「弦楽器の『響』の話」カテゴリーアーカイブ

このバイオリンは、わずか12年で‥ なぜここまで壊れたのでしょうか?

これは私が 2013年に修理を依頼されたヴァイオリンのラベルです。

ご存じの方も多いでしょうが 国内メーカーが製造しているピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズの 4/4サイズのヴァイオリンとして 2001年に製造されました。

表板は中の状態を確認していただくために持ち主の目の前で私がヘラを使ってはずしました。作業に取り掛かるまえに弦をはじくとはっきりノイズがしていましたのでバスバーの剥がれは予想していましたが‥ ここまでとは !!

写真でわかるようにバスバー両側が完全に剥がれていて、その上 指板下の表板ジョイント部が 140mm程( 表板全長 354mm )の長さにわたって剥がれていました。

そして表板ジョイントの剥がれを撮影しようと私が表板をさわっていたら『 パキッ 』という音とともにバスバーが外れてしまいました。

そしてこの景色となりましたが、私の経験ではそもそもバスバーが脱落するケースはほとんどありませんでした。このようにバスバーがはずれたのは 私の30年間の経験 ( 2013年 )では 3例目となりました。

これが脱落したバスバーを E線側から見たものでバスバー長さが 275.0mm 上下スペースがネックブロック側 39.0mmのエンドブロック側 40.0mmで厚さが写真向かって左のネック側端が 5.5mmで 駒部 6.4mmのエンドブロック側端が 5.8mmとなっています。

そしてバスバーの高さは駒部が 11.6mmで両端が 4.5mmとしてありました。また F字孔間距離の最狭部は 39.8mmにしてあり、これに対しバスバーは 0.1mm内側に取り付けてありました。

因みにこのヴァイオリンのあご当て無しでの重さは 410g程で、そのうちバスバーの重さは 5.9gで バスバーがない状態の表板は 73.0gでした。

このピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズのヴァイオリンは魂柱( Soundpost )が立っていた部分が表板、裏板ともすでに窪みができていました。

このダメージ傷によってピグマリウスに入れられていた魂柱が 直径 6.0mm であったことが推測できます。

私の経験では、ダメージ窪みは スプルース材の表板に比べて 楓材でつくられた裏板は深くはありませんが、このヴァイオリンのように識別可能な窪みとなっているケースは 多いようです。

ヴァイオリンは響胴の変形が進行すると、魂柱が立つ位置の表板と裏板の空間 ( 高さ ) が少しずつ狭く( 低く ) なっていきます。

しかし魂柱は圧力がかかってもほとんど縮まないので、結果として表板や裏板にめり込むかたちになります。

別のヴァイオリン表板内側に生じた魂柱窪みの写真

この過程でのダメージ窪みは 緩慢なスピードで深くなっていきますので、初期から中期にかけては下の写真 e. ( チェロ )と f. ( ヴァイオリン ) のように 表板の割れに至っていないことが多く、外見からの確認は難しいようです。

ヴァイオリンのアーチの条件などにもよりますが 、表板の魂柱部の窪みは下写真のヴァイオリン  f. のように魂柱部の厚さが 3.2 mm で、魂柱位置の厚さは 1.9 mm になることすらあります。 ( 1.3 mm めり込んだようです。)

この段階でも このヴァイオリンは魂柱割れ( Soundpost crack )は入っていませんでした。

下の2枚の写真は 参考のために上のヴァイオリン  f. の内側にサランラップを貼り 四角い木の台座に厚塗りした粘土状樹脂で 魂柱部の窪みの型をとったものです。

サランラップですこし不明確にはなりましたが直径 8 mm 程の窪みが凸型で確認できると思います。

     

表板の疲労変形が生じているヴァイオリンは ちょっとしたことで魂柱が倒れたりします。 下の型は上の楽器とは別のもので、5年ほど使用された新作イタリア製ヴァイオリンから同じくサランラップ越しにとったものですが、過去に調整を依頼された楽器屋さんが 魂柱を外に引っ張ったり‥ 場所を変えてたてた跡が10ヶ所ほど残っていました。

あまりに頻繁に魂柱が倒れるのでかなりきつくいれたようで、よく見るとサランラップ越しなのに表板のスジ状の年輪と直交するかたちで魂柱の断面にあった年輪のあとがクッキリ残っています。私はこの写真を弦楽器工房の関係者すべてに 心にとめておいていただきたいと思っています。

       

残念ながら魂柱窪みに関してはストラディヴァリウスも例外ではありません。

表板魂柱部の割れをサウンドポスト・パッチで何度修復してもその後に再び窪んでしまうものが少なからず存在します。

それから‥ ガルネリ・デル・ジェズでは 、ヤッシャ・ハイフェッツ ( Jascha Heifetz  1901-1987 ) が愛用していたヴァイオリンが象徴的だと 私は思います。

このヴァイオリンは 1950年頃に修復のために表板が外されており、その際の写真で 魂柱部のダメージ窪みなどが確認できるからです。

私はこれらの弦楽器にみられるダメージ傷や割れなどの破損は バランスが調和していない弦楽器を『 演奏した‥ 』結果、表板が歪んだことで生じたケースが多いと考えています。

ヴァイオリンや チェロは「強制振動楽器」であることから、バランスが調和していない楽器は 弦を張って数時間後から 数日で「組み上げた直後とくらべて、音の立ち上がりが悪くなり 響きが失われ‥硬くなった感じがする。」という初期症状が確認出来ます。

これらを念頭において観察すると、冒頭に挙げさせていただいた ピグマリウス『 REBIRTH(リバース)』シリーズのヴァイオリンが12年で演奏不能になったことも理解出来るのではないでしょうか。

 

 

 

 

2019-3-20                Joseph Naomi Yokota

既製品のヴァイオリン 整備見本が仕上がりました。

“Pygmalius Derius”  Violin ( Special – G )  2007年製

私は 弦楽器製作以外に、ヴァイオリンや チェロなどの整備や販売もやっています。

ところで 整備の場合は 費用は内容で違い、特別な整備では ¥1,000,000- を越える場合もまれにありますが ほとんどが¥5,000- ~ ¥500,000- の範囲で、実際に依頼された時に持ち主の方とご相談して決めています。

このとき ¥5,000- ~¥30,000- の整備では、その具体的な内容の説明は難しくは無いのですが、例えば ¥50,000- とか ¥80,000- あるいはそれ以上の場合は 具体的な整備内容の技術的な( あるいは音響システム上の )説明に苦慮することがよくあります。

“Pygmalius Derius”  Violin ( Special – G )  2007年製

このために『 整備済みの具体例があれば 分かりやすいのでは‥。』と考えていましたが、先日 このヴァイオリンの委託販売を依頼されたので、好機と考え 実際に ¥80,000-整備例として仕上げました。

因みに このヴァイオリンは 2007年製の “ピグマリウス・デリウスシリーズ”  4/4サイズ ヴァイオリンで スペシャル モデル  ( グアルネリ型 )  です。購入時の価格は 税込み ¥294,000- ( 本体価格 ¥280,000- ) でした。

私は このヴァイオリンを初心者の方でも購入できるように 整備費込みで ¥210,000- ( 税込み )で販売しようと思います。

内訳は、 整備 ¥80,000 + 本体¥130,000 = ¥210,000 ( 税込み ) です。

それとともに、このヴァイオリンの購入者が決まるまでの間、整備費用 ¥80,000- の実例見本として、皆さんに弾いて頂くことにしました。

私は 整備の説明でよく『 弾けば‥ きっと、分かりますよ。』と お話ししています。その通りのレスポンスや 響きとなっていますので、ご自分のヴァイオリン整備を考えていらっしゃる方には このヴァイオリンを試奏することがよい参考になると思います。

是非、電話 あるいはメールの上で お気軽に このヴァイオリンの試奏においでください。

また、ヴァイオリンの購入を考えていらっしゃる方には 60万円位までの価格帯のヴァイオリンの中では ずば抜けている性能のヴァイオリンに仕上がっていますので、どうかご検討ください。

 

  なお、この整備に必要な時間は おおよそ 4日 ~ 7日で チェロで同じ整備をする場合は 費用するが ¥160,000- ( 税込み )となります。どうか ご理解の程を お願いいたします。

 

この ヴァイオリンは おかげさまで  1月19日にはご縁があったお客様の手元に渡りました。ありがとうございました。

 

 

 

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2019-1-11                Joseph Naomi Yokota

干渉と共鳴についてのメモ

ピタゴラスが見出したことについての説明が短文でわかりやすく書かれているので共有させていただきました。

“ドレミファソラシド”を発明したのは誰か

2018年11月11日 11時15分 プレジデントオンライン

■「音階」を発明したのは誰か?数学と音楽の関係をご紹介したい。

みなさんご存じの「ドレミファソラシド」の音階。実はこれを発明したのは、「ピタゴラスの定理」で有名な古代ギリシャのピタゴラスなのだ。ある日、散歩をしていたピタゴラスの耳のなかに、鍛冶職人がハンマーで金属を叩く「カーン、カーン」という音が入ってきた。そしてピタゴラスは、美しく響き合う音と、そうでない音があることに気づいた。不思議に思い、いろいろな種類のハンマーを叩いて調べたところ、美しく響き合うハンマーどうしは、それぞれの重さの間に単純な整数の比が成立することを発見したのだ。

特に2つのハンマーの重さの比が2:1の場合と、3:2の場合に、美しい響きになった。そこでピタゴラスと弟子たちはさらに熱心に音階の研究に取り組んだ。彼らは「モノコード」と呼ばれる、共鳴箱の上に弦を1本張った楽器を発明し、2台のモノコードを同時に弾いて、弦の長さを変えながら美しく響き合う位置を探した。その結果、やはり弦の長さが2:1になったときに2つの音が完全に溶け合い、3:2や4:3のときにも音が調和することがわかった。

「ドレミファソラシド」の低いドから高いドまでの音程の幅を「1オクターブ」という。そして、その1オクターブ離れた2つの音は同時に響くと、高さの違う「同じ音」に感じられ、濁りなく美しく調和する。音楽では、音程(2つの音の、音の高さの差)を「度」で表す。同じ高さの音どうしは「1度」、ドとレのように隣り合う音は「2度」になる。特に美しく響き合う「完全音程」は1オクターブのなかに「完全4度」(ドとファ)、「完全5度」(ドとソ)、「完全8度」の3つがあって、弦の長さの比と関係は図のようになる。完全8度だけでなく、美しく響き合う音程になるときの2つの弦の長さの比が、簡単な整数の比になることを発見したピタゴラスたちは非常に感銘した。

数字とはかけ離れたものだと思われていた音楽の美しさがリンクしていたという事実。彼らはそこに何らかの神の意思をくみとり、数字はすべてのものとつながりがあるのではないかと考え、その後は「万物は数である」というスローガンを掲げて活動するようになった。ピタゴラスと弟子たちの熱心な啓蒙により、古代ギリシャの人々は、宇宙は数の調和でつくられていると考えるようになる。宇宙の調和の根本原理は「ムジカ」であり、その調和は「ハルモニア」である。英語でムジカは「ミュージック」、ハルモニアは「ハーモニー」だ。

こうして古代ギリシャ以降、中世に至るまで、音楽は哲学や科学に近く、秩序や調和の象徴としてとらえられていた。数学(mathematics)の語源はギリシャ語の「マテーマタ=学ぶべきもの」で、古代ギリシャにおけるマテーマタ(数学=学科)は、「算術(静なる数)」「音楽(動なる数)」「幾何学(静なる図形)」「天文学(動なる図形)」の4分野から成っていたのだ。古代ギリシャ人にとって音楽(美の中にある数)がいかに「学ぶべきこと」であったかが、うかがえるのではないだろうか。

———-永野裕之永野数学塾塾長1974年、東京都生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科卒。大人の数学塾・永野数学塾塾長。著書に『統計学のための数学教室』『ふたたびの高校数学』『東大→JAXA→人気数学塾塾長が書いた数に強くなる本 人生が変わる授業』など。———-(永野数学塾塾長 永野 裕之 構成=田之上 信 写真=iStock.com)

”加熱痕跡”はいつ付けられたのでしょうか。

前の章からの続きになりますが、私が加熱痕跡から何を読み解いているかについてお話ししたいと思います。
私が 加熱痕跡の読み方について確信を得たのは 15年程前にこのヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)が製作した、このヴァイオリンに出会ったからです。

この楽器は 製作されてから まだ150年程しか経っていませんが 表板、裏板ともに肩の位置などにキズ状の加熱痕跡があったり、あご当て部と右肩部にも大胆な加工がしてありました。

私はそれまでもキズ状のものは全て確認するようにしていましたが、”オールド” に入っているその数は『 数えきれない‥。』と思うこともしばしばでした。

これは ヴァイオリンの歴史として” 1500年代半ばに登場し1700年前後には黄金期を迎え、弦楽器製作者が 技術の粋を尽くして 沢山の名器が製作されたものの、 スペイン継承戦争でフランスとオーストリアの領地争奪戦に巻き込まれたロンバルディアの諸都市は言うまでもなく、ヨーロッパ世界を恐怖に陥れたペスト禍や 相次ぐ戦争が 弦楽器製作の世界にも影をおとし、18世紀末までに急激にその製作者数が減少し‥ ついには絶えてしまった。” とされている影響だったと思います。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann”  [ Wurlitzer collection 1931 ]
( Photo : Jiyugaoka violin  1998年 )

“オールド・バイオリン”を目にした時、頭のなかに『 やはり300年くらい前の楽器は、現代まで受け継がれる間にはひどい目に遭ったはずだから‥。』という発想をもつと 単純な思い込みに陥るようです。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( Bein & Fushi inc. 1981年 )

その私が はじめて”オールド・バイオリン”のすり減ったりキズ痕だらけの様子に『 あれっ?』と違和感を感じたのは、 20年ほど前にクレモナ派の実質的な最後の継承者である G.B. チェルーティが製作した このヴァイオリンを扱ったときでした。

このヴァイオリンは モーツァルトが死去した1791年にクレモナで製作されたもので ”ex Havemann ” のニックネームを持っていて、すでに 1931年には ニューヨークのウーリッツァー商会が出版し公表した有名な ”ウーリッツァー・コレクション”で写真付きで掲載されている名器です。

私が目にした1998年は、この楽器が 1791年に製作されてから 207年ほど経っていたわけですが、私の知っている どの G.B. チェルーティより”キズ痕”が多いうえに、それらは人為的につけられた気配が濃厚でした。

なお、このヴァイオリンには 1939年に発行された レンバート・ウーリッツァー社 ( Rembert Wurlitzer Co.、) の写真添付の正式な鑑定書もついていて、その時点での様子をある程度は推測できました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( William Moennig & Son   1958年 )

また、この他にもフィラデルフィアの著名ディーラーだった ウイリアム・メーニック ( William Moennig & Son ) が 1958年に発行したものと、シカゴの Bein & Fushi inc. が 1981年に発行したものも含めて鑑定書はあわせて3通もついていました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann” ( Rembert Wurlitzer Co. 1939年 )

それで私は このヴァイオリンの”キズ痕”を順に確認してみました。もちろんですが 1998年は製作されてから 207年、1981年は 190年経過を意味し、1958年は 167年で 1939年は 148年、そして 1931年は 140年しか経っていなかった‥  ということを踏まえた上での話です。

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       1958年 ( 167年経過 )                                  1939年 ( 148年経過 )

さすがに 1939年や 1931年の写真では 外周部がだいぶん不鮮明ですが、それでも駒やF字孔周りの加熱痕跡はしっかりと写真に捉えられていました。

では‥ このイタリア、クレモナで1791年に製作されたこのヴァイオリンの「キズ痕」はいつ入ったのか?

ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会ったのは、私が  G.B. チェルーティ作のヴァイオリンと出会った後に さらに5年程の歳月があり、その間にも多くのオールドやモダンの弦楽器を目にしたことによって『  製作時にはじめから入れられていた。』という結論を探っていたタイミングでした。

さて 話が長くなり恐縮ですが、 ここで製作されてから 100年ほど経過したヴァイオリンのこともお話ししておきたいと思います。

( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

これは 1910年に ミラノで  レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏が製作したヴァイオリンです。

これは所有者の方が 25年程前に 当時 ‥ 一般的に認識されているレアンドロ・ビジャッキ作 ヴァイオリンの販売価格の 2倍くらいの値段で購入されたもので、私は 翌年の 1992年から整備を担当しています。

すばらしい事にこのヴァイオリンは ブリュッセルで開催された 万国博覧会にイタリアから出品され、ゴールド・メダルを受賞した製作当初の状況が 私がこの写真を撮影した 2012年までの 102年間ほぼそのまま保たれています。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )   violin,    Milano  1910年

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

なぜ そう言えるかというと、このヴァイオリンは万博のコンペテーション部門の展示作品なので、1910年に撮影された新品状態だった時の写真が残っているからです。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano 1910年
( Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年 )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )


Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

 

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

因みに、ブリュッセル万国博覧会は 1910年 4月23日から 11月7日までベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際博覧会で 会期中に 1300万人が来場したそうです。

この博覧会にイタリアから出品されたレアンドロ・ビジャッキ(  Leandro Bisiach  1864 – 1945  )が製作したヴァイオリンのラベルには 1910年にミラノで製作したと書かれています。

これはおそらく 4月からの万国博覧会出品のために前年にはあらかた完成していたヴァイオリンに このラベルを貼って仕上げたためではないかと 私は推測しています。

そして、このヴァイオリンは 二つの世界大戦や恐慌などの時代を乗り越えて 戦後のいつかは判然としませんが、遅くとも 1990年頃には日本に運ばれていて、購入された後はそのまま東京で所蔵されることになった次第です。

私は このヴァイオリンの実物と、 ブリュッセル万国博覧会に出品された時の新品写真、そして 2012年に私の工房で撮影した写真を詳細につき合わせてその差異を確認しました。

その結論として、このヴァイオリンは 指板の左右表板の『  演奏キズ  』や 表板C字部中央付近の『  弓の打撃痕  』、そしてそれ以外にも縁などについている『  キズ状  』の加熱痕跡も製作時の加工によるもので、裏板やヘッドのニスが剥がれている景色も 製作時に加工されたことが確認できる貴重なミント・コンディションの楽器であると確信しました。

そして 加熱痕跡のようすから考えると、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏も “オールド・バイオリン” のキズ痕や ニスの剥離した景色は「 製作時にはじめからそう作られていた」と判断して、それに学びながら弦楽器を製作していたと 私は考えることにしました。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) Cremona,  Violin 1555年頃

そして、ここで やっと 加熱痕跡の読み方の話しに帰ってきます。

上にリンクを貼ってありますが、私が 第4章で触れた アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるヴァイオリンの裏板に点々と入った加熱痕跡についての考察です。

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G.B. チェルーティ ( Giovanni Battista Ceruti  1755-1817 ) が 207年前の1791年に製作したヴァイオリンや、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864-1945 )氏が 82年前の1910年に製作したものなど、加熱痕跡があるヴァイオリン達に学んでいた私は 2003年に153年程前に製作された 前出の ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会いました。


そして 精査した結果いくつもの状況証拠により、私はこのヴァイオリンにある このような加熱痕跡も『 製作者本人が製作時に 加えたもの。』と判断しました。

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Gaspar da Saló   /  Violoncello

“オールド・バイオリン”などに見られるキズ痕について。

私達が “オールド”と呼びならわしている弦楽器のなかに『どうして このキズがついたのだろう?』と不思議に思える楽器があります。


Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   violin,  “King Charles Ⅸ” ( Ashmolean ) 1564年

そこで、私は これらのキズの特徴を調べてみました。
その結果 これらのキズ痕に見えるものの多くが、焼いた金具や針状のものでつけられていることを見出しました。
それから 私はこれを 加熱痕跡と呼ぶことにしました。

因みに”オールド・バイオリン”を検証すると 同一の製作者でも 加熱痕跡が多い弦楽器と そうでないものを作ったことが分りますが、私は 前者こそが 弦楽器特性を確認する上で重要と考えています。

なぜなら 私はこの加熱痕跡を 理想的な響きを生みだすための “木伏”として捉えているからです。

木工の世界で “木伏”としての技術は現在でも受け継がれています。シンプルなものとしては下の動画にあるように 木材を火で焼き焦がすなどの熱処理があります。
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火にかざすシーンは 3分36秒辺りからです。 ( 4分39秒 )

また、『 焼き杉 』の板壁もそうです。 新建材が普及するまでは 防腐加工として表面が焦げる程度に焼き、その後にススを落として磨き込んで艶を出すなどの加工をして土壁などの外側に被せて化粧壁として利用されていました。

 

風雨にさらされる建築物では 焼いたまま使用することもあったようです。

今日ではめずらしくなりましたが 焼き杉は 伝統的な建物の外壁材でした。杉板の表面を焦がして炭化状にしておくことで火を付きにくくして 耐火性能を高めることが出来たり、 雨風にさらされる外壁の耐久性を高めることが出来ることはかなり昔から知られていたようです。

それから‥この浮世絵は 葛飾北斎、歌川広重らと同時代に活躍した歌川国芳( 1797 – 1861 )が1831年頃( 天保2年 )に製作した「東都三ツ股の図」です。

隅田川の中州から深川方面を眺望する構図で 川にはシジミ取りの舟が浮かび、 手前の中州では船底を焼く様子が描かれています。 これは虫害・腐食の防止のためにフナクイムシを退治する方法である『 船蓼(ふなたで)』作業だそうです。

フナクイムシはフナクイムシ科の二枚貝で貝殻は1センチにも満たないもので 体の一部だけに被っていて、体は貝殻から外に細長く伸び 成長すると1メートル前後にも達するそうです。

恐ろしい事にこのフナクイムシは ヤスリ状になっている貝殻の前部を動かして船底外板に穴を掘り木質部のセルロースを消化しながら深く侵入するため、ついにはこの穴から浸水したり船体に亀裂を生じさせるなどの被害をまねきます。

ですから木造船にとって この『 船蓼(ふなたで)』という船底の熱処理は重要であったことがわかります。

これは、サントリー白州醸造所の見学コースを撮影したもので ウイスキー樽の『リチャー』とよばれる再利用工程だそうです。

私達の日常には 多くの木材が用いられていますので このウイスキー樽の『リチャー』のように、あまり目立たない場所でも 木材の加熱加工は受け継がれています。

http://www.kagakueizo.org/create/other/426/

お琴の製作工程にも 加熱加工である焼入れ工程があります。これはいささか古い映像で恐縮ですが、7分6秒辺りからがそれにあたります。(16分20秒 )


最近(2014年)の動画でいくと、この製作工程を紹介する番組では焼き作業は 5分55秒あたりから出てきます。( 14分00秒 )

これらの動画にもあるように琴や鼓、三味線などでは木材の加熱加工以外にも 良い響きをうむために響胴に 綾杉彫りや 子持ち綾杉彫り、すだれ彫りなどの立体的形状の工夫が施されているそうですが、 番組中でも 加熱加工である『 焼きは 琴の品質を左右する最も重要な工程。』と説明されています。

Here Charles Bazin is cambering a stick.
In Mirecourt the bowmakers would go to the bakery when they swept the coals out of the oven. They would fill an old ‘Marmite’ or Dutch oven with coals and use them for cambering. I use an old fashioned hotplate with an exposed element to give the same even heat but in other traditions an alcohol lamp is used as well.

This is a great photo of the archetier Joseph Arthur Vigneron.  Vigneron was born in Mirecourt and trained with his step father Claude Nicholas Husson.  His early work is indistinguishable from the work of his master.  In 1880 he relocated to Paris to work for Gand & Bernadel.

そして‥ 我らが 楽弓のスティック( 棹 )で施されている ベンディング ( 熱処理工程 ) が意味していることを 改めて考えてみるのはどうでしょうか?


Making a Violin Bow /  Bending the Stick( Reid Hudson )

写真のように 19世紀末にフランスで弓製作者として知られていた Charles Bazin ( 1847-1915 )と、1880年から Gand & Bernadelの工房で弓製作をしていた Joseph Arthur Vigneron ( 1851-1905 ) の 作業台にも スティックの加熱加工のために 石炭が入れられた容器が置かれています。

Vigneron の小さい容器には この写真が撮影されたときに ニカワの湯煎ポットが置かれていますが、写真で作業台の手前側にある窪みがベンディングの際にスティックを曲げるために使用した跡と考えられますので、彼も ベンディング作業中の Bazin と同じように この石炭容器を 加熱加工のための熱源として使用していたようです。

現代の楽弓製作者も スティックの ベンディングのための熱源こそ 電熱ヒーター、アルコールランプ、ヒートガン、ブタンバーナーなどと選択肢は増えましたが ペルナンブーコ材などに加熱加工を施すことによって弓の特性が向上するように工夫しています。

 

私はこのように木材を素のままではなく加熱加工や雨ざらし、蒸気加工、可塑剤の塗布、剛性差を生むための立体的形状の工夫、そして高度な木組みなどの人為的行為によって素材特性を変化させ利用する技術を ”木伏”と捉えることにしています。

特に、加熱加工はこのような木材の多岐にわたる利用のなかで経験則から最終的に確立された高度な技術であると思っています。


Georg Klotz (1687-1737),  Mittenwald 1730年頃

さて‥ 弦楽器においての加熱痕跡ですが、これを理解するためには 例えば このクロッツのように 表板全体に施されたものから それらの関係性を読み解く糸口となるキズ痕を確認していくことが大切になります。


なお、加熱痕跡のうちスジ状のキズにみえるものは 立体的表面形状の特性をととのえる目的で用いられている可能性がありますのでより慎重に観察する必要があります。

例えば、ヴェネチアで マッテオ・ゴフリラーが製作したとされるこのヴァイオリンで スジ状のキズを見て下さい。


私は このキズ状の加熱痕跡は製作者本人が このヴァイオリンを作った時に入れたもので間違いないと思っています。 それは次の 撮影光線角度を工夫した写真により 皆さんにも納得していただけると思います。


この写真でわかるように「キズ」に見えたスジは傷がつきにくい窪みの底にあたる“谷線”に入っています。 これが加熱痕跡が偶発的なものでないと理解していただくための状況証拠です。

そして申し添えれば このようなF字孔の加工は マッテオ・ゴフリラー の独自のものではありません。

ここでは類似事例として Walter Hamma が1986年に出版した “ Violin-makers of the German School from the 17th to the 19th century ”の vol.Ⅱの125ページに掲載されている Johann Adam Popel ( Ende 17.~Anfang 18.)のビオラの写真をあげさせていただきます。

この楽器は  Bruckで1664年に製作されたものとされています。
ご覧のように 右側F字孔に2本のスジ状のキズ が入っているのが とても際立っています。

右側F字孔はその響のなかで特に高い音域を担当することが多いようですので、このように加工された弦楽器を 私は興味深いと思っています。


なお、 “オールド・バイオリン”の製作者は F字孔に複雑な振動をさせるために スジ状のキズ より下の写真のような彫り込みによる立体的表面形状を 枢要な条件設定と考えたようで、F字孔にこのようなスジ状の加工まで施された楽器はまれにしか見つかりません。

Andrea Guarneri ( 1623 – 1698 ) violin,  Cremona 1658年

Front of the Guarneri del Gesù

Antonio Gragnani    violin,  Livorno

それでも、このキズの有無はほかの加熱痕跡とあわせて考えることで状況証拠として音響性能を推測するのに役立つのではないでしょうか。

Ignatius Christianus Partl ( 1732-1819 )   violin,  Wien 1760年頃

下にあげた写真は ミラノで弦楽器製作を栄させた Carlo Giuseppe Testore( 1660~1738 )の息子で同じく ミラノ派を代表する Carlo Antonio Testore( 1687~1765 )が 1740年頃に製作したヴァイオリンのものです。

このヴァイオリンの右側F字孔にもスジ状のキズ があります。 これをその下にある 角度を変えて撮影した写真と比べてみてください。

この写真でスジ状のキズに見えた線は 谷線として刻まれていることがご理解いただけると思います。


Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )    Violin Milano  1740年頃

もう一度正面から位置関係を確認してみましょう。
そうすると先程ご覧いただいたスジ状のキズ以外の 加熱痕跡、特に直線的に並んでいるものが 意志的に見えてくるのではないでしょうか。


このように調べていった結果‥ 私は 右側F字孔の加熱痕跡についての典型事例として、アマティ兄弟が 1629年に製作したとされるこのヴァイオリンにたどり着きました。

右側F字孔部には 加熱痕跡がたくさんみられますが、ほかの部分は少し抑制的な印象をうけます。このコントラストこそ 製作者が 視覚的要素より聴覚的情報を頼りとして、このヴァイオリンを仕上げたことを暗示しているのではないでしょうか。

そういう切り口から考えて、私は このヴァイオリンの加熱痕跡は  理想的な響きを生みだすための “木伏”の見本だと思っています。

Antonio e Girolamo Amati  violin,  1629年


このように入念に加えられた加熱痕跡は、当時の製作者の技術能力の高さを 今に伝える貴重な状況証拠と言えるでしょう。


それから、余談ですが‥ このような加熱痕跡がある弦楽器を 私は特にアマティ工房の名器に多数見るように思います。

例えば ジローラモ・アマティの息子である ニコロ・アマティが 1640年以降に製作したとされる このヴァイオリンもそのひとつです。

Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年

私は このヴァイオリンは本当に『すばらしい!』と思います。

 


Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年以降

 

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恐縮ですが 続きは こちらです。

 

 

 

 

2018-1-26                Joseph Naomi Yokota

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弦を交換する前に 試してみてください。  

 


ヴァイオリンや チェロの響は ヘッドの影響を大きく受けています。そこで私は、その応用で弦楽器の鳴り方を改善する実験をお薦めしたいと思います。

これは ヴァイオリンや チェロのナットにある溝に、弦の滑りを良くするために 鉛筆( 5B )やローソクを塗る 通常メンテナンスを工夫したものです。

一般にはナット溝のメンテナンスとしては鉛筆が普及しているようですが、私は 蜜蝋入りロウソクの方が より効果が大きいと思っています。この実験のために 恐縮ですが それを準備してください。

因みに、私の場合は仕事でお客さんに差し上げたりしていますので  山田念珠堂  /  蜜蝋入りローソク あさみどり3号 54本入り ( 税込3,888円 )を使用しています。

それから、 この実験は簡単ですので 所要時間 1~2分といったところだと思います。


実験は、まずはじめに準備した弦楽器の響を 開放弦程度でかまいませんので4本とも確認してください。

それから、ヴァイオリンやチェロのナットにある 4本の弦溝のうち 4番線( 一番左側 )の溝だけ 弦の滑りを良くするためにローソクを塗り その後また調弦します。

そして、もう一度 響を確認してください。すると‥ ローソクを塗った4番線だけでなく他の3本も含めて 鳴り方が改善しているのではないでしょうか。

これは4本のうち1本のナット溝だけ塗ったことで ヘッド部のねじりが大きくなり、それが響胴の共鳴条件を改善したためと考えられます。


なお、この実験は弦の状況でも結果にある程度の差が生れます。

例えば、上写真のチェロに張ってあるスピロコアーC線のように芯弦のケーブル 注)1  の上を ナイロンの中間材でさや状に包み、その外側に銅色の丸い金属線が巻いてあり( ラウンドワウンド )、それにまた 白銅色の丸い金属線が巻きつけてあり、最後に平たいベルト状の白みがかった金属が巻き付けてあるフラットワウンド弦で、ある期間使用し‥ 少ししなやかさが失われかけたものは、劇的に改善がみられるようです。

 

注)1
写真では解いていませんが この弦は 中央に2本のピアノ線がねじって糸状にされ、それを包むように6本のピアノ線が強く編み込まれて合計8本で線状ケーブルになっています。つまり、このスピロコアーのC線は 中間材のナイロン部を一つとして数えると12本の線材などで作られています。

私の経験では、ヴァイオリンやチェロで一般に使用されている弦はフラットワウンド弦が多いので 、張ってから時間が経つと内部のずれなどの影響で一番外側の平らなベルト状金属に隙間ができてしまい、駒の弦溝やナットの弦溝部でのすべりが悪くなっていることが 多いようです。

つまり、弦を交換する頃が この実験に最もふさわしいのではないかと 私は思っています。

少し前のトマスティーク社のドミナント弦の広告で、伝統的な手作業でフラットワンド加工をしている写真が貼られていました。

 


芯弦( コアー )がナイロンの場合は 当然‥ 不安定要因が多くなりますので、この実験は より効果が分かりやすいかもしれません。

なお、私はこの投稿では 一応「実験」と言う表現を使っていますが この実験の効果は特に一時的なものではありませんので‥ 結果として、弦を使用できる期間をのばせるのではないかと思います。

それから、弦楽器においてのねじり条件をより知りたい方のために、下に別の実験のリンクを貼っておきます。

非対称楽器であるバイオリンの “名器的響き” を楽しんでください。

 以上、ありがとうございました。

 

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2017-7-18               Joseph Naomi Yokota

私は テールガットを リスペクトします。

 

スタインウエイが 1872年に取得した特許で デュープレックス機構というのがあります。


スタインウエイの アグラフとチューニングピン

これは ‥ ピアノの響には 打弦された弦が自由に振動する範囲の前後外側部分にあるアグラフや チューニングピン位置などの条件が影響していることに着目し、それを 積極的に利用するものでした。

公告番号 US126848 A
公開タイプ 認定
公開日 1872年5月14日
公告番号 US 126848 A, US 126848A, US-A-126848, US126848 A, US126848A
発明者 C. F. Theodor Stedtway

IMPROVEMENT IN DUPLEX AGRAFFE SCALES FOR PIANO-FORTES.

UNInn STATES’ PATENT OFFICE.
G. F. THEODOR STEINWAY, 0F NEW YORK, N. Y., ASSIGNOR TO HIMSELF, .elli-BART STEINVAY, AND WILLIAM STEINWAY.

Speciiication forming part of Letters Patent No. 126,943, dated May 14, 187
To all whom it may concern:

Be it known that I, (l. I?. Trinonon S’rnnt WAY, of the city, county, and State of New York, have invented anew and Improved Duplex Agrai’e Scale for Piano-Fortes; and I do hereby declare the following to be a full, clear, and exact description thereof, which will enable those skilled in the art to make and use the saine, reference being had to the aecompanying drawing forming part ot this specification, which drawing represents a plan of a grand piano-forte with my improved scale.

My invention consists in brin ging the vibrations of that portion or’ the string which is situated between the agrade and the tuningpin, in proportion to those ot’ the main portion of the string, in such a manner that the tone produced by said a gratie section is brought in harmony with that of the main section, and thereby the purity and fullness of the tone of the instrument is materially increased, also,4

in bringing the longitudinal vibrations of that portion ot’ the string which is situated between the sounding-board bridge and the hitch-pin in proportion to the vibrations of the main section of the string, so that the sounds due to these longitudinal vibrations are brought in harmony with the tone ot the main section of the string, and the purity and fullness of the tone of the instrument is improved.

In order to enable others to understand my invention, I will here remark that the term scale77 of a piano-torte comprises the position of the strings side by side or above each other, their length and thickness and their tension; and my improvement is applicable to all stringed instruments in which the sounds are produced by the action ol hammers.

If the bass tones of a stringed hammer instrument are sounded -irom octave to octave toward the trcblea great diiierence appears in the effect of the various strings, according to their length, as far as the partial tones of the strings are concerned, which are duc to the spontaneous subdivisions of said strings in halves, quarters, eighths, sikteenths, 85o. rl’he longest duration ofthe vibrations and the highest quality’ to subdivide in partial tones is found in the strings between the contra C and the small c. Within these limits each string subdivides itseli` by the blows of the hammer and by the transverse vibrations due to the same in a large number of nodes whereby the so-called harmonic overtones are produced, and whereby the fundamental tone is rendered rich and brilliant. At the same time this portion of the strings, particularly, produces, by the longitudinal vibrations, a number of unharmonic side tones, making a whistling sound, which disturbs the purity of the tone. Both these qualities disappear as the height of the tone increases, so that the limit of producing a pure fundamental tone is found at a4, while it is in most cases desirable to obtain a clear tone from c5,- but the inherent firmness of the thick strings generally employed, and the great tension required on account of thickness prevents the string ot’ the above-named o5 to make the proper transverse vibrations due to the fundamental tone, and a division into partial tones is out of thc question. In order to eft’ect or promote the subdivision of the string and to produce the desired partial tones, I combine with that portion of the string which is situated between the tuning-pin a (see drawing) and the main agrafte b a secondary agratt’e, c, which supports the string and is placed at a distance from the main agrae corresponding to one of the above-named subdivisions of the main section d oi’ the stringthat is to say, at a distance equal to l, l, 15, or of the length of the main section, or to any combination ot’ these fractions. The main agrafte Z), which supports the string only at one point, allows the transverse vibrations to extend to that part of the string between the said agrafte and the tuning-pin, the vibration of this part being in a direction opposite to that of the main section of the string. By inserting the second agrafi’e c at a distance from the main agraffe equal to gf, gg, ,15, 517 or E13 of the length of the main section oi the string, the subdivision of the string into partial vibrations, and the consequent production of harinonic overtones is effected or promoted7 and a clear, strong, and brilliant tone is obtained up to the highest note.

In the drawing I have marked opposite to each tuning-pin the proportion existing between the distance of the two agra’es and the length of the main section of the string.

By allowing the vibration of the strin g to extend beyond the main agraie the durability of the string is materially increased, since by cutting oft` the vibration of the string at this bration of the strings, I avoid by supporting that portion of the string between the sounding-board bridge and the hitch-pin at distances from the outer bridge-pins equal to l, or 51T of the length of the main portion of each string, or kto any combination 0f these fractions. By the sounding-board bridge the continuation of the transverse vibrations must necessarily be interrupted, owing to the width of the bridge supporting the string, whereby these vibrations are ei’ectually stopped; but particularly With strings of’great thickness, as generally used in piano-fortes of recent construction, the longitudinal vibrations ofthe strings .extend to those portions which are situated between the kbridge and the hitchpins; and in order to avoid unharmonic tones due to these longitudinal vibrations I apply between the bridge and the hitch-pin g, under each string, a support, e, at a distance from the outer bridge-pinf, corresponding to T15, 3 1? or of the length of the main section d of the’ string, or to any combination of these fractions.

In the drawing I have marked opposite to each hitch-pin the proportion existing between the distance from the support c to the bridgepin and the length of the main section of the string. By these means the unharmonic tones due to the longitudinal vibrations ofthe strings are converted into harmonious tones, whichl being transmitted through. the bridge to the sounding-board reach the ear and strengthenl and enrich the fundamental vtone of the string, instead of disturbing the purity thereof, as heretofore. The supports c and e may be made of metal, ivory, or any other material capable of resisting the pressure of the string.

What I claim as new, and desire to secure by Letters Patent, is

l. rIhe arrangement, in a piano-forte, of a g series of successive strings, in each of which the vibrations of that portion situated between the agraie and tuning-pin are brought in har- Witnesses W. HAUFF, E. F. KASTENHUBER.

C. F. THEODOR STEINVAY.

私は ヴァイオリンなどの弦楽器もこれとおなじようなものと考えています。例えればサドルが ピアノにある アグラフの役割といったイメージです。


ところで ピアノは弦( ミュージックワイヤー )がエンドピンの位置までそのまま張られていますが 、ヴァイオリンなどの弦楽器はひも状の テールガットやテールナイロン そして写真にあるカーボン繊維で作られたテールコードなどが弦の末端の役割を果たしています。

このため‥ この部分は弦楽器の響きにおおきな影響をあたえています。

因みに、テールコードは ボワ・ダルモニ( Bois d’Harmonie )などが販売する非常に軽くて丈夫な素材のアラミド繊維( ケブラー )を主体とした高強度のひもで 鋼鉄と比べて5倍くらいの強度を持つとされています。

個人的な結論ですが テールコードは 響胴が硬い楽器には有効で 高音域は多少さえますが低音域を失う傾向があります。このため、私は 限定的な使用にとどめています。

私は 弦楽器の多くは弦が響胴に ねじりを加え 弛める仕掛けが 美しい音色を作り出していると考えているからです。


ところで、少し前ですが フェイスブックで 独創的な工夫をしたこの写真が流れてきました。真鍮でしょうか‥ 少なくとも このねじりは有効だと私も考えます。バロック・バイオリンですからテールピースもねじれ易く、音響的にはそれほど破綻していないと想像します。

私もスチールやチタン、額縁ワイヤーを使用した弦楽器は知っていますが真鍮はまだ実験していません。

下図にあるようにサウンドホールが二つある弦楽器では 金属線やワイヤー、テールコードなどを使用すると点 C、点 D がすばやく近寄ってしまうことで 点 B、点 A の倒れ込みが阻害されてしまい共鳴が失われ易くなることを 私は知っているからです。

そもそもヴァイオリンなどの弦楽器では 黎明期から戦後すぐまでの 430年ほどの間、下写真の 1741年製 ガルネリ・デル・ジェス “Vieuxtemps” のように  当然ですが テールガットが用いられていました。

December 3rd, 2013 article The Economist reported that the purchase price of the “Vieuxtemps” violin exceeded $16 million.

日本円で16億円以上 ‥ 。そして、それを終身貸与されている アン・アキコ・マイヤースさんもテールガットのままで使用されているようです。

現代では新素材などの影響もあり あたかも選択肢は多数あるようにみえますが、私はテールガットは最良の選択だと考えています。

不幸なことに テールガットを ガット弦の不安定性( 上質なしなやかさ )と同じイメージでとらえてしまう方が増えてしまいましたが 実際にテールガットはガット弦と違い 丈夫なのです。

私は TORO社のテールガットを本結び( リーフノットまたはヘラクレスの結び )で 長さの調整をして使用しています。弦楽器に取り付ける場合の技術的な熟練には数年を要しましたが、私はこの製品を使用していて今までほとんど不都合を感じたことがありません。

たとえば強度上の特性はコントラバスにテールガットを取り付けることで確認できましたし、テールガットの長さについては テールピースと駒の距離を適切に選ぶことでテールピースの良好な振動をえらぶことが可能なことを知りました。

私は テールガットは ねじって製造されていることで弦楽器の響胴のねじりをサポートし、それが豊かな共鳴音につながっていると考えています。これは前出の写真のように金属線をねじるより遙かに合理的です。

さて、私は この投稿を 弦楽器工房を営む同業者の方に「 40年程前からテールナイロンの普及によりテールガットを使用している人は少数派となってしまいましたが、 TORO社のテールガットは代理店である ムジカアンティカ湘南( 社名:コースタールトレーディング )で購入出来ますので、是非ためしてみてください。」とお伝えしたくて書いています。

私は 心からテールガットが再び主役の座に帰り着くことを望んでいるのです。


ヒル型テールピース

そこで‥  初めての方には多少は役に立つかもしれないので、ここからテールガット取りつけの実例をあげさせていただきます。

1. ガットのゲージについて

ガットのゲージ( 直径 )ですが 私はヴァイオリンの場合で TORO tail gut No.200 または No.220 を選択しています。このほかに楽器条件によっては Contrabass G string  No.230 を使用する場合があります。

ガットは製造時期などの諸条件でメーカー出荷時から多少規格が変化することがありますので、私は 入荷したガットは30年程前に購入したピラストロ社の直径計測器で確認しています。

これはピラストロ社のガット弦直径検査用なので 計測時の圧力がソフトです。 私はとても気に入っています。
TORO 直径 No.230( Contrabass G string )
PIRASTRO String gauge  46.0

因みにピラストロ社の直径計測器は 目盛りが TORO社の 1/5になっていますが換算は簡単ですね。

なお、この太さのテールガット( No.230 )をヴァイオリンやビオラに使用する場合は、テールピース穴を直径2.3mmのドリルで大きくする必要があります。

TORO 直径 No.220( Viola tail gut )
PIRASTRO String gauge  44 1/2

私も以前は 市販のマイクロメーターを使用していました。
ラチェットストップ付きなので 検査傷はそれほど心配いらないのですが、ガット製品は結構‥ 直径が不揃いですから マイクロメーターのレベルで計測していると心の病に陥りそうなのでやめました。

TORO 直径 No.200( Violin tail gut )
PIRASTRO String gauge  40 3/4

私は 一般的なガット製品は 時間の経過により痩せることを考慮して、この TORO社のヴァイオリン用テールガットのように出荷時は表示より少し太めとされていると推測しています。

このように同じ製品単位( ロット )でも 私は実測して使い分けていますが、その結果はなかなか興味深いものでした。

ゲージに関しては 経験則が必要ですので、まずは計測し記録することから始めてください。


2. 作業のはじめに ガットの長さを決定します 

今回は実例として 2004年製の YAMAHA violin に、 TORO社  No.200( Violin tail gut  / PIRASTRO String gauge  40 3/4 )を取り付けました。

私はこれらのガット製品は入荷時の直径確認後 すぐにトリートメントして保管しています。このため 今回のように使用時は本結びなどの加工がしやすくなっています。

このヴァイオリンのテールピース長は 110.0mm で 依頼された時には駒とテールピースの距離 ( A )が 44.0mm でしたが、私は 52.0mm に設定することにしました。


( A ) を 52.0mm に設定するためには、このヴァイオリンでは ガットをギリギリに短くする必要があります。


私は 結び目が締まって長くなることを考慮してこの長さを選びました。そして後の工程のために マジックでマークをいれました。

3. 本結びにはいります 


決定した長さになるようにガットに折り目をつけながら なるべく結び目が小さくなるように工夫します。


4. テールガット端の処理

テールピースの裏穴規格にもよりますが、私はガット端の熱処理部の長さは ヴァイオリンの場合で 7.0mm 位としています。

では‥ まず 1回目の焼き入れです。

ガット端が熱でやわらかくなっているタイミングで 釘の頭状に成形します。


そして 2回目の焼き入れです。


ガット端は根元付近まで加熱しますが本結び部を傷めないようにしてください。


こんな感じでだいじょうぶです。

ここで反対側のガット端の工程に移ります。長さは おなじく 7.0mm位とします。


こちら側のガット端も 1回目の焼き入れをします。


そして、2回目の焼き入れです。

こちらも、こんな感じに加工します。

5. テールガットを トリートメントします

テールガットの取り付け作業はここから本番のようなものです。
ガット弦やテールガットの愛用者の中には ガットをオイル処理などをした上で使用されている方がいらっしゃいます。

私も そうです。ただし私の場合は オイルではなく 2種類の塗布材を使いトリートメントしています。


この後の締め込み工程のために ここでもう一度トリートメントをしました。

6. 本結びを締め込みます


指のなかでもみ込んだり つまんで引っ張ったり、押し込んだりして、結び目が少しでも小さくなるように工夫します。


この工程は 結構 ‥ 指の力を使います。

7. 仮組工程

ヴァイオリンのテールピースに開けられているテールガット穴部は それほど丈夫ではありません。ガットを絞め込む際には 決して”テコ原理” を使わないでください。

テールピースの材料特性とテールガット穴が開けられた位置によっては、この工程でテールピース穴部が割れてしまうことがあります。


私はこれを避ける為に 不要になった音叉を利用して締め込みをして、最後に本結びがゆるまないように そっと曲げて仮組準備を終わります。

さて、テールガットをエンドピンに架けてみます。私は このテールガットを ( A ) の距離が 52.0mm となるように作業を進めていますが、この段階で駒とテールピースの距離は 54.5mmくらいでした。

8. 最終締め込み工程

さて、いよいよ本結びの仕上がりが見えて来ました。


この工程は指の中の作業なので やはり写真では確認しにくいと思います。とにかく、丁寧にもみ込んだりつまんで引っ張ったり、押し込んだり‥  この頃には指がだいぶん痛くなります。


ところで 私が なぜ締め込みにこだわるかと言うと、このタイプのヴァイオリンでは 楽器がゆれ続ける条件として テールピースがエンドブロック部を強くゆらす必要があると考えているからです。

このことから、私は『 このヴァイオリン 』では ( A )52.0mm  -( B )110.0mm  -( C )1.5 ~ 2.0mmでこの条件が達成できると考えました。そして、このテールピースとサドル距離を 1.5 ~ 2.0 mmに設定しようとすると “ギリギリ感”が大切になってきます。

この工程で 私は テールガット長があと 1.0mm 位は 伸びるように締め込みの努力しています。


それにしても‥ 人間の指はあまり丈夫ではありません。
この段階になると 私はいつも「 手が‥!手がぁぁ~!!」と叫びたくなったりします。


こうして 駒とテールピースの距離は 54.0mm までたどり着きました。

9. 弦張り工程


さて、ここまで来るとテールガットの本結び部は こうなっています。

ここから弦を架けますが その際には ガットの本結び部が表板に接触しないように厚紙を折り重ねたものを挿みます。

そして弦の張力を少しづつあげていきます。この時にはサドルの上にテールピースが引っかかったように乗っていますので、テールピースが破損しないように‥すべらせるような感じでおろします。


今 ‥ このヴァイオリンの弦はチューニングしてあります。
そして 駒とテールピースの距離は 53.5mm です。

10. 仕上がり

枕を入れた状態で30分ほど工夫をして テールガットの本結びが締め込まれました。


そこで、いよいよ枕を外しました。この段階でサドルとテールピースの間や表板とテールピースの空間がしっかり確保されている事をたしかめます。

実例としたテールガット取りつけが終了しました。
こうして駒とテールピースの距離は 52.0mm となりました。


最後になりましたが、今回 参考例とさせていただいた 2004年製の YAMAHA violin にも テールガットは調和していたことをご報告いたします。

16億とはだいぶん違うケタ数の 6万円ほどの このヴァイオリンは響胴が硬い楽器の典型事例のようなものと言えるのではないでしょうか。

アジャスターが 4個取り付けられて初心者に近い方が使用されていますので、私はこのようにしっかり締め込んだ本結びにより 適切なテールガット長として取り付ける事が本当に大切と考えます。

テールガットの取り付け経験が少ない方にとって ガット長の調節が難問でしょうが 、すばらしい響きが持続性をもって設定できると理解されたら 皆さんの判断は速いのでは‥ と 私は思っています。

以上‥ 長文にお付き合い下さって ありがとうございます。

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2017-5-17                 Joseph Naomi Yokota

 

裏板ボトムブロックの端付近も確認してください。

ご存じな方も多いように 弦楽器製作を取り巻く環境は 1980年代後半からとても良くなりました。

デジタルカメラの高性能化、データ処理技術の向上、そしてインターネットの普及などによる情報交換の高速・広域化は 私にとってめまいを感じるほどのスピードでした。

そして 気がつけば  “オールド・バイオリン” などについての資料が容易に集められる時代となっていました。

Giuseppe Guarneri del Gesù  /  The back thickness
VIENNA micro-CT LAB

こうして‥ グアルネリ・デル・ジェズとされるヴァイオリン裏板の厚さをながめたり、ヤコブ・シュタイナーのそれを知ることができる訳ですから 時代とはいえ 不思議なものだと思います。

Jacob Stainer   /  The back thickness

これらの追い風もうけて‥  私は “オールド・バイオリン”の表板、 裏板にみられる響きにつながる要素と そのへりのオーバーハング部に特徴的な加工がしてあること、そしてコーナーブロックの形状は 音響的目的のために関係( Relation )させてあると考えるようになりました。


私は この連続性こそが “オールド・バイオリン” の発音システムの “失われた技術”の正体であると思っています。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

ヴァイオリンやチェロ、ビオラなどは F字孔周りの振動と 共鳴部の響きによって独特の音色を生みだしています。私は この発音システムが その時に共鳴部に十分な “ゆるみ”を発生させる役割を果たしていると考えるようになりました。


そこで “オールド・バイオリン”などの高性能型を区別するためのチェック・ポイントとして、私は上図 a. の裏板ボトムブロックの端付近( 高音側 )の剛性差を確認することを皆さんにおすすめしたいと思います。

この例として アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるヴァイオリンと ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) の 1651年製、そして アントニオ・ストラディヴァリの 1733年製から その部分の画像を並べてみました。
左側の アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) のヴァイオリンにおける 点 A の剛性差については異論がないと思います。

そして‥ もし判断が分かれるとすると、あとの二台ですね。

これが意図的な剛性差のための加工と確信するには 下図の 赤線辺りが 響胴のねじり軸として機能するとスムーズにゆるみが生じることを理解する必要があるのではないでしょうか。

“Thickness”   G.B. GUADAGNINI ( 1711-1786 )  Cellos
1743年頃 & 1757 年

そのために‥ 少し話がそれて恐縮ですが 下に私の過去の投稿をあげさせていただきます。

【 ヴァイオリンの音は聴くほかにも “見て‥” 知ることが出来ます。】

弦楽器の表板は スプルース材の年輪がたてになるように使用されています。そのため縦に割れやすい特性があり それが影響してこのチェロの魂柱部には縦方向の割れ( Sound post Crack )が入っていて 表面のニスにも 縦方向のひび割れがはいっています。


私はこのニスに入った縦ひび( a. )はバランスが調和していなかったことで歪みが溜まり 表板が疲労した過程できざまれたものと思っています。

では b. c. そして d. のひび割れはなぜ入ったのでしょうか?
私は この年輪に直交するひび割れは チェロやヴァイオリンに設定された音響システムによって入ったものと考えます。

因みに‥ 私がこのように ニスのひび割れと響きを関係づけて考えるようになったのは  2003年 9月29日 の 16:45頃からです。

長くなりますが、ここで その時のお話をさせて下さい。

それは 2週間前まで 11歳の長女が使っていた 1/2サイズのヴァイオリンを 7歳の二女が使いたいと言い張ったので 、その準備として 弦などの交換を検討するために 工房の入り口に立ってこのヴァイオリンを私がチェックしている時のことでした。

風もなく空が晴れわたったおだやかな夕方で 私が立っている工房の入り口には まだ日差しがさしこんでいました。

そのときニスのひび割れが 『 キラッ ! 』と蜘蛛の糸のように光ったのが 私の目にとびこんできました。 それで私は このヴァイオリンの表板と側板にはいった ニスのひびを確認してみました。 はじめは 『  なるほど。 分数ヴァイオリンでも フルサイズとおなじ入り方をするんだ‥‥ 。』と思いながら観察していたのですが、 当時 私が記憶していた他の事例とあまりにも合致していたので 『  これは‥ もしかして! 』と思ったときに 私の顔色は変ったと思います。

それまでニスのひび割れを特に重大なことと思っていなかった私でしたが、このときヴァイオリン響胴の振動モードとそれが きちんと繋がったのです。 私はこのとき『  ヴィジョンが降りてきた‥‥ 。』感覚のなかで 『  いま自分の頭のなかにうかんでいるヴァイオリンのヴィジョンは本当なのかな? 』と 戸惑いながらも楽器の角度を変えたりしながら観察して、もう一度 頭にうかんだ ヴァイオリンの振動モードに誤りがないかを検討しました。

その最中のことです。  私が表板側と側板に気をとられてよくみていなかった 裏板がレイヤー映像のように頭のなかに浮かんだのです。 『  表板がこう振動して側板はブロックによって こう動き‥ということは裏板のここら辺りにこういう形状のニスひびが‥‥ 。』と 私は 独り言をいいながら 裏板を見るために ヴァイオリンをひっくり返しました。

いまでも その瞬間をときどき思い出します。
とにかく感動しました。  私が予測したとおりの形状の小さなニスひび割れが 裏板の推定した位置に 入っていたのです。 おかげさまで 私は 鉱山技師が鉱脈を発見したような 歓びを経験しました。

下の図は そのニスひびを 2005年になって 私のノートに記録したものです。


この時に私がはじめに気がついたのは下幅広部に真横に入っているニスひびが テールピースの下で繋がっておらず 魚のウロコ状のニスひびとなっている事でした。

それで私は このニスひびは ボトムブロックの端付近( 高音側 )の点 a. から ゆれがはじまる”ねじり”によるものと判断したのです。

その証拠に反対側のネックブロック部をみると 点 b. 辺りからブロックのねじりによるニスひびがはいっています。

【  弦楽器のニスに入ったヒビが物語ること‥。】


このような ネックブロックのねじりは上の動画で確認できます。
おそらく撮影の都合だと思いますが鏡像になっていますので ネックブロックは手前側が高音でその奥が低音側となっています。

“Varnish crack”   1970年製     Karl Hofner Cello( 2006年撮影 )

Cittern  /  English  (  Length 616mm – String length 340  )  1600年頃


Cittern by Gasparo da Salo  (  ca.1542 – ca.1609 ) Brescia  1570年頃


Jacob Stainer  ( Absam, Tyrol  )  Bass Tenor Viola da Gamba 1673年

Cello –  Joseph Naomi Yokota ,  Tokyo  2014年

それから 私が上図で – 7.0° としているねじりの軸線は 下にあげさせていただいた アントニオ・ストラディヴァリ ( 1644-1737 ) が 1679年に製作したヴァイオリンの “サンライズ”の裏板年輪の木取を参考にしました。


私はこれらの仮説と状況証拠によりその楽器が “オールド・バイオリン”の音響システムに基づいているかを確認するために 裏板ボトムブロックの端付近( 高音側 )の”意図的”な剛性差の痕跡を確認することは重要と考えています。


最後に実例として アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) が 1566年頃に製作したと考えられるヴァイオリンをあげると‥  裏板へりのオーバーハングの差異は小さかったとしても、点 B. のひび割れを この楽器の特質のひとつと見ることが出来ると思います。

これにより 少なくとも 下に並べた 1555年頃のヴァイオリンと同じ製作者によると考えても違和感はないのではないでしょうか?

このように音響システムの視点を持ちながら 弦楽器を観察すると “オールド・バイオリン” と贋作の違いは 意外と見分けやすいのではないかと 私は思います。

 Gasparo da Salò  /   Violoncello

 

2017-2-09                 Joseph Naomi Yokota

裏板 右回転 21°~23°位置 のオーバーハングについて

 

私は “オールド・バイオリン”の特徴である、へり部分の側板からオーバーハングする設定が “意図的”に少なくされている部分があることは音響的に重要と考えています。

 

Andrea Amati  ( ca.1505-1577 ) ,   Violin “Charles Ⅸ”  1566年頃

これは 裏板の焼いた針などでつけられた痕が明瞭なヴァイオリンで確認すると、オーバーハングする設定が “意図的”に少なくされている部分は 直線状の軸線に対応している事からも同意していただけると思います。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin  1555年頃

例として アンドレア・アマティのヴァイオリンで確認してみましょう。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin  1555年頃

このヴァイオリンは 裏板 右回転 22.4°位置の下端部オーバーハングがかなり削り込まれているようです。

このように “オールド・バイオリン”では ライニングのすぐ近くまで削られたヴァイオリンが何台も存在します。

但し、ここまで削り込む加工がされたものは 16世紀から 19世紀までの弦楽器においてその存在は貴重です。

上図のように ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) や アントニオ・ストラディヴァリ ( 1644-1737 ) のヴァイオリンでは オーバーハング部の削り込みは外見上の違和感が少ない仕上げとなっています。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin  1555年頃

Nicolò Amati ( 1596–1684  ) ,  Violin 1651年

Antonio Stradivari ( 1644-1737 )  Violin  “Rode – Le Nestor”  1733年

いずれにしても下図のように左下コーナー部で パフリングの外側の幅を確認したあとで 左下部のパフリングの外幅を見てみると、あきらかに差異があることが分るのではないでしょうか。

Francesco Goffriller ( 1692–1750 )    Violin  1719年頃








Francesco Goffriller ( 1692–1750 )    Violin  1719年頃

2017-2-04                 Joseph Naomi Yokota

『 オールド・ヴァイオリン 』の時代と 自然科学

さて ”オールド・ヴァイオリン”型の弦楽器は 16世紀前半に和声学の基礎となった機能和声が着目された頃に弦楽器工房で誕生し、パイプ・オルガンもそうであったように この時代の音楽的希求に応えて成長し続けました。 私は これらの状況を検討した結果 ” 弦楽器製作にとってルネサンス末期から 物理学などが急速に発展したことが とても重要な意味をもっていた。” という結論に達しました。

そのため 少し長くなりますが ここで 16世紀から18世紀末までの科学史の概略を列記しておきたいと思います。

Andrea Amati ( ca.1505-1577 ) Cremona, Violin maker.
1539年   Established a workshop in Cremona.

Antonio Amati ( 1540-1640 ) Cremona, Violin maker.
Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ) Cremona, Violin maker.

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年  She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年  He was crowned the king of France.

16世紀の物理学で重要な役割をはたした人物の筆頭はイタリアの物理学者 ガリレオ・ガリレイ ( 1564-1642 )でしょう。

彼はギリシャの アルキメデス ( BC.287-BC.212 )の諸研究‥  たとえば研究書『 平面のつりあいについて 』で示された ”てこの原理 ”( 反比例の法則 )など 7個の原理 ( 公準 )と15個の命題  ( 代表的なものは「三角形の重心は 3中心線の交点である」というよく知られた命題  )、”浮体論”、”円周の求め方” などを オステリオ・リッチから学びました。

そして 1586年に フィレンツェの アカデミア・デル・ディシェーニョ( 学士院 )に 論文『 小天秤 』を、1587年には『 固体の重心について 』を提出し、1589年に ピサ大学の数学教授の仕事を得たと言われています。

この時期にドイツには 天文学者で数学者の ケプラー ( 1571-1630 )がいて 1609年と1619年には”ケプラーの法則”を発表しています。 ガリレオは 1632年の『 天文対話 』、ケプラーは 1596年の『 宇宙の神秘 』でコペルニクスを支持していましたので 宗教裁判の有罪判決( 1633年 )や 失職( 1598年 )の憂き目にあいました。

1600年には 1592年にピサ大学の職をガリレオと競った ブルーノ( 1548-1600 )が 宗教裁判によって火刑に処せられてしまう‥ そんな時代だったようです。

この頃フランスには メルセンヌ ( 1588-1648 ) がいました。 彼は神学者であるとともに 数学、物理学に加え哲学、そして音響学の理論研究をおこなっていました。1636年には 論文『 Harmonie universelle 』において 平均律を 2の12乗根の計算を用いて数学的に証明しました。また 弦楽器の音の高さについて 振動数と弦長、密度、張力によることを数学的に定式化しました。

メルセンヌは多くの科学者と親交をもっていたため、その交流活動が支持され 彼の没後である 1666年に”パリ科学アカデミー”が創設されることにつながったそうです。

デカルト図 - 1 L
また フランスでは 哲学者、数学者として高名な デカルト ( 1596-1650 ) が 活躍していました。”コギト・エルゴ・スム” の人ですね。デカルトは 慣性の法則や 運動量保存の法則を研究し、1637年には 平面上の直交座標系である”デカルト座標”を『方法序説』において発表し確立しました。

“Gasparo da Salò”
Gasparo di Bertolotti ( ca.1540- ca.1609 )  Brescia, Violin maker.

Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 )  Brescia, Violin maker.

Nicolò Amati ( 1596-1684 ) Cremona, Violin maker.

Andrea Guarneri ( 1626-1698 ) Cremona, Violin maker.
1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

Jacob Stainer ( 1617-1683 ) Absam, Tirol.  Violin maker.

私は 17世紀前半のヨーロッパ世界はまだ中世の価値観に引きずられていたと認識しています。その象徴が 1633年の異端審問により アルチェトリに幽閉された ガリレオ・ガリレイ ( 1564-1642 ) です。彼は 1638年に両目を失明しても幽閉は解かれないままで 1642年に病没します。罪人として亡くなった彼はいかなる葬儀も墓標も不許可だったそうです。

さて‥ 歴史的な転換点については いろいろな考え方があるでしょうが、私はこれらの状況は 1654年におこなわれた『 マグデブルクの半球実験 』から大きく動き始めたと思っています。

ご存知の方も多いでしょうが、この 大気圧を示す実験 は 1654年に レーゲンスブルクにおいて 科学者でマグデブルク市長でもあった オットー・フォン・ゲーリケ ( 1602-1686 ) が 神聖ローマ皇帝フェルディナント三世 ( 1608-1657 ) 達の前で 16頭の馬を使いおこなった公開実験ですね。

彼は 1650年に真空ポンプを発明し、その後 銅製の半球状容器 ( 直径51cm )を二つ組み合わせ その内部の空気を排気し、それぞれを 8頭づつの馬に引っ張らせる実験を考案しました。これにより真空が物体をひきつけるのではなく 周辺の気体が物体に圧力をかけていることが証明されました。

特記すべきは‥ 彼は公開実験により この事実を先に公知化しておいて、最終的に論文を出版したのは 7年以上たった 1662年のことだったということです。この年にゲーリケが出版した『 真空についての、いわゆるマグデブルクの新実験 』では、彼が実験に用いた銅製容器には 2,787ポンド ( 約1,250kg )の大気圧がかかっていることを詳しく報告しています。

私は ゲーリケによるこれらの行動を「  政治家でもあった彼が中世を引きずった社会に対してネゴシエーションとして慎重に選択した結果である。」と思っています。


『 同期現象 』( 引き込み現象 )の実験

そしてこの時期に ルター派の国 オランダでは 数学者で物理学者、そして天文学者でもあった クリスティアーン・ホイヘンス ( 1629-1695 ) が活躍していました。

彼は 1655年に数学と法律専攻で ライデン大学を卒業し、そのあとで物理学の研究を始めます。この年に彼は 自作した口径57mm、焦点距離3.3m、50倍の望遠鏡で 土星の衛星タイタンを発見します。翌年の1656年には振り子時計を初めて製作するのに成功します。またこの後 『同期現象』( 引き込み現象 )を発見するなど 輝かしい成果をあげていきます。

1666年に フランス国王の ルイ十四世( 1638-1715 ) が パリに『フランス科学アカデミー』を創立した際に、最初のアカデミー会員 ( 21名のフランス人と1人のオランダ人 ) としてパリに招かれ、ナントの勅令が廃止される事となったため 1681年にパリを去りハーグに戻るまで フランスを拠点に活躍しました。

このパリ時代の 1675年には『 世界初の機械式時計 』の製作や『 空気望遠鏡 』の開発をおこないました。そして1678年に彼は 波動の波面形状を包絡面で説明する『ホイヘンスの原理』を発見し、これは 1690年に出版され広まっていきました。( この理論は最終的に 1836年に完成しました。)

それから、オランダではもう一人顕微鏡を使って微生物などを観察し ”微生物学の父”とも呼ばれることになる レーウェンフック ( Antonie van Leeuwenhoek, 1632-1723 ) が デルフトで活動していました。

彼は 1674年に池の水を観察し微生物を発見して以降 多くの新発見をおこないました。

トネリコ属の木質部 1676年
トネリコ属の木質部 1676年

私には、レーウェンフックが弦楽器にも直結する木質部などを顕微鏡で観察した事実がとても興味深く感じられます。なお 彼は生涯 500もの顕微鏡を作ったとされ、現在 彼の真作とされる顕微鏡は博物館に9個 ( このなかで最高の倍率は266倍とされています。)
残っているそうです。

さて 17世紀中期のヨーロッパ世界では イギリスの科学研究が最も活発でした。そして それが発展し 1660年には『権威に頼らず証拠 ( 実験、観測 )を持って事実を確定していく。』という近代自然科学の客観性を担保する目的で ロンドン王立協会 ( Royal Society )が 事実上の科学アカデミーとして設立されました。

レーウェンフック ( 1632-1723 )は 王立協会で 実験監督をしていたロバート・フック(Robert Hooke, 1635-1703 ) にデルフトの解剖学者とクリスティアーン・ホイヘンスの父親 ( Constantijn Huygens )とが 1673年に紹介状を送ったのち 継続的に王立協会に観察記録を送り続けました。そして これらの諸研究によりレーウェンフックは 1680年に ロンドン王立協会の会員となりました。

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ) Cremona,  Violin maker.
1680年 He founded the workshop in Casa Stradivari .

Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ) Cremona,  Violin maker.

Arp Schnitger ( 1648-1719 ), active in Northern Europe, especially the Netherlands and Germany,  Pipe organ builder.

そしていよいよ‥ 近世を中世と断ち切る役割をはたした アイザック・ニュートン (  Isaac Newton, 1642-1727 ) がイギリスに誕生します。

この頃には‥   1543年にコペルニクス ( Nicolaus Copernicus, 1473-1543 ) が発表した地動説は、1619年にケプラー ( 1571-1630 )が 惑星は楕円軌道を描いているというケプラーの法則を発表したことで力を得て、1627年には 地動説に基づいた ルドルフ表が完成したことで最終段階に入っていました。

ところで少し話はそれますが  17世紀にはヨーロッパの各地で ペストの流行が頻発しました。アムステルダムでは 1622年から1628年にかけてペストが毎年 発生して 3万5000人程が死亡し、パリでは 1612年、1619年、1631年、1638年、1662年、1668年 ( 最後の流行 )に流行があり大きな被害がでました。

ロンドンでは 1593年から1664年にかけて、そして 翌年の1665年と ペストが 5回も流行し 死者の合計はおよそ 15万6000人におよんだと言われています。

因みにクレモナも何度にもわたってペスト禍にみまわれ 1630年の大流行の際には アンドレア・アマティの息子で父の工房を引き継いでいた ジロラモ・アマティ( Girolamo Amati  1561 – 1630 )とその妻 そして 2人の娘が犠牲となり、アマティ工房は 34歳となっていた ニコロ・アマティ( Nicolo Amati  1596–1684 )が引き継いだといわれています。

そして アントニオ・ストラディヴァリ( Antonio Stradivari  ca.1644-1737 )もまた、 両親がペスト禍をさけてクレモナを離れていた期間に産まれたために 出生年などが判然としないという伝承があるそうです。

plague-skeletons

CNNから引用    「   “ 1665年に英ロンドンで大流行して年間7万5000人超を死亡させたのは、ペスト菌が引き起こす腺ペストだったことが、DNA鑑定を通じてこのほど初めて実証された。ロンドン考古学博物館などの研究チームが発表した。

この年の大流行では当時のロンドンの人口のほぼ 4分の1が死亡。ピークだった9月には1週間だけで8000人が死亡した。原因は腺ペストとする説が有力だったが、これまで確認はできていなかった。

しかしロンドン市内で地下鉄の延伸工事中に見つかった集団埋葬地を 2015年に発掘調査したところ、1665年の大流行で死亡したと思われる17世紀の遺骨42柱が見つかった。

研究チームがその遺骨から採取したDNAを調べた結果、腺ペストを引き起こすペスト菌のDNAと一致することをが判明。発掘調査を主導したロンドン考古学博物館の専門家ダン・ウォーカー氏は「1665年のペスト大流行の原因が初めて分かった」と解説している。”   」

1664年に”スカラー”となっていた ニュートンは、 1665年から翌年にかけてペスト禍を逃れて 故郷のウールスソープへ戻り 18ヶ月程の期間をすごします。回想録などでは 、25歳までの この期間にニュートンの三大業績は全てなされたと伝えられているようです。

ともあれ この後である 1687年7月5日に地動説は ニュートンが出版した 『自然哲学の数学的諸原理』( プリンピキア ) において発表された万有引力の法則でついに完成しました。

この プリンピキア の冒頭部分は質量、運動量、慣性、力などの定義にあてられていて、重さという概念のほかに質量という概念を導入したことが画期的とされ、万有引力の法則のほかに、運動方程式と ニュートン力学を普及させることに役立ちました。

これは『 ニュートンの揺りかご ( Newton’s cradle ) 』といわれる実演装置です。

ニュートン( 1642 – 1727 )が『 プリンキピア 』で公表した ニュートン力学のうち 運動量保存の法則と力学的エネルギー保存の法則 そして作用と反作用などが視認できることで知られています。

ニュートン力学は 物体を「 重心に全質量が集中し 大きさをもたな質点 」とみなし、その質点の運動に関する性質を法則化しつぎの運動の3法則を提唱しています。また、これらの法則は、質点とは見なせない物体(剛体、弾性体、流体などの連続体 )に対しても基礎となり得る考え方とされているようです。

第1法則 ( 慣性の法則 )質点は、力が作用しない限り、静止または等速直線運動する。

第2法則 ( ニュートンの運動方程式  )質点の加速度  {{\vec {a}}} は、そのとき質点に作用する力 {{\vec {F}}} に比例し、質点の質量 {m} に反比例する。

第3法則( 作用・反作用の法則  )二つの質点 1, 2 の間に相互に力が働くとき、質点 2 から質点 1 に作用する力  {{\vec {F}}_{{21}}} と、質点 1 から質点 2 に作用する力  {\vec {F}}_{{12}} は、大きさが等しく 逆向きである。

私は 1687年にニュートンが発表した このような『 古典力学 』の考え方は弦楽器製作にも十分影響をあたえたと信じています。

『オールド・ヴァイオリン』などの弦楽器は どうかすると”神話”のように語られますが‥ 1644年頃生まれたとされるストラディバリ( c.1644 – 1737 )と、1642年生まれの ニュートン( 1642 – 1727 )とほぼ同じ年齢であるという事実が持つ意味は深いと私は思います。

Giovanni Grancino ( 1637 – 1709 ) Milan,  Violin maker.

Alessandro Gagliano ( ca.1640–1730 ) Napoli,  Violin maker.
Nicolò Gagliano ( active. ca.1730-1787 ) Napoli, Violin maker.

Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 ) Bologna, Violin maker.
Matteo Goffriller ( 1659–1742 )  Venice,  Violin maker.

Francesco Ruggieri ( 1655-1698 ) Cremona, Violin maker.
Carlo Giuseppe Testore ( c.1665-1716 )  Milan, Violin maker.

Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ) Cremona / Mantua, Violin maker.
Filius Andrea Guarneri ( 1666-1744 ) Cremona, Violin maker.

Francesco Stradivari ( 1671-1743 ) Cremona,  Violin maker.
Omobono Stradivari ( 1679-1742 ) Cremona,  Violin maker.
Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ) Cremona,  Violin maker.

Carlo Tononi ( c.1675-1730 ) Bologna / Venice,  Violin maker.
Domenico Montagnana ( 1686-1750 ) Venice,  Violin maker.

Andrea Guarneri ( 1691-1706 ) Cremona, Violin maker.
PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 )Cremona, Violin maker.
1718年  moved to Venezia

“Guarneri del Gesù”
Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ) Cremona, Violin maker.
1722年頃  He is independent.

Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ) Saxony / Dresden, Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Cremona / 1729 Parma / 1740 Piacenza / 1749 Milan / 1757 Cremona / 1759 Parma / 1771-1786 Turin, Violin maker.

Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ) Cremona, Violin maker.
Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ) Cremona, Violin maker.

 

 

2016-7-20 Joseph Naomi Yokota