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ヴァイオリンと能面の類似性について – 前編

 

私は『 オールド・バイオリン 』が製作された 1500年代前期から1800年頃までの製作状況を検証した結果、それが能面の製作と重要な部分で共通していることに気がつきました。

それは 本物のヴァイオリンやチェロを理解する助けとなり得る事柄であると 私は考えています。

ところで 一般に知られていない能面についてお話しすることはとても難しいと 私は以前から思っていましたが、幸いなことに 2014年の年末に この内容を理解するのに適した展覧会が東京で開催されました。

そこで、まず この展覧会カタログを引用させていただきます。

Noh Masks - 1 L

能面 創作と写し

能面の造形的側面に関する研究は活発とは言えず、彫刻史における位置づけははっきりしていません。能面の製作年代の判定、作者( 面打 )の特定が困難であることが大きな障害になっています。

なぜ困難か。それは、非常に精密な写しが大量に作られたからです。面の形式、表情だけでなく、面裏の様子、さらには傷まで写すことが広く行なわれました。面打特定の手掛かりになるはずの刻銘、焼印なども写したのです。

しかし、創作の時代の面には写しにはない個性が見られることも少なくありません。華やかさ、力強さ、艶めかしさなどが際立って、彫刻作品としても魅力的です。が、その突出した表現力が、演能において用いられる機会を狭めることもあるようです。

写しは、忠実に作っているようでも個性を減少させることが多いので、能楽師にとっては幅広い演目に使いやすいという評価につながります。

美術品の世界では模造は原品より価値の低いものになりますが、能面の場合は それとは異なる独特の文化があると言えるでしょう。

写しの名手として豊臣秀吉から「天下一」の称号を授かった是閑( 出目是閑吉満 / でめぜかんよしみつ  ca.1526 – 1616 )、名工として名高い河内( “天下一河内”の焼印を用いた 河内大掾家重 = 井関家重 / いせきいえしげ  1581 – 1657 )を始め、その評価の高さは創作の時代の面打に劣りません。

この展示でご覧いただきたいのは二点です。まず、創作面の彫刻作品としての魅力です。日本の彫刻史上で、室町時代は衰退期とされています。それは仏像を見ると否定できませんが、能面に目を向ければ彫刻史を書き換える必要を感じます。

次に、写しのあり方です。原品の良さだけでなく、普通なら減点の対象となる傷や剥落、面裏まで写す様子にご注目ください。そこに能の特性を探る鍵がありそうです。

ここで展示するのはもちろんごく一部です。各地に伝来している面の調査、研究によって能楽、あるいは日本文化史の未知の世界が眼前に開けてくる可能性があります。

能と面

能の歴史は まだ明らかになっていない点が多く、その成立までの過程については諸説あります。奈良時代( 710 ~ 794年 )に中国から伝わった、大衆芸能「散楽」が寺社の余興として庶民に広まり、さまざまな変遷を経て能と狂言の要素を持つ「猿楽」となります。

この猿楽に、豊作祈願に端を発するといわれ、庶民の間で親しまれてきた歌舞音曲(田楽)や寺社で行なわれた延年(えんねん)翁舞(おきなまい)などを、南北朝時代( 1336 ~ 1392年 )から室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )のはじめにかけて集大成したものが能狂言であると考えられています。

大成したのは南北朝時代、春日神社と興福寺の猿楽を務めた 大和猿楽四座のひとつ、結崎座(ゆざきざ = 観世座 )の観阿弥( 1333 – 1384 )・世阿弥( ca.1363 – ca.1443 )父子でした。

能は足利将軍家( 室町殿 = 足利義満  1358 – ‘1368-1394’ – 1399 鹿苑寺 – 1408 )、豊臣秀吉( ca.1537 – 1598 )、徳川家康( 1542 – 1616 )ほか諸大名などに愛好されました。

秀吉は金春安照、家康は観世忠親(身愛)を贔屓(ひいき)にしたように、諸大名家ごとに採用する流派が異なり、武士自らも能舞台に立ちました。やがて武家の式楽(公の儀式で行なわれる音楽や舞踏のこと )となります。

禅宗をはじめとした仏教の影響による、主に霊が主役となる幽玄な内容で、人間の哀しみや怒り、恋慕の想いなどを表わす能。そして さまざまな世相をとらえて風刺する笑いの台詞劇である狂言。明治時代に両者を合わせて能楽と呼ぶようになりました。

能楽で使われる面( おもて )がいつ、どのように生まれたかも詳らかではありません。技法では、翁面の切顎は舞台面の技法を継承するなど、ほかの仮面との共通点を持つ一方、目や歯に鍍金した銅板を貼るなど、能面独特の手法もあります。

平安( 794 ~ 1185年 )から鎌倉時代( 1185 ~ 1333年 )の舞楽面(ぶがくめん)、行道面(ぎょうどうめん)については、仏師が製作したことがわかっています。しかしながら仏像を造る仏師と、能狂言面を作る面打(めんうち)の関わりは不明です。

いずれにしろ南北朝時代から室町時代は、あらたな曲がつぎつぎ作られ、面の種類も増えた、言わば 能の「創作の時代」です。この時期に作られた面は造形的な魅力に富み、きわめて尊重されています。

能楽シテ方宗家には 能楽の演目と演出にあわせて工夫された面が備えられました。中には宗家が「本面(ほんめん)」と決めて別格の扱いをしてきたものもあります。

近世( ’1568 ~ 1867年’ )以降は型を伝える「写しの時代」です。諸大名が能面を備えるために面の需要が大幅に増大し、写しを作るようになります。

そして面打(めんうち)を世襲する家系が三つ現われました。越前出目家(えちぜんでめけ)、大野出目家(おおのでめけ)、近江井関家(おうみいせきけ)です。

彼らの仕事は、能楽の宗家である観世、金春、金剛、宝生等をはじめ、各地に秘蔵された名作を写すことでした。

模作は形や彫りだけでなく傷や彩色の剝がれた様子までも写しとることがありました。面の造形だけでなく、その歴史までも貴んでいたのかもしれません。面は 自分ではない何かに扮するための単なる道具という域を超え、能楽師の体の一部となる重要なものとして大切にされています。 [ 川岸 ]

Noh Masks - 能面 P3 L

面を打つ    面打

面(おもて)を作ることを「 面を打つ 」、能面作家のことを「 面打(めんうち)」といいます。面が完成するまでのさまざまな工程のほとんど全ては、ひとりの面打が 担います。

面打に関する文献は非常に少なく、その歴史はいまだ不明な点も多く残されています。世阿弥の『申楽談義(さるがくだんぎ)』には 日光、弥勒、近江の赤鶴(しゃくづる)、愛智(えち)、越前の石王兵衛(いしおうひょうえ)、竜右衛門(たつえもん)、夜叉、文蔵、小牛(こうし)、徳若(とくわか)、千種(ちぐさ)の名が挙げられていますが、彼らの実体はほとんどわかっていません。

近世に、面打 三光坊( さんこうぼう  ‘‥ – ca.1532’ )を祖とする 越前出目家、大野出目家、近江井関家が興り、面打の世襲が始まります。寛政七年(1795)、能役者 喜多古能(きたふるよし)が面打を七種類に分類する『仮面譜』を著しました。 [ 川岸 ]

鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)

鼻瘤悪尉は、鼻梁(びりょう)の途中に瘤(こぶ)があり凄味のある形相の老人の面(おもて)。「悪」は、強く激しいという意味。目と歯に鍍金した銅板を貼る。これは 人間を超えた存在であることを示すもので、荒ぶる神の役に用いる。額(ひたい)の深い皺(しわ)と浮き出た血管、瞳を上に寄せた容貌が特色である。

1 能面 鼻瘤悪尉  室町( ‘1336 ~ 1573年’ )から 安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )・16世紀 木造、彩色  20.9cm × 17.8cm
面裏(めんうら)に金泥(きんでい)で「文蔵作 / 満昆(花押)」と極書(きわめがき = 鑑定書)がある。

文蔵(福原文蔵  15世紀頃活躍 )は世阿弥の『申楽談義(さるがくだんぎ)』に名の挙がる面打で、南北朝時代頃の人らしいが詳細は不明。満昆は江戸時代の面打の家系である 大野出目家五代 洞水満矩(でめみつのり  ‥ – 1729 )のこと。

能面の極書は信憑性が低く、製作を文蔵の時代まで遡らせるのは難しい。しかし 血の通った彫に写しとは歴然とした差がある。

1 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう) - 1 L
2 能面 鼻瘤悪尉  江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.5cm × 17.5cm
面裏に「文蔵作正写杢之助打」と記す。杢之助は 面打の家系 大野出目家の七代、友水康久(ゆうすいやすひさ   ‥ – 1766 )のこと。これを信じれば、満昆が文蔵作と極めを書いた面を孫が写したことになるが、この銘文の真偽は不明。表も裏も形は忠実に写しているが、肉付きにやわらかみがない。彩色は後補(こうほ)。

2 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう) - 1 L
1 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 2 L2 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 2 L
1 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 1 L
2 能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 1 L
【   裏まで写す  –  1  】

「写し」と呼ばれる面を、もとになった面と比べると、表情はもちろん、舞台では見えることのない面裏の 鑿跡(のみあと)や修理跡までもよく似ていることが あります。つまり面裏まで 写しているのです。

能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう)裏面 - 1 L

文蔵作と記す面( 1 )と それを写した面( 2 )では、額裏側の鑿跡もよく似ていますが、特に注目すべきは布を貼っている部分です。

漆を塗って仕上げる面裏に布を貼ることは通常ありません。おそらく面 1 が割れたか、亀裂が入ったため、布を貼って修復したのでしょう。2 の面は同じところが割れたのではなく、1 の面の修復跡までも忠実に写したのだと考えられます。 [  川岸  ]

鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)

鼻先が鷲(わし)の嘴(くちばし)のようにとがった鷲鼻で、強い表情の老人の面。額に四条の皺(しわ)があり、目に鍍金した銅環(環状の銅板)を貼る。鼻瘤悪尉が 銅板で目全体を覆うのに対し、この面は瞳だけに用いる。歯は根元に墨、先に金泥を塗る。

能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)   室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 金春家伝来 木造、彩色  21.2cm × 15.5cm 重要文化財
「行者」という名称で伝わったが、鷲鼻悪尉と同じ顔である。額、頬骨、頬に刻まれた皺の上下あるいは左右の肉の部分のやわらかさが、生気のある表情を作っている。目に鍍金した銅板(後補)を貼るが、瞳の孔が小さいため迫力が減退しているのが惜しい。

3 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) - 1 L
4 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) - 1 L
能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) 「 甫閑打 」朱書  江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・18世紀 木造、彩色  20.6cm × 15.7cm
「 甫閑打 」の朱書により、大野出目家第六代 甫閑満猶(ほかんみつなお)の作と示す。

5 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) - 1 L
5  能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう) 「出目康久」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・18世紀 木造、彩色  21.2cm × 15.7cm
「出目康久」焼印により、大野出目家第七代 友水庸久(ゆうすいやすひさ)の作と示す。

【   豪快な面裏  】

3 ・鷲鼻悪尉(行者)の裏面はきわめて起伏に富んでいます。額を深く刳り(くり)、両目の下と鼻の刳りの上端で山の字状の稜線を作り、鼻と両頬、顎を深く刳っています。

写しの二面は両目と鼻の裏しか刳っていません。これが一般的な面裏です。その差は歴然としており、3 は裏だけで室町時代の作と判断できます。こうした起伏に富む面裏を写す場合もありましたが、これほど豪快にはなりません。実際に着けた時に、山の字状の稜線が邪魔だったかもしれません。
3 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)裏面 - 1 L 4 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)裏面 - 2 L5 能面 鷲鼻悪尉(わしばなあくじょう)裏面 - 1 L

 

【   面打特定の手がかり  –  焼印、知らせ鉋  】

能面の裏側(面裏  めんうら)には、その面を知るための さまざまな情報が残されています。「焼印」、「知らせ鉋(かんな)」、「銘(めい)」、「極め」、「鑿跡(のみあと)」などがそれにあたります。

自らの名前の印を焼付ける焼印、裏面に固有の刀の跡を刻む知らせ鉋は、面打が、その面が自分の作であることを示すための方法として面裏に残したものです。ただし、焼印や知らせ鉋まで写し取った写しも存在し、面打を特定する決定的な判断材料にはなりません。

銘は その面の作者名、写しの場合にはオリジナルの面の作者や名称のほか、伝承や制作の目的、面の名称などが記されています。こちらも後世に書き込まれたものも多く、やはりこれだけで面打を特定することはできないのです。面打の特定は今なお大きな課題となっています。 [  川岸  ]

面打特定の手掛かり - 1 L
小面( こおもて )

若い女性の面。「小」は初々しく美しいことを示す。
金春流では 小面、観世流は 若女(わかおんな)、宝生流は 増女(ぞうおんな)、金剛流は 孫次郎(まごじろう)が それぞれ象徴的な女面である。小面は清楚で気品が高い。

能面 花の小面 - 1 L参考  1
能面 花の小面( はなのこおもて ) 室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 東京 三井記念美術館所蔵    重要文化財

参考  2
能面 雪の小面( ゆきのこおもて ) 室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 京都・金剛家所蔵    重要文化財

伝 竜右衛門作( たつえもん = 石川重政、室町時代の面打。越前大野から京都四条に移ったといわれる。 )の 小面三面を入手した豊臣秀吉( ca.1537 – 1598 )が それぞれ “雪”、”月”、”花” と名付けて愛蔵していたが、後に “雪”は 金春善勝(こんぱるよしかつ = 笈蓮 ぎゅうれん 、六十一世宗家 で  六二世となる次男の 金春安照 やすてる 1549 – 1621 は 秀吉の能指南役をつとめるなど 絶大な庇護をうけた。)に、”月”は 徳川家康( 1543 – 1616 )に、”花”は 金剛家に授けた。

“雪”の小面は流出し、現在 京都の金剛家の所蔵である。”月”は江戸城炎上と運命を共にしたと伝える。”花”は 東京 三井記念美術館蔵。”雪”の写しは多いのに “月”と”花”の写しは見ない。

能面 雪の小面 - 1 L
能面 雪の小面 - 2 L6  能面 小面( こおもて )「天下一河内」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.6cm 金春家伝来 重要文化財
6 能面 小面 - 1 L

7 能面 小面 - 1 L

7  能面 小面( こおもて )「出目満昆」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.6cm 金春家伝来 重要文化財

8  能面 小面( こおもて ) 「竜右衛門作ヲ似  /  宝来写作  /  宝来作  /  満昆(花押)  /  康久(花押)」金泥書  江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.6cm

8 能面 小面 - 1 L

9 能面 小面 - 1 L

9  能面 小面( こおもて )「出目満昆」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.0cm × 13.4cm 和歌山・根来寺所蔵

面裏に「金春本面  正」と記す金泥銘があるが、いつ書かれたものか不明。若く華やいだ美貌は 若い女面の中でも際立っている。クスノキ材製。

金春家には河内と洞水満昆( 大野出目家五代 洞水満矩 でめみつのり  ‥ – 1729 )が作った写し( 6、7 )があるが、あまり似ていない。むしろ河内の写しを写したと見られる面が多い。

8 は面裏を写していないが、頭髪の剝落の形が酷似していること、「竜右衛門作」を 宝来が写したと記すことから、”雪”の小面の写しとみて良い。

能面 雪の小面 裏面 - 1 L

6 能面 小面 裏面 - 1 L

7 能面 小面 裏面 - 1 L

8 能面 小面 裏面 - 1 L

9 能面 小面 裏面 - 1 L

【   裏まで写す  –  2 】

京都の金剛家に伝わる 雪の小面( 参考 1 )と、東京国立博物館と 和歌山 根来寺所蔵の 四つの写しの面裏を比較してみましょう。

まず、「金春本面」と記す 雪の小面には 両頬に焦げたような色が見られ、鼻の右側に肋骨状の鑿跡(のみあと)が確認できます。どちらも偶然できたものではなく、意図をもって作られたものに違いありません。

続いて写しの面裏を見ると、頬の焦げたような色、肋骨状の鑿跡が認められる面と、そうでないものがあることに気付きます。

8 では、頬の特徴の有無は判然とせず、鑿跡については明らかに表されていません。ところが それ以外の写しの面では、多少の違いはありますが、雪の小面の特徴を意図した表現が確認できます。面裏を写すもの、写さないものの差は、どのように生ずるのか興味深い問題です。

雪の小面( 参考 1 )と 6は クスノキ材製で、河内が雪の小面を写す際、材も忠実に用いたことが知られます。

一方、今回取り上げる ほかの写し 7、8、9は ヒノキ材製です。写しの製作における材の選定にも注意する必要があります。  [  川岸  ]

裏まで写す - 2 L
雪の小面を写した、河内の焼印のある小面にはこのほか面白い特徴があります。

鼻の頭に円形の傷です。
この傷は今回展示している「出目満昆」印と根来寺所蔵、二つの雪の小面の写しにも見られます。

(左) 重要文化財 能面 小面(鼻部分) 「出目満昆」焼印 金春家伝来  江戸時代・17~18世紀
(右) 能面 小面(鼻部分)  江戸時代・17~18世紀 和歌山・根来寺蔵    浅見龍介氏  ( 京都国立博物館列品管理室長 )


万媚
( まんび )

万媚は、媚(こび)を含んだ若い女性の面で、越前出目家三代の 古源助秀満( こげんすけひでみつ  ‥ – 1616 )が能役者の下間少進( しもつましょうしん 下間少進法印仲高  1551 – 1616 )とともに安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )に創作したのが始まりと言われる。

目がぱっちりと開いて、上瞼は強い弧を描く。頬の肉付きは丸みがあり、可愛らしさが強調された表情である。

10  能面  万媚( まんび )「長能(花押)」金泥書 「万媚  /  (花押)化生  / □ / □□(花押)」陰刻 安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )から 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・16 ~ 17世紀 木造、彩色  21.2cm × 13.5cm

10 能面 万媚 - 1 L

11 能面 万媚 - 1 L
11  能面  万媚( まんび )(花押)金泥書   江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17世紀  上杉家伝来 木造、彩色  21.2cm × 13.9cm

10 の面は面裏に「 万媚 」と異名の「 化生(けしょう)」、三種の花押が陰刻され、能役者・喜多長能(きたながよし 1586 – 1653 )の名と花押の金泥による署名がある。さらに亀裂部分を補強したような ペースト状のものを充填した跡がある。

11 の面は 喜多長能の花押だけが金泥で記される。10 の丸みのある肉付きが 11 では引き締まっている。

10 能面 万媚 裏面 - 1 L
11 能面 万媚 裏面 - 1 L
曲見( しゃくみ )

曲見は、しゃくれた顔を意味する。生き別れた子を探し歩く 中年の狂女の役などに用いる。頬の肉は削げて、やつれた表情である。中年女性の面にはほかに 深井(ふかい)があり、曲見は金春流、金剛流で用い、観世流は 深井を、宝生流は両方を使う。

12  能面  曲見( しゃくみ )  「本」(針書き)室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 木造、彩色  21.2cm × 14.2cm 金春家伝来 重要文化財

額の左右に打痕、顎の左側にX字を連ねたような擦り傷がある。この面を写した面は多く、この面が傷まで写されるほどきわめて尊ばれたことがわかる。うつろな目に疲れた表情がよく表されている。面裏は 下地を作って厚く光沢のある黒漆を塗る。

12 能面 曲見( しゃくみ ) - 1 L
13  能面  曲見( しゃくみ ) 「天下一是閑 」焼印 安土桃山時代( 1573 ~ 1603年 )から 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・16~17世紀 木造、彩色  21.2cm × 14.2cm 金春家伝来 重要文化財
13 能面 曲見( しゃくみ ) - 1 L
14  能面  曲見( しゃくみ ) 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )17世紀 木造、彩色  21.2cm × 14.2cm 金春家伝来 重要文化財

14 能面 曲見( しゃくみ ) - 1 L
【   傷まで写す  】

面は舞台で使用されるため傷がつくことがあります。製作当初の姿でなく、年月を経た面についた傷まで写すことも珍しくありません。金春座に伝わった曲見の面 12 と、その写しを例に見てみましょう。

12 には、額の左右と顎の左側に傷があります。額の左の傷は丸みのあるもの、右は角ばったものによる圧迫痕です。是閑印のある 13 には顎の傷はなく、左右の額の傷は同じ位置にありますが 左の傷の形状は 異なります。

14 は、12 の傷を忠実に写そうとしているのがわかります。傷は その面の刻んだ歴史ともいえるものです。写しを製作する際に、傷を写すことに どんな意味を見出していたのか。興味深い問題のひとつといえるでしょう。  [  川岸  ]
傷まで写す - 1 L

12 能面 曲見( しゃくみ )裏側 - 1 L

13 能面 曲見( しゃくみ )裏面 - 1 L
14 能面 曲見( しゃくみ )裏面 - 1 L

長霊癋見 ( ちょうれいべしみ )

長霊癋見は、「熊坂」「烏帽子折(えぼしおり)」などに用いる。牛若丸一行を襲って逆に討たれる盗賊 熊坂長範(くまさかちょうはん)が着ける面である。鍍金した銅板を貼った瞳が 上目遣いに表わされる。

観世流、宝生流で用いる面・熊坂や、金剛家伝来の長霊癋見は、この金春家伝来の面に比べてもう少し自然な顔であるが、金春型の写しが 世に流布した。

16  能面  長霊癋見 ( ちょうれいべしみ )「 キヒノ  /  ケンセイ 」(陰刻)室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )・15~16世紀 木造、彩色  20.9cm × 16.4cm 金春家伝来 重要文化財

16 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 1 L16 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 2 L

17  能面  長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  21.2cm × 16.3cm 上杉家伝来
17 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 1 L18 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 1 L
18  能面  長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) 「天下一近江」焼印 江戸時代( 1603 ~ 1868年 )・17~18世紀 木造、彩色  20.9cm × 16.4cm 金春家伝来 重要文化財

長霊癋見は眉間(みけん)の皺(しわ)、眉から目の周辺の彫りに人間にはあり得ない作りこみがあるため、良さは一見しただけではわかりにくい。

この面は「天下一近江」の焼印のある面( 18 )と比べると造形の素晴らしさが理解できる。眉間の W字状の皺のやわらかさ、一文字に閉めた口の下唇下方の隆起、耳と鼻の間の頬のふくらみの自然な表現などである。

近江印の方は よく写しているが硬い。彫りだけでなく、髪、ひげの毛描きも勢いがあり、先端が蕨(わらび)のように丸まり、あるいは渦を作るなど剽軽(ひょうきん)な顔に似合って面白い。面裏に「キヒノケンせイ」と陰刻するが 意味は不明。

16 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 3 L

17 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ ) - 2 L18 能面 長霊癋見 ( ちょうれいべしみ )裏面 - 1 L

【  造形の美  】

能面は舞台で使われてこそ生きる、博物館に展示された能面は眠っている、と言われることがしばしばあります。たしかに舞台で役者が着けている時には、顔の向きによって照明の当たり方が変わるたびに表情が微妙に動く、ということがあります。本来能の道具として作られたものですから、舞台を離れるのは面にとって惜しいことではあるでしょう。

しかし、彫刻的に優れた能面が非常に多い、ということも間違いありません。鬼神系の面のような立体感に富むものだけでなく、起伏の少ない女面などでも息を呑むような造形の美しさが感じられます。能面を彫刻として評価することで日本の彫刻史が書き換えられます。これまで彫刻の衰退期とされていた室町時代にも 豊かな想像を続けていたのですから。

引用カタログ : 東京国立博物館
『 特集 日本の仮面  –  能面  創作と写し 』展
会期 2014年11月5日~2015年1月12日
執筆 浅見龍介氏(京都国立博物館)、川岸瀬里氏(東京国立博物館)ISBN 978-4-907515-07-2 C1071

 

江戸時代の面打について 詳しく書き記した人に、喜多古能(きたふるよし 1742 – 1829 )がいます。古能は 能役者で、喜多流を率いる9代目の大夫(たゆう)でもありました。彼は能面の目利きであり、鑑定にも携わっていたそうです。

彼が著した「仮面譜」( 1797年 )などによれば、面打(めんうち)の家には、越前出目家、大野出目家、井関家があり、さらに越前出目家から児玉家、弟子出目家という2つの家系が分かれたことになっています。これだけでも そこそこの人数がいたという事から考えると、能面にはどうやら私たちが知る以上に多くの面打が 写しを作り続けた深い歴史があるようです。

私は  この『 特集 日本の仮面  –  能面  創作と写し 』展のような機会に面(おもて)を観察することで、 それらの多くの面打が 創作の時代の面を尊びながら 写しの製作に取り組んだ様子を 感じることができ、彼らと同じくもの作りの一人としてほんとうに励まされました。

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また、能面の非対称性については‥ 本来、人の顔は左右非対称で 正面に向かって左側が人間の顔(迷い)、右側が神仏の顔(悟り)という考え方が能面に取り入れられた。という解釈があるくらい大胆に意図されると共に、舞台で人の想念の移ろいを表現したりするために 細やかに調和させる努力がされていることを本当にすばらしいと私は考えています。

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ところで‥ 個人的なイメージで恐縮ですが 創作の時代の能面を見るたびに ルネサンス期の画家 ボッティチェッリの テンペラ画 『 ヴィーナスの誕生 』を思い出します。

このテンペラ画が描かれたときに 私たちの国は 室町時代( ‘1336 ~ 1573年’ )でした。遠くはなれてはいますが イタリアのサンドロ・ボッティチェッリ ( 1445-1510 )と 面打 三光坊( さんこうぼう  ‘‥ – ca.1532’ )は 概ね同時期の人なのです。

そして、私は二人が非対称性を重要と考えたと信じています。

 

europe-zaru-august-2009-11-300x217  europe-zaru-august-2009-21-300x220

少し話がそれますが‥ この貝殻は スペイン・マラガに滞在した 9歳の男の子からお土産でもらいました。3週間ほど滞在した海岸を離れるさいに足もとの砂浜でひろったものだそうです。

気がついている方が少ないようですが 二枚貝の片側は 巻貝のように渦巻きの形をしています。 ヨーロッパ・ザルガイのような二枚貝だと 美しく渦巻くようすを見ることができます。

ボッティチェッリの このテンペラ画では ヴィーナスの顔が非対称であるのみでなく、彼女がたたずんでいる貝は種類は違いますが ヨーロッパ・ザルガイのように渦巻いているのです。

私は『 オールド・バイオリン 』を製作した 弦楽器製作者の感性は こういうものに育まれたと信じていますが、これは能面を製作した面打と相通じるものがあるのではないでしょうか。

私が この投稿の冒頭で 能面の製作と弦楽器製作が重要な部分で共通していると申し上げたのは「クオリティーの高い作品を製作できる人が 一定数 育ち、結果としてそれが伝承され、また時代の要請によりあらたな “創作” も おこなわれる。」という歴史を 能面の “写し” や 弦楽器製作の黄金期にみることができるからです。

これは “志のある人”が 修業過程で「 写し= ていねいな模倣 」をおこなうことで知識と気づきを得ます。そしてそれをくり返す事で、製作者としての成長があり、当然ながら それが作品に反映されたと考えられるということです。

そして‥ どちらの国でも 社会状況が急激に変化するなか 人々は翻弄され “写し”と ”まね”の違いが分からない人が増えたことによりこれらの黄金期は終わったようです。

ヴァイオリンと能面の類似性について    –   後編

振動モード参考モデル

弦楽器にとって振動モードと剛体としての運動条件が響きをきめる重要な要素になっています。

皆さんがご存じなように一次振動モードはわかりやすいですね。
ちなみに今日ではギターやベースなどの弦楽器の演奏をiPhoneで撮影すると、カメラに搭載された CMOSイメージセンサの誤差によって起こる “ローリングシャッター現象” によってまるで自分の目がオシロスコープになったかのような映像で見ることができます。

ローリングシャッター現象とは CMOSセンサーが目の前の風景を一度に全て記録せずにイメージの上部から順番に記録を行なうために、高速に動く被写体を撮影すると取り込む時差によよって歪みが生じておこる現象です。

一次元モードのアニメーション
粒子速度

以下の4つのアニメーションは、それぞれ一次元音場の点 (0)において音が発生し、x方向へ伝搬し、右端の剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生する様子を示している。またこれは2次元音場における「軸波 (axial mode)」の一つの断面とみなすこともできる。

1.波の数が一つの時
sinmode1

2.波の数が二つの時
sinmode2

3.波の数が三つの時
sinmode3

4.波の数が四つの時
sinmode4

ニ次元モードのアニメーション
二次元音場の固有振動モードの生起

以下のアニメーションは剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生する様子を示す。またこれは3次元音場における「接線波 (Tangential Mode)」の一つの断面とみなすこともできる。

音圧
1.固有振動モード(1、1、0)

このアニメーションは、xy 平面における音圧 p の時々刻々の変化の様子をあらわしている。
剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。

2wave1

<注意>厳密には、二次元音場において点音源から生じた音は「円筒波」として伝搬すると考えられる(あるいは、二次元の波動方程式の解は円筒波を表わすハンケル関数を用いて得られる)。しかしここでは簡単のため、現象を平面波で近似して示している。このため波面は矩型となっている。なお数学的に球面波は平面波を重ね合せて得られることが知られている。

2.固有振動モード(1、2、0)

二次元モード
このアニメーションは、xy 平面における音圧 p の時々刻々の変化の様子をあらわしている。
剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。
2wave2

<注意>厳密には、二次元音場において点音源から生じた音は「円筒波」として伝搬すると考えられる(あるいは、二次元の波動方程式の解は円筒波を表わすハンケル関数を用いて得られる)。しかしここでは簡単のため、現象を平面波で近似して示している。このため波面は矩型となっている。なお数学的に球面波は平面波を重ね合せて得られることが知られている。

粒子速度
上の(1,1,0)の場合の、x, y 二つの方向に関する粒子速度成分を左右の図で示す。反射波が干渉した結果、剛壁における法線方向速度成分が0になる様子が示されている。

固有振動モード(1、1、0)
このアニメーションは、xy 平面における粒子速度 u の時々刻々の変化の様子を x , y 二つの方向に分けて表わしている。
剛壁に囲まれた二次元音場の点(0,0)において音が発生し、(x,y)両正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。
2wave3

<注意>厳密には、二次元音場において点音源から生じた音は「円筒波」として伝搬すると考えられる(あるいは、二次元の波動方程式の解は円筒波を表わすハンケル関数を用いて得られる)。しかしここでは簡単のため、現象を平面波で近似して示している。このため波面は矩型となっている。なお数学的に球面波は平面波を重ね合せて得られることが知られている。

三次元モードのアニメーション

音圧の固有振動モード (1,1,1)
このアニメーションは、xyz 空間における音圧 p の時々刻々の変化の様子を表わしている。
剛壁に囲まれた三次元音場の点(0,0,0)において音が発生し、(x,y,z)それぞれの正方向へ伝搬し、剛壁で反射、後退波が発生、その後両者の干渉によって定在波が発生している。

( 三次元空間を表現するのは困難なため、三次元空間の断面を並べて表現している。)
sptittle

3wave2

ポテンシャルモード
ここでは速度ポテンシャルの変動を黒点の大きさの変化で示している。つまり、音圧の変動はその動きの逆(ポテンシャルが大きい場所では音圧は小)で示されている。室の中央部で音圧が低く周壁部で音圧が高いことが分かる(アニメーションでは、中央での黒丸の動きが大きく、ポテンシャルの変動が激しいことが表されている)。

このアニメーションは、立方体室の点(0,0,0) から音が発生し、時々刻々のポテンシャルの変化の様子を表わしている。

1331mo111
(1,1,1)モードです(776 k)(.mov)

■『 オールド・ヴァイオリン 』型の弦楽器と科学史

さて ”オールド・ヴァイオリン”型の弦楽器は 16世紀前半に和声学の基礎となった機能和声が着目された頃に弦楽器工房で誕生し、パイプ・オルガンもそうであったように この時代の音楽的希求に応えて成長し続けました。

私は これらの状況を検討した結果 ” 弦楽器製作にとってルネサンス末期から 物理学などが急速に発展したことが とても重要な意味をもっていた。” という結論に達しました。

Andrea Amati ( c.1505-1577 ), Violin maker.
1539年   Established a workshop in Cremona.

Antonio Amati ( 1540-1640 ), Violin maker.

Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ), Violin maker.

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年  She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年  He was crowned the king of France.

16世紀の物理学で重要な役割をはたした人物の筆頭はイタリアの物理学者 ガリレオ・ガリレイ ( 1564-1642 )でしょう。

彼はギリシャの アルキメデス ( BC.287-BC.212 )の諸研究‥  たとえば研究書『 平面のつりあいについて 』で示された ”てこの原理 ”( 反比例の法則 )など 7個の原理 ( 公準 )と15個の命題  ( 代表的なものは「三角形の重心は 3中心線の交点である」というよく知られた命題  )、”浮体論”、”円周の求め方” などを オステリオ・リッチから学びました。

そして 1586年に フィレンツェの アカデミア・デル・ディシェーニョ( 学士院 )に 論文『 小天秤 』を、1587年には『 固体の重心について 』を提出し、1589年に ピサ大学の数学教授の仕事を得たと言われています。

この時期にドイツには 天文学者で数学者の ケプラー ( Johannes Kepler, 1571-1630 ) がいて 1609年と1619年には”ケプラーの法則”を発表しています。

また、フランスには メルセンヌ ( 1588-1648 ) がいました。 彼は神学者であるとともに 数学、物理学に加え哲学、そして音響学の理論研究をおこなっていました。1636年には 論文『 Harmonie universelle 』において 平均律を 2の12乗根の計算を用いて数学的に証明しました。また 弦楽器の音の高さについて 振動数と弦長、密度、張力によることを数学的に定式化しました。

そして フランスではもう一人‥  哲学者、数学者として高名な デカルト ( 1596-1650 ) が 活躍していました。”コギト・エルゴ・スム” の人ですね。デカルトは 慣性の法則や 運動量保存の法則を研究し、1637年には 平面上の直交座標系である”デカルト座標”を『方法序説』において発表し確立しました。

Nicolò Amati ( 1596-1684 ), Violin maker.

Andrea Guarneri ( 1626-1698 ), Violin maker.
1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

そしてこの時期に ルター派の国 オランダでは 数学者で物理学者であり、天文学者でもあった クリスティアーン・ホイヘンス ( 1629-1695 ) が活躍していました。 彼は 1655年に数学と法律専攻で ライデン大学を卒業し、そのあとで物理学の研究を進め『同期現象』( 引き込み現象 ) を発見するなど 輝かしい成果をあげていきます。

1666年に フランス国王の ルイ十四世( 1638-1715 ) が パリに『フランス科学アカデミー』を創立した際に、最初のアカデミー会員 ( 21名のフランス人と1人のオランダ人 ) としてパリに招かれ 1675年には『 機械式時計 』の製作や『 空気望遠鏡 』の開発をおこないました。そして1678年に彼は 波動の波面形状を包絡面で説明する『ホイヘンスの原理』を発見し、これは 1690年に出版され広まっていきました。( この理論は最終的に 1836年に完成しました。)

さて 17世紀中期のヨーロッパ世界では イギリスの科学研究が最も活発でした。そして それが発展し 1660年には『権威に頼らず証拠 ( 実験、観測 )を持って事実を確定していく。』という近代自然科学の客観性を担保する目的で ロンドン王立協会 ( Royal Society )が 事実上の科学アカデミーとして設立されました。

この ロンドン王立協会の ロバート・フック( 1635-1703 )は弦楽器にとっても重要な科学者でした。1660年に 彼は弾性についての 『フックの法則』を発見したことで知られていますが、私には ガラス板の固有振動による振動節パターンを観察した事実を興味深いと思っています。

1680年7月8日に彼はガラス板に小麦粉をまぶし、その縁に沿って弓をすべらせて振動させ、振動パターンを観察したとされています。

フックは 1666年には王立協会で “On gravity”(重力について)と題した講演で『慣性の法則』と引力は距離が近いほど強くなるという法則を発表し、また 1670年の講演では、重力はあらゆる天体に作用すると説明し、重力が距離が離れるに従って小さくなること、重力がなければ物体は直進し続けることを説明したそうです。

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 ),  Violin maker.
1680年  He founded the  workshop in Casa Stradivari.

Girolamo Amati Ⅱ  ( 1649-1740 ),  Violin maker.

Arp Schnitger ( 1648-1719 ),  Pipe organ builder.

そしていよいよ‥ 近世を中世と断ち切る役割をはたした アイザック・ニュートン (  Isaac Newton, 1642-1727 ) がイギリスに誕生します。

この頃には‥   1543年にコペルニクス ( Nicolaus Copernicus, 1473-1543 ) が発表した地動説は、1619年にケプラー ( 1571-1630 )が 惑星は楕円軌道を描いているというケプラーの法則を発表したことにより更に支持を得て、1627年には 地動説に基づいた ルドルフ表が完成したことで証明のための最終段階に入っていました。

こうした活動により支えられてきた地動説は 1687年7月5日にニュートンが出版した 『自然哲学の数学的諸原理』( プリンピキア ) において発表された万有引力の法則でついに完成しました。

この プリンピキア の冒頭部分は質量、運動量、慣性、力などの定義にあてられていて、重さという概念のほかに質量という概念を導入したことが画期的とされ、万有引力の法則のほかに、運動方程式と ニュートン力学を普及させることに役立ちました。

これは『 ニュートンの揺りかご ( Newton’s cradle ) 』といわれる実演装置です。

ニュートン( 1642 – 1727 )が『 プリンキピア 』で公表した ニュートン力学のうち 運動量保存の法則と力学的エネルギー保存の法則 そして作用と反作用などが視認できることで知られています。

ニュートン力学は 物体を「 重心に全質量が集中し 大きさをもたない質点 」とみなし、その質点の運動に関する性質を法則化しつぎの運動の3法則を提唱しています。また、これらの法則は、質点とは見なせない物体(剛体、弾性体、流体などの連続体 )に対しても基礎となり得る考え方とされているようです。

第1法則 ( 慣性の法則 )質点は、力が作用しない限り、静止または等速直線運動する。

第2法則 ( ニュートンの運動方程式  )質点の加速度  {{\vec {a}}} は、そのとき質点に作用する力 {{\vec {F}}} に比例し、質点の質量 {m} に反比例する。

第3法則( 作用・反作用の法則  )二つの質点 1, 2 の間に相互に力が働くとき、質点 2 から質点 1 に作用する力  {{\vec {F}}_{{21}}} と、質点 1 から質点 2 に作用する力  {\vec {F}}_{{12}} は、大きさが等しく 逆向きである。

私は 1687年にニュートンが発表した このような『 古典力学 』の考え方は弦楽器製作にも十分影響をあたえたと信じています。

『オールド・ヴァイオリン』などの弦楽器はどうかすると ”神話”のように語られますが‥ 1644年頃生まれたとされるストラディバリ( c.1644-1737 )と、1642年生まれの ニュートン( 1642 – 1727 )が ほぼ同じ年齢であるというのが 私には興味深く感じられます。

Giovanni Grancino ( 1637 – 1709 ),  Violin maker.

Alessandro Gagliano ( 1640–1730 ),  Violin maker.
Nicolò Gagliano ( active. c.1730-1787 ) Napoli, Violin maker.

Matteo Goffriller ( 1659–1742 ),  Violin maker.

Francesco Ruggieri ( 1655-1698 ), Violin maker.
Carlo Giuseppe Testore ( c.1665-1716 ), Violin maker.

Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ), Violin maker.
Filius Andrea Guarneri ( 1666-1744 ), Violin maker.

Francesco Stradivari ( 1671-1743 ),  Violin maker.
Omobono Stradivari ( 1679-1742 ),  Violin maker.
Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ),  Violin maker.

Carlo Tononi ( 1675-1730 ),  Violin maker.
Domenico Montagnana ( 1686-1750 ),  Violin maker.

Andrea Guarneri ( 1691-1706 ), Violin maker.
PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 ), Violin maker.
1718年  moved to Venezia

“Guarneri del Gesù”
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ), Violin maker.
1722年頃  He is independent.

Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ),   Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ), Violin maker.

Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ), Violin maker.
Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ), Violin maker.

■ ピアノの弦数について

それから 私はピアノの鍵盤と弦 ( ミュージックワイヤー )が 基本としては一対一対応ではないことを意識することも、楽器の『音の数』のイメージに つながると考えています

Steinway D 9 Grand Grand LSteinway  /   Concert grand piano “D 9’ Grand Grand”

たとえばこのスタインウェイ・コンサートグランドピアノのD型の場合 下の表にあるように 88鍵盤のうち左端から 8鍵だけは音響上の理由で 1鍵に弦が 1 本対応していますが、9鍵から 13鍵は弦が 2本で 残り75鍵は 1鍵に弦が 3本張られています。つまり、このピアノは 88鍵を操作することで 243本の弦が響きのエネルギーを供給する仕掛けになっています。

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ただしピアノの場合も ベーゼンドルファ・インペリアルのように 97鍵盤のものや、ブリュートナーのように高音部に 4本の弦が張られているものなど 想像以上に多くのモデルがあります。

また 一般的なピアノは弦が折り返して張られていますので張る前は ”2本”分が 1本とも数えられますし、「総一本張り張弦方式ピアノ」は折り返し無しで張られているなど多種多様です。

それから張力の観点からみると 弦長とピッチの設定が影響しますので 敢えて大ざっぱな表現をすれば、一般的なピアノは 88鍵盤に対して200本以上の弦が張られ、弦1本あたりの張力は90kgほどのため 全体の張力は おおよそ 20t 程という表現になるそうです。

参照:株式会社 ピアノ工房SUGIURA

そういうことでピアノの 弦数( ミュージックワイヤー数 )の例として演奏会でよく使用されるスタインウェイ・コンサートフルグランドピアノのD型でみると 合計243本の弦は 1鍵盤あたり平均2.76本であり、88鍵盤のうち85.2%である75鍵盤は 演奏者が1つの鍵盤をたたくと 1つのフェルトハンマーが 3本の弦を同時にたたいてピアノの響きを生みだすように工夫されていることが分かります。

皆さんはこの弦数をどうお考えになるでしょうか?
私は はじめてこれを知った時には『 思ったより 多い。』と感じました。

ヴァイオリンの誕生につながった重要な技術 について

Mandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - L L

Mandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - J LMandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - F L

Mandora 1420年頃 L 360.0 W 96.0 D 80.0( 83.0 ) Wt 255 g - K L

 

 

 

 

私は ヴァイオリンなどの コーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの剛性差を 音響システムと考えています。

私の考えでは ヴァイオリンの響胴はF字孔端が弦の直接振動により内部の空気に疎密波を生じさせ( 一次振動 )、それがヴァイオリンの “駆動系”により表板の波源部にうまれた「 ゆるみ 」を共鳴振動させる( 二次振動 )仕掛けとなっていると考えています。

コーナー部の剛性差について単純モデルとして考えると 静止状態では 四角形 ABCD の重心が点 G にあるととらえます。それが 響胴のねじりによって 点 A 部が他の剛性に負け、それにより 三角形 ABD が一時的に機能しなくなり 相対的に剛性を保った 三角形 BCD の重心点 H に重心が移動するというイメージとなります。

因みに、コーナー部の剛性差については表板の設定と裏板のそれが違っていることも留意すべきだと考えます。

私は 裏板側 A コーナー部に剛性をさげる工夫がしてある場合には 表板のコーナー部では 裏板 B コーナー部にあたる 表板 Bass side – Lower corner に同じような工夫がしてある可能性が高いと思います。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 手前の角がリレーションします。

私は 裏板の初動として ご説明した ねじりが 確実にすばやく起こるように工夫することで『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器は すばやい音の立ち上がり( レスポンス )を確保していると考えています。これには “一定の剛性比”をふくむ 非対称性が重要な条件であると言えるのではないでしょうか。

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“バイオリンの秘密 ” を生んだ 複雑な音響メカニズム

これは 中央下部に黎明期のヴァイオリンが描かれている カラヴァッジオ作の油彩画『 リュートを弾く若者 』です。現代では ヴァイオリンという楽器の初期の状態は こういった絵画などによる検証が重要となりました。

カラヴァッジオ リュート奏者 ( 1595年頃 ) - 1 L
Michelangelo Merisi da Caravaggio  1571-1610
” Suonatore di liuto”  1590年頃    エルミタージュ美術館

 

私は この絵画に描かれた ヴァイオリンのネックと指板の設定、ネック角度と駒の低さなどは、当然ですが響胴の規格に調和するように選ばれたと推測出来ますので 音響システムとして量的にとらえることを助けてくれると私は思っています。

さてバロック・ヴァイオリンではプレーンガット弦を用い、多くの場合A線を415Hz(バロック・ピッチ)あるいは392Hz(ベルサイユ・ピッチ)に調弦する。

さて‥ 私は ここまで ヴァイオリンを見分けるために、コーナー部分の左右の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異に注意しながら観察することをお勧めしました。

ここはストラディヴァリが使用したと考えられている F字孔位置を設定するテンプレートでも重要な基準線として書き込まれています。

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) F - HOLE placement template G violin ( MS No 117 ) - 1 Lまた、このテンプレートにより 『 オールド・バイオリン 』における響胴の基本設定が ヴァイオリンの表板や裏板の輪郭ではなく側板のアウトラインによってコントロールされていたことを知ることが出来ます。

VIENNA micro-CT LAB - C L

私は 弦楽器を観察するときには、まず側板から表板や 裏板がオーバーハングした幅をおおよそ把握します。

それから表板や 裏板が正対するように ひっくり返して パフリング位置との関係をめやすに 真正面から裏板や 表板をながめ、非対称性を”一定の剛性比”として観察するようにしています。

 Antonio Stradivari 1720年 Ex Bavarian - J L
Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - M L
また私は この時、表板と裏板の大きさ( 幅 )の差も大切な観察ポイントとしています。

Matteo Goffriller Venice 1710 (1659-1742 ) X-ray - A L
実際に厳密に計測してみれば分かることですが 『 オールド・バイオリン 』の左右の長さや 幅の差は およそ 1.0 ~ 2.0mmほどの場合が多く、板厚に関しては 0.1mm以下の違いまでが 音響システムとして利用されていると考えられます。

VIENNA micro-CT LAB - D L

ですから 表板や裏板の輪郭線をたよりに見分けようとされる方達の試みは、 このわずかな差を視きることが出来ないことで 確信を持って判断できないという状況に陥ってしまうのではないでしょうか。

また、2次元の画像でそうであった方が‥ 実際に現物を手にもって観察した場合には その上に 左右2つの眼球の視覚差異がかさなり、なおさら混乱が起こっていると 私は推測しています。

ところが‥ 私の場合もそうでしたが 音響上のしかけとして観察すると面白いほど弦楽器の見分けができるようになるようです。ここまで指摘させていただいた4つのコーナー部は関係性をもっている 言わば 4桁ないしは 8桁のパスワードの様なものと私は思っています。

ここまでその具体例としてコーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異に気をつけて観察するのをおすすめしたのは この 4つのコーナー部の剛性バランスの選ばれ方で その弦楽器の製作者の 音響的技術力と その時代性が判断できるからです。

私が資料として手元においている都立高校の 物理 Ⅰにこういう趣旨のことが書かれています。

【  複雑に見える運動でも‥ 】
物体の”重心”は、その物体全体に広がっている質量の代表点です。物体の運動を考えとき 一見複雑に見える運動でも その重心の動きとしてとらえ観察すると、すべてに共通する一定の規則性が浮かび上がってくることがあります。これこそが力学の基礎的な概念を形づくる根源となるのです。

私は 『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器を研究した結果、古典的技術に基づいたヴァイオリンは 4つのコーナーブロック部の内で  ひとつのコーナー部の剛性が意図的にさげられた設定とされている事に気がつきました。

私は これをヴァイオリンが鳴り続けられる‥ つまりゆれ続けられる工夫で、『 オールド・バイオリン 』の特質の一つだと考えるようになりました。

また、私は これらのヴァイオリンは演奏時には 弦の振動によって ねじりが加わることで 1:3 として分割され ヴァイオリン弦の振動によって “一対”でスムーズに ゆれ始められるように 非対称の形状が選ばれたと理解しています。

Andrea Amati ( c1505–1577 ) Violin ( 1555 ) - F L

ヴァイオリンの響胴のゆれは 表板側が駒部からで 裏板側は 鳴らす弦にもよりますが上下ブロックに近い Dライン辺りが折れ曲がり両側C字コーナー部が表板側にある F字孔にむけて倒れこむように揺れることからスタートする場合が多いと私は考えています。

因みに、この時にみられる響胴の動きは ティシュ・ペーパーの箱でA部とB部分を指で変形させることで再現できます。

下の写真のように 指でA部とB部に圧力をくわえると 同時にC部とD部が近づく動きをするので、それを横から見ると平行だったC部とD部が 『 ハの字形』に動いているのが確認できます。

実際のヴァイオリンでは 弦のゆれが C部とD部に力を加えるかたちとなり、その作用でA部とB部がゆれている訳です。

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ヴァイオリンを含めた多くの弦楽器は 下図のように指で押されて膨らんだ ティッシュペーパーの箱の表板中央ゾーンに駒をたてて 表板が膨らむ動きを E部とF部にふりわけて響胴が共鳴しやすいように変形していると私は考えています。

このときにA部とB部のそばの適当な位置にカッターなどで 6 ~ 7cm のまっすぐな切れ込みを二筋入れて指で圧力を加えてみてください。 指の圧力に対して『 閉断面 』と『 開断面 』では劇的な 違いがあることが理解していただけると思います。

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この駆動システムは実際のヴァイオリンの破損痕跡でも確認できます。

たとえば このヴァイオリンは製作されてから わずか12年後に バスバーの両側が完全に剥がれ、なお且つ指板下の表板ジョイント部が 140mm程( 表板全長 354mm )の長さにわたって剥がれていました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 2 L

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 3 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 4 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 5 L (2)
そして表板ジョイントの剥がれを撮影しようと私が表板をさわっていたら『 パキッ 』という音とともにバスバーが外れてしまいました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 6 L
そしてこの景色となった訳ですが、このようにバスバーがはずれたのは私の33年間の経験のなかで3例目の事例となりました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - 7 L
これが脱落したバスバーをE線側から見たものでバスバー長さが 275.0mm 上下スペースがネックブロック側 39.0mmのエンドブロック側 40.0mmで厚さが写真向かって左のネック側端が 5.5mmで 駒部 6.4mmのエンドブロック側端が 5.8mmとなっています。

そしてバスバーの高さは駒部が 11.6mmで両端が 4.5mmとしてありました。
また F字孔間距離の最狭部は 39.8mmにしてあり、これに対しバスバーは 0.1mm内側に取り付けてありました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 MONO - A L
このピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズのヴァイオリンは魂柱( Soundpost )が立っていた部分が表板、裏板ともすでに窪みができていました。

ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - B L

Violin Sound post MONO - 1 L
ピグマリウス REBIRTH(リバース) 2001年製 2013年8月23日撮影 - C L
ヴァイオリンはバランスが合っていない状態で使用すると、疲労が進行し魂柱が立つ位置の表板と裏板の空間( 高さ )が少しずつ狭く( 低く )なっていきます。

しかし魂柱は圧力が強くなってもほとんど縮まないので、結果として表板や裏板にめり込むかたちになります。この破損につながる疲労の原因が  “つり合いの破れ” という現象です。

破損 - 2 L

この疲労破損がまねいた 最悪な事例です。

私が取り扱った事例ではないので推測ですが、疲労破損がすすみ表板や裏板に変形がおこり 上下ブロックの接着部などもゆるんだ状態だったところで、最後に楽器を落としてしまったのだと思います。

単純な原因でヴァイオリンが真っ二つに割れることはおこりませんので、これは言わば『 競合破損 』と言ったほうがいいかもしれません。

破損 - 1 L
ヴァイオリンを “強制振動楽器”と表現する方がいらっしゃるくらいで 弦をゆらすと思った以上に響胴は動きます。残念ながら、『 新品のヴァイオリンを買って間もないのに‥ 』という破損事例を 私もいくつか経験しました。

SUZUKI-1
たとえば バスバー剥がれの次の事例となりますが、この写真は 1992年5月に私の工房で撮影したものです。この1/2 サイズのヴァイオリン( SUZUKI VIOLIN No.280 )は 私が 1ヵ月前に新品で販売したものでした。

SUZUKI-2-231x300
このヴァイオリンは 新品で使い始めてわずかな期間しか経っていないのにバスバー剥がれによって鳴らすと すごいノイズ ( お子さんのお母さんもビックリするような 『 ダダダーッ!』という音がしました。)がしました。

当然ですが 私も持ち込まれた直後に修理が必要なことが分かりましたので、購入者のショックが深くならないように翌日に仕上げて納品するためにすぐに修理に入りました。このバスバーも 表板の動きにまったく合わない設定となっていました。

そして、このように バスバーが表板からはがれるプロセスが分かるのが下にあげさせていただいた写真です。

この Eugenio Degani (1842 – 1915) が 1910年に製作したとされるヴァイオリンの バスバー剥がれをごらんください。

Eugenio Degani (1842-1915) - 1 L上の2台のバスバーはがれと違って バスバーの先端部はまだ剥がれておらず 表板の幅広部にあたる位置だけが剥がれているのが分かります。

Eugenio Degani (1842-1915) - 2 LBOX-3-300x211

さて‥ 私はこの投稿を ヴァイオリンの見分け方のお話しをするために記述しています。その話のながれで響胴のゆれかたに ふれていますが ここで重要な事実を再確認しておこうと思います。

実際に『 オールド・バイオリン 』で達成されたことは独特の響きが生じるように、 響胴をすばやく 且つ、はげしく揺らし続けられる条件設定であったということです。

本物の弦楽器は 木工製の置物である箱状のものと違い 製作技術は

①  ゆれの初動がスムーズに生じる設定。
② 音高が明確で多様であること。

そのポイントとして 冒頭から例示させていただいたコーナー部の非対象性‥  特に A コーナーと B コーナーの面積差異を 私はヴァイオリンの音響システムの第二段階と捉えている関係で、まず響胴の 第一段階の動きについて説明いたしました。

弦の揺れによって生じさせていると 私は考えています。

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - V L

そして 私は 第二段階で コーナー部 A,B,C,D が ねじれ始めると思っています。このとき 裏板コーナーA部が相対的に小さくするなど 剛性を低くしてあると、三角形 BCD が 一定の剛性を持ったまま 線分BDなどを折れ目として曲がると考えられます。

これは あくまで初動のイメージですが、私はヴァイオリンの響胴はF字孔端が弦の直接振動により内部の空気に疎密波を生じさせ( 一次振動 )、それがヴァイオリンの “駆動系”により表板の波源部にうまれたゆるみを共鳴振動させる( 二次振動 )仕掛けとなっていると考えています。

それを 単純モデルとして表現すると 静止状態では 四角形 ABCD の重心が点 G にあるととらえます。それが 響胴のねじりによって 点 A 部が他の剛性に負け、それにより 三角形 ABD が一時的に機能しなくなり 相対的に剛性を保った 三角形 BCD の重心点 H に重心が移動するというイメージとなります。

改訂版 高等学校 物理Ⅰ - 数研出版株式会社 平成23年12月印刷 - B L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - U L

表板につきましては 詳しくは これから先の投稿でふれようと思いますが、私は 裏板側 A コーナー部に剛性をさげる工夫がしてある場合には 表板のコーナー部では 裏板 B コーナー部にあたる 表板 Bass side – Lower corner に同じような工夫がしてある可能性が高いと思います。これを図にすると下のようなイメージとなります。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

 

私は 裏板の初動として ご説明した ねじりが 確実にすばやく起こるように工夫することで『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器は すばやい音の立ち上がり( レスポンス )を確保していると考えています。これには “一定の剛性比”をふくむ 非対称性が重要となるのは言うまでもない事だと思います。

Half Size Violin 1998 - 2000 Varnish crack - B L
  Gasparo da Salò   /   Violoncello

では、ここで一台の 『 オールド・チェロ 』のコーナー部を見てみましょう。

Old cello reference - A L
この楽器は 表板 Bコーナー部( Bass side – Lower corner )に摩耗痕跡と面積差が認められます。

Old cello reference - C L
そうすると‥ 裏板 Aコーナー部はどうでしょうか?

Old cello reference - 2 L
一見したところ左右の面積比はおおきくないように見えます。
ところが 裏板 Aコーナー部をよく見てみると‥ 。

Old cello reference - 3 L
赤色で塗った 点 a.部と 点 b.部に 下の参考写真のような ” 復元加工”が施されていることが認められます。

Old cello - 5 L

私は このチェロも 表板 Bコーナー部と裏板 Aコーナー部にみられるように 響胴全てが 非対称設定で製作されたと 思います。
そう考えて検証すると このチェロのフォルムの歪みが意図されたと理解できるのではないでしょうか。

悲しいことですが、弦楽器を観察するときに踏まえてないといけないのが 19世紀初頭から この 1700年代に製作されたチェロのように 弦楽器工房で 非対称加工などが修復された事例が多数あるという事です。

現在では、弦楽器製作や修復の関係者で コーナー部は8か所とも全て 下の写真のように加工されていたと信じてしまっている人が過半数の状況となっていますので 、弦楽器を観察する場合には その程度が時代性を判断する状況証拠となりうるのではないかと私は思います。

Corner - 1 Lでは 恐縮ですが ここまでの説明を参考に現代のイタリア人製作者が『 オールド・チェロ 』を参考にして昨年製作した新作チェロと その見本で、コーナー部の特徴の差を観察してみてください。

Old cello reference - Contemporary Italian L
私は ヴァイオリンを観察し見分ける場合には “名のある楽器のイメージ”に頼るのではなく 音響システムの到達度や 温存度をヴァイオリンの評価基準とする事が大切と考えています。

 

 

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) 1726年 - B L
Antonio Stradivari ( ca.1644 – 1737 ),   Violin 1726年

Violin Corner block - G MONO L

The middle in the 17th century - F L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - AAntonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),   Violin 1699年 ” Auer ”

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - F L

Antonio Stradivari ( c1644-1737 ) violin 1699年 Auer - C L

Violin back - C L

Antonio Stradivari violin 1715年 Giuseppe Tartini ( 1715-1770 ) - 1 LAntonio Stradivari,   Violin 1715  Cremona,  “The Lipinski”  .
( Giuseppe Tartini  1692 – 1770  )
Antonio Stradivari violin 1722年 de Chaponay - A LAntonio Stradivari,   Violin 1722  Cremona,  “”

Antonio Stradivari violin 1731年 1715年 1722年 - 1 LT
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弦楽器において非対象が 常識だった時代 について

ここでヴァイオリンなどの弦楽器における時代性について お話ししたいと思います。

私の別の投稿 [ ヴァイオリンと能面の類似性について ]でふれていますが、『 オールド・バイオリン 』を見分けるには おなじ時期に日本で製作された 能面を観察するのと おなじような視点が必要となってきます。

それは『 オールド・バイオリン 』などの弦楽器を理解するには、当時の弦楽器工房で “創作”と  “写し”が表裏一体としておこなわれたという事実に着目するということです。

Noh Masks - 1 L

Cremona Map - A L

■  Violin maker  ●  Violinist, Teacher, Composer  □  Bow maker

Pythagoras ( BC.582-BC.496 )
Archimedes
( BC.287-BC.212 )

1378 ~ 1417年  “Schisma” Roma : Avignon ( 1309-1377 )
1453年  Constantinopolis /  The Eastern Roman Empire ( 330-1453 ),  Extinction.

Christophorus Columbus ( 1451-1506 ),  1492年 Palos de la Frontera,España – San Salvador Island – 1493  Palos de la Frontera

Leonardo da Vinci ( 1452-1519 )
Vasco da Gama ( ca.1460-1524 ), 1497 Lisbon – Inldia – 1499 Lisbon 55 / 147

1517年  “95 Thesen” Martin Luther ( 1483-1546 )

1538年  Naval battle of Preveza / Turkish Empire
1543年  Nicolaus Copernicus ( 1473-1543 )

■  Andrea Amati ( ca.1505-1577 ) Cremona, Violin maker.
1539年   Established a workshop in Cremona.

Andrea Amati ( c1505–1577 ) violin - B L
Andrea Amati ( c1505–1577 ) violin - E LAndrea Amati ( c1505–1577 )  violin, Cremona   1555 ~ 1560年頃

私は現在得られる情報から判断して、この楽器が ヴァイオリンの完成型としては 最も初期に製作されたものと考えています。

また、クレモナ派において このヴァイオリンと共に重要となのが シャルル9世の 摂政カトリーヌ・ド・メデシスによってフランス宮廷で使用された楽器群だと思っています。

これらの楽器は この後 リシュリュー枢機卿が ルイ13世の宰相となった 1626年ころに 5パートからなる弦楽合奏団である『王様の24人ヴァイオリン隊 ( Les Vingt-quatre Violons du Roi )』の設立につながり、 ルイ14世が親政をはじめる 1761年ころまで この合奏団で用いられたとされています。

つまり これらの楽器達は、ヴァイオリンという楽器の黎明期の性能をさぐるときに 実際に演奏された音楽と連動させることで私たちに気づきを与えてくれる 生き証人なのです。

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年  She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年  He was crowned the king of France.

それから ヴァイオリンにとって ” ガスパロ・ダ・サロ ”の愛称で呼ばれた ガスパーロ・ディ・ベルトロッティを 始祖とするブレシア派の弦楽器製作者も重要だと思います。

私は この ジョバンニ・パオロ・マッジーニが製作したとされる ヴァイオリンなどにみられる 彼らの能力の高さを心から尊敬しています。

■  Antonio Amati ( 1540-1640 ) Cremona, Violin maker.
■  Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ) Cremona, Violin maker.

“Gasparo da Salò”
■  Gasparo di Bertolotti ( ca.1540- ca.1609 )  Brescia, Violin maker.
■ 
Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 )  Brescia, Violin maker.

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – c1633 ) Brescia c1620 - 3
Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 ) Violin,  Brescia  1620年頃

Galileo Galilei ( 1564-1642 )
Johannes Kepler (1571-1630 )
Marin Mersenne  ( 1588-1648 )
René Descartes ( 1596-1650 )

 

●  Biagio Marini ( 1594-1663 ),  Brescia / 1615  Venezia ‘ Basilica di San Marco’ / 1620 Brescia / 1621 Parma / 1623 ~ 1649 Neuburg an der Donau / 1649 Milan / 1652 Ferrara / 1654 Milan / 1656 Vicenza  /  Venezia 1663  :   Violinist
Scordatura”,   “double and even triple stopping”,   “Tremolo”   

 

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■  Nicolò Amati ( 1596-1684 ) Cremona, Violin maker.
■ 
Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Cremona, Violin maker.
1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

Otto von Guericke ( 1602-1686 )

●  Maurizio Cazzati ( 1618-1678 ), Luzzara / 1641 Ferrara, Bozzolo, Bergamo / 1657 ~ 1671 Bologna / 1671 Mantova

■  Jacob Stainer ( 1617-1683 ) Absam, Tirol.  Violin maker.

 

ca.1626 ~ ca.1761  ” Les Vingt-quatre Violons du Roi ” ( “The King’s 24 Violins” )  The Royal Palace in Paris  

Louis XIV ‘Roi-Soleil’ ( 1638 – ‘1643-1715’ ),  1661 ~ 1682  “Château de Versailles”

●  Jean-Baptiste Lully ( 1632-1687 ),  Firenze / 1646 France / 1652 The Royal Palace in Paris  / 1653 “Petits Violons” / 1661 French subject , 1661 ~ 1682 “Château de Versailles”  / 1685,1686,1687

●  Giovanni Battista Vitali ( 1632-1692 ),  Bologna / 1666 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 Modena  :   Violinist

■  Giovanni Grancino ( 1637 – 1709 ) Milan,  Violin maker.
■  Alessandro Gagliano ( ca.1640–1730 ) Napoli,  Violin maker.
■  Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 ) Bologna, Violin maker.

Christiaan Huygens ( 1629-1695 )
Antonie van Leeuwenhoek ( 1632-1723 )
Robert Hooke ( 1635-1703 )
Isaac Newton ( 1642-1727 )

 

■  Antonio Stradivari ( c.1644-1737 ) Cremona,  Violin maker.
1680年 He founded the workshop in Casa Stradivari .

■  Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ) Cremona,  Violin maker.

Arp Schnitger ( 1648-1719 ),  active in Northern Europe, especially the Netherlands and Germany,  Pipe organ builder.

●  Heinrich Ignaz Franz von Biber ( 1644-1704 ), Bohemia / 1668  Zámek Kroměříž / 1671 Salzburg,  ca.1676 ” Rosenkranz-Sonaten ” ( Scordatura )  :   Violinist

●  Arcangelo Corelli ( 1653-1713 ), Fusignano / 1666 Bologna / 1675 Rome / 1681 München / 1685 Roma / 1689 Modena / 1708 Rome :   Violinist

●  Giuseppe Torelli ( 1658-1709 ), Verona / Bologna / 1684 Accademia Filarmonica di Bologna / 1697 ~ 1699 Fürstentum Ansbach / 1699 Wien / Bologna :   Violinist

 


 

■  Francesco Ruggieri ( 1655-1698 ) Cremona, Violin maker.
■  Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ) Cremona / Mantua, Violin maker.

■  Matteo Goffriller ( 1659–1742 )  Venezia,  Violin maker.

●  Giacomo Antonio Perti ( 1661-1756 ),  Bologna / Parma / Venezia / 1690 ~ 1756 Bologna  :   Violinist

●  Tomaso Antonio Vitali ( 1663-1745 ), 1674 Modena :  Violinist

■  Carlo Giuseppe Testore ( c.1665-1716 )  Milan, Violin maker.
■  Filius Andrea Guarneri ( 1666-1744 ) Cremona, Violin maker.

■  Francesco Stradivari ( 1671-1743 ) Cremona,  Violin maker.
■  Omobono Stradivari ( 1679-1742 ) Cremona,  Violin maker.

■  Carlo Tononi ( c.1675-1730 ) Bologna / Venezia,  Violin maker.

●  Antonio Vivaldi ( 1678-1741 ), Venezia 1703 / 1740 Wien :   Violinist
● 
Pietro Castrucci ( 1679-1752 ),  Roma / 1715 London / 1750 Dublin :   Violinist

■  Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ) Cremona,  Violin maker.
■  Domenico Montagnana ( 1686-1750 ) Venezia,  Violin maker.

Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ) Saxony / Dresden, Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

1687年  Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica

●  Johann Sebastian Bach ( 1685-1750 ), Eisenach / 1703 Weimar, Arnstadt / 1705.10 Lübeck 1706. 1 /  1707 Mühlhausen / 1708  Weimar / 1717 Köthen, 1721 Anna Magdalena Bach  / 1723 Leipzig

●  Giovanni Battista Somis ( 1686-1763 ),  Turin / 1731 Paris / Turin
:   Violinist
●  Francesco Geminiani ( 1687-1762 ), Lucca / 1711 Naples / 1714 London  :   Violinist

●  Francesco Maria Veracini ( 1690-1768 ), Firenze / 1711 Venezia / 1714 London / 1616 Venezia / 1723 Firenze / 1733 London / 1744 Firenze  :  Jacob Steiner violin  /   Violinist

■  Andrea Guarneri ( 1691-1706 )  Cremona,  Violin maker.

●  Giuseppe Tartini ( 1692-1770 ), Pirano / 1721 Padova, 1726 Violin School  :   Violinist

●  Pietro Locatelli ( 1695-1764 ), Bergamo / 1723 Mantua, Venezia, München, Dresden, Berlin, Frankfurt, Kassel / 1729  Amsterdam  :   Violinist

■  PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 )  Cremona / Venezia, Violin maker.  1718年  moved to Venezia

●  Jean-Marie Leclair ( 1697-1764 ), Lyon / Turin / 1723 Paris, ‘Palais des Tuileries’  / 1733 ~ 1737  ‘ Louis XV ( 1710 – ‘1715-1774’ ) / 1738 ~ 1743 Den Haag  / 1743 ~ 1764 Paris  :   Violinist

 

“Guarneri del Gesù”
■  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )  Cremona  :  Violin maker.  1722年頃  He is independent.

弦楽器製作流派である ”クレモナ派”の始祖  アンドレア・アマティ( Andrea Amati  ca.1505–1577 )  からヨーゼフ・グァルネリ( Bartolomeo Giuseppe Guarneri  1698-1744 )の活躍する時期までは、おおよそ 170年ほどです。

そののちに最後の”クレモナ派” J.B. チェルーティ( Giovanni Battista Ceruti  1755-1817 )が亡くなる 1817年までが 約100年、そして厳密な意味でイタリア最後の名工として トリノなどで 弦楽器製作をおこなった ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca 1807-1865 )の他界までがまた 50年程 でした 。

 

Giuseppe Guaneri Cremona c1730 Goldberg-Baron Vitta - A L“Guarneri del Gesù”  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )
Violin  ‘Goldberg-Baron Vitta’,  1730年頃

その ヨーゼフ・グァルネリが 1730年頃製作したとされる このヴァイオリンのコーナー部は挑戦的と 私は感じます。

Bartolomeo Giuseppe Guarneri - del Gesù ( 1698-1744 ) Violin Carrodus 1743年 - A L“Guarneri del Gesù”  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )     Violin  ‘Carrodus’,  1743年

 

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ) Violin 1845-1850年頃 - C L
Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin, Turin  1845 ~ 1850年頃

■  Camillo Camilli ( ca.1704-1754 ) Mantua,  Violin maker.

Carlo Tononi Bologna 1705 ( 1675 Bologna 1717-30 Venice ) - A L
Carlo Tononi  (  ca.1675 Bologna, 1717-30 Venice ) Violin,  Bologna  1705年

私は この楽器の左右のコーナー部に設けられた面積の差が 明解な設定とされていることをすばらしいと思っています。

このヴァイオリンが製作されたボローニャは ヴァイオリン演奏史のはじめに輝く アルカンジェロ・コレッリ ( Arcangelo Corelli 1653-1713 )が滞在していたことでも知られています。

彼は Bolognaから約40㎞ほど Ravenna方面に行った Fusignano の出身で 13歳である1666年にボローニャに移り1670年には わずか17歳でアカデミア・フィルアルモニカに入る事を認められ、1675年にはローマの 聖ジョバンニ・ディ・フィオレンティーニ教会の主席ヴァイオリン奏者となり 演奏活動を終えた5年後の 1713年にローマで亡くなりました。

ご承知のように彼が作曲し厳選して残した“ ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 ”などのすばらしい音楽は 今日でも演奏されています。 ボローニャはヴァイオリンの演奏でそうであったように、弦楽器製作でも重要な役割を果たしていました。

そして、この街で弦楽器製作者として有名になったのが  Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 )と Carlo Tononi でした。

●  Giovanni Battista Martini ( 1706-1784 ), Bologna / 1758 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 “Saggio dl contrapunto”

●  Franz Xaver Richter ( 1709-1789 ), Moravia / 1740 ~ 1747 Kempten i.a. / 1747 Mannheim / 1769 ~ 1789  ‘Cathédrale Notre-Dame-de-Strasbourg’  :  Violinist

●  Jean-Joseph de Mondonville ( 1711-1772 ), Narbonne / 1733 ~ 1772 Paris  :  Violinist

1701 ~ 1714年  War of the Spanish Succession
“France : Louis XIV ( 1638-1715 ) × Habsburg : Karl VI ( 1685-1740 )”

●  Cremona governance countries
España ( 1513 ~ 1524, 1526 ~ 1701 ) – France (  1701 ~ 1702 ) –  Republik Österreich / Habsburg  ( 1707 ~ 1848 )
●  Casa Savoia :  1713年 Regno di Sicilia – 1720年 Regno di Sardegna  / Torino – 1848年 The First War of Independence – 1859年 The Second War of Independence –  1866年 The Third War of Independence

■  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ), 1711 Cremona / 1729 Parma / 1740 Piacenza / 1749 Milan / 1757 Cremona / 1759 Parma / 1771-1786 Turin, Violin maker.

■  Nicolò Gagliano ( active. ca.1730-1787 ) Napoli, Violin maker.
■  Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ) Cremona, Violin maker.
■  Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ) Cremona, Violin maker.

●  Johann Wenzel Stamitz ( 1717-1757 ), Bohemian / Praha / 1741 Mannheim / 1754 ~ 1755 Paris / 1755 Mannheim :  Violinist

●  Leopold Mozart ( 1719-1787 ),  Augsburg / 1737 Salzburg / 1785 Wien, Salzburg :  Violinist
1751年  “Versuch einer gründlichen Violinschule”
– – – 
Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 )

●  Pietro Nardini ( 1722-1793 ), Fibiana / Livorno / Padova / 1762 Stuttgart / 1770 Firenze :   Violinist

●  Pierre Gaviniès ( 1728-1800 ),  Paris /  1744 “The Concert Spirituel”  / 1795 He became a professor at the newly-founded ‘Conservatoire de Paris ‘.  :   Violinist

●  Gaetano Pugnani ( 1731-1798 ), Torino / 1749 Roma / 1750 Torino / 1754 Paris, Nederland, London, Deutschland / 1763 Torino  / 1767 London / 1770 Torino / 1780 ~ 1782 Russia, 1782 Torino :  Violinist

Antonio Stradivari violin 1731年 Lady Jeanne - C LAntonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  1731年  Cremona
  ” Lady Jeanne “

 

Camillo Camilli ( c1704-1754 ) Violin Mantua 1750年頃 - A LCamillo Camilli ( ca.1704-1754 ) Violin,  Mantua  1750年頃

ボローニャから西北西方向に30㎞ほどのモデナ( Modena )を経て、そこから北に60㎞ほどゆくと マントヴァ( Mantua )があります。因みにこの街道は そのまま北上すれば ブレンネロ( Brennero )の峠を越えインスブルックから ミュンヘンへと至る重要な街道です。

このマントヴァは 1708年に スペイン継承戦争の敗北とマントヴァ公カルロ4世の死により公位が廃止されて ハプスブルク家に支配される事になりました。

このヴァイオリンが製作された時期には ピエトロ・ガルネリ(  “Pietro Guarneri di Mantova”  1655-1720 )の流れをくむ 弦楽器製作者が活躍していました。カミロ・カミリは そのマントヴァ派の 有名な弦楽器製作者です。

このヴァイオリンは コーナー部の左右の非対象性がはっきりと読み取れ、また表板と裏板が 強いアーチをもつ名器です。

● Luigi Rodolfo Boccherini ( 1743-1805 ), 1743 Lucca / 1757 Vienna  “The court employed” / 1761 Madrid / 1771 String Quintet Op. 11  No. 5 ( G 275 ) :   Italian cellist and composer 

Marie Antoinette ( 1755-1793.10.16 )
1770年  She married  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  /  ” Louis XVI ( 1774 ) “  at the age of 14.
1793年  ” Louis XVI ” ( 1774 )  /  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  

●  Johann Peter Salomon ( 1745-1815 ), Bonn / Prussia / ca.1780 London / 1791 ~ 1792, 1794 ~ 1795 Franz Joseph Haydn  :  Violinist

□  François-Xavier Tourte ( 1747-1835),  Paris :   Bow maker

●  Carl Stamitz ( 1745-1801 ), Mannheim / 1762 Mannheim palace orchestra / 1770 Paris / Praha, London  :  Violinist

●  Johann Anton Stamitz ( 1754 – ‥ ), Mannheim / 1770 Paris / 1782 ~ 1789 Versailles / ‘ 1798‥1809 Paris ‘  :   Violinist

■  Giovanni Battista Ceruti  ( 1755-1817 ) , Cremona  :  Violin maker.

●  Giovanni Battista Viotti ( 1755-1824 ), Fontanetto Po / Torino, Paris, Versailles, 1788 Paris, London, 1819-1821 Paris,  London :   Violinist

●  Federigo Fiorillo ( 1755-1823 ),  Braunschweig / 1780 Poland / 1783 Riga / Paris / 1788 London  He played the viola in Saloman’s quartet.  / 1873 Amsterdam, Paris

●  Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 ), Salzburg / 1762 München, Wien / 1763 ~ 1766 Frankfurt, Paris, London / 1767 ~ 1769 Wien / 1769 ~ 1771 Milano, Bologna, Roma, Napoli / 1773, 1774 ~ 1775 Wien / 1777 München, Mannheim, Augsburg / 1778 Paris / 1779 Salzburg / 1781 München, Wien / 1783  Salzburg  / 1787 Praha, Wien / 1789 Berlin / 1790 Frankfurt / 1791 Wien, Praha, Wien

 

●  Bernhard Heinrich Romberg  ( 1767-1841 ),   “The Münster Court Orchestra” / 1790 Bonn  “The Court Orchestra” /  He lengthened the cello’s fingerboard and ‘Flattened’ the side under the C string  :   German cellist and composer 

●  Rodolphe Kreutzer ( 1766-1831 ), Versailles / 1803 Wien “Kreutzer Sonata ” Ludwig van Beethoven 1770-1827,  Paris 1795 ~ 1826 ‘Conservatoire de Paris’ –  1796年 Caprices – 1807 comprises 40 pieces – “42 Études ou Caprices”  / Genève, Swiss :   Violinist

●  Pierre Baillot ( 1771-1842 ),  Paris :   Violinist

●  Pierre Rode ( 1774-1830 ), Bordeaux / 1787 Paris /  1804 Saint Petersburg, Moscow / 1812 Wien ” Ludwig van Beethoven 1770-1827  Violinsonate Nr. 10 in G-Dur, Op. 96 ” / 1814 ~ 1819年  Berlin,  “24 capricci”  /  1830 Lot-et-Garonne :   Violinist

●  August Duranowski ( ca.1770-1834 ), Warsaw / Paris / 1790 Brussels / Strasbourg :   Violinist

●  Ignaz Schuppanzigh ( 1776-1830 ), Vienna /  He gave violin lessons to Beethoven, and they remained friends until Beethoven’s death.  :  “Schuppanzigh Quartet”  :   Violinist

■  Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 ),   Lequio Berria / Cremona / 1815 Torino,  1821 was able to open his own firm.    Violin maker.

●  François Antoine Habeneck ( 1781-1849 ), Charleville-Mézières / 1801 ‘Conservatoire de Paris’ / Paris  :  Violinist

●  Jacques Mazas ( 1782-1849 ), Lavaur / 1802 Paris / Bordeaux  :   Violinist

●  Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
1802 ~ 1817年  ” 24 Caprices for Solo Violin ”  :   Violinist

●  Louis Spohr ( 1784-1859 ), Braunschweig / 1802 Saint Petersburg / 1804 Leipzig / 1805 ~ 1812 Gotha / 1813 ~ 1815 Wien /  1816,1817 Italiana / 1817 ~ 1819 ‘Oper Frankfurt’  / 1820 England / 1821 Paris / 1822 ~ 1859 Kassel :   Violinist
” Chin rest & Conductor’s stick “

●  French Revolution  1789 ~ 1793年
1791年  Metric system ( metre & kilogram )
Maximilien Robespierre ( 1758-1794 )

Giovanni Battista Ceruti ex Havemann 1791年 Cremona ( 1755-1817 ) 355-163-113-208 Wurlitzer collection 1931 - A LGiovanni Battista Ceruti  ( 1755-1817 )  Violin,  Cremona 1791年   “ex Havemann”  1931 Wurlitzer collection  

●  Joseph Böhm ( 1795-1876 ), Hungarian,  Pest  /  1819 ~ 1848 professor at the Vienna Conservatory,  His many students included Hubay, Joachim, Ernst,  Jakob Dont, Hellmesberger. Sr . :  Violinist

●  Georg Hellmesberger ( 1800-1873 ), Vienna / 1826 ~ 1833 ‘The Vienna Conservatory’ / His students were Joachim, Leopold Auer.  :  Violinist

●  Charles-Auguste de Bériot ( 1802-1870 ), Leuven / 1843  ‘Royal Conservatory of Brussels’ /  ‥ 1852. – 1858 – 1866 Brussels :   Violinist

■  Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ),  Barbaresco / 1834 Turin,   It was during this time that he became acquainted with Luigi Tarisio, a violin dealer  / Rocca won prizes in his craft at a national arts and crafts exhibitions in 1844 and 1846.  / Enrico Rocca ( 1847-1915 ) / 1850 ~ 1865 Genova  :   Violin maker.

●  Auguste-Joseph Franchomme ( 1808-1884 ), 1831, 1833  Paris –  Frédéric Chopin,  In 1843 He acquired the Duport Stradivarius for the then-record sum of 22,000 French francs. He also owned the De Munck Stradivarius of 1730. Franchomme succeeded Norblin as the head professor of cello at the Paris Conservatory in 1846  :  French cellist and composer

●  Joseph Lambert Massart ( 1811-1892 ), Liège / 1829 Paris, 1843 ~ 1890 ‘The Conservatoire de Paris’  :  Violinist

●  Heinrich Wilhelm Ernst ( 1812-1865 ), Moravia / 1825 ‘The Vienna Conservatory’ /  1828 Niccolo Paganini visited Vienna. 1830 He played Paganini’s Nel cor pìù non mi sento. / 1865 Nice :   Violinist

  Risorgimento  ( 1815 ~ 1861 )

●  Jakob Dont ( 1815-1888 ), Vienna / 24 Etudes and Caprices :  Violinist

●  Henri Vieuxtemps ( 1820-1881 ),  Belgium / Liège , Brussels /  1829 Paris /  Brussels / 1833 Germany  /  1835 Wien / 1836 Paris / 1849  ~ 1851 Saint Petersburg / 1850 Paris / 1871  ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Paris 1879 / Algeria :   Violinist

●  Joseph Joachim ( 1831-1907), Kittsee / 1833 Budapest / Wien / 1843 Leipzig / 1846 London / 1848  “Gewandhausorchester Leipzig ” / 1850 Weimar / 1852 Hannover  / 1866 ~ 1907 Berlin :   Violinist

●  Henryk Wieniawski ( 1835-1880 ), Lublin / 1843 ‘Conservatoire de Paris’ / 1874 ~ 1877 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Moscow :   Violinist

●  Pablo de Sarasate ( 1844-1908 ), Pamplona / 1854 Madrid / 1855 Paris / 1860 London, Paris, performing in Europe, North America, South America / 1864 Camille Saint-Saëns ‘Introduction et Rondo capriccioso en la mineur’   / 1878 Zigeunerweisen, 1883 Carmen Fantasy  / Biarritz 1908 :   Violinist

●  Leopold Auer ( 1845-1930 ),Veszprém  / Budapest, Wien / Hannover : Joachim / 1868 ~ 1917 Saint Petersburg  : St Petersburg Conservatory / 1918 America / 1824 The Curtis Institute of Music  :   Violinist

●  Eugène-Auguste Ysaÿe ( 1858-1931 ),  Liège / 1886 ‘Royal Conservatory of Brussels’  / 1918 Cincinnati  /  Brussels :   Violinist

●  Jenő Hubay ( 1858-1937 ),  Pest / Berlin / Paris / 1882 Brussels / 1886 Hungary, ‘Budapest Quartet’ / Hubay’s main pupils Joseph Szigeti.    Violinist

●  Lucien Capet ( 1873-1928 ), Paris / 1893 “Capet Quartet”  :   Violinist

●  Regno d’Italia ( 1861 ~ 1946 ) Last Casa Savoia : 1946年 UmbertoⅡ( 1904-1983 )

 

 

Nicolò Amati ( 1596–1684 ) violin 1669年 body L350 W201 - C LNicolò Amati ( 1596–1684 ),  Violin 1669年

Antonio e Girolamo Amati violin 1629年 - G LAntonio e Girolamo Amati,   Violin 1629年

Andrea Amati 1570年頃 ex Ross - D LAndrea Amati ( ca.1505-1577 ),  Violin 1570年頃  ” ex Ross ”
Leopold Widhalm ( 1722- 1786 ) 1769年 - A L
Leopold Widhalm  ( 1722- 1786 ),  Violin 1769年

 

 BALFOUR March 1903 - B L
BALFOUR March 1903 - A L
VOLLER BROTHERS violin 1900年頃 - A L

 VOLLER BROTHERS violin 1900年 - 1 L

 

 

■  William Voller ( 1854-1933 ), Guildford / London   : Violinist,  Violin Maker.

■  Alfred Voller ( 1856-1918 ),  Guildford / London /  Devon  :  Cellist,  Violin Maker.

■  Charles Voller ( 1865-1949 ), Guildford / London / Paignton, Devon  :  Violinist,  Violin Maker.

 

 

 

 

 

 

“オールド弦楽器”の 特徴について

弦楽器の最上の響きは・・  サウンド・ホールで変換された弦の振動と、響胴の ねじりによる「ゆるみ」から生じた共鳴 ( レゾナンス )によって生まれていると考えられます。

このために優れたオールド弦楽器は ねじりが生じやすいように工夫がしてあるようです。

この、ねじりに関しての条件設定は 響胴内部や素材特性のように簡単には判断できない範囲までおよんでいますが、外見上からも それに繋がる要素を見いだす事は可能です。

それが 非対称条件を観察する理由です。

Antonio Stradivari 1673年Harrell - Du Pre - Guttmann - C LAntonio Stradivari  1673,  Violoncello ” Harrell, Du Pre,  Guttmann ”

例えば チェロを観察する場合に、上図で A とした コーナー部に大きな摩耗が見られるようでしたら、それほど判断に迷う必要はないと思います。

それらが単純な摩耗ではなく 製作時に人為的な左右差として設定された可能性を見つければ済む訳ですから。

では、このストラディヴァリが 1673年に製作したチェロはどうでしょうか?

Giovanni Baptista Rogeri cello 1695年頃 - C L
また 、これは、ロジェーリ作とされていますが、コーナー部の左右差は どのように考えられますか。

Grancino cello made around 1690 cooper-collection - A LGiovanni Battista Grancino ( 1637-1709 ) Milan 1697年 - A L 次は 左右の面積差が見えやすい グランチーノと ストラディヴァリのチェロです。

Antonio Stradivari cello 1707年 Boni-Hegar - G L
そして、私自身が 摩耗説が誤りであることに気づく きっかけとなった『 オールド・チェロ 』を見てください 。

Old Italian Cello c1680 - 1700 ( F 734-348-230-432 B 735-349-225-430 stop 403 ff 100 ) - 1 LOld Italian Cello    1700年頃
( F 734-348-230-432,  B 735-349-225-430, stop 403 ff 100 )

また、有名な楽器で 参考例を挙げるとすると、エドゥアルド・ウルフソン( Eduard Wulfson 所有し、グートマン( Natalia Gutmanさんが使用している グァルネリ・デル・ジェスによる このチェロが 思い浮かびます。

Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - A L

” Guarneri del Gesù ”
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )
Violoncello  1731,  ” Natalia Gutman ”

私はこのチェロを 知らなかった8年ほど前に 共通の知人から ウルフソン( Eduard Wulfson 氏が グートマン( Natalia Gutman )さんたちと美術館のなかでトリオで演奏している DVDをいただき拝聴したのですが 、このチェロがもつ深い響きには衝撃をうけました。 

この グァルネリ・デル・ジェスのチェロでも 裏板高音側コーナーに施された摩耗加工を見ることが出来ます。

Guarneri 'del Gesù' cello 1731年 - C L

Guarneri ‘del Gesù’   Violoncello  1731,  ” Natalia Gutman ”

Bach :  Suite for solo cello No. 3 in C major
( Paris, Musée du Luxembourg,  2002/11/16 )
Natalia Gutman,Violoncelle

【Bach, Mozart, Schubert 】”La Société Stradivarius”
Yvietta Matison, Alto ( instrument )
Eduard Wulfson, Violin


それから、 Francesco Ruggieri が 1675年に製作したとされるチェロでも同じ景色を見ることができます。

Francesco Ruggieri cello 1675年 - A L

Francesco Ruggieri  ( ca.1645-1695 ),  Violoncello 1675年

確かに、チェロは A コーナーにひざを添えたり グリップしたりする際に触れることがあるので 摩耗痕跡は それにより生じたように思えます。

Joseph Thomas Klotz Violoncello piccolo Mittenwald 1794 ( 1743-1809 ) Sebastian 1696-1768 - C LJoseph Thomas Klotz  ( 1743-1809 )  Violoncello piccolo  Mittenwald 1794年

ところが 摩耗痕跡をよく見ていくと、それが不自然である事に気がつきます。

上のクロッツで これを見ると コーナーである A 部の塗装は多少はがれていますが、それよりも Q 部の方がもっと 剥がれています。問題なのは この Q 部に 演奏時にチェリストが 触れることは まず無いということです。

これは R 部についても言えますが、 実際にチェロの肩にはさわりますので 判断しにくいのですが、上のクロッツでいえば 摩耗したようになっているゾーンの中でも特に Q 部と S 部はアーチの不連続面の間にある谷状にくぼんだ部分ですから 自然な摩耗ではないことが分かります。

Giovanni Battista Genova ( warked ca.1740-ca.1770 )
Cello,  Turin  1770年頃

Nicolò Amati ( 1596-1684 )  Cello, “Herbert”  1677年

Girolamo Amati Ⅱ ( 1649ー1740 )  Cello,  “Ex Bonjour”  1690年

Carlo Ruggeri ( 1666–1713 )  Violoncello,   1706年

このように、演奏によって出来たとは思えない Q 部の摩耗痕跡は、オールド・チェロでは めずらしくはありません。

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin, “Enescu – Cathedral”  1725年頃

また、当然のことですが・・  この位置は オールドヴァイオリンでも意識されていることが確認できます。

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ) Violoncello 1850年 - D L
もし仮に、これらを 演奏や運搬による摩耗であるとすると、それなりの期間使用される必要があります。

とすると・・・『オールド』より使用された期間が短い『モダン』の弦楽器はどうなっているでしょうか。

170年程前のことですが、厳密な意味で最後の名工である ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ( Giuseppe Antonio Rocca 1807-1865 )は、トリノで 弦楽器製作をおこなっていました。

彼の作品は、非対称条件に  摩耗痕跡の要素も取り込まれ あたかも”様式化”されたかのような工夫がなされています。

Giuseppe Antonio Rocca Torino 1850年頃 - A LGiuseppe Antonio Rocca( 1807-1865 ) Contrabass,   1850年頃

その端的な例が、彼が製作した摩耗や打撃痕跡があるコントラバスです。チェロと違ってコントラバスは A コーナーをグリップしませんので、これらの傷跡は 製作時の加工である状況証拠となっています。

Giuseppe Antonio Rocca Torino 1850年頃 - B L

Giuseppe Antonio Rocca( 1807-1865 ) Contrabass,  1850年頃

このように観察をしていくと『オールド弦楽器は、コーナー部などの 摩耗痕跡も駆使して 非対象( アシンメトリー )なバランスで製作されている。』と定義することが出来ます。

 

 

 

2016-10-22      Joseph Naomi Yokota

グスレという弦楽器について

Gusel - 1 L

グスレはバルカン半島地域(ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、クロアチアなど)に伝わる一本弦の弓奏楽器です。
楓材などの木をくり抜くように削り出して製作され、胴体部のくぼみを覆うように皮が張ってあり、ネック部やヘッド部はシンプルな形状のタイプや 馬や猛禽類の鳥などの彫刻がされているタイプなどがあります。

弦はネックから距離をおいて張られていて、音程を変える時はネックに弦を押さえ込まずに音程を変えるようになっています。
この楽器の伝統的な演奏者(guslar)は、英雄や歴史の物語・抒情詩を語るときに伴奏楽器として用いるそうです。


グスレは 54分20秒から出てきます。
( セルビア語:2010年にモンテネグロの村で撮影されたようです。前半は村の教会でのミサが入祭から聖体拝領までほぼすべてが記録されており、その後 集会所で奉献祭の食事会がおこなわれています。そして その終盤でグスレが登場します。)


クロアチアの独立記念日の祝いとして クロアチア共和国の首都ザグレブ(ヤルン)で 数千人の観客のまえでグスレが演奏されています。

Gusel - 2 L

私が このグスレという弓奏楽器に着目したのは 響かせるのが難しい 一本弦( 例外もあります。)という条件に加えて、 彫りおこしの響胴の関係から使用するためには “コツ” が必要と考えられたからです。

おなじ一本弦の弓奏楽器であっても 14世紀から18世紀半ばまでドイツなどを中心としたヨーロッパで流行した トロンバマリーナのように 響胴が板材で箱状となっていれば極端な “コツ”は必要なかったと 私は推測しています。

Canon Francis Galpin (1858-1945) - 1 L

Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 1 L
Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 3 L

Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 4 L

 

このトロンバマリーナの駒部です。 この駒は ヴィヴラート・ブリッジと説明されています。
Trumpet Marine Switzerland c1675-1750 - 5 L

さて、グスレという楽器の特徴についてお話しすると、バルカン半島のそれぞれの地域で製作されるときに音響上の理由で 表皮部のサウンド・ホール( 一組型と二組型が基本です。)が選ばれ、また 響胴部の裏側中央に穴をあけるかどうかが考慮されているようです。

Gusel - 8 L

しかし最後は演奏者が 駒をどの位置にどの角度でたてるかが問われ、 その判断により 楽器の響きに極端な差が出ていると‥ 私は思っています。

Gusel - 7 L
そのいくつかの実例を下にあげたグスレ奏者( Guslar )の写真で ごらんください。

GUSLAR - 1 L

因みに さきほど 私が「  演奏者が使用するときの “コツ” 」 といったのは、ネックに対する 駒の角度と 位置を意味します。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私は グスレという楽器は 左右の非対象性( アシンメトリー )が大きいタイプと、そうでないものに大別できると考えています。

そして非対象性が小さい楽器では『 ねじり 』の不足を補うために正中線に対して駒を極端に斜めにたてたり、響きを聴きながら 駒位置を微妙に左右にずらすことで 残響を保つ工夫をしながら演奏されていると私は推測しています。

一組型のサウンド・ホールをもつ グスレはこの工夫が 顕著です。

Gusel - 9 L

また、二組型の場合は表皮部のサウンド・ホールを 左右非対称とすることで『 ねじり 』の不足が補えるために、一組型よりも 駒の角度が正中線に直交するイメージに近い立てかたで演奏されていることが確認できると思います。

GUSLAR - 3 L私は 表皮部サウンド・ホールが 二組型で左右非対称タイプを このグスレ奏者の楽器のようなイメージとして捉えています。

the traditional Montenegrin gusle - B Lそれから この表皮部で駒がたてられた跡を見てください。

私は このグスレという弓奏楽器は バランスを変えないで連続使用をすると、演奏することで生まれるひずみにより 結局 響かなくなってしまうという特徴があると思っています。

ですから この駒跡にみられるようにグスレ奏者はこれを解決するために 駒位置と角度を時おり移動しながら使用しているはずと推測しています。
the traditional Montenegrin gusle - C L

 

私は グスレの専門ではありませんが 弦楽器がゆれ続ける条件について検証した結論として、これらの問題は 左右の非対象性( アシンメトリー )が大きいタイプでは生じにくいと考えています。

Gusel - 3 L
私はこの左右の非対象性( アシンメトリー )が弦楽器における古典的技術の特質だと考えています。

Gusel - 4 L

Gusel - 6 MONO L

たとえばルネサンス期の弦楽器で非対象性をみてください。
多くの部位で『 ねじり 』を生むために工夫されていることが解ります。
Gasparo da Salo - Cetera Brescia c 1560 ( c 1542-c 1609 ) L
Cittern by Gasparo da Salo ( c 1542 - c 1609 ) Brescia c 1570  L

これにより残響が確保され それにより独特の響きがうみだされていると 私は理解しています。

 

Cetera di anonimo - Ashmolean Museum L

Cittern c1600 English ( Length 616 - String length 340 ) National Music Museum - 1 L

Cittern c 1600 English ( Length 616 - String length 340 ) National Music Museum L

 

 

 

 

 

 

Bass viol  - 1    L

Hieronymus Brensius  -  Testudo theorbata  in Bologna    -  L

Hieronymus Brensius  -  Testudo theorbata  in Bologna   -  L
Ottavio Smidt    Liuto ( Tenore ) Parma 1612年  - 1     L
Magno Stegher  -  Gran liuto basso   Venezia 1607年  - 1     L

Magno Stegher  -  Gran liuto basso   Venezia 1607  - 1
Hieronymus Brensius  -  Testudo theorbata  in Bologna    - 1    L

私は “オールド・バイオリン”などの弦楽器も この左右の非対象性( アシンメトリー )が揺り籠となり 誕生につながったと考えています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
H F - Liuto tenore in Bologna - 1 L

この 弦楽器における古典的技術の特質といえる 左右の非対象性( アシンメトリー )は『螺鈿紫檀五弦琵琶』にもその要素を見いだす事ができます。

「螺鈿紫檀五絃琵琶」(長さ108㌢ 幅31㌢) - A L

この『螺鈿紫檀五弦琵琶』は知られているように 聖武天皇の崩御にともない 765年に光明皇后が天皇遺愛の品を 東大寺に献納したことにより北倉に収蔵され今日に至っています。

この校倉造りの倉庫には ほかにも 四弦琵琶,四弦阮咸(げんかん),七弦琴(きん),十二弦新羅琴,六弦和琴(わごん),大破した竪型ハープの箜篌(くご)があり,この他に箏に似た二十四弦瑟(しつ)の残欠などが残されているそうです。

この五弦の琵琶はインドが発祥とされ,中央アジア天山南路(西域北道)のほぼ中央で栄えたキジル(亀茲)国,現在のクチャ(庫車)を経由し,北魏に入り,唐を経由して日本にもたらされたとされています。

私はこの『螺鈿紫檀五弦琵琶』の画像に丁寧にコンパスをあててみたことにより、非対象性( アシンメトリー )が調和した見事なバランスで製作されていると理解しています。

ともあれ グスレという弓奏楽器を考察することで 響かせる条件をととのえるために『ねじり』が用いられていることが 皆さんに理解していただければ幸いだと私は思います。

これらの経験をするたびに 私は本当に弦楽器の世界は奥深いと感じます。

この投稿は以上といたします。

 

2016-8-04    Joseph Naomi Yokota

 

彫刻技術においての 優劣の見分け方

Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 )   Cello,  Brescia   the 1600s

私は ”オールド・ヴァイオリン” や、”オールド・チェロ” などの弦楽器で高度な彫刻技術を目にするたびに 本当に感動します。

そこで、そこにある豊かな世界を分かち合うために『 彫刻技術という視点から優劣を見分けることで その弦楽器を評価できます。』というお話しをしようと思いました。

そこで、先ずは「彫る」技術をヘレニズム時代の大理石像でイメージしてください。

● 盛期ルネサンスに影響を与えた ヘレニズム時代の彫像について
なお、これらの大理石彫像の本質について‥ 特に、比率についての意識を知りたい方には 下の投稿リンクをお勧めします。

● エーゲ海 キクラデス諸島の “偶然”について
(  長文で恐縮です。)

“De la statue”  1464年刊,  Leon Battista Alberti ( 1404-1472 )
『 デ・スタトゥア 』から復元された計測器

彫刻技術に関してさかのぼって調べてみると‥『 ルネサンス期に理想とされた”万能の人” 』と評されたアルベルティが、1464年に発表した『 彫刻論 』で、 彼が考案した計測器を使用することを提案しているのが目に留まります。

デフィニターまたはフィニトリウムとよばれ、回転する目盛り付きロッドが固定された円形ディスクをもち、そこから垂直錘が下がったものです。

これによって、極座標と軸座標の組み合わせで モデル上の任意のポイントが規定でき、現代のパンタグラフのようにモデルから大理石に移す事ができます。

“Measuring sculpture for reproduction”
Francesco Carradori(1747-1824),  Firenze  1802.

また、フィレンツェの彫刻家であったカラドーリが 1802年に出版した『 彫刻を学ぶ人のための基礎教育 』には、大理石彫刻のための計測方法や器具などが紹介されています。

“Measuring sculpture for reproduction”
Francesco Carradori (1747-1824),  Firenze  1802年

このように、彫刻家にとって対象物を計測することや 大理石を削ることは 昔から難問に等しいものでした。

しかし それでも‥ 私たちは、時代によって計測方法や 削り方の違いはありますが、残された彫像でわかるように モース硬度が 3~4 の「岩石」で作品を制作し続けてきたのです。

たとえば、下の動画では “Pointing machine” を計測に用いる彫刻技法による大理石彫刻が 紹介されています。

ポインティング・マシンは、その名前を イタリアのマキネッタ・ディ・プンタに由来しており、本質的には 任意の位置に設定して固定できる ポインティング・ニードルです。

この器具は、石膏、粘土、またはワックスの彫刻モデルを、木材や岩石に正確にコピーするための測定ツールとして使用されています。

発明者は フランスの彫刻家の ニコラス・マリー・ガトー ( 1751-1832 ) と 英国の彫刻家 ジョン・ベーコン ( 1740-1799 ) であるとされており、後にカノーヴァ ( Canova ) によって普及しました。

上の動画のように石膏モデルで 凹凸の基準点の位置と深さをニードル先端で取得し、その基準点を大理石に移します。エンピツの下に見えるのがニードルの先端です。大理石彫刻では、このように「 窪みの底 」として基準点を先に彫り込みます。

そして、座標となるそれらの基準点の印が消えないように凸部を削っていくのです。それから 最後の仕上げ段階の削りで 再度、くぼみ部を慎重に彫り込みます。

このように、素材としてはハードルが高い大理石彫刻ですらこの細やかさですから、木彫の分野においては 繊細さがより一層発揮されたのは当然といえるかも知れません。

たとえば‥『 北方ルネサンス 』と呼ばれていますが、ミケランジェロ ( 1475-1564 ) が活動していた頃に、ドイツで素晴らしい彫刻作品を作った ティルマン・リーメンシュナイダー( ca.1460-1531 ) の木像にそれを見ることができます。

『 Hl. Sebastian ( 聖セバスチャン ) 』 製作年 : 1515年頃  /  菩提樹 ( Tilia miqueliana ) シナノキ科
Tilman Riemenschneider ( ca.1460-1531 )

“Self-portrait” ( in the Predella of the Altar of Creglingen )   
Tilman Riemenschneider ( ca.1460-1531 )

この彫像に近いレリーフは、ティルマン・リーメンシュナイダーが 自らをモデルとしたと伝えられています。その彫刻技術を駆使した表現を、私は 本当にすばらしいと思っています。

そして、彼が亡くなった頃に開発された  ”オールド・ヴァイオリン” や、”オールド・チェロ” などを含めた木製弦楽器の場合も同じように細やかな工夫を見ることができます。

“Cittern”   possibly by Petrus Rautta, England,  1579年

“Cittern”   possibly by Petrus Rautta, England,  1579年

これを見分けるには『くぼみの彫り方 』を観察してください。

TT

 

 

 

 

この観点で上のヴァイオリン裏板画像をながめてみてください。
ヴァイオリンなどの観察のはじめは、『 どこが、どのように窪んでいるか ?』という点に着目し観察することが 見極める基本だと私は思います。

残念ながら ヴァイオリンなどの弦楽器において扁平にみえるものは未熟な人が製作した可能性が高いと 私は思っています。 木彫で使用する道具は考えないでもちいると‥ 出っ張ったところが削れます。これが単純化をまねき全体としてでこぼこが少ない扁平な印象の弦楽器の出現につながります。

 

 

 

 

まず参考のため2台のヴァイオリン裏板画像をごらんください。

この ヴァイオリンは 1620年頃 ブレシア( Brescia )で マッジーニ( Giovanni Paolo Maggini  1580 – c.1633 )  が   製作したものとされています。

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – c1633 ) Brescia 1620年頃 - A MONO

それから、もう一台は   Antonio Stradivari ( c.1644 – 1737 )が  1703年に製作されたとされているヴァイオリンで ” Alsager “と呼ばれているものです。

Antonio Stradivari violin 1703年 Alsager - B L
私は これらを観察するときに大切なのは 着目点としてなにを観察するかだと思います。

たとえば ヴァイオリンの演奏技術の優劣を判断したければ 音楽の特性から考えて一つの響きを『 音の始まり( 音の入 ) 』と『 音の終わり( 音の出 )』とに 意識的に聞き分ければ、十分に 優劣の判断ができると思います。

私は 上質な演奏は『 音の入 』を完全にコントロールできると達成できる可能性が高いと思っています。しかし、真の意味での音楽的に完成された演奏を達成するためには 『 音の出 』のコントロールが必要になって来ると考えています。

つまり演奏技術においては 演奏者が 『 音の入 』をコントロールするより、『 音の出 』( ” 音の始末”とも言います。)をコントロールするほうが はるかに難しいということを念頭において聴けば演奏技術としての優劣判断はほとんどの皆さんが 判断できると私は信じています。

ただし、これは『音楽的であるか』や、それが『ゆたかな音楽であるか』という観点ではありませんのでご理解のほどをお願いいたします。

 

さてヴァイオリンや チェロなどの木製品の場合です。
重要なのは 彫刻技術の能力は『くぼみを彫る技術 』に現われるということです。

この観点で上のヴァイオリン裏板画像をながめてみてください。
ヴァイオリンなどの観察のはじめは、『 どこが、どのように窪んでいるか ?』という点に着目し観察することが 見極める基本だと私は思います。

残念ながら ヴァイオリンなどの弦楽器において扁平にみえるものは未熟な人が製作した可能性が高いと 私は思っています。 木彫で使用する道具は考えないでもちいると‥ 出っ張ったところが削れます。これが単純化をまねき全体としてでこぼこが少ない扁平な印象の弦楽器の出現につながります。

5 Antonio Stradivari Schreiber - da Vinci 1712 ( c 1644-1737 )

そもそも弦楽器は あの響きがするように工夫されています。
たとえばこのストラディヴァリウスを用いた共鳴モードで裏板部の動きを観察してみてください。

409hz star0409hz 680hz star0680hz817hz star0817hz1690hz star1690hz

私は 多様な音色をもつヴァイオリンは その構成要素となる『 音の数 』を確保するために、複雑なゆれをするように作られていると考えています。

そのために”オールド・ヴァイオリン”などでは 薄板状に加工しても 立体的形状 によって剛性を高める技術として凹凸が『 木伏技術 』として用いられていると私は推測しています。

剛性 立体的形状 - 1 MONO L
この剛性を高める技術は めだちませんが たとえば 現代でも このコーヒー缶のように 用いられています。

さて、私たちは大量生産に適した 単純化されたフォルムをもつ工業製品にかこまれて生活していますので、ともすると 上に参考例としてあげさせていただいたヴァイオリンの裏板を見て 削りそこねた結果と思う方も多いと思います。

果たして それは事実でしょうか?

私は  ”オールド・ヴァイオリン”などを見る際は ”合目的性”ということを念頭に置き『 どこが、どのように窪んでいるか ?』という視線でそれを観察すると 本当に豊かな世界が見えて来ると信じています。

 

以上、ありがとうございました。

2016-7-21    Joseph Naomi Yokota