Violin maker.

Andrea Guarneri ( 1626-1698 ), Violin maker.
1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

そしてこの時期に ルター派の国 オランダでは 数学者で物理学者であり、天文学者でもあった クリスティアーン・ホイヘンス ( 1629-1695 ) が活躍していました。 彼は 1655年に数学と法律専攻で ライデン大学を卒業し、そのあとで物理学の研究を進め『同期現象』( 引き込み現象 ) を発見するなど 輝かしい成果をあげていきます。

1666年に フランス国王の ルイ十四世( 1638-1715 ) が パリに『フランス科学アカデミー』を創立した際に、最初のアカデミー会員 ( 21名のフランス人と1人のオランダ人 ) としてパリに招かれ 1675年には『 機械式時計 』の製作や『 空気望遠鏡 』の開発をおこないました。そして1678年に彼は 波動の波面形状を包絡面で説明する『ホイヘンスの原理』を発見し、これは 1690年に出版され広まっていきました。( この理論は最終的に 1836年に完成しました。)

さて 17世紀中期のヨーロッパ世界では イギリスの科学研究が最も活発でした。そして それが発展し 1660年には『権威に頼らず証拠 ( 実験、観測 )を持って事実を確定していく。』という近代自然科学の客観性を担保する目的で ロンドン王立協会 ( Royal Society )が 事実上の科学アカデミーとして設立されました。

この ロンドン王立協会の ロバート・フック( 1635-1703 )は弦楽器にとっても重要な科学者でした。1660年に 彼は弾性についての 『フックの法則』を発見したことで知られていますが、私には ガラス板の固有振動による振動節パターンを観察した事実を興味深いと思っています。

1680年7月8日に彼はガラス板に小麦粉をまぶし、その縁に沿って弓をすべらせて振動させ、振動パターンを観察したとされています。

フックは 1666年には王立協会で “On gravity”(重力について)と題した講演で『慣性の法則』と引力は距離が近いほど強くなるという法則を発表し、また 1670年の講演では、重力はあらゆる天体に作用すると説明し、重力が距離が離れるに従って小さくなること、重力がなければ物体は直進し続けることを説明したそうです。

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 ),  Violin maker.
1680年  He founded the  workshop in Casa Stradivari.

Girolamo Amati Ⅱ  ( 1649-1740 ),  Violin maker.

Arp Schnitger ( 1648-1719 ),  Pipe organ builder.

そしていよいよ‥ 近世を中世と断ち切る役割をはたした アイザック・ニュートン (  Isaac Newton, 1642-1727 ) がイギリスに誕生します。

この頃には‥   1543年にコペルニクス ( Nicolaus Copernicus, 1473-1543 ) が発表した地動説は、1619年にケプラー ( 1571-1630 )が 惑星は楕円軌道を描いているというケプラーの法則を発表したことにより更に支持を得て、1627年には 地動説に基づいた ルドルフ表が完成したことで証明のための最終段階に入っていました。

こうした活動により支えられてきた地動説は 1687年7月5日にニュートンが出版した 『自然哲学の数学的諸原理』( プリンピキア ) において発表された万有引力の法則でついに完成しました。

この プリンピキア の冒頭部分は質量、運動量、慣性、力などの定義にあてられていて、重さという概念のほかに質量という概念を導入したことが画期的とされ、万有引力の法則のほかに、運動方程式と ニュートン力学を普及させることに役立ちました。

これは『 ニュートンの揺りかご ( Newton’s cradle ) 』といわれる実演装置です。

ニュートン( 1642 – 1727 )が『 プリンキピア 』で公表した ニュートン力学のうち 運動量保存の法則と力学的エネルギー保存の法則 そして作用と反作用などが視認できることで知られています。

ニュートン力学は 物体を「 重心に全質量が集中し 大きさをもたない質点 」とみなし、その質点の運動に関する性質を法則化しつぎの運動の3法則を提唱しています。また、これらの法則は、質点とは見なせない物体(剛体、弾性体、流体などの連続体 )に対しても基礎となり得る考え方とされているようです。

第1法則 ( 慣性の法則 )質点は、力が作用しない限り、静止または等速直線運動する。

第2法則 ( ニュートンの運動方程式  )質点の加速度  {{\vec {a}}} は、そのとき質点に作用する力 {{\vec {F}}} に比例し、質点の質量 {m} に反比例する。

第3法則( 作用・反作用の法則  )二つの質点 1, 2 の間に相互に力が働くとき、質点 2 から質点 1 に作用する力  {{\vec {F}}_{{21}}} と、質点 1 から質点 2 に作用する力  {\vec {F}}_{{12}} は、大きさが等しく 逆向きである。

私は 1687年にニュートンが発表した このような『 古典力学 』の考え方は弦楽器製作にも十分影響をあたえたと信じています。

『オールド・ヴァイオリン』などの弦楽器はどうかすると ”神話”のように語られますが‥ 1644年頃生まれたとされるストラディバリ( c.1644-1737 )と、1642年生まれの ニュートン( 1642 – 1727 )が ほぼ同じ年齢であるというのが 私には興味深く感じられます。

Giovanni Grancino ( 1637 – 1709 ),  Violin maker.

Alessandro Gagliano ( 1640–1730 ),  Violin maker.
Nicolò Gagliano ( active. c.1730-1787 ) Napoli, Violin maker.

Matteo Goffriller ( 1659–1742 ),  Violin maker.

Francesco Ruggieri ( 1655-1698 ), Violin maker.
Carlo Giuseppe Testore ( c.1665-1716 ), Violin maker.

Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ), Violin maker.
Filius Andrea Guarneri ( 1666-1744 ), Violin maker.

Francesco Stradivari ( 1671-1743 ),  Violin maker.
Omobono Stradivari ( 1679-1742 ),  Violin maker.
Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ),  Violin maker.

Carlo Tononi ( 1675-1730 ),  Violin maker.
Domenico Montagnana ( 1686-1750 ),  Violin maker.

Andrea Guarneri ( 1691-1706 ), Violin maker.
PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 ), Violin maker.
1718年  moved to Venezia

“Guarneri del Gesù”
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ), Violin maker.
1722年頃  He is independent.

Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ),   Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ), Violin maker.

Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ), Violin maker.
Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ), Violin maker.

■ ピアノの弦数について

それから 私はピアノの鍵盤と弦 ( ミュージックワイヤー )が 基本としては一対一対応ではないことを意識することも、楽器の『音の数』のイメージに つながると考えています

Steinway D 9 Grand Grand LSteinway  /   Concert grand piano “D 9’ Grand Grand”

たとえばこのスタインウェイ・コンサートグランドピアノのD型の場合 下の表にあるように 88鍵盤のうち左端から 8鍵だけは音響上の理由で 1鍵に弦が 1 本対応していますが、9鍵から 13鍵は弦が 2本で 残り75鍵は 1鍵に弦が 3本張られています。つまり、このピアノは 88鍵を操作することで 243本の弦が響きのエネルギーを供給する仕掛けになっています。

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ただしピアノの場合も ベーゼンドルファ・インペリアルのように 97鍵盤のものや、ブリュートナーのように高音部に 4本の弦が張られているものなど 想像以上に多くのモデルがあります。

また 一般的なピアノは弦が折り返して張られていますので張る前は ”2本”分が 1本とも数えられますし、「総一本張り張弦方式ピアノ」は折り返し無しで張られているなど多種多様です。

それから張力の観点からみると 弦長とピッチの設定が影響しますので 敢えて大ざっぱな表現をすれば、一般的なピアノは 88鍵盤に対して200本以上の弦が張られ、弦1本あたりの張力は90kgほどのため 全体の張力は おおよそ 20t 程という表現になるそうです。

参照:株式会社 ピアノ工房SUGIURA

そういうことでピアノの 弦数( ミュージックワイヤー数 )の例として演奏会でよく使用されるスタインウェイ・コンサートフルグランドピアノのD型でみると 合計243本の弦は 1鍵盤あたり平均2.76本であり、88鍵盤のうち85.2%である75鍵盤は 演奏者が1つの鍵盤をたたくと 1つのフェルトハンマーが 3本の弦を同時にたたいてピアノの響きを生みだすように工夫されていることが分かります。

皆さんはこの弦数をどうお考えになるでしょうか?
私は はじめてこれを知った時には『 思ったより 多い。』と感じました。

ヴァイオリンの誕生につながった重要な技術 について

Mandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - L L

Mandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - J LMandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - F L

Mandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - K L

 

 

 

 

私は ヴァイオリンなどの コーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの剛性差を 音響システムと考えています。

私の考えでは ヴァイオリンの響胴はF字孔端が弦の直接振動により内部の空気に疎密波を生じさせ( 一次振動 )、それがヴァイオリンの “駆動系”により表板の波源部にうまれた「 ゆるみ 」を共鳴振動させる( 二次振動 )仕掛けとなっていると考えています。

コーナー部の剛性差について単純モデルとして考えると 静止状態では 四角形 ABCD の重心が点 G にあるととらえます。それが 響胴のねじりによって 点 A 部が他の剛性に負け、それにより 三角形 ABD が一時的に機能しなくなり 相対的に剛性を保った 三角形 BCD の重心点 H に重心が移動するというイメージとなります。

因みに、コーナー部の剛性差については表板の設定と裏板のそれが違っていることも留意すべきだと考えます。

私は 裏板側 A コーナー部に剛性をさげる工夫がしてある場合には 表板のコーナー部では 裏板 B コーナー部にあたる 表板 Bass side – Lower corner に同じような工夫がしてある可能性が高いと思います。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 手前の角がリレーションします。

私は 裏板の初動として ご説明した ねじりが 確実にすばやく起こるように工夫することで『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器は すばやい音の立ち上がり( レスポンス )を確保していると考えています。これには “一定の剛性比”をふくむ 非対称性が重要な条件であると言えるのではないでしょうか。

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“バイオリンの秘密 ” を生んだ 複雑な音響メカニズム

これは 中央下部に黎明期のヴァイオリンが描かれている カラヴァッジオ作の油彩画『 リュートを弾く若者 』です。現代では ヴァイオリンという楽器の初期の状態は こういった絵画などによる検証が重要となりました。

カラヴァッジオ リュート奏者 ( 1595年頃 ) - 1 L
Michelangelo Merisi da Caravaggio  1571-1610
” Suonatore di liuto”  1590年頃    エルミタージュ美術館

 

私は この絵画に描かれた ヴァイオリンのネックと指板の設定、ネック角度と駒の低さなどは、当然ですが響胴の規格に調和するように選ばれたと推測出来ますので 音響システムとして量的にとらえることを助けてくれると私は思っています。

さてバロック・ヴァイオリンではプレーンガット弦を用い、多くの場合A線を415Hz(バロック・ピッチ)あるいは392Hz(ベルサイユ・ピッチ)に調弦する。

さて‥ 私は ここまで ヴァイオリンを見分けるために、コーナー部分の左右の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異に注意しながら観察することをお勧めしました。

ここはストラディヴァリが使用したと考えられている F字孔位置を設定するテンプレートでも重要な基準線として書き込まれています。

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) F - HOLE placement template G violin ( MS No 117 ) - 1 Lまた、このテンプレートにより 『 オールド・バイオリン 』における響胴の基本設定が ヴァイオリンの表板や裏板の輪郭ではなく側板のアウトラインによってコントロールされていたことを知ることが出来ます。

VIENNA micro-CT LAB - C L

私は 弦楽器を観察するときには、まず側板から表板や 裏板がオーバーハングした幅をおおよそ把握します。

それから表板や 裏板が正対するように ひっくり返して パフリング位置との関係をめやすに 真正面から裏板や 表板をながめ、非対称性を”一定の剛性比”として観察するようにしています。

 Antonio Stradivari 1720年 Ex Bavarian - J L
Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - M L
また私は この時、表板と裏板の大きさ( 幅 )の差も大切な観察ポイントとしています。

Matteo Goffriller Venice 1710 (1659-1742 ) X-ray - A L
実際に厳密に計測してみれば分かることですが 『 オールド・バイオリン 』の左右の長さや 幅の差は およそ 1.0 ~ 2.0mmほどの場合が多く、板厚に関しては 0.1mm以下の違いまでが 音響システムとして利用されていると考えられます。

VIENNA micro-CT LAB - D L

ですから 表板や裏板の輪郭線をたよりに見分けようとされる方達の試みは、 このわずかな差を視きることが出来ないことで 確信を持って判断できないという状況に陥ってしまうのではないでしょうか。

また、2次元の画像でそうであった方が‥ 実際に現物を手にもって観察した場合には その上に 左右2つの眼球の視覚差異がかさなり、なおさら混乱が起こっていると 私は推測しています。

ところが‥ 私の場合もそうでしたが 音響上のしかけとして観察すると面白いほど弦楽器の見分けができるようになるようです。ここまで指摘させていただいた4つのコーナー部は関係性をもっている 言わば 4桁ないしは 8桁のパスワードの様なものと私は思っています。

ここまでその具体例としてコーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異に気をつけて観察するのをおすすめしたのは この 4つのコーナー部の剛性バランスの選ばれ方で その弦楽器の製作者の 音響的技術力と その時代性が判断できるからです。

私が資料として手元においている都立高校の 物理 Ⅰにこういう趣旨のことが書かれています。

【  複雑に見える運動でも‥ 】
物体の”重心”は、その物体全体に広がっている質量の代表点です。物体の運動を考えとき 一見複雑に見える運動でも その重心の動きとしてとらえ観察すると、すべてに共通する一定の規則性が浮かび上がってくることがあります。これこそが力学の基礎的な概念を形づくる根源となるのです。

私は 『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器を研究した結果、古典的技術に基づいたヴァイオリンは 4つのコーナーブロック部の内で  ひとつのコーナー部の剛性が意図的にさげられた設定とされている事に気がつきました。

私は これをヴァイオリンが鳴り続けられる‥ つまりゆれ続けられる工夫で、『 オールド・バイオリン 』の特質の一つだと考えるようになりました。

また、私は これらのヴァイオリンは演奏時には 弦の振動によって ねじりが加わることで 1:3 として分割され ヴァイオリン弦の振動によって “一対”でスムーズに ゆれ始められるように 非対称の形状が選ばれたと理解しています。

Andrea Amati ( c1505–1577 ) Violin ( 1555 ) - F L

ヴァイオリンの響胴のゆれは 表板側が駒部からで 裏板側は 鳴らす弦にもよりますが上下ブロックに近い Dライン辺りが折れ曲がり両側C字コーナー部が表板側にある F字孔にむけて倒れこむように揺れることからスタートする場合が多いと私は考えています。

因みに、この時にみられる響胴の動きは ティシュ・ペーパーの箱でA部とB部分を指で変形させることで再現できます。

下の写真のように 指でA部とB部に圧力をくわえると 同時にC部とD部が近づく動きをするので、それを横から見ると平行だったC部とD部が 『 ハの字形』に動いているのが確認できます。

実際のヴァイオリンでは 弦のゆれが C部とD部に力を加えるかたちとなり、その作用でA部とB部がゆれている訳です。

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ヴァイオリンを含めた多くの弦楽器は 下図のように指で押されて膨らんだ ティッシュペーパーの箱の表板中央ゾーンに駒をたてて 表板が膨らむ動きを E部とF部にふりわけて響胴が共鳴しやすいように変形していると私は考えています。

このときにA部とB部のそばの適当な位置にカッターなどで 6 ~ 7cm のまっすぐな切れ込みを二筋入れて指で圧力を加えてみてください。 指の圧力に対して『 閉断面 』と『 開断面 』では劇的な 違いがあることが理解していただけると思います。

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この駆動システムは実際のヴァイオリンの破損痕跡でも確認できます。

たとえば このヴァイオリンは製作されてから わずか12年後に バスバーの両側が完全に剥がれ、なお且つ指板下の表板ジョイント部が 140mm程( 表板全長 354mm )の長さにわたって剥がれていました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 2 L

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 3 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 4 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 5 L (2)
そして表板ジョイントの剥がれを撮影しようと私が表板をさわっていたら『 パキッ 』という音とともにバスバーが外れてしまいました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 6 L
そしてこの景色となった訳ですが、このようにバスバーがはずれたのは私の33年間の経験のなかで3例目の事例となりました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 7 L
これが脱落したバスバーをE線側から見たものでバスバー長さが 275.0mm 上下スペースがネックブロック側 39.0mmのエンドブロック側 40.0mmで厚さが写真向かって左のネック側端が 5.5mmで 駒部 6.4mmのエンドブロック側端が 5.8mmとなっています。

そしてバスバーの高さは駒部が 11.6mmで両端が 4.5mmとしてありました。
また F字孔間距離の最狭部は 39.8mmにしてあり、これに対しバスバーは 0.1mm内側に取り付けてありました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 MONO - A L
このピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズのヴァイオリンは魂柱( Soundpost )が立っていた部分が表板、裏板ともすでに窪みができていました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - B L

Violin Sound post MONO - 1 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - C L
ヴァイオリンはバランスが合っていない状態で使用すると、疲労が進行し魂柱が立つ位置の表板と裏板の空間( 高さ )が少しずつ狭く( 低く )なっていきます。

しかし魂柱は圧力が強くなってもほとんど縮まないので、結果として表板や裏板にめり込むかたちになります。この破損につながる疲労の原因が  “つり合いの破れ” という現象です。

破損 - 2 L

この疲労破損がまねいた 最悪な事例です。

私が取り扱った事例ではないので推測ですが、疲労破損がすすみ表板や裏板に変形がおこり 上下ブロックの接着部などもゆるんだ状態だったところで、最後に楽器を落としてしまったのだと思います。

単純な原因でヴァイオリンが真っ二つに割れることはおこりませんので、これは言わば『 競合破損 』と言ったほうがいいかもしれません。

破損 - 1 L
ヴァイオリンを “強制振動楽器”と表現する方がいらっしゃるくらいで 弦をゆらすと思った以上に響胴は動きます。残念ながら、『 新品のヴァイオリンを買って間もないのに‥ 』という破損事例を 私もいくつか経験しました。

SUZUKI-1
たとえば バスバー剥がれの次の事例となりますが、この写真は 1992年5月に私の工房で撮影したものです。この1/2 サイズのヴァイオリン( SUZUKI VIOLIN No.280 )は 私が 1ヵ月前に新品で販売したものでした。

SUZUKI-2-231x300
このヴァイオリンは 新品で使い始めてわずかな期間しか経っていないのにバスバー剥がれによって鳴らすと すごいノイズ ( お子さんのお母さんもビックリするような 『 ダダダーッ!』という音がしました。)がしました。

当然ですが 私も持ち込まれた直後に修理が必要なことが分かりましたので、購入者のショックが深くならないように翌日に仕上げて納品するためにすぐに修理に入りました。このバスバーも 表板の動きにまったく合わない設定となっていました。

そして、このように バスバーが表板からはがれるプロセスが分かるのが下にあげさせていただいた写真です。

この Eugenio Degani (1842 – 1915) が 1910年に製作したとされるヴァイオリンの バスバー剥がれをごらんください。

Eugenio Degani (1842-1915) - 1 L上の2台のバスバーはがれと違って バスバーの先端部はまだ剥がれておらず 表板の幅広部にあたる位置だけが剥がれているのが分かります。

Eugenio Degani (1842-1915) - 2 LBOX-3-300x211

さて‥ 私はこの投稿を ヴァイオリンの見分け方のお話しをするために記述しています。その話のながれで響胴のゆれかたに ふれていますが ここで重要な事実を再確認しておこうと思います。

実際に『 オールド・バイオリン 』で達成されたことは独特の響きが生じるように、 響胴をすばやく 且つ、はげしく揺らし続けられる条件設定であったということです。

本物の弦楽器は 木工製の置物である箱状のものと違い 製作技術は

①  ゆれの初動がスムーズに生じる設定。
② 音高が明確で多様であること。

そのポイントとして 冒頭から例示させていただいたコーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異を 私はヴァイオリンの音響システムの第二段階と捉えている関係で、まず響胴の 第一段階の動きについて説明いたしました。

弦の揺れによって生じさせていると 私は考えています。

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - V L

そして 私は 第二段階で コーナー部 A,B,C,D が ねじれ始めると思っています。このとき 裏板コーナーA部が相対的に小さくするなど 剛性を低くしてあると、三角形 BCD が 一定の剛性を持ったまま 線分BDなどを折れ目として曲がると考えられます。

これは あくまで初動のイメージですが、私はヴァイオリンの響胴はF字孔端が弦の直接振動により内部の空気に疎密波を生じさせ( 一次振動 )、それがヴァイオリンの “駆動系”により表板の波源部にうまれたゆるみを共鳴振動させる( 二次振動 )仕掛けとなっていると考えています。

それを 単純モデルとして表現すると 静止状態では 四角形 ABCD の重心が点 G にあるととらえます。それが 響胴のねじりによって 点 A 部が他の剛性に負け、それにより 三角形 ABD が一時的に機能しなくなり 相対的に剛性を保った 三角形 BCD の重心点 H に重心が移動するというイメージとなります。

改訂版 高等学校 物理Ⅰ - 数研出版株式会社 平成23年12月印刷 - B L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - U L

表板につきましては 詳しくは これから先の投稿でふれようと思いますが、私は 裏板側 A コーナー部に剛性をさげる工夫がしてある場合には 表板のコーナー部では 裏板 B コーナー部にあたる 表板 Bass side – Lower corner に同じような工夫がしてある可能性が高いと思います。これを図にすると下のようなイメージとなります。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

 

私は 裏板の初動として ご説明した ねじりが 確実にすばやく起こるように工夫することで『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器は すばやい音の立ち上がり( レスポンス )を確保していると考えています。これには “一定の剛性比”をふくむ 非対称性が重要となるのは言うまでもない事だと思います。

Half Size Violin 1998 - 2000 Varnish crack - B L
  Gasparo da Salò   /   Violoncello

では、ここで一台の 『 オールド・チェロ 』のコーナー部を見てみましょう。

Old cello reference - A L
この楽器は 表板 Bコーナー部( Bass side – Lower corner )に摩耗痕跡と面積差が認められます。

Old cello reference - C L
そうすると‥ 裏板 Aコーナー部はどうでしょうか?

Old cello reference - 2 L
一見したところ左右の面積比はおおきくないように見えます。
ところが 裏板 Aコーナー部をよく見てみると‥ 。

Old cello reference - 3 L
赤色で塗った 点 a.部と 点 b.部に 下の参考写真のような ” 復元加工”が施されていることが認められます。

Old cello - 5 L

私は このチェロも 表板 Bコーナー部と裏板 Aコーナー部にみられるように 響胴全てが 非対称設定で製作されたと 思います。
そう考えて検証すると このチェロのフォルムの歪みが意図されたと理解できるのではないでしょうか。

悲しいことですが、弦楽器を観察するときに踏まえてないといけないのが 19世紀初頭から この 1700年代に製作されたチェロのように 弦楽器工房で 非対称加工などが修復された事例が多数あるという事です。

現在では、弦楽器製作や修復の関係者で コーナー部は8か所とも全て 下の写真のように加工されていたと信じてしまっている人が過半数の状況となっていますので 、弦楽器を観察する場合には その程度が時代性を判断する状況証拠となりうるのではないかと私は思います。

Corner - 1 Lでは 恐縮ですが ここまでの説明を参考に現代のイタリア人製作者が『 オールド・チェロ 』を参考にして昨年製作した新作チェロと その見本で、コーナー部の特徴の差を観察してみてください。

Old cello reference - Contemporary Italian L
私は ヴァイオリンを観察し見分ける場合には “名のある楽器のイメージ”に頼るのではなく 音響システムの到達度や 温存度をヴァイオリンの評価基準とする事が大切と考えています。

 

 

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) 1726年 - B L
Antonio Stradivari ( ca.1644 – 1737 ),   Violin 1726年

Violin Corner block - G MONO L

The middle in the 17th century - F L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - AAntonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),   Violin 1699年 ” Auer ”

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - F L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - C L

Violin back - C L

Antonio Stradivari violin 1715年 Giuseppe Tartini ( 1715-1770 ) - 1 LAntonio Stradivari,   Violin 1715  Cremona,  “The Lipinski”  .
( Giuseppe Tartini  1692 – 1770  )
Antonio Stradivari violin 1722年 de Chaponay - A LAntonio Stradivari,   Violin 1722  Cremona,  “”

Antonio Stradivari violin 1731年 1715年 1722年 - 1 LT
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