ヴァイオリンや チェロの 豊かな響きについて知りたいと熱心に調べてみても、ルネサンス以前は弦楽器に関する直接的な資料は 楽器以外ではほとんど残っていません。
たとえば 13世紀では カスティーリャ王国の アルフォンソ10世の宮廷で出版された頌歌集に、挿絵として何種類かの弦楽器があるのを確認できるくらいにとどまります。
聖母マリアの頌歌集 (Las Cantigas de Santa Maria)1221年~1284年頃
そして、15世紀になると オランダ、ツヴォレ出身で フランス宮廷で活躍したアンリ・アルノー( HenriArnaut de Zwolle ca.1400 Zwolle–1466 Paris)の「楽器の設計と構造に関する論文集」などが出てきます。
Henri Arnaut de Zwolle(ca.1400, in Zwolle-1466 in Paris)
ただし 残念なことに、この資料は 楽器においての比率に関しては意味深いものですが、それ以外の弦楽器の特質には 踏み込んでいません。
Henri Arnaut de Zwolle(ca.1400, in Zwolle-1466 in Paris)
また、ヴェネツィアの音楽家で器楽に関する重要な論文の著者となった Silvestro di Ganassi dal Fontego(1492-1565)が、1542年に Viola da gambaに関する研究書として出版した”Regola Rubertina”と、1543年刊の”Lettione Seconda”にも、振動比に関して興味深い事柄があらわされています。
Silvestro di Ganassi dal Fontego(1492-1565)
Silvestro di Ganassi dal Fontego(1492-1565)Venice, 1543年頃
しかし、この資料も比率に関しては素晴らしいのですが、弦楽器の具体的特質については ごくわずかな知見が得られるだけです。
結局、現存する楽器を細かく検証する以外に 製作に関しての具体的な知識を得る方法は見いだせませんでした。
そのため、私は弦楽器制作者として、ルネサンス期を中心に ヴァイオリン属だけでなくヴィオールや リュート、マンドリン、ギターなども含めた研究により、いくつかの仮説をたててみました。
ここでは、そのなかでも特に大切と考える『巾はぎ材』の使用について少しお話したいと思います。
●『巾はぎ ( 平はぎ )材』が用いられた弦楽器について
表板、裏板を作るために直径60~70cm以上の原木が必要なチェロだけでなく、小さいので材木が入手しやすいヴァイオリンでも、ロワー・バーツ端や アッパー・バーツ端に別の板を接着した『 巾はぎ( 平はぎ)材』で製作された弦楽器がいくつも残されています。
●1 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Tartini” 1715年
このヴァイオリンは、ヴァイオリン・ソナタ『悪魔のトリル(Devil’s Trill Sonata)』で知られるジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini1692-1770)が使用したとされるストラディバリウスです。
個人的なことで恐縮ですが、このヴァイオリンのおかげで 私は『巾はぎ材』に着目するようになりました。
●2 Andrea Guarneri(1623-1698) Violin, Cremona 1662年
●3 Jacob Stainer(1617-1683) Violin, Absam-Tirol 1665年
●4 Nicolò Amati(1596–1684) Violin, Cremona 1669年
●5 Shop of Amati ( Smithsonian Institution ) Violin 1670年頃
●6 Francesco Rugeri(ca.1645-1695) Violin, Cremona 1675年頃
●7 Francesco Rugeri(ca.1645-1695) Violin, Cremona 1680年頃
●8 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Ex Stephens – Verdehr” 1690年
●9 Antonio Casini(1630-1690) Violin, Modena 1690年頃
さて、このヴァイオリン裏板は『巾はぎ 材』ではなく、楓材の一枚板です。でも 何もしていない訳ではありません。
なんと・・・8枚組の『巾はぎ』で作られた表板を支えています。
●9 Antonio Casini(1630-1690) Violin, Modena 1690年頃
●10 Francesco Rugeri(ca.1645-1695) Violin, “anno 1672” 1690年頃
●11 Girolamo Amati II(1649-1740) Violin, Cremona 1693年
そして、フェラーラのAlessandro Mezzadri (fl.1690-1740)は 裏板を4枚接ぎで作りました。
●12 Alessandro Mezzadri ( fl.1690-1740) Violin, Ferrara 1697年
●13 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Thoulow” 1698年
●14 Giovanni Grancino(1637-1709) Violin, Milan 1702年頃
●15 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, Cremona 1705年頃
●16 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “La Cathédrale” Cremona 1707年
●17 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Stella” 1707年
●18 Girolamo Amati II (1649-1740) Violin, Cremona 1710年
●19 Vincenzo Ruggeri(1663-1719) Violin, Cremona 1710年頃
●20 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “De Barrou – Joachim” 1715年
●1 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Tartini” 1715年
●21 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Smith” 1727年
そして、ストラディヴァリウスの 裏板5枚接ぎがあります。
●22 “Guarneri del Gesù” Bartolomeo Giuseppe Guarneri(1698-1745) Violin, “Ex Zukerman” 1730年頃
●23 Camillo Camilli(ca.1704-1754) Violin, Mantova 1735年頃
●24 “Guarneri del Gesù” Bartolomeo Giuseppe Guarneri(1698-1744) Violin, Cremona 1737年
●25 Carlo Bergonzi(1683-1747 ) Violin, “Appleby” 1742年頃
●26 “Guarneri del Gesù” Bartolomeo Giuseppe Guarneri(1698-1744) Violin, “de Bériot” 1744年
●27 Camillo Camilli(ca.1704-1754) Violin, Mantua 1750年頃
●28 Lorenzo Storioni(1744-1816) Violin, Cremona 1769年頃
●29 Tommaso Balestrieri(ca.1735-ca.1795) Violin, Mantua 1770年
●30 Giovanni Baptista Guadagnini(1711–1786) Violin, “Kochanski” Turin 1774年頃
●31 Interesting 18th century violin
●32 Giovanni Battista Ceruti(1755-1817) Violin, Cremona “Ex Havemann” 1791年 BOL 355mm-163mm-113mm-208mm / “Wurlitzer collection” (1931年)
このように 接ぎ材の大きさは色々ありますが、ヴァイオリンの裏板を多数観察すると、ロワー・バーツ端やアッパー・バーツ端に別の木材が接着されたものはいくつも確認できます。
また、『巾接ぎ』は 表板でも同様にみられます。
Carlo Bergonzi(1683-1747) Violin, “Appleby” 1742年頃
Andreas Ferdinand Mayr(1693-1764) Violin, Salzburg 1750年頃
Tommaso Carcassi( worked 1747-1789) Violin, “EX STEINBERG” Firenze 1757年頃
Giovanni Battista Ceruti(1755-1817) Violin, “Ex Havemann” 1791年
これらを観察すると、『巾はぎ』で製作されたヴァイオリンや チェロは 表板と裏板が『対』として考えられていることが見えてきます。
Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Lipinski-Tartini” 1715年
Carlo Bergonzi(1683-1747) Violin, “Appleby” 1742年頃
Giovanni Battista Ceruti(1755-1817) Violin, “Ex Havemann” 1791年
私は、『巾はぎ』で製作された弦楽器は、そうでないものと比べて より音響的にこだわって製作されたと考えています。
なぜなら、1300年ほど前に製作された 五弦琵琶の最高傑作とされる「螺鈿紫檀五弦琵琶」( 響胴の幅 30.9cm )まで『巾はぎ材』の使用は容易に遡れるなど、多くの弦楽器でそれを見ることができるからです。
「螺鈿紫檀五弦琵琶」700年~750年頃(全長108.1cm、最大幅30.9cm )
●「螺鈿紫檀五弦琵琶」の “工具痕跡” が 意味することについて
“Vihuela de arco” ( around the mid-16th century ) The collection of the Encarnación Monastery in Ávila.
1500年代中頃の製作とされる、スペイン、アビラの修道院にある “Vihuela de arco” の表板は 5枚接ぎのようです。
Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Guitar, 1679年 & 1680年
これは、ストラディヴァリが製作した有名なギターですが、どちらの裏板も 4枚接ぎで製作されています。
Mandolin, Antonio Stradivari(ca.1644-1737) 1700年~1710年
そして、彼は その後にマンドリンも作りました。
Andrea Guarneri(1626-1698) Viola, “Josefowitz” 1690年頃
Andrea Guarneri(1626-1698) Viola, “Primrose” 1697年
Matthias Albani(1621-1673) Viola( 436mm )
Giovanni Francesco Leonpori( The work of a little-known 18th-century maker ) Viola, Rome 1762年頃
また、『巾接ぎ』で製作されたビオラは、どれも知る人ぞ知る・・・ といった名器です。
“Brothers Amati”( Antonio Amati ca.1540-1607 & Girolamo Amati ca.1561-1630 ) Cello, Cremona 1622年
Steven Isserlis
そして、チェロの『巾接ぎ』は 弦楽器製作者にとって、ある意味で頼りがいのある加工技術だったようです。
Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Cello, “Marquis de Corberon” 1726年
Matteo Goffriller(1659–1742) Cello, Venice 1710年頃 ( Paris, “COLLECTIONS DU MUSÉE” )
Matteo Goffriller(1659–1742) Cello, Venice 1710年頃 ( Paris, “COLLECTIONS DU MUSÉE” )
●21 Antonio Stradivari(ca.1644-1737) Violin, “Smith” 1727年
『巾接ぎ材』が使用された理由を「材木幅が狭くてたらなかった。」と説明をされる方がいますが、チェロや ギターのような幅の広い弦楽器だけでなく、わずか20cm~21cm位しかないヴァイオリンでも、ダブルで幅接ぎをしてあるものがあり、その最外部の木理を観察してみると、後世の修復による可能性がほとんど無いという状況証拠は重要だと思います。
このように考察した結論として、私は ヴァイオリンや チェロの『巾はぎ』は、豊かな響きを生み出すための“木伏”として用いられたと判断しました。
もっと言えば、『巾はぎ材』で製作された弦楽器は、その境地まで達した人間の豊かさを象徴しているように 私には思えます。
実に、すばらしい事ではないでしょうか。
● 『 巾接ぎ( はばはぎ ) 』で製作されたチェロが、教えてくれること。
2022-2-07 Joseph Naomi Yokota