「弦楽器製作における 失われた情報について」カテゴリーアーカイブ

ヴァイオリン表板アーチと裏板アーチの変遷

Antonio  Amati ( ca.1540-1607 )  &  Hieronymus  Amati ( ca.1561-1630 )    Violin,    “Charles Ⅸ”   Cremona  1595年頃

表板のアーチ 23.4mm
裏板のアーチ 18.4mm

「オールド」と呼ばれる ヴァイオリンや ビオラ、チェロは、表板や裏板の隆起が高い「ハイアーチ」や「ミディアム・ハイアーチ」で作られているものが多いという特徴があります。

その理由は、『 箱型響胴の 表板や裏板は 平らなものよりも お椀を伏せたようになっている方が強く、その曲面がきつくなるのに比例して「剛性」が高くなるため “節”の役割が付与しやすく、結果として それらと対を成す “腹”の 振動を強めるため 』であると 私は考えています。

なお、このような条件設定は シンバルや 銅鑼、ティンシャ( チベタンシンバル ) などにも見ることができます。

 

   

シンバル

   

銅鑼、チャイナトラッシュ

ティンシャ ( チベタンシンバル )

シンバル類は アーチを組み合わせて、 おもに Cup を “節”とし、Bou や Edge に “腹”の役割を 与えることで 響を強くするとともに振動時間を持続しやすくしてあります。

「オールド・バイオリン」の場合でも アーチの組み合わせによって不連続面をなした表板や裏板が その響きを生みだすために “節”の役割をはたしていますので、その アーチの高さは重要な特質を意味していると思います。

なお、一口に “アーチ”と言っても「オールド・バイオリン」の場合は 程度差がおおきいので 数段階に分類することが一般的です。

因みに私は、表板の高さが 19.5mm以上だと「ハイアーチ」、 17.5mm~19.5mm を 「ミディアム・ハイアーチ」とし、15.5mm~17.5mm を「ミディアムアーチ」、そして 15.5mm 以下を「ローアーチ」と区別しています。

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ところで、こういった点に留意しながら 表板や裏板の隆起の高さを比較していくと、1500年代半ばの黎明期から さかんに製作された 「ハイアーチ」、「ミディアム・ハイアーチ」の「オールド・バイオリン」は 1800年代になると 製作数が徐々に減少し、1900年頃には 少数の完全複製品を除いた‥ ほぼ全ての ヴァイオリンが「ミディアムアーチ」や「ローアーチ」になってしまった事を知ることが出来ます。

 

私は このようにアーチの高さを下げた事が、18世紀末以降に ほとんどのヴァイオリン製作者が 「オールド・バイオリン」を作れなくなってしまったことの遠因となっているのではないかと考えています。

 

因みに、このようなアーチの変遷は多くの弦楽器の専門家にとっては常識ですが、特に詳しくない方にも ヴァイオリンが初めて作られたルネサンス晩期から 近代、そして現代までの 480年程の期間に製作された 表板や裏板のアーチに関する計測データを、数は多くなりますが 時間軸に合わせて列記出来れば 容易に証明できるのではないかと思われます。

但し、残念な事ですが‥  厳密に言えば それは 現時点では難しいようです。

問題はアーチの計測方法です。

VIENNA micro-CT LAB  

例えば  計測精度の点で言えば、現代では「高解像度 µCTスキャン 」などの計測機器により ヴァイオリンなどの精密なデータを得ることができます。このため、研究者たちによって実施された詳細な計測データは すでに弦楽器研究に寄与してもいます。

しかし、アーチに関しては  絶対的に 検証数が不足している状況です。この計測方法に関しては その費用が 唯一の弱点となっていて、アーチの変遷を証明するためには もっと計測事例数が増えるのを待つしかない状況が続いています。

Costs:                                     Due to the high resolution of the scans and the resulting huge data volume, the generation of the raw data is very costly.         The costs for a documentation are 3.500 € (VAT not included). It is possible to run a scan with two violins simultaneously. In this case the charge will be reduced to 3.000 € each (VAT not included).

そもそも ヴァイオリンなどの表板や裏板のアーチを計測するのは難しく、ましては下図のように側板の幅を頼りとした 画像や目視による方法では 参考程度にしかなりません。

 

そこで 一般的に用いられる方法が、 このような 長いクチバシ型( ロング・ジョー )の デジタルノギスや、下写真のような ダイヤル・キャリパーで、響胴を垂直に挟み込みながら 頂点部を探りあてて 計測するやりかたです。

なお 弦楽器のアーチには個性がありますので、表板と裏板の頂点部が 垂線方向で完全に一致していない場合でも あくまで最大値を “みなし数値”とします。

そうして計測した数値が このヴァイオリンでは 63.5mm でしたので、その値から側板の高さ “30.2mm”( 推測値 )を引いた 33.3mm を表板と裏板に割り振りました。

こうして この事例では、表板のアーチが  “17.2mm” で 裏板のアーチは “16.1mm” であると 私は判断しました。

そして 当然ですが‥ これだけでは 計測精度が心許ないので、修理や整備の関係で可能な場合は このヴァイオリンと同じように 次のステップとして表板を外します。

そして、表板のみ ( 補助板あり )で アーチの高さを計測し “割り振りした数値”との突合せを行なうのです。

Richard DUKE ( 1718-1783 )   Violin,  London  1770年頃

私の場合は、外した表板を厚さ 10.0mm のガラス板の上に置き パフリング部を30個ほどのクランプでガラス板に固定することで ホリゾンタルを保持してから、表板とガラス板を合わせた厚さを測ります。

そして、その数値から ガラスの厚さ 10.0mm を差し引いた値を 表板アーチの高さとしています。この数値が先程割り振った 表板アーチの数値  “17.2mm” と等しければ、 裏板のアーチ “16.1mm” という数値の 信頼度もあると考えられます。

なお、このヴァイオリンの整備では 裏板を外しませんでしたので 直接の計測は表板のみでした。しかし、まれにですが 表板、裏板ともに外して整備や修理をする事がありますので、 私は そういった機会に試行錯誤をしながら 計測値を 表板と裏板に割り振る正確さが高まるように努力しています。

 

さて‥ これは、冒頭の アマティ兄弟 (  Antonio Amati  ca.1540-1607  &  Hieronymus Amati  ca.1561-1630  ) が製作したとされる有名なヴァイオリン ” Charles Ⅸ” の X線CTによる断層撮影画像の アーチを調べているところです。

ご存じの方も多いと思いますが Photoshop の 画像解析メニューより 計測スケールを使用して、側板幅のピクセル距離から「論理長」として 表板と裏板のアーチ高を導きました。


Antonio  Amati ( ca.1540-1607 )  &  Hieronymus  Amati ( ca.1561-1630 )    Violin,   “Charles Ⅸ”   Cremona  1595年頃

表板のアーチ 23.4mm
裏板のアーチ 18.4mm

こうした値は、最新の計測機器である「高解像度 µCTスキャン 」の精密なデータには及びませんが、ヴァイオリンの 表板や裏板のアーチを理解するためには 充分だと思います。

この投稿では ヴァイオリンのアーチの変遷についてお話ししようと思っていますが このような状況ですから‥  アーチに関しては 精密なデータでない事例も含んでいますが、私が 参考資料としているヴァイオリン画像や 計測した事例と 専門書で公表されている 研究者の方が計測したデータなどを少し並べさせていただきたいと思います。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   Violin,  Cremona  1555年頃
Neck side (G) 27.4 – C 28.0 – C 27.8 – B 28.2
Front    339.4 – 156.2 – 106.6 – 193.0
Back     341.6 – 159.2 – 106.7 – 195.5
Stop     188.0mm

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   Violin,  Cremona  1559年頃

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   Violin,  Cremona  1564年頃
Neck side (G) 26.61 – C 28.3 – C 29.0 – B 29.0
Front   342.0 – 158.0 – 108.0 – 197.0
Back    341.0 – 157.0 – 106.5 – 195.0
Stop    185.5mm

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633 )  Violin, Brescia  1620年頃

Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin,  Cremona  1648年頃

Antonio Mariani ( ca.1635-1685 )    Violin,  Pesaro  1649年頃

表板のアーチ   21.0mm 
裏板のアーチ   17.5mm

Neck side (E) 26.2 – 26.4 – C 27.8 – 28.0 – C 27.2 – 27.4 – B 28.4
Neck side (G) 27.0 – 26.5 – C 27.8 – 28.3 – C 27.9 – 29.0 – B 28.4
Front   346.5 – 163.4 – 106.7 – 194.8
Back    347.5 – 167.3 – 110.6 – 200.5
Stop    190.0mm

弦楽器の響胴に関する研究は ヴァイオリンが誕生する遥か以前からおこなわれており、その結果として膜鳴型やフラットバック型、ボールバック型など 多様な弦楽器が製作され、その中でヴァイオリン特有のフォルムが生みだされました。

ですから、ヴァイオリン・アーチの観察は 音響的条件を理解するために、先ず 26.0mm~33.0mm程ある側板幅が 狭いタイプと幅広タイプの何方であることや、ネック側とボトム側の差はどのような割合となっているかを確認することからはじめます。

しかし、その読み解きには 音響システムについての理解が不可欠です。そこで 少し長くなりますが弦楽器の変遷についてのお話しを ここから挟み込ませていただきたいと思います。

 

まず前提として 弦楽器の弦は “緩む” ことで波のような “運動”をし、それが進行波、そして反射波となり振動を形成することを念頭に置いてください。

弦楽器の響胴などの共鳴部 ( 変換点 )も これと同じように “緩む”ことで “腹”の役割が果たしやすくしてあります。

つまり 振動部が緩まなかったら “腹”として機能せず、その結果としての『響』も生まれないという事です。

これが最重要であるとすれば、板状より膜状のものが より緩みやすい訳ですから、弦楽器の響胴は 膜鳴型が その原点に在ったのではないかと推測できます。

 

ところで‥ 世界に普及したとは言え、これら膜鳴弦楽器には 限られた音楽にしか適応できないという弱点があります。

汎用性の低さは複数の要素によりますが、演奏を続けると 駒が立つ革部がのびてしまい歪みとなり、響きも失われてしまうという‥ 弦楽器としては致命的ともいえる特性も その原因のひとつとなっています。

私は このような膜鳴型響胴の弱点を克服するために、その発展型として 針葉樹を薄い板状として振動板の役割をもたせる弦楽器が製作されるようになったと考えています。

その “大転換”は、 敦煌郊外にある 4世紀半ばから穿ち始められた 莫高窟 ( ばっこうくつ ) 壁画に琵琶などがいくつも描かれていることなどから考えると、少なくとも 3世紀以前のようです。

なお、この莫高窟壁画では盛唐 ( 712年~765年頃 )の時代と推定されている第172窟や、第112窟 ( 中唐 ) の伎楽図にある 「反弾琵琶」が有名です。

現在、第112窟の伎楽図は壁画の中央上部が剥がれているようですが、この資料画像のように モデルとされた琵琶はそれなりの完成度であったと考えられています。

およそ1000年程にわたり彫り続けられ、総数は大小600程と言われる莫高窟にある 多くの彩色塑像や壁画は、それらの時代に 多数の弦楽器が製作されていたことを証ししていると言えます。

そして、これら壁画のモデルとされた琵琶などが存在したことにより、5弦琵琶の完成型と言える 東大寺正倉院の宝物「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」が 製作されるに至ったと考えられます。

 

螺鈿紫檀五弦琵琶      700年 ~ 750年

螺鈿紫檀五弦琵琶が渡来した経緯は 不明のようですが、私は 奈良時代 ( 710年-794年 )に 多治比広成 ( たじひ の ひろなり :  大使 ) と、中臣名代 ( なかとみ の なしろ :  副使 ) が遣唐使として派遣された帰国時に奈良にもたらされたと考えています。

そのころ 唐は 玄宗皇帝の治世‥ 後に「 開元の治」と呼ばれる繁栄の時代で、都の長安は空前の賑わいを見せ 文化は爛熟期を迎えていたそうです。

あくまで個人的な意見としてですが、このような状況から考えると この螺鈿紫檀五弦琵琶は 長安で製作されたのではないかと 私には思われます。

唐朝最大領域  660年頃  

玄宗皇帝 ( 685-762  在位712年~756年 )「 開元の治 713-741 」

遣唐使出発 : 733年 (天平5年) 難波津を4隻で出港し、734年4月に唐朝( 618年-907年 )  玄宗皇帝の謁見を受けます。
帰路 : 734年10月  4隻とも出港し、735年 多治比広成 ( たじひ の ひろなり) は平城京に到着しました。

 

また、一緒に出港しながらも 難破して735年3月に長安に戻った 中臣名代 ( なかとみ の なしろ ) は、唐の援助を受け船を修復し 735年11月に再び出港して 736年8月 奈良に戻ります。

この時、聖武天皇( 701年-756年、在位 724年-749年 )による謁見に同行した「唐人三人、波斯人一人」のうち 唐楽の演奏家として知られていた 皇甫東朝 ( こうほ とうちょう  )と、楽人とも 技術の伝授に当たった工匠ではないかとも言われている 波斯人 ( ペルシャ人 ) の 李密翳 (り みつえい ) は その後 位を授かり貴族となりました。

東大寺正倉院は 聖武太上天皇の七七忌 ( 756年6月21日 ) の際に、光明皇太后が 天皇遺愛の品 約650点などを東大寺の廬舎那仏に奉献したのが始まりで、その後も3度にわたって皇太后自身や 聖武天皇ゆかりの品が奉献されたことにより、その保管のために建設されたそうです。

私は、この「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」の弦楽器としての特質は “ねじり”を生じさせるための 徹底した非対称性にあると考えています。

これを 900年程後のフランス国王 ルイ14世の肖像画にもある バロックリュート系の テオルボ ( キタローネ ) と 比較してみます。

 

Louis XIV  ( 1638-1715 在位 1643-1661-1681-1715 )   1688年        Architecte, Sculpteur et Peintre  :  François Puget

16世紀にリュート族の撥弦楽器として現れた テオルボ ( キタローネ )は、ルネサンス期からバロック期末まで発展しました。

しかし、 規格は標準化されておらず 大きさや形状が様々ですが 概ね長尺で、全長が 2mにもおよぶものも多数残されています。

それゆえに ヘッド部とネック部 そして響胴に設定された 縦方向の 軸組みの複雑さを一見して知ることができます。

特記すべきことは、この高度な弦楽器製作技術のすべてが「 螺鈿紫檀五弦琵琶 」にも確認できることです。

私は、ヴァイオリンが誕生したルナサンス期やバロック期の弦楽器に共通するのは、装飾的な要素は踏まえたうえで 響胴のねじりを積極的に音響システムとして取り入れてある点だと思います。

この音響システムにつきましては、5本の演奏弦の左外側に回頭機構として 2本の弦が張ってある リラ・ダ・ブラッチョ ( Lira da braccio ) や、オルファリオン ( Orpharion ) のナット、フレット、ブリッジの放射状設定とねじり軸組み、そして シターン ( Cittern )に採用された断面L字状のネックなどが参考になると思います。

このリラ・ダ・ブラッチョ ( Lira da braccio ) の回頭機構の大胆さや、非対称な響胴フォルムと 左右のF字孔の長さや傾斜設定を 私は本当に見事だと思います。

オルファリオン(Orpharion) Francis Palmer    London 1617年

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因みに、これは X線透過写真に、多少は見やすくなるように響胴の縦軸と思しき位置に赤線を入れたものです。

表板 ( 腹板 / ふくばん )は “澤栗 ( さわぐり  )”を 非対称に剥甲 ( はぎこう )と言われる三枚接ぎで製作されており、裏板や

 

 

 

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“螺鈿紫檀五弦琵琶 ”    700年~750年


“Citole”        L 610mm   W 186mm   D 147mm     1300年~1330年頃

“Mandora”        L 360  W 96   D 80 ( 83 )  Wt 255 g    1420年頃

“Lute”      Laux Maler ( 1485-1552 )     Bologne,  1529年~1552年頃 

“Treble viol” Giovanni Maria da Brescia, Venice  1550年~1600年頃

“Cistre”     Giovanni Salvatori,   1500年代

“Violin”     Andrea Amati ( ca.1505-1577 )    “Charles Ⅸ”,    1566年頃  

“Cittern”      possibly  by  Petrus Rautta,   England,   1579年    “Orpharion”      Francis Palmer    London,   1617年

“Renaissance Cittern”       Low Countries or France,  1600年代

“Theorbo”  or  “Chitarrone”      1650年~1700年

“Guitar”   Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  “Sabionari”   1679年

“Pochette violin”    Georg Wörle,  Augsburg,  Germany      1691年

“Bass Viol”      Joachim Tielke,    Hamburg     1691年 
“Violoncello”  Giovanni Baptista Rogeri ( c.1675-c.1710 )   1695年頃

“Pochette violin”       Guarneri school,  Italy    1670年~1720年頃

“Mandolino”         L  53.5cm Venice or Padua,  Italy     1710年頃

“Violoncello piccolo”    J. Christian Hoffmann ( 1685-1750 )   1732年
“Viola d’amore”    T. Eberle ( 1725-1792 )   Back 414.3mm   1750年頃

“Violin”      Antonio Vinaccia ( 1754-1781 )    Napoli,    1781年

たとえば、その実例として ハーディ・ガーディという弦楽器を見て下さい。

ハーディ・ガーディは 1500年前後にヒエロニムス・ボッシュ ( Hieronymus Bosch ca.1450-1516 ) が描いた プラド美術館収蔵の有名な大作『 快楽の園 ( “Tuin der lusten” ) 』の右側に描かれているように、ルネサンス期にヨーロッパ全域に普及した弦楽器です。

この弦楽器において特記すべきことは “ハーディ・ガーディ”という名称で同一の機構を保ちながらも、響胴が 500年以上に亘り 積極的な変更がおこなわれ続けた歴史を持っていることです。

特に大きかったのは、ヴァイオリンが誕生した後期ルネサンス頃に響胴が ヴィオール族や ギターなどに似た箱型のものと、リュートのようなボールバック型のふたつの系統に分かれた事でした。

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クルース Crwth は   主にウェールズ地方で愛用された弦楽器で アイルランドでは Crot、イングランドでは Crowd、フランスでは Crouth などと呼ばれていて、特にウェールズのクルースはウェールズの民族楽器として明示的にウェルシュ・クルース(Welsh crwth)と呼ばれることがあります。

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Andrea Guarneri ( 1626-1698 )   Violin,  Cremona  1658年

Francesco Rugeri ( ca.1645-1695 )  Violin,  Cremona  1670年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,
“Sunrise”  Cremona  1677年

 

Hendrik Jacobs (1639-1704)    Violin,  Amsterdam  1690年頃

表板のアーチ   20.1mm  
裏板のアーチ   20.6mm

Neck side (E) 30.0 – 29.3 – C 30.0 – 30.2 – C 30.5 – 30.0 – B 30.4
Neck side (G) 29.2 – 29.2 – C 30.6 – 30.0 – C 30.4 – 30.7 – B 30.4
Front    350.0 – 165.0 – 105.6 – 202.5
Back    352.5 – 163.8 – 103.7 – 203.0
Stop    193.0mm

Gioffredo Cappa ( 1644-1717 )   Violin,  Saluzzo  1690年頃

Girolamo Amati II ( 1649-1740 )   Violin,  Cremona  1691年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,
“Jupiter”  Cremona  1700年

Alessandro Gagliano ( 1640–1730 )   Violin, Napoli  1700年頃

Mattio Goffriller  (1659–1742)   Violin,  Venetia  1702年
表板のアーチ 19.0mm  
裏板のアーチ 17.5mm

Neck side (E) 26.5 – 27.0 – C 27.5 – C 28.0 – 27.8 – B 28.0
Neck side (G) 26.5 – 26.8 – C 27.0 – C 26.8 – 27.5 – B 28.0
Back   351.0 – 163.0 – 107.0 – 204.0
Stop   193.0mm

Giuseppe Guarneri ( 1666-1740 )  “Filius Andrea”   Violin,
Cremona  1703年

Pietro Guarneri  di Mantova ( 1655-1720 )   Violin,  Mantova 1704年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,
“Viotti”  Cremona   1704年

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )   Violin,
“Dancla”  Cremona  1708年

Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 )  Violin,  Cremona  1710年頃

Antonio Stradivari  ( ca.1644-1737 )   Violin,  “Hamma”   1717年

Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )   “Guarneri del Gesù”
Violin, “Dancla”  1727年頃

Neck side (E) 28.5 – 29.5 – C 30.75 – 29.5 – C 30.5 – 30.5 – B 30.25
Neck side (G) 28.5 – 29.0 – C 30.0 – 29.0 – C 30.0 – 30.75 – B 29.5
Front   354.0 – 164.5 – 107.0 – 202.0
Back   354.0 – 164.0 – 107.0 – 200.0
Stop   200.0mm

Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )   “Guarneri del Gesù”
Violin, “Baltic”  1731年

Neck side (E) 29.25 – 30.0 – C 30.5 – 30.25 – C 31.0 – 30.5 – B 30.0
Neck side (G) 30.0 – 29.0 – C 30.75 – 30.0 – C 31.0 – 30.0 – B 30.0
Front   349.0 – 163.0 – 108.0 – 204.0
Back   351.0 – 164.0 – 108.25 – 203.0
Stop   190.0mm

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )   Violin,
“Red Diamond”  Cremona  1732年

Bartolomeo Giuseppe Guarneri  ( 1698-1744 )  “Guarneri del Gesù”
Violin, “Kaston”  1732年

Carlo Bergonzi  ( 1683-1747 )   Violin, “Noah Bendix”  1732年

Nicola Gagliano ( 1675-1763 )   Violin,  Napoli  1737年

表板のアーチ   20.4mm 
裏板のアーチ   14.6mm

Neck side (E) 28.8 – 27.8 – C 28.2 – 29.7 – C 28.5 – 29.2 – B 29.2
Neck side (G) 28.7 – 28.0 – C 28.9 – 29.3 – C 29.8 – 29.8 – B 29.2
Front   349.5 – 160.5 – 102.3 – 199.5
Back   350.0 – 163.0 – 105.2 – 201.0
Stop   192.0mm

Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )   Violin,   Milan  1740年頃

Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )    Violin,   Milan 1740年頃

表板のアーチ   20.5mm 
裏板のアーチ   18.2mm

Neck side (E) 30.0 – 30.2 – C 30.5 – 30.2 – C 30.7 – 30.6 – B 30.5
Neck side (G) 29.6 – 30.0 – C 30.8 – 30.2 – C 30.5 – 30.3 – B 30.5
Front   355.0 – 160.5 – 109.0 – 194.5
Back   357.0 – 161.0 – 110.0 – 197.0
Stop   197.0mm

Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 )  “Guarneri del Gesù”
Violin, “Carrodus”  Cremona  1743年

Neck side (E) 29.9 – 31.0 – C 32.2 – 31.8 – C 32.5 – 32.0 – B 32.2
Neck side (G) 29.75 – 31.25 – C 32.9 – 32.0 – C 32.8 – 31.5 – B 32.2
Front   351.0 – 165.75 – 112.0 – 203.0
Back   352.5 – 167.0 – 109.0 – 204.0
Stop   191.0mm

Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ) “Guarneri del Gesù”
Violin, Cremona  1744年頃

Andreas Ferdinand Mayr ( 1693-1764 )  Violin,
Salzburg  1750年頃

表板のアーチ   18.0mm
裏板のアーチ   17.5mm

Neck side (E) 29.2 – 28.8 – C 29.0 – 29.0 – C 29.2 – 29.2 – B 29.1
Neck side (G) 29.1 – 29.1 – C 29.2 – 29.2 – C 29.3 – 29.4 – B 29.1
Front   352.0 – 158.6 – 106.7 – 197.5
Back   352.0 – 159.1 – 106.8 – 198.1
Stop   188.5mm

G. & A. Gagliano
( Giuseppe 1726-1793   Antonio 1728-1805 )
Violin, Napoli  1754年

表板のアーチ   19.0mm  
裏板のアーチ   16.4mm

Neck side (E) 28.0 – 28.7 – C 29.4 – 29.2 – C 30.0 – 30.3- B 31.6
Neck side (G) 28.0 – 28.7 – C 29.5 – 29.0 – C 30.5 – 30.5 – B 31.8
Front  351.0 – 164.5 – 107.6 – 202.0
Back   353.5 – 163.8 – 107.4 – 201.0
Stop   191.0mm

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )   Violin,   Florence  1750年

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )   Violin,  Florence  1755年

表板のアーチ   22.0mm
裏板のアーチ   20.1mm

Neck side (E) 28.2 – 27.2 – C 28.2 – 27.6 – C 28.2 – 29.0 – B 29.0
Neck side (G) 28.2 – 27.9 – C 28.4 – 27.9 – C 29.0 – 28.3 – B 29.0
Front   349.5 – 166.0 – 107.0 – 205.0
Back   350.5 – 164.4 – 107.4 – 203.0
Stop   192.0mm

Lorenzo Carcassi  ( worked 1737–1775 )  Violin,
“Ex Steinberg”   Firenze   1757年

Neck side (E) 28.2 – 28.8 – C 30.0 – 29.6 – C 30.0 – 30.4 – B 30.6
Neck side (G) 29.0 – 29.0 – C 30.0 – 29.4 – C 30.3 – 30.8 – B 30.6
Front   355.0 – 162.8 – 106.2 – 199.5
Back   356.5 – 163.5 – 109.0 – 201.0
Stop   192.0mm

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )   Violin,  Milan  1757年

Ferdinando Gagliano ( 1706-1784 )  Violin,   Napoli   1764年

Leopold Widhalm ( 1722-1786 )  Violin,   Nurnberg   1769年

表板のアーチ   18.0mm
裏板のアーチ   17.1mm

Neck side (E) 30.1 – 30.6 – C 31.5 – 30.2 – C 31.3 – 31.0 – B 31.3
Neck side (G) 30.3 – 30.7 – C 31.1 – 30.1 – C 31.3 – 31.4 – B 31.3
Front   351.5 – 162.0 – 103.8 – 198.0
Back   352.0 – 162.5 – 104.6 – 197.5
Stop   190.5mm

Leopold Widhalm ( 1722-1786 )  Violin,   Nurnberg   1769年

Johann Georg HUBER ( 1741-1772 )   Violin,  Wien 1769年

Richard DUKE ( 1718-1783 )   Violin,  London  1770年頃

表板のアーチ   17.2mm 
裏板のアーチ   16.1mm

Neck side (E) 28.0 – 29.0 – C 30.0 – 29.8 – C 30.2 – 30.3 – B 30.4
Neck side (G) 28.4 – 28.7 – C 30.0 – 29.9 – C 30.5 – 30.2 – B 30.4
Front   352.5 – 163.9 – 109.8 – 201.2
Back   353.0 – 164.4 – 110.5 – 200.4
Stop   192.0mm

Johann Gottfried REICHEL( ca.1735-1775 )Violin,  Markneukirchen   1770年頃

表板のアーチ   17.0mm 
裏板のアーチ   15.7mm

Neck side (E) 32.1 – 31.6 – C 32.0 – 31.8 – C 32.0 – 32.0 – B 32.0
Neck side (G) 31.8 – 31.9 – C 32.0 – 31.9 – C 31.7 – 31.8 – B 32.0
Front   354.5 – 161.0 – 108.0 – 202.0
Back   356.0 – 164.0 – 110.2 – 202.5
Stop   195.0mm

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 )   Violin,
“Ex Joachim”   Turin  1775年

Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 )   Violin,
Hague, Netherlands  1780年頃

表板のアーチ   20.3mm  
裏板のアーチ   16.8mm

Neck side (E) 30.0 – 29.8 – C 30.7 – 29.2 – C 30.5 – 29.8 – B 31.3
Neck side (G) 30.2 – 30.0 – C 31.2 – 29.1 – C 30.7 – 30.0 – B 31.3
Front   350.0 – 157.4 – 106.0 – 203.0
Back   351.0 – 159.8 – 105.0 – 201.0
Stop   190.0mm

“Römischen Schule”   1780年頃

表板のアーチ   20.7mm
裏板のアーチ   19.1mm

Neck side (E) 29.7 – 29.2 – C 30.6 – 31.6 – C 31.8 – 32.6 – B 32.8
Neck side (G) 30.0 – 29.8 – C 31.0 – 31.7 – C 31.8 – 32.5 – B 32.8
Front   348.0 – 157.2 – 100.8 – 196.2
Back   349.5 – 161.4 – 101.6 – 199.5
Stop   190.0mm

Antonio Vinaccia ( 1754-1781 )  Violin,  Napoli  1781年

Giovanni Battista Ceruti  ( 1755-1817 )   Violin,  “Ex Havemann” Cremona  1791年

表板のアーチ   18.0mm 
裏板のアーチ   16.9mm

Neck side (E) 28.8 – 29.0 – C 29.4 – 29.0 – C 30.0 – 30.4 – B 29.8
Neck side (G) 29.0 – 29.0 – C 29.8 – 29.0 – C 30.3 – 30.5 – B 30.5
Front   350.0 – 163.2 – 107.7 – 205.0
Back   352.0 – 162.2 – 107.5 – 205.8
Stop   192.0mm

Giovanni Battista Ceruti  ( 1755-1817 )   Violin,  “Ex Havemann” Cremona  1791年

Nicolas Lupot ( 1758-1824 )   Violin,  Paris 1807年

表板のアーチ   “16.0mm ” (  演奏家所有のため計測不能でしたので推測値です。)

Neck side (E) 29.0 – 29.0 – C 30.0 – 29.4 – C 30.2 – 30.8 – B 31.0
Neck side (G) 28.4 – 28.9 – C 30.0 – 29.0 – C 30.4 – 30.8 – B 31.0
Front   356.8 – 167.5 – 110.0 – 206.0
Back   358.0 – 168.6 – 110.0 – 207.0
Stop   194.0mm

Nicolas Lupot ( 1758-1824 )   Violin,  Paris 1807年

Nicolas Lupot ( 1758-1824 )   Violin,  Paris 1807年

Nicolas Lupot ( 1758-1824 )   Violin,  Paris 1807年

John Betts ( ca.1752-1823 )   Violin,   London  1809年

表板のアーチ   15.8mm 
裏板のアーチ   15.2mm

Neck side (E) 30.1 – 30.7 – C 31.7 – 30.9 – C 31.9 – 31.2 – B 31.5
Neck side (G) 30.0 – 30.4 – C 31.8 – 30.1 – C 32.0 – 31.1 – B 31.5
Front   355.5 – 161.4 – 108.1 – 200.0
Back   356.0 – 160.5 – 107.5 – 197.5
Stop   192.0mm

Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 )  Violin,  Torino 1837年

表板のアーチ   15.8mm  
裏板のアーチ   16.5mm

Neck side (E) 29.7 – B 31.0
Neck side (G) 29.7 – B 31.0
Front   351.0 – 166.5 – 109.1 – 206.0
Back   352.0 – 166.5 – 110.0 – 206.5
Stop   190.5mm

Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 )  Violin,  Torino 1837年

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )    Violin,  Turin  1850年頃

Enrico Marchetti ( 1855-1930 )   Violin,  Torino  1886年

表板のアーチ   15.6mm 
裏板のアーチ   15.0mm

Neck side (E) 29.0 – 29.6 – C 30.3 – 30.3 – C 30.9 – 31.2 – B 31.0
Neck side (G) 28.8 – 29.3 – C 30.2 – 30.2 – C 30.7 – 30.4 – B 31.0
Front   358.0 – 164.0 – 107.7 – 206.2
Back   358.5 – 164.5 – 107.96 – 206.0
Stop   193.0mm

Enrico Marchetti ( 1855-1930 )   Violin,  Torino  1886年

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )   Violin,   Milano   1910年   “Exposition Universelle et Internationale de Bruxelles 1910”

表板のアーチ   17.0mm 
裏板のアーチ   16.6mm

Neck side (E) 28.2 – 28.8 – C 29.4 – 29.3 – C 29.3 – 29.3 – B 29.4
Neck side (G) 28.3 – 28.2 – C 29.2 – 29.2 – C 29.4 – 29.4 – B 29.4
Front   351.0 – 165.2 – 107.6 – 205.0
Back   351.5 – 165.7 – 107.6 – 204.6
Stop   192.5mm

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )   Violin,   Milano   1910年   “Exposition Universelle et Internationale de Bruxelles 1910”

Giuseppe Fiorini  ( 1861-1915-23-1934 )    Violin, Zürich  Switzerland   1922年

Ferdinando Garimberti ( 1894-1982 )   Violin,   Milano  1924年

Ferdinando Garimberti ( 1894-1982 )   Violin,   Milano  1924年

Simone Fernando SACCONI  ( 1895-1973 )   Violin, 
New York
U.S.A.  1967年

Simone Fernando SACCONI  ( 1895-1973 )   Violin, 
New York 
U.S.A. 1967年

Marcello Ive ( 1962 – )   Violin,   Cremona   2001年

表板のアーチ 15.1mm
裏板のアーチ 15.0mm

Neck side (E) 29.8 – 30.0 – C 30.2 – 30.2 – C 30.8 – 30.8 – B 31.0
Neck side (G) 29.7 – 30.1 – C 30.2 – 30.4 – C 31.0 – 31.0 – B 31.0
Front   353.0 – 164.2 – 108.2 – 202.0
Back   355.0 – 164.4 – 108.0 – 202.3
Stop   193.0mm

Marcello Ive ( 1962 – )   Violin,   Cremona   2001年

 

 

 

 

 

 

弦楽器を知るための音楽年表

Sandro Botticelli  ( 1445-1510 )
” 地獄の見取り図”( La Carte de l’Enfer )1490年

ヴァイオリンという弦楽器は、14世紀初頭にはじまるルネサンスと 宗教改革により中世的な世界観に変わり 新しい認識や価値観がヨーロッパに広がっていくなかで考案され普及していきました。

その時期は、それまで長らく信じられてきた天動説の体系から コペルニクス ( 1473-1543 ) が唱えた地動説が常識となっていく激動の時代とかさなります。

Cathédrale Notre-Dame de Chartres

Cathédrale Notre-Dame de Chartres    130m × 46m ( 32m )

Cathédrale Notre-Dame de Chartres
身廊全長 128m / 幅 16.4m / 高さ 37mm

ピサの洗礼堂( ピサのドゥオモ広場 )

1409年に この地で「ピサ教会会議」がおこなわれクレタ島生まれのギリシャ人 アレクサンデル5世( 1339-1410 / 対立教皇、在位 1409年 – 1410年)が「教皇」に選出されました。カトリック教会においての教会大分裂 ( 大シスマ  Scisma d’Occidente ) のはじまりです。

この「ピサ教会会議」は、1377年に 教皇グレゴリウス11世が アヴィニヨン ( Avignon 1309-1377 ) からローマに教皇庁を移しましたが その翌年に亡くなってしまい 、結果として ローマとアヴィニヨンに それぞれ「教皇」が存在する状況に陥っていたのを解決するために招集されたものでした。

しかし、ローマの教皇 グレゴリウス12世 ( 1326-1417 / ローマ教皇、在位 1406年 – 1415年 ) と アヴィニョンの ベネディクトゥス13世 ( 1328-1423  対立教皇、在位 1394年 – 1417年 )は廃位に応じませんでした。

その混乱の最中、「ピサ教会会議」で選出された アレクサンデル5世 ( 1339-1410 )が急死したために フィレンツェのメディチ家当主 ジョヴァンニ・ディ・ビッチ ( 1360-1429 ) の支援を受けた バルダッサレ・コッサ ( Baldassare Cossa  ca.1370-1419 ) が ヨハネス23世 (  1370-1419  対立教皇 / 在位 1410年 – 1415年 )として「教皇」となり、1399年にナポリから追われていたプロヴァンス伯 ルイ2世・ダンジューとともに軍を進め 1410年に ローマを占領しました。

そして目まぐるしいですが、ヨハネス23世 ( 1370-1419  )と ルイ2世・ダンジュー ( 1377-1417 )のローマ占領は、1413年にナポリ王 ラディズラーオの軍の反撃によりフィレンツェに退却する事で終わりました。

この教会大分裂を解消するために神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントは 1414年、ドイツで コンスタンツ公会議を召集しました。 この公会議で3人の教皇は退位あるいは 廃位さとれ、1417年にマルティヌス5世 ( 1368- 1431  /  在位 1417年 – 1431年 )が選出されたことにより3人の教皇が同時に存在するという混乱は収束しました。


Battistero di San Giovanni ( Pisa ) / Piazza del Duomo
1152 年~ 1363年 外側高さ54.85m / 直径35.5m

ヴァイオリンなどの弦楽器を知るには、16世紀初めから400年ほどの期間を俎上に上げなくてはなりませんので、時間軸上での考察のために 私はこの投稿をまとめることにしました。

念のために申し上げれば  ここでは楽器と弓の製作者、そして時間座標のために音楽家、科学者などの生まれた年や重要な出来事を考慮して列挙してあります。そして、全体の項目を減らすために敢えて ハイドンやベートーヴェンさん達を記載していません。この点はどうかご了承ください。

■  Violin maker  ●  Violinist, Teacher, Composer  □  Bow maker

▶  Pythagoras ( BC.582-BC.496 )
▶  Archimedes ( BC.287-BC.212 )

1321年  Dante Alighieri ( 1265-1321 ) “La Divina Commedia” ( 神曲 )
1378 ~ 1417年   “Schisma” Roma : Avignon ( 1309-1377 )
1453年   コンスタンティノープル陥落によるビザンツ帝国の滅亡   Constantinopolis  /  The Eastern Roman Empire ( 330-1453 )

1492年   San Salvador Island  /  Columbus ( 1451-1506 )
1498年   Santa Maria delle Grazie /  Leonardo da Vinci ( 1452-1519 )

1499年   Vasco da Gama ( ca.1460-1524 ),  Lisbon-Inldia-Lisbon
1517年   “95 Thesen” Martin Luther ( 1483-1546 )

1538年   Naval battle of Preveza / Turkish Empire
1543年   Nicolaus Copernicus ( 1473-1543 )

ヴァイオリンの歴史を紐解くと”クレモナ派”の存在が重要であると分かります。ポー平原の中央に位置するクレモナは ミラノから 80㎞、ブレッシアから 60㎞、トリノと ヴェネツィアからおおよそ200㎞ほどに位置する古都で、ポー川などの水上交通や街道などによって それらの都市や モデナ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリなどと繋がっていました。

ヨーロッパでは ヴァイオリンが誕生する直前にオスマン・トルコが支配地域を拡大させ、ついには 1453年にコンスタンティノーブルが陥落し東ローマ帝国 ( ヴィザンチン帝国 ) が滅亡するという事件がありました。

オスマン帝国はその後も勢力範囲をひろげ、この抗争の最終局面で ヴェネツィア共和国、スペイン、ジエノヴァ共和国、教皇領などの艦船で結成された神聖同盟艦隊( ローマ教皇連合艦隊  )とオスマン帝国艦隊が イオニア海にあるレフカダ島沖で戦うことになります。 この “プレヴェザの海戦”( 1538年 )は神聖同盟艦隊側の敗北に終わり、以降はオスマン帝国が地中海の制海権を握ります。

こうした変化はヨーロッパでの音楽事情に影をさし、当然ながらヴァイオリンなどの弦楽器製作にも影響を与えたと考えられます。

それから『 ペスト( 黒死病 ) 』などの疫病の大流行が大きな社会不安を発生させていたことも忘れてはならないと思います。

ペスト菌には3 種類の亜種が知られ、それぞれが歴史上有名なペストの大流行の原因となりました。541 年に東ローマ帝国から始まった大流行は ペスト菌 Antiqua によるもので、14 世紀からのヨーロッパでの大流行は Medievalis によるとされ 、そして中国雲南省で1855 年に始まった大流行は Orientalis によるものとされています。

このうち ルネサンス時代に大流行を引き起こしたペスト菌 Medievalis は まず1348年~1351年にかけてコンスタンティノープルをはじめ、キプロス、サルデーニャ 、コルシカ、マジョリカ等の地中海の主要都市、さらにマルセイユ、ヴェネチア等の港町に上陸します。

そして翌年に入ると アヴイニヨン、フイレンツェ、イングランドにまで広がり、その次の年にはスウエーデンやポーランドも浸食し 1351年末にはロシアにまで達したそうです。

この流行ではヨーロッパの総人口8000万人のうち、その3割にあたる2500万人が 犠牲となったといわれています。

悲しいことに このときの大流行をきっかけとして、ペストはいわば風土病化して ヨーロッパの地に根を下ろし、それ以後18世紀にいたるまで何度もくりかえし発生しました。


▶  1656年頃  A plague doctor in seventeenth-century Rome

とくに 17世紀にはヨーロッパの各地 で頻発したことが記録されています。アムステルダムでは 1622年から1628年にかけて毎年 発生して 3万5000人程が死亡し、パリでは 1612年、1619年、1631年、1638年、1662年、1668年( 最後の流行 )にペストの大流行があり深刻な被害がでました。


▶  1679年  ペスト撲滅( ウィーンでの ペスト最期の流行による 累計死者およそ10万人を追悼 ) 記念碑 1683~1693年建造

また、ロンドンでは 1593年から1664年にかけて、そして 翌年の1665年と ペストが 5回も流行し 死者の合計はおよそ 15万6000人におよんだと言われています。

CNNからの引用です。【   “ 1665年に英ロンドンで大流行して年間7万5000人超を死亡させたのは、ペスト菌が引き起こす腺ペストだったことが、DNA鑑定を通じてこのほど初めて実証された。ロンドン考古学博物館などの研究チームが発表した。

この年の大流行では当時のロンドンの人口のほぼ 4分の1が死亡。ピークだった9月には1週間だけで8000人が死亡した。原因は腺ペストとする説が有力だったが、これまで確認はできていなかった。

しかしロンドン市内で地下鉄の延伸工事中に見つかった集団埋葬地を 2015年に発掘調査したところ、1665年の大流行で死亡したと思われる17世紀の遺骨42柱が見つかった。

研究チームがその遺骨から採取したDNAを調べた結果、腺ペストを引き起こすペスト菌のDNAと一致することをが判明。発掘調査を主導したロンドン考古学博物館の専門家ダン・ウォーカー氏は「1665年のペスト大流行の原因が初めて分かった」と解説している。”   】

因みに、1664年に『スカラー』となっていた ニュートン ( 1642-1727 ) は、 1665年から 翌年にかけてペスト禍を逃れて故郷のウールスソープへ戻り 18ヶ月程の期間をすごしたと言われています。

回想録などでは、25歳までの この期間にニュートンの三大業績は全て成されたとされています。

同じように、クレモナの街も何度にもわたってペスト禍にみまわれ 1630年の大流行の際には、クレモナ派の始祖アンドレア・アマティの息子で父の工房を引き継いでいた ジロラモ・アマティ( Girolamo Amati  1561-1630 )とその妻 そして 2人の娘が犠牲となり、アマティ工房は 34歳となっていた ニコロ・アマティ( Nicolò Amati  1596-1684 )が引き継いだといわれています。

また、アントニオ・ストラディバリ ( ca.1644-1737 ) の 生年月日と出生場所が 判然としないのも、ペスト禍をさけた両親の避難先の町で誕生したからと伝承されています。

1500 – 1550
■   Andrea Amati ( ca.1505-1577 ),  Cremona  /  1539年
Established a workshop in Cremona.
■   Antonio Amati ( 1540-1640 ),  Cremona
■   Gasparo di Bertolotti ( ca.1540- ca.1609 ),  “Gasparo da Salò”       Brescia

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  Cremona  1555~1560年頃

Catherine de Médicis ( 1519-1589 )
1533年   She married Henry II at the age of 14.

Charles Ⅸ de France ( 1550-1574 )
1561年   He was crowned the king of France.

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  “King Charles Ⅸ”  Cremona  1566年頃

Andrea Amati ( ca.1505-1577 )   Violin,  “King Charles Ⅸ”  Cremona  1566年頃

Andrea Amati ( ca.1505–1577 )  Violin,  “ex Ross”   1570年頃

1572年  “St. Bartholomew’s Day Massacre”


Charles Ⅸ de France  1574年

1550 – 1600
■  Girolamo AmatiⅠ( 1561-1630 ),  Cremona
■  Giovanni Paolo Maggini ( 1580- ca.1633 ),  Brescia
■  Nicolò Amati ( 1596-1684 ),  Cremona

▶  Galileo Galilei ( 1564-1642 )
▶  Johannes Kepler (1571-1630 )
▶  Marin Mersenne  ( 1588-1648 )
▶  René Descartes ( 1596-1650 )

●  Biagio Marini ( 1594-1663 ),  Brescia / 1615  Venezia ‘ Basilica di San Marco’ / 1620 Brescia / 1621 Parma / 1623 ~ 1649 Neuburg an der Donau / 1649 Milan / 1652 Ferrara / 1654 Milan / 1656 Vicenza  /  Venezia 1663  :   Violinist
“Scordatura”,   “double and even triple stopping”,   “Tremolo”   

1600 – 1650
▶  Otto von Guericke ( 1602-1686 )

Gaspar da Saló ( ca.1540-ca.1609 )  Violin,  Brescia  1600年頃 

■  Jacob Stainer ( 1617-1683 ),  Absam, Tirol


●  Maurizio Cazzati ( 1618-1678 ), Luzzara / 1641 Ferrara, Bozzolo, Bergamo / 1657 ~ 1671 Bologna / 1671 Mantova

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

Giovanni Paolo Maggini ( 1580 – ca.1633  )  Violin,  Brescia 1620年頃

Antonio Amati ( ca. 1540-1607 )  &  Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 )   Violin,   Cremona   1624年頃

■  Andrea Guarneri ( 1626-1698 ),  Cremona  /  1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri .

 

  ca.1626 ~ ca.1761  ” Les Vingt-quatre Violons du Roi ” ( “The King’s 24 Violins” )  The Royal Palace in Paris

 

Antonio Amati ( ca. 1540-1607 )  &  Hieronymus Amati ( ca. 1561-1630 )   Violin,   Cremona   1629年頃

■  Giovanni Grancino ( 1637-1709 ),  Milan
■  Hendrik Jacobs  ( 1639-1704 ),   Amsterdam

▶  Christiaan Huygens ( 1629-1695 )
▶  Antonie van Leeuwenhoek ( 1632-1723 )
▶  Robert Hooke ( 1635-1703 )
▶  Isaac Newton ( 1642-1727 )

■  Alessandro Gagliano ( ca.1640–1730 ),  Napoli
■  Giovanni Tononi ( ca.1640-1713 ),  Bologna
■  Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 ),   Brescia

●  Jean-Baptiste Lully ( 1632-1687 ),  Firenze / 1646 France / 1652 The Royal Palace in Paris  / 1653 “Petits Violons” / 1661 French subject , 1661 ~ 1682 “Château de Versailles”  / 1685,1686,1687

●  Giovanni Battista Vitali ( 1632-1692 ),  Bologna / 1666 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 Modena  :   Violinist

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,  Cremona  1641年

●  Heinrich Ignaz Franz von Biber ( 1644-1704 ), Bohemia / 1668  Zámek Kroměříž / 1671 Salzburg,  ca.1676 ” Rosenkranz-Sonaten ” ( Scordatura )  :   Violinist

■  Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Cremona  /  1680年 He founded the workshop in Casa Stradivari .

▶  Arp Schnitger ( 1648-1719 ),  active in Northern Europe, especially the Netherlands and Germany,  Pipe organ builder.

■  Francesco Ruggieri ( ca.1645-1698 ),  Cremona
■  Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 ),  Cremona

1650 – 1700

●  Arcangelo Corelli ( 1653-1713 ), Fusignano / 1666 Bologna / 1675 Rome / 1681 München / 1685 Roma / 1689 Modena / 1708 Rome :   Violinist

●  Giuseppe Torelli ( 1658-1709 ), Verona / Bologna / 1684 Accademia Filarmonica di Bologna / 1697 ~ 1699 Fürstentum Ansbach / 1699 Wien / Bologna :   Violinist

Nicolò Amati ( 1596–1684  )  Violin,  Cremona  1651年

■  Matthias Klotz ( 1653-1743 ),   Mittenwald
■   Pietro Giovanni Guarneri ( 1655-1720 ),  Cremona  /  Mantua

Jacob Stainer ( 1617-1683 )  Violin,  Absam ( Tirol )  1655年頃

Andrea Guarneri ( 1626-1698 ),  Cremona 1658年頃
( 1654年  He founded the workshop in Casa Guarneri . )

■  Matteo Goffriller ( 1659–1742 ),  Venice
■  Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 ),  Cremona
■  Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 ),  Milan

●  Giacomo Antonio Perti ( 1661-1756 ),  Bologna / Parma / Venezia / 1690 ~ 1756 Bologna  :   Violinist
●  Tomaso Antonio Vitali ( 1663-1745 ), 1674 Modena :  Violinist

■   Filius Andrea Guarneri ( 1666-1740 ),  Cremona

Nicolò Amati ( 1596–1684 )  Violin,  Cremona  1669年

Francesco Rugeri ( ca.1645-1698 )  Violin, 1670年

Giovanni Maria Del Busetto   Violin,  Cremona  1680年頃

■  Francesco Stradivari ( 1671-1743 ),  Cremona
■  Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 ),  Milan
■  Carlo Tononi ( ca.1675-1730 ),  Bologna  /  Venice
■  Johann Michael Albani ( 1677-1730 ),  Bozen / Bulsani in Tyroli  / Graz

  Louis XIV ‘Roi-Soleil’ ( 1638 – ‘1643-1715’ )
“Château de Versailles” 1661 ~ 1682 

Plan du Château de Versailles  1664年

1678年  (1678–1684 )
The opulent Hall of Mirrors at the Palace of Versailles

●  Antonio Vivaldi ( 1678-1741 ), Venezia 1703 / 1740 Wien :   Violinist
● 
Pietro Castrucci ( 1679-1752 ),  Roma / 1715 London / 1750 Dublin :   Violinist

■  Omobono Stradivari ( 1679-1742 ),  Cremona
■  Carlo Bergonzi ( 1683-1747 ),  Cremona

▶  Gottfried Silbermann ( 1683-1753 ) Saxony / Dresden, Pipe organ builder.
Zacharias Hildebrandt ( 1688-1757 ),  Pipe organ builder.

●  Johann Sebastian Bach ( 1685-1750 ), Eisenach / 1703 Weimar, Arnstadt / 1705.10 Lübeck 1706. 1 /  1707 Mühlhausen / 1708  Weimar / 1717 Köthen, 1721 Anna Magdalena Bach  / 1723 Leipzig

●  Giovanni Battista Somis ( 1686-1763 ), Turin / 1731 Paris / Turin :   Violinist

■  Domenico Montagnana ( 1686-1750 ),  Venice
■  Georg Klotz ( 1687-1737 ),   Mittenwald

●  Francesco Geminiani ( 1687-1762 ), Lucca / 1711 Naples / 1714 London  :   Violinist
●  Francesco Maria Veracini ( 1690-1768 ),  Firenze / 1711 Venezia / 1714 London / 1616 Venezia / 1723 Firenze / 1733 London / 1744 Firenze  :  Jacob Steiner violin  /   Violinist

Hendrik Jacobs (1639-1704)  Violin,   Amsterdam 1690年頃  

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1690年頃

Carlo Giuseppe Testore ( ca.1665-1716 )   Violin,  Milano  1690年

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1690年

■  Andrea Guarneri ( 1691-1706 ),  Cremona
■  Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 ),   Milan

●  Giuseppe Tartini ( 1692-1770 ), Pirano / 1721 Padova, 1726 Violin School  :   Violinist
●  Pietro Locatelli ( 1695-1764 ), Bergamo / 1723 Mantua, Venezia, München, Dresden, Berlin, Frankfurt, Kassel / 1729  Amsterdam  :   Violinist

■  PietroⅡ Guarneri ( 1695-1762 ),  Cremona  /  1718年  moved to Venezia
■  Sebastian Klotz ( 1696-1775 ),  Mittenwald

Giovanni Baptista Rogeri ( ca.1642 – ca.1705 )   Violin, Brescia  1695年頃

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin   “Auer – Benvenuti”  Cremona   1699年

●  Jean-Marie Leclair ( 1697-1764 ), Lyon / Turin / 1723 Paris, ‘Palais des Tuileries’  / 1733 ~ 1737  ‘ Louis XV ( 1710 – ‘1715-1774’ ) / 1738 ~ 1743 Den Haag  / 1743 ~ 1764 Paris  :   Violinist

■  Andrea Castagneri ( 1696-1747 ),   Paris ■  Bartolomeo Giuseppe Guarneri ( 1698-1744 ),  “Guarneri del Gesù”  Cremona  /  1722年頃  He is independent.

 1700 – 1750
Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1700年頃

Giovanni Grancino ( 1637-1709 )  Violin,  Milan 1702年頃

Giuseppe Guarneri ( 1666-1740 )   “filius Andrea”   Violin, 1703年

■  Camillo Camilli ( ca.1704-1754 ), Mantua,  Violin maker.

Carlo Tononi ( ca.1675-1730 )  Violin,    Bologna 1705年

1700 – 1750

1701 ~ 1714年  War of the Spanish Succession
“France : Louis XIV ( 1638-1715 ) × Habsburg : Karl VI ( 1685-1740 )”
Cremona governance countries
España ( 1513 ~ 1524, 1526 ~ 1701 ) – France (  1701 ~ 1702 ) –  Republik Österreich / Habsburg  ( 1707 ~ 1848 )

スペイン継承戦争 ( 1701-1714 )のさなか クレモナは、1701年から1702年の クレモナの戦いで オーストリア軍に敗れるまで フランスが短期間支配したのちに、1707年にミラノまでの北イタリア やナポリなどをオーストリア軍が平定したことによりハプスブルク家の所領となりました。そして、この状況は 1713年の ユトレヒト条約などにより確定しました。

ユトレヒト条約によるヨーロッパの勢力図

茶色はイギリス、青はフランス、黄色はスペイン、緑はオーストリア、橙はサヴォイア、深緑はブランデンブルク=プロイセン

Casa Savoia :  1713年 Regno di Sicilia – 1720年 Regno di Sardegna  / Torino – 1848年 The First War of Independence – 1859年 The Second War of Independence –  1866年 The Third War of Independence

●  Giovanni Battista Martini ( 1706-1784 ), Bologna / 1758 Accademia Filarmonica di Bologna / 1774 “Saggio dl contrapunto”

●  Franz Xaver Richter ( 1709-1789 ), Moravia / 1740 ~ 1747 Kempten i.a. / 1747 Mannheim / 1769 ~ 1789  ‘Cathédrale Notre-Dame-de-Strasbourg’  :  Violinist
●  Jean-Joseph de Mondonville ( 1711-1772 ), Narbonne / 1733 ~ 1772 Paris  :  Violinist

Antonio Stradivarius ( ca.1644-1737 )  Violin,  “Viotti”  1709年

Girolamo Amati Ⅱ ( 1649-1740 )   Violin,  Cremona  1710年

Vincenzo Ruggeri ( 1663-1719 )   Violin,  Cremona  1710年頃

■  Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 ),  Napoli

■  Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ),  Cremona  /  1729 Parma  /  1740 Piacenza  /  1749 Milan  /  1757 Cremona  /  1759 Parma  /  1771-1786 Turin

Giovanni Battista Grancino II ( 1673-ca.1725 )  Violin,  Milan 1715年

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin   “Tartini – Lipinski”  Cremona   1715年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Violin  Cremona  “Marsick – James Ehnes”  1715年

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 ),  Violin  Cremona  1722年

●  Johann Wenzel Stamitz ( 1717-1757 ), Bohemian / Praha / 1741 Mannheim / 1754 ~ 1755 Paris / 1755 Mannheim :  Violinist

●  Leopold Mozart ( 1719-1787 ),  Augsburg / 1737 Salzburg / 1785 Wien, Salzburg :  Violinist
1751年  “Versuch einer gründlichen Violinschule”
– – – 
Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 )

■ Giovanni Battista Gabrielli  ( 1716-1771 ),  Florence
■  Leopold Widhalm ( 1722-1776 ),  Nürnberg 

●  Pietro Nardini ( 1722-1793 ), Fibiana / Livorno / Padova / 1762 Stuttgart / 1770 Firenze :   Violinist
●  Pierre Gaviniès ( 1728-1800 ),  Paris /  1744 “The Concert Spirituel”  / 1795 He became a professor at the newly-founded ‘Conservatoire de Paris ‘.  :   Violinist

Matthias Klotz ( 1653-1743 )  Violin,  Mittenwald  1725年 

Giuseppe Guarneri ‘filius Andreae’ ( 1666-1740 )   Violin,  Cremona  1725年頃

Johann Michael Albani ( 1677-1730 )   Violin,  Bulsani in Tyroli   1728年頃

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  1729年頃

■  Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 ),  Hague Netherlands

Georg Klotz ( 1687-1737 )  Violin,  Mittenwald  1730年頃

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,  Cremona
“Goldberg-Baron Vitta”  1730年頃

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ) Violin,   “Lady Jeanne”  Cremona   1731年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,   “Posselt – Philipp”  1732年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )   Violin,  “Spagnoletti”   1734年

●  Gaetano Pugnani ( 1731-1798 ), Torino / 1749 Roma / 1750 Torino / 1754 Paris, Nederland, London, Deutschland / 1763 Torino  / 1767 London / 1770 Torino / 1780 ~ 1782 Russia, 1782 Torino :  Violinist

■  Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 ),  Mittenwald
■  Aegidius Klotz ( 1733-1805 ),  Mittenwald 

Antonio Stradivari ( ca.1644-1737 )  Violin,  Cremona
“Rode – Le Nestor”  1733年

■  Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ),   Markneukirchen

Nicola Gagliano ( ca.1710-1787 )  Violin,  Napoli  1737年

Guarneri del Gesù ( 1698-1744 )  Violin,   “Ex Menuhin”   1739年

Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )   Violin,  Milan 1740年頃

Andrea Castagneri ( 1696-1747 )  Violin,  Paris 1742年


Bartolomeo Giuseppe Guarneri  / ” Guarneri del Gesù”
( 1698-1744 )  Violin,  “Carrodus”   1743年

■  Joseph Klotz ( 1743-1829 ),  Violin  Mittenwald  1760年
■  Lorenzo Storioni  ( 1744-1816 ),  Cremona

Andrea Castagneri ( 1696-1747 )  Violin,  Paris  1744年

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ) Violin, Piacenza 1747年

● Luigi Rodolfo Boccherini ( 1743-1805 ), 1743 Lucca / 1757 Vienna  “The court employed” / 1761 Madrid / 1771 String Quintet Op. 11  No. 5 ( G 275 ) :   Italian cellist and composer 

●  Johann Peter Salomon ( 1745-1815 ), Bonn / Prussia / ca.1780 London / 1791 ~ 1792, 1794 ~ 1795 Franz Joseph Haydn  :  Violinist

●  Carl Stamitz ( 1745-1801 ), Mannheim / 1762 Mannheim palace orchestra / 1770 Paris / Praha, London  :  Violinist

□  Nicolas-Léonard Tourte ( 1746-1807 ),   Paris  :   Bow maker
□  François-Xavier Tourte ( 1747-1835 ),   Paris  :   Bow maker

Camillo Camilli ( ca.1704-1754 )  Violin,  Mantua  1750年頃

Sebastian Klotz ( 1696-1775 )  Violin,  Mittenwald  1750年頃

Sebastian Klotz ( 1696-1775 )  Violin,  Mittenwald  1750年頃

1750 – 1800
●  Johann Anton Stamitz ( 1754 – ‥ ), Mannheim / 1770 Paris / 1782 ~ 1789 Versailles / ‘ 1798‥1809 Paris ‘  :   Violinist

■  Nicola Bergonzi ( 1754-1832 ),   Cremona
■  Antonio Vinaccia ( 1754-1781 ),   Napoli
■  Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 ),  Violin  Napoli
■  Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 ),   Cremona

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )  Violin,  Florence  1755年

Joseph Klotz ( 1743-1829 )  Violin,  Mittenwald  1760年

●  Giovanni Battista Viotti ( 1755-1824 ), Fontanetto Po / Torino, Paris, Versailles, 1788 Paris, London, 1819-1821 Paris,  London :   Violinist

●  Federigo Fiorillo ( 1755-1823 ),  Braunschweig / 1780 Poland / 1783 Riga / Paris / 1788 London  He played the viola in Saloman’s quartet.  / 1873 Amsterdam, Paris

Marie Antoinette ( 1755-1793.10.16 )
1770年  She married  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  /  ” Louis XVI ( 1774 ) “  at the age of 14.

French Revolution  1789 ~ 1793年

▶  1793年  ” Louis XVI ” ( 1774 )  /  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )

●  Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 ), Salzburg / 1762 München, Wien / 1763 ~ 1766 Frankfurt, Paris, London / 1767 ~ 1769 Wien / 1769 ~ 1771 Milano, Bologna, Roma, Napoli / 1773, 1774 ~ 1775 Wien / 1777 München, Mannheim, Augsburg / 1778 Paris / 1779 Salzburg / 1781 München, Wien / 1783  Salzburg  / 1787 Praha, Wien / 1789 Berlin / 1790 Frankfurt / 1791 Wien, Praha, Wien

●  Bernhard Heinrich Romberg  ( 1767-1841 ),   “The Münster Court Orchestra” / 1790 Bonn  “The Court Orchestra” /  He lengthened the cello’s fingerboard and ‘Flattened’ the side under the C string  :   German cellist and composer

Leopold Widhalm ( 1722-1776 )  Violin,  Nürnberg  1769年

Tommaso Balestrieri ( ca.1735 – ca.1795 )  Violin,  Mantua  1770年

Johann Gottfried Reichel ( ca.1735-1775 ) Violin,   Markneukirchen  1770年頃

Giovanni Battista Gabrielli ( 1716-1771 )  Violin,  Florence
1770年頃

Georg Klotz Ⅱ ( ca.1723-1797 )  Violin,   Mittenwald  1773年

Giovanni Battista Guadagnini ( 1711-1786 ),  Turin  “Ex Joachim” 1775年

Gennaro Vinaccia ( 1755-1778 )  Violin,  Napoli  1780年頃

●  Rodolphe Kreutzer ( 1766-1831 ), Versailles / 1803 Wien “Kreutzer Sonata ” Ludwig van Beethoven 1770-1827,  Paris 1795 ~ 1826 ‘Conservatoire de Paris’ –  1796年 Caprices – 1807 comprises 40 pieces – “42 Études ou Caprices”  / Genève, Swiss :   Violinist
●  Pierre Baillot ( 1771-1842 ),  Paris :   Violinist
●  Pierre Rode ( 1774-1830 ), Bordeaux / 1787 Paris /  1804 Saint Petersburg, Moscow / 1812 Wien ” Ludwig van Beethoven 1770-1827  Violinsonate Nr. 10 in G-Dur, Op. 96 ” / 1814 ~ 1819年  Berlin,  “24 capricci”  /  1830 Lot-et-Garonne :   Violinist

□  François Lupot II (1774 – 1838),  He worked for Leonard Tourte in Paris. Once Lupot set up his own Parisian establishment in 1815.   :  Bow maker

18世紀の音楽ホール事情

▶  1763年  Haydn Saal ( Eisenstadt )  38.0m  ×  14.7m  (  H 12.4m )
▶  1766年  Eszterháza (  Fertőd )  15.5m  ×  10.3m  (   H  9.2m  )
▶  1772年  The Crown & Anchor  ( 271㎡ )   24.7m  × 11.0m

▶  1774年  Hanover Square R. ( 235㎡ ) 24.1m  ×  9.8m  (  H 8.5m  )

▶  1776年  Willis’s Rooms  (  305㎡  ) 25.0m  × 12.2m

 

▶  1781年  Leipzig Gewandhaus   23.0m  ×  11.5m   (  H  7.4m  )

▶  1795年  “Le Conservatoire de musique” ( Conservatoire de Paris )

▶  1780~1782年  弓のフェルールが考案される。

●  Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
1802 ~ 1817年  ” 24 Caprices for Solo Violin ”  :   Violinist

●  Louis Spohr ( 1784-1859 ), Braunschweig / 1802 Saint Petersburg / 1804 Leipzig / 1805 ~ 1812 Gotha / 1813 ~ 1815 Wien /  1816,1817 Italiana / 1817 ~ 1819 ‘Oper Frankfurt’  / 1820 England / 1821 Paris / 1822 ~ 1859 Kassel :   Violinist
” Chin rest & Conductor’s stick “

■  Giovanni Francesco Pressenda ( 1777-1854 ),  Lequio Berria  /  Cremona  / 1815 Torino,  1821 was able to open his own firm.

Johannes Theodorus Cuypers ( 1724-1808 )  Violin,  Hague Netherlands   1780年頃

Antonio Vinaccia ( 1754-1781 )  Violin,  Napoli  1781年

1789年  “États généraux”

第一身分は10万人のカトリック聖職者で、彼らはフランス全土の10%程の土地を所有し、さらにその財産は免税されていました。第二身分は貴族で、子供や婦人を含んだ人口は40万人でした。1715年のルイ14世の崩御後、貴族は権力を回復し 高位官職や高位聖職、軍会議そしてその他の公共および半官半民の特権を独占していました。そして封建的慣習により彼らも第一身分と同じく免税されていました。第三身分は2500万人でブルジョワ、農民その他のフランス国民からなっていました。第一、第二身分と異なり、第三身分は納税を強いられていましたが、ブルジョワは何らかの手段でこれを逃れていたそうです。結局、フランス財政の重荷は農民や都市労働者といった貧しい人々に課せられていたのです。

French Revolution  1789 ~ 1793年
▶  1791年  Metric system ( metre & kilogram )
Maximilien Robespierre ( 1758-1794 )

Aegidius Klotz ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1790年頃

Nicola Bergonzi ( 1754-1832 )   Violin,  Cremona  1790年頃

Lorenzo Storioni ( 1744-1816 )  Violin,  Cremona  1790年頃

 


Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   Violin, “ex Havemann”

Cremona 1791年

□  ■  Jean Baptiste Vuillaume ( 1798-1875 ),  Vuillaume was born in Mirecourt, He moved to Paris in 1818 to work for François Chanot.
In 1821, he joined the workshop of Simon Lété, François-Louis Pique’s son-in-law, at Rue Pavée St. Sauveur. He became his partner and in 1825 settled in the Rue Croix des Petits-Champs under the name of “Lété et Vuillaume”.
In 1827, at the height of the Neo-Gothic period, he started to make imitations of old instruments.  :  Bow maker.

Aegidius KLOTZ ( 1733-1805 )  Violin,  Mittenwald  1797年

Nicola Bergonzi ( 1754-1832 )   Violin,  Cremona  1800年頃

1800 – 1850

□  Nicolas Rémy Maire (1800–1878),   Maire was born in Mirecourt. He trained in the Lafleur workshop and served his apprenticeship in the workshop of Pajeot in Mirecourt. He opened his own workshop in Mirecourt in 1826 and left in 1853 to work in Paris.
:  Bow maker.

●  Georg Hellmesberger ( 1800-1873 ), Vienna / 1826 ~ 1833 ‘The Vienna Conservatory’ / His students were Joachim, Leopold Auer.  :  Violinist
●  Charles-Auguste de Bériot ( 1802-1870 ), Leuven / 1843  ‘Royal Conservatory of Brussels’ /  ‥ 1852. – 1858 – 1866 Brussels :   Violinist

■  Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 ),  Barbaresco / 1834 Turin,   It was during this time that he became acquainted with Luigi Tarisio, a violin dealer  / Rocca won prizes in his craft at a national arts and crafts exhibitions in 1844 and 1846.
■  Enrico Rocca ( 1847-1915 ),  Turin  /   1850 ~ 1865 Genova

■  Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 ),   Prague

□  Pierre Simon ( 1808-1881 ),  He apprenticed and worked in his hometown of Mirecourt until 1838, when he moved to Paris to join the workshop of Dominique Peccatte.  :  Bow maker

□  Dominique Peccatte ( 1810-1874 ),   He was born in Mirecourt. On the recommendation of Nicolas Vuillaume he moved to Paris in 1826 to join J.B. Vuillaume’s workshop. Paris 1838  / 1847 Mirecourt   :   Bow maker

▶  1804年 Napoléon Bonaparte  “Emperor”
Napoléon Bonaparte ( 1769-1821 / ” 1804 – 1814, 1815″ )

1812 – 1814年  [ ナポレオンのロシアからの撤退 ]

●  Heinrich Wilhelm Ernst ( 1812-1865 ), Moravia / 1825 ‘The Vienna Conservatory’ /  1828 Niccolo Paganini visited Vienna. 1830 He played Paganini’s Nel cor pìù non mi sento. / 1865 Nice :   Violinist
●  Jakob Dont ( 1815-1888 ), Vienna / 24 Etudes and Caprices :  Violinist
●  Henri Vieuxtemps ( 1820-1881 ),  Belgium / Liège , Brussels /  1829 Paris /  Brussels / 1833 Germany  /  1835 Wien / 1836 Paris / 1849  ~ 1851 Saint Petersburg / 1850 Paris / 1871  ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Paris 1879 / Algeria :   Violinist

□  François Peccatte ( 1821-1874 ),  Mirecourt  /  1842 Paris   :   Bow maker
□  Joseph Henry ( 1823-1870 ),  Henry studied with Dominique Peccatte and established his own shop in 1851.   :   Bow maker

Niccolò Paganini ( 1782-1840 )
▶  1827年7月12日( 木曜日 )プログラム

イタリア・ジェノヴァ 生まれの パガニーニは ナポレオンの妹のエリーザ・バチョッキ( Elisa Baciocchi ) が 1805年にトスカーナ大公妃として設けたルッカの宮廷における独奏者として演奏活動をはじめます。

そしてナポレオンが失脚するとパガニーニは独奏者としての活動をはじめました。彼は 1809年より北イタリアからはじめた演奏会の開催場所をイタリア全土にひろげました。

その後の 1828年にはウィーンでも成功をつかみ、ついでプラハ そしてドイツ各地で開催した後である 1831年には 3月から4月にかけて有名なパリ・デビューを成功させ 5月にロンドンに渡り翌年にかけて イギリス、スコットランド、アイルランドでも大成功をおさめました。


     1831年4月17日( 日曜日 )

□  François Nicolas Voirin ( 1833-1885 ),  He was born in Mirecourt. He moved to Paris in 1855 to join his cousin Jean Baptiste Vuillaume.   :   Bow maker

▶  1831年  Gesellschaft der Musikfreunde ( Tuchlauben, Vienna )a concert hall for ca. 700 people

●  Joseph Joachim ( 1831-1907), Kittsee / 1833 Budapest / Wien / 1843 Leipzig / 1846 London / 1848  “Gewandhausorchester Leipzig ” / 1850 Weimar / 1852 Hannover  / 1866 ~ 1907 Berlin :   Violinist

●  Henryk Wieniawski ( 1835-1880 ), Lublin / 1843 ‘Conservatoire de Paris’ / 1874 ~ 1877 ‘Royal Conservatory of Brussels’ / Moscow :   Violinist

▶  1842年  The founding of the Vienna Philharmonic.

●  Pablo de Sarasate ( 1844-1908 ), Pamplona / 1854 Madrid / 1855 Paris / 1860 London, Paris, performing in Europe, North America, South America / 1864 Camille Saint-Saëns ‘Introduction et Rondo capriccioso en la mineur’   / 1878 Zigeunerweisen, 1883 Carmen Fantasy  / Biarritz 1908 :   Violinist

●  Leopold Auer ( 1845-1930 ),Veszprém  / Budapest, Wien / Hannover : Joachim / 1868 ~ 1917 Saint Petersburg  : St Petersburg Conservatory / 1918 America / 1824 The Curtis Institute of Music  :   Violinist

Ferdinand Joseph Homolka ( 1810-1861 )  Violin,  Prague   1840年  

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Genoa
1845-1850 年頃

Giuseppe Antonio Rocca ( 1807-1865 )  Violin,  Turin  1850 年頃

Enrico Rocca ( 1847-1915 ) Violin,  Genova  1893年

□  Charles Nicolas Bazin ( 1847-1915 ),  Son of Mirecourt bowmaker François Xavier Bazin,  Charles Nicolas Bazin inherited the family workshop in 1859 following his father’s death from cholera.
Charles Nicolas was only 18 at the time, but already had ample experience from his father’s training, and the shop flourished under his leadership.  :   Bow maker

 

1848年  :  ウィーン体制が崩壊しヨーロッパの不安定化が進みます。

たとえば イタリアでは 1861年にヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア統一をおこない、プロイセンは 鉄血宰相ビスマルク( 1815-1898 )の指導のもとクルップ社の鉄鋼製品( 鉄道、大砲 )を背景として 1866年の普墺戦争に勝利して 1867年に北ドイツ連邦に領土を拡大します。

そしてその後 の普仏戦争により 1871年には ワーグナーを擁護するとともにノイシュヴァンシュタイン城を建設させたルートヴィヒ2世( 1845 – 1886 )のバイエルン王国( Bavaria )やフランス領だったロレーヌ・アルザスを併合してドイツ帝国が成立しました。

また 1842年にアヘン戦争に勝利したヴィクトリア女王( 1819 – 1901 、在位 1837 – 1901 )のイギリスも植民地拡大をすすめ大英帝国を構築し繁栄します。 こうして帝国主義を国是としたヨーロッパ列強( ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オーストリア、ロシア )が世界地図を分割していったことで『 諸戦争を終わらせる戦争( War to end wars )』と言われた1914年の第一次世界大戦( 1914 – 1918 )が発生することになりました。

 

1850 – 1900

パブロ・デ・サラサーテ( 1844 – 1908 )

カミッロ・シヴォリは 神童の誉れ高くニッコロ・パガニーニに一人だけ弟子入りを許されたヴァイオリニストとして名を遺して います。

□  Charles Peccatte ( 1850-1918 ),  He was born in Mirecourt, the son of François Peccatte and the nephew of Dominique Peccatte.   :   Bow maker
□ Louis Thomassin (1856–1905),  He learned his craft in Mirecourt where he worked for the Bazin Family. In 1872 he went to Paris to work for François Nicolas Voirin and carried on Voirin’s shop after his death.   :   Bow maker


1858年
The world’s most valuable violin?  The Messiah Stradivarius
0:57   ” 1716 ‥ It is the only as new Stradivarius ‥”

●  Eugène-Auguste Ysaÿe ( 1858-1931 ),  Liège / 1886 ‘Royal Conservatory of Brussels’  / 1918 Cincinnati  /  Brussels :   Violinist

●  Jenő Hubay ( 1858-1937 ),  Pest / Berlin / Paris / 1882 Brussels / 1886 Hungary, ‘Budapest Quartet’ / Hubay’s main pupils Joseph Szigeti.   :   Violinist

▶  1870年  Großer Musikvereinssaal( Wien )1680席,  48.8m  ×  19.1m  (  H 17.75m  )

1861年 Wilhelm I ( 1797 – “1861 – 1888”  / “Deutscher Kaiser 1871 – 1888” ) : Otto von Bismarck ( 1815 – 1898  / “Eiserner Kanzler 1862 – 1890″ )

▶  1870年9月2日 普仏戦争
投降したナポレオン3世とビスマルクの会見 ]
Napoléon III ( 1808-1873 / 1848 -“1852 -1870” )

□  Eugène Sartory ( 1871-1946 ),   Bow maker from Mirecourt. After having first apprenticed with his father, he went on to work in Paris for Charles Peccatte and Joseph Alfred Lamy (père) before setting up his own shop in 1889.   :   Bow maker

□  Victor Fétique ( 1872–1933 ),   He learned his craft in Mirecourt with J. B. Husson.  Later he went on to work for Charles Nicolas Bazin II, before joining Caressa et Français in 1901.   :   Bow maker

●  Lucien Capet ( 1873-1928 ), Paris / 1893 “Capet Quartet”  :   Violinist

▶  1884年  Neues Concerthaus – “Leipzig Gewandhaus ”
Die Gewandhaus-Ruine, 1947年

 

Regno d’Italia ( 1861 ~ 1946 ) Last Casa Savoia : 1946年 UmbertoⅡ( 1904-1983 )

1894年   : ペスト菌がはじめて発見されました。

中国雲南省で1855 年に始まったペストの大流行はペスト菌 Orientalis によるものとされています。このとき香港でこの原因調査にあたっていた医師であるとともに細菌学者であった 北里柴三郎 ( 1853-1931 )さんと パスツール研究所のアレクサンドル・イェルサン( Alexandre Yersin, 1863-1945 )の両名が ほぼ同時にペスト菌を始めて発見し 治療法の研究がより進むようになりました。

ペストの世界的大流行の最後は 1903年~1921 年で、地域別ではインドでの死者が特に多く、1907 年には インドだけで131万人の死亡が報告されています。この最後の世界的大流行での死亡者は 約1,000 万人だったそうです。

1914年6月28日「20世紀が始まった街角 」サラエボ ( ボスニア・ヘルツェゴビナ )

By NAFTALI BENDAVID    2014 年 6 月 29 日 09:35 JST
Matt Lutton for The Wall Street Journal 

当地の博物館の外壁に掲げられた横断幕からオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェンディナント大公が堂々と前を見据えている。別の壁では取りつかれたような顔をしたガブリロ・プリンツィプが大きく目を見開いている。ちょうど100年前、プリンツィプはこの美術館の前の通りで大公を銃撃し、第1次世界大戦の引き金を引いた。

「20世紀が始まった街角」――。横断幕にはそう書かれている。

38口径の銃から発射された2発の銃弾は最新の兵器の誕生を許し、いくつもの帝国を倒し、米国を孤立主義から引きずり出した。さらに凄惨な次の大戦や大虐殺、冷戦による欧州の分断の種がまかれたのもこの時だった。

100年経った今も、第1次世界大戦の傷跡は消えずに残っている。暗殺現場に掲げられた横断幕は現地のオーストリア人やドイツ人から「不適切で忌まわしい」と猛烈な怒りを買った。フェンディナント大公とプリンツィプはエイブラハム・リンカーン大統領と、大統領を暗殺したウィルクス・ブースのようなものだ。しかし、横断幕はまだ取り外されていない。

問題はプリンツィプをどのように記憶にとどめるべきか、そして、彼は英雄なのか、それともテロリストなのか、という点だ。弱々しい19歳のセルビア人革命家プリンツィプは100年前の6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の支配に抗議する目的で大公を殺害した。欧州では、戦闘員と市民を合わせて約1500万人が犠牲となり、現代の幕開けとなった第1次世界大戦の記念式典の準備が4年がかりで進められている。その間、くすぶり続けた議論の1つがプリンツィプの評価をめぐる議論だった。

ガブリロ・プリンツィプ
Historical Archive Sarajevo/Associated Press

1914年6月28日、大公の車列がサラエボの町を進むと、共謀者の1人が手りゅう弾を投げつけた。大公には当たらなかったが、複数の随行者が負傷した。大公は入院した随行員を見舞うことにしたが、車が道を誤り、プリンツィプの目の前を走った。プリンツィプは大公と妻のゾフィーを狙って至近距離から銃を発射、2人を殺害した。

当時20歳になっていなかったプリンツィプは絞首刑を免れたが、数年後、服役中に死亡した。オーストリア=ハンガリー帝国は報復としてサラエボを攻撃、欧州各国は即座に敵味方に分かれた。新しい兵器の登場によって大戦ではかつてないほど多くの人が死んだ。

プリンツィプの亡骸はサラエボ郊外の、ビールの看板のすぐ隣にある小さな礼拝堂に安置されている。そこを訪れたときには、2つの枯れた花束とろうそく1本が供えられていた。

多くのセルビア人は、戦争を望んでいた欧州の列強はプリンツィプによる暗殺を言い訳に利用した上、今になっても自らの罪を隠そうと、暗殺が大戦の原因だったと強調していると考えている。一部には、プリンツィプをオーストリア=ハンガリー帝国の支配からスラブ人を解放しようとした英雄とみる人々もいる。

ボスニアにあるバンジャ・ルカ大学の歴史家、Zeljko Vujadinovic氏は「第1次世界大戦に関係した全ての国、特に修正主義的な願望を持つ国は、ガブリロ・プリンツィプを大量虐殺者や暗殺者、オサマ・ビン・ラディンと呼び、彼を非難する口実を探している」と語った。
( 以上、下記からの転載です。)http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304057704579653160707644406

1917年  :  第一次世界大戦の 最終局面となった この年に ついにアメリカも参戦しました。

アメリカは南北戦争 ( 1861-1865 )を経て国力を拡大し 特にゴールドラッシュ以降はヨーロッパ各地から入国した移民が ‥ 例えば 1880~90年の10年間で520万人に達するといった状況で 1900年代初頭には当時世界最大の産業国であったイギリスに肩を並べるまでに成長していました。

不幸の連鎖という言葉が頭に浮かびますが‥ この参戦によって 1918年3月にデトロイトやサウスカロライナ州で最初の流行がはじまっていた『 スペイン風邪 』が世界中に広がりパンデミック( 大流行 )をまねくこととなり 感染者6億人、死者が4,000万人から 5,000万人といわれる状況まで招きました。

Old Manhattan  1929年

さてここまではウィーン体制崩壊以降のヴァイオリンを取り巻く状況のうち 負の側面についてまとめてみましたが、この時期には産業革命の勝者である『 富豪 』が登場するなど経済の発展が続きヴァイオリンに対する強力な追い風も吹いていました。

この例をアメリカでみてみましょう。 アメリカでは南北戦争の軍需景気もあり製鉄業、鉄道、駅舎・交通業、それと石油や電気関連のエネルギー産業などから大富豪が誕生します。

アメリカ富豪の総資産ランキングでは 1位のビル・ゲイツを除くと 2位ロックフェラー、3位カーネギー、4位ヴァンダービルトとこの産業革命当時の富豪たちが名を連ねています。

製鉄では スコットランドからの移民でのちに『 鉄鋼王 』とよばれたアンドリュー・カーネギー ( Andrew Carnegie  1835-1919 )が最も有名です。彼は1860年代から 石油、電話、鉄道と新しい時代の中心産業に次々と投資しました。 そしてペンシルバニア州のピッツバーグに製鉄技術の向上により製造可能となっていた鋼鉄( スティール )を生産する大規模な製鉄所を設立します。

この工場での大量生産と鉄道での大量輸送はアメリカの産業発展に大きな役割をはたしました。なお‥ このカーネギー製鉄社は 1901年に『 金融王 』といわれた J.P.モルガンに 4億8000万ドルで売却され、これにフェデラル・スチール・カンパニー およびナショナル・スチール・カンパニーの2社が統合されUSスチール( 資本金の14億ドルは 当時のアメリカの国富の4%に相当しました。)が誕生しました。この年に USスチールは 1社でアメリカで生産されたすべての鋼の67%を生産しました。

Carnegie Hall   2013年

Carnegie Hall    1891年

Carnegie Hall

大富豪となったアンドリュー・カーネギーは 1891年にマンハッタンの7番街57丁目に『 音楽堂 』であるカーネギー・ホール ( Carnegie Hall )を建設します。ここではニューヨーク・フィルが リンカーン・センター内のフィルハーモニック・ホールへと拠点を移した1961年まで レジデンス・オーケストラを務めていました。

そしてカーネギー・ホールのメインホール( 2804席 )では 1893年12月16日アントニン・ドヴォルザーク( Antonín Leopold Dvořák  1841 – 1904 )が作曲した交響曲第9番 作品95『 新世界より』がアントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルハーモニックで世界初演されるなど、中ホールであるザンケル・ホール( 599席 ) や 小ホールのウェイル・リサイタルホール( 268席 )も含めて アメリカの音楽文化の発展に大きく寄与しました。

アンドリュー・カーネギーは83歳の 1919年8月11日気管支肺炎のためマサチューセッツ州レノックスで亡くなりました。生前、既に3億5069万5653ドルを寄付済みで 遺産の3000万ドルも基金や慈善団体や年金などに遺贈されたそうです。

 

 

 

 

 

2018-2-16                Joseph Naomi Yokota

 

 

 

 

 

”加熱痕跡”はいつ付けられたのでしょうか。

前の章からの続きになりますが、私が加熱痕跡から何を読み解いているかについてお話ししたいと思います。
私が 加熱痕跡の読み方について確信を得たのは 15年程前にこのヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)が製作した、このヴァイオリンに出会ったからです。

この楽器は 製作されてから まだ150年程しか経っていませんが 表板、裏板ともに肩の位置などにキズ状の加熱痕跡があったり、あご当て部と右肩部にも大胆な加工がしてありました。

私はそれまでもキズ状のものは全て確認するようにしていましたが、”オールド” に入っているその数は『 数えきれない‥。』と思うこともしばしばでした。

これは ヴァイオリンの歴史として” 1500年代半ばに登場し1700年前後には黄金期を迎え、弦楽器製作者が 技術の粋を尽くして 沢山の名器が製作されたものの、 スペイン継承戦争でフランスとオーストリアの領地争奪戦に巻き込まれたロンバルディアの諸都市は言うまでもなく、ヨーロッパ世界を恐怖に陥れたペスト禍や 相次ぐ戦争が 弦楽器製作の世界にも影をおとし、18世紀末までに急激にその製作者数が減少し‥ ついには絶えてしまった。” とされている影響だったと思います。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann”  [ Wurlitzer collection 1931 ]
( Photo : Jiyugaoka violin  1998年 )

“オールド・バイオリン”を目にした時、頭のなかに『 やはり300年くらい前の楽器は、現代まで受け継がれる間にはひどい目に遭ったはずだから‥。』という発想をもつと 単純な思い込みに陥るようです。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( Bein & Fushi inc. 1981年 )

その私が はじめて”オールド・バイオリン”のすり減ったりキズ痕だらけの様子に『 あれっ?』と違和感を感じたのは、 20年ほど前にクレモナ派の実質的な最後の継承者である G.B. チェルーティが製作した このヴァイオリンを扱ったときでした。

このヴァイオリンは モーツァルトが死去した1791年にクレモナで製作されたもので ”ex Havemann ” のニックネームを持っていて、すでに 1931年には ニューヨークのウーリッツァー商会が出版し公表した有名な ”ウーリッツァー・コレクション”で写真付きで掲載されている名器です。

私が目にした1998年は、この楽器が 1791年に製作されてから 207年ほど経っていたわけですが、私の知っている どの G.B. チェルーティより”キズ痕”が多いうえに、それらは人為的につけられた気配が濃厚でした。

なお、このヴァイオリンには 1939年に発行された レンバート・ウーリッツァー社 ( Rembert Wurlitzer Co.、) の写真添付の正式な鑑定書もついていて、その時点での様子をある程度は推測できました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
“ex Havemann” ( William Moennig & Son   1958年 )

また、この他にもフィラデルフィアの著名ディーラーだった ウイリアム・メーニック ( William Moennig & Son ) が 1958年に発行したものと、シカゴの Bein & Fushi inc. が 1981年に発行したものも含めて鑑定書はあわせて3通もついていました。

Giovanni Battista Ceruti ( 1755-1817 )   violin
Cremona 1791年 “ex Havemann” ( Rembert Wurlitzer Co. 1939年 )

それで私は このヴァイオリンの”キズ痕”を順に確認してみました。もちろんですが 1998年は製作されてから 207年、1981年は 190年経過を意味し、1958年は 167年で 1939年は 148年、そして 1931年は 140年しか経っていなかった‥  ということを踏まえた上での話です。

.            1998年 ( 207年経過 )                             1981年 ( 190年経過 )

       1958年 ( 167年経過 )                                  1939年 ( 148年経過 )

さすがに 1939年や 1931年の写真では 外周部がだいぶん不鮮明ですが、それでも駒やF字孔周りの加熱痕跡はしっかりと写真に捉えられていました。

では‥ このイタリア、クレモナで1791年に製作されたこのヴァイオリンの「キズ痕」はいつ入ったのか?

ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会ったのは、私が  G.B. チェルーティ作のヴァイオリンと出会った後に さらに5年程の歳月があり、その間にも多くのオールドやモダンの弦楽器を目にしたことによって『  製作時にはじめから入れられていた。』という結論を探っていたタイミングでした。

さて 話が長くなり恐縮ですが、 ここで製作されてから 100年ほど経過したヴァイオリンのこともお話ししておきたいと思います。

( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

これは 1910年に ミラノで  レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏が製作したヴァイオリンです。

これは所有者の方が 25年程前に 当時 ‥ 一般的に認識されているレアンドロ・ビジャッキ作 ヴァイオリンの販売価格の 2倍くらいの値段で購入されたもので、私は 翌年の 1992年から整備を担当しています。

すばらしい事にこのヴァイオリンは ブリュッセルで開催された 万国博覧会にイタリアから出品され、ゴールド・メダルを受賞した製作当初の状況が 私がこの写真を撮影した 2012年までの 102年間ほぼそのまま保たれています。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )   violin,    Milano  1910年

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

なぜ そう言えるかというと、このヴァイオリンは万博のコンペテーション部門の展示作品なので、1910年に撮影された新品状態だった時の写真が残っているからです。

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano 1910年
( Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年 )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )


Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
( Photo : Jiyugaoka violin  2012年 )

 

Giuseppe Leandro Bisiach ( 1864-1945 )  violin,   Milano  1910年
(   Expo 1910 de Bruxelles,  Photo : 1910年  )

因みに、ブリュッセル万国博覧会は 1910年 4月23日から 11月7日までベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際博覧会で 会期中に 1300万人が来場したそうです。

この博覧会にイタリアから出品されたレアンドロ・ビジャッキ(  Leandro Bisiach  1864 – 1945  )が製作したヴァイオリンのラベルには 1910年にミラノで製作したと書かれています。

これはおそらく 4月からの万国博覧会出品のために前年にはあらかた完成していたヴァイオリンに このラベルを貼って仕上げたためではないかと 私は推測しています。

そして、このヴァイオリンは 二つの世界大戦や恐慌などの時代を乗り越えて 戦後のいつかは判然としませんが、遅くとも 1990年頃には日本に運ばれていて、購入された後はそのまま東京で所蔵されることになった次第です。

私は このヴァイオリンの実物と、 ブリュッセル万国博覧会に出品された時の新品写真、そして 2012年に私の工房で撮影した写真を詳細につき合わせてその差異を確認しました。

その結論として、このヴァイオリンは 指板の左右表板の『  演奏キズ  』や 表板C字部中央付近の『  弓の打撃痕  』、そしてそれ以外にも縁などについている『  キズ状  』の加熱痕跡も製作時の加工によるもので、裏板やヘッドのニスが剥がれている景色も 製作時に加工されたことが確認できる貴重なミント・コンディションの楽器であると確信しました。

そして 加熱痕跡のようすから考えると、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864 – 1945 )氏も “オールド・バイオリン” のキズ痕や ニスの剥離した景色は「 製作時にはじめからそう作られていた」と判断して、それに学びながら弦楽器を製作していたと 私は考えることにしました。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) Cremona,  Violin 1555年頃

そして、ここで やっと 加熱痕跡の読み方の話しに帰ってきます。

上にリンクを貼ってありますが、私が 第4章で触れた アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるヴァイオリンの裏板に点々と入った加熱痕跡についての考察です。

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G.B. チェルーティ ( Giovanni Battista Ceruti  1755-1817 ) が 207年前の1791年に製作したヴァイオリンや、レアンドロ・ビジャッキ( Giuseppe Leandro Bisiach  1864-1945 )氏が 82年前の1910年に製作したものなど、加熱痕跡があるヴァイオリン達に学んでいた私は 2003年に153年程前に製作された 前出の ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ(1807-1865)のヴァイオリンに出会いました。


そして 精査した結果いくつもの状況証拠により、私はこのヴァイオリンにある このような加熱痕跡も『 製作者本人が製作時に 加えたもの。』と判断しました。

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Gaspar da Saló   /  Violoncello

“オールド・バイオリン”などに見られるキズ痕について。

私達が “オールド”と呼びならわしている弦楽器のなかに『どうして このキズがついたのだろう?』と不思議に思える楽器があります。


Andrea Amati ( ca.1505–1577 )   violin,  “King Charles Ⅸ” ( Ashmolean ) 1564年

そこで、私は これらのキズの特徴を調べてみました。
その結果 これらのキズ痕に見えるものの多くが、焼いた金具や針状のものでつけられていることを見出しました。
それから 私はこれを 加熱痕跡と呼ぶことにしました。

因みに”オールド・バイオリン”を検証すると 同一の製作者でも 加熱痕跡が多い弦楽器と そうでないものを作ったことが分りますが、私は 前者こそが 弦楽器特性を確認する上で重要と考えています。

なぜなら 私はこの加熱痕跡を 理想的な響きを生みだすための “木伏”として捉えているからです。

木工の世界で “木伏”としての技術は現在でも受け継がれています。シンプルなものとしては下の動画にあるように 木材を火で焼き焦がすなどの熱処理があります。
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火にかざすシーンは 3分36秒辺りからです。 ( 4分39秒 )

また、『 焼き杉 』の板壁もそうです。 新建材が普及するまでは 防腐加工として表面が焦げる程度に焼き、その後にススを落として磨き込んで艶を出すなどの加工をして土壁などの外側に被せて化粧壁として利用されていました。

 

風雨にさらされる建築物では 焼いたまま使用することもあったようです。

今日ではめずらしくなりましたが 焼き杉は 伝統的な建物の外壁材でした。杉板の表面を焦がして炭化状にしておくことで火を付きにくくして 耐火性能を高めることが出来たり、 雨風にさらされる外壁の耐久性を高めることが出来ることはかなり昔から知られていたようです。

それから‥この浮世絵は 葛飾北斎、歌川広重らと同時代に活躍した歌川国芳( 1797 – 1861 )が1831年頃( 天保2年 )に製作した「東都三ツ股の図」です。

隅田川の中州から深川方面を眺望する構図で 川にはシジミ取りの舟が浮かび、 手前の中州では船底を焼く様子が描かれています。 これは虫害・腐食の防止のためにフナクイムシを退治する方法である『 船蓼(ふなたで)』作業だそうです。

フナクイムシはフナクイムシ科の二枚貝で貝殻は1センチにも満たないもので 体の一部だけに被っていて、体は貝殻から外に細長く伸び 成長すると1メートル前後にも達するそうです。

恐ろしい事にこのフナクイムシは ヤスリ状になっている貝殻の前部を動かして船底外板に穴を掘り木質部のセルロースを消化しながら深く侵入するため、ついにはこの穴から浸水したり船体に亀裂を生じさせるなどの被害をまねきます。

ですから木造船にとって この『 船蓼(ふなたで)』という船底の熱処理は重要であったことがわかります。

これは、サントリー白州醸造所の見学コースを撮影したもので ウイスキー樽の『リチャー』とよばれる再利用工程だそうです。

私達の日常には 多くの木材が用いられていますので このウイスキー樽の『リチャー』のように、あまり目立たない場所でも 木材の加熱加工は受け継がれています。

http://www.kagakueizo.org/create/other/426/

お琴の製作工程にも 加熱加工である焼入れ工程があります。これはいささか古い映像で恐縮ですが、7分6秒辺りからがそれにあたります。(16分20秒 )


最近(2014年)の動画でいくと、この製作工程を紹介する番組では焼き作業は 5分55秒あたりから出てきます。( 14分00秒 )

これらの動画にもあるように琴や鼓、三味線などでは木材の加熱加工以外にも 良い響きをうむために響胴に 綾杉彫りや 子持ち綾杉彫り、すだれ彫りなどの立体的形状の工夫が施されているそうですが、 番組中でも 加熱加工である『 焼きは 琴の品質を左右する最も重要な工程。』と説明されています。

Here Charles Bazin is cambering a stick.
In Mirecourt the bowmakers would go to the bakery when they swept the coals out of the oven. They would fill an old ‘Marmite’ or Dutch oven with coals and use them for cambering. I use an old fashioned hotplate with an exposed element to give the same even heat but in other traditions an alcohol lamp is used as well.

This is a great photo of the archetier Joseph Arthur Vigneron.  Vigneron was born in Mirecourt and trained with his step father Claude Nicholas Husson.  His early work is indistinguishable from the work of his master.  In 1880 he relocated to Paris to work for Gand & Bernadel.

そして‥ 我らが 楽弓のスティック( 棹 )で施されている ベンディング ( 熱処理工程 ) が意味していることを 改めて考えてみるのはどうでしょうか?


Making a Violin Bow /  Bending the Stick( Reid Hudson )

写真のように 19世紀末にフランスで弓製作者として知られていた Charles Bazin ( 1847-1915 )と、1880年から Gand & Bernadelの工房で弓製作をしていた Joseph Arthur Vigneron ( 1851-1905 ) の 作業台にも スティックの加熱加工のために 石炭が入れられた容器が置かれています。

Vigneron の小さい容器には この写真が撮影されたときに ニカワの湯煎ポットが置かれていますが、写真で作業台の手前側にある窪みがベンディングの際にスティックを曲げるために使用した跡と考えられますので、彼も ベンディング作業中の Bazin と同じように この石炭容器を 加熱加工のための熱源として使用していたようです。

現代の楽弓製作者も スティックの ベンディングのための熱源こそ 電熱ヒーター、アルコールランプ、ヒートガン、ブタンバーナーなどと選択肢は増えましたが ペルナンブーコ材などに加熱加工を施すことによって弓の特性が向上するように工夫しています。

 

私はこのように木材を素のままではなく加熱加工や雨ざらし、蒸気加工、可塑剤の塗布、剛性差を生むための立体的形状の工夫、そして高度な木組みなどの人為的行為によって素材特性を変化させ利用する技術を ”木伏”と捉えることにしています。

特に、加熱加工はこのような木材の多岐にわたる利用のなかで経験則から最終的に確立された高度な技術であると思っています。


Georg Klotz (1687-1737),  Mittenwald 1730年頃

さて‥ 弦楽器においての加熱痕跡ですが、これを理解するためには 例えば このクロッツのように 表板全体に施されたものから それらの関係性を読み解く糸口となるキズ痕を確認していくことが大切になります。


なお、加熱痕跡のうちスジ状のキズにみえるものは 立体的表面形状の特性をととのえる目的で用いられている可能性がありますのでより慎重に観察する必要があります。

例えば、ヴェネチアで マッテオ・ゴフリラーが製作したとされるこのヴァイオリンで スジ状のキズを見て下さい。


私は このキズ状の加熱痕跡は製作者本人が このヴァイオリンを作った時に入れたもので間違いないと思っています。 それは次の 撮影光線角度を工夫した写真により 皆さんにも納得していただけると思います。


この写真でわかるように「キズ」に見えたスジは傷がつきにくい窪みの底にあたる“谷線”に入っています。 これが加熱痕跡が偶発的なものでないと理解していただくための状況証拠です。

そして申し添えれば このようなF字孔の加工は マッテオ・ゴフリラー の独自のものではありません。

ここでは類似事例として Walter Hamma が1986年に出版した “ Violin-makers of the German School from the 17th to the 19th century ”の vol.Ⅱの125ページに掲載されている Johann Adam Popel ( Ende 17.~Anfang 18.)のビオラの写真をあげさせていただきます。

この楽器は  Bruckで1664年に製作されたものとされています。
ご覧のように 右側F字孔に2本のスジ状のキズ が入っているのが とても際立っています。

右側F字孔はその響のなかで特に高い音域を担当することが多いようですので、このように加工された弦楽器を 私は興味深いと思っています。


なお、 “オールド・バイオリン”の製作者は F字孔に複雑な振動をさせるために スジ状のキズ より下の写真のような彫り込みによる立体的表面形状を 枢要な条件設定と考えたようで、F字孔にこのようなスジ状の加工まで施された楽器はまれにしか見つかりません。

Andrea Guarneri ( 1623 – 1698 ) violin,  Cremona 1658年

Front of the Guarneri del Gesù

Antonio Gragnani    violin,  Livorno

それでも、このキズの有無はほかの加熱痕跡とあわせて考えることで状況証拠として音響性能を推測するのに役立つのではないでしょうか。

Ignatius Christianus Partl ( 1732-1819 )   violin,  Wien 1760年頃

下にあげた写真は ミラノで弦楽器製作を栄させた Carlo Giuseppe Testore( 1660~1738 )の息子で同じく ミラノ派を代表する Carlo Antonio Testore( 1687~1765 )が 1740年頃に製作したヴァイオリンのものです。

このヴァイオリンの右側F字孔にもスジ状のキズ があります。 これをその下にある 角度を変えて撮影した写真と比べてみてください。

この写真でスジ状のキズに見えた線は 谷線として刻まれていることがご理解いただけると思います。


Carlo Antonio Testore ( 1693-1765 )    Violin Milano  1740年頃

もう一度正面から位置関係を確認してみましょう。
そうすると先程ご覧いただいたスジ状のキズ以外の 加熱痕跡、特に直線的に並んでいるものが 意志的に見えてくるのではないでしょうか。


このように調べていった結果‥ 私は 右側F字孔の加熱痕跡についての典型事例として、アマティ兄弟が 1629年に製作したとされるこのヴァイオリンにたどり着きました。

右側F字孔部には 加熱痕跡がたくさんみられますが、ほかの部分は少し抑制的な印象をうけます。このコントラストこそ 製作者が 視覚的要素より聴覚的情報を頼りとして、このヴァイオリンを仕上げたことを暗示しているのではないでしょうか。

そういう切り口から考えて、私は このヴァイオリンの加熱痕跡は  理想的な響きを生みだすための “木伏”の見本だと思っています。

Antonio e Girolamo Amati  violin,  1629年


このように入念に加えられた加熱痕跡は、当時の製作者の技術能力の高さを 今に伝える貴重な状況証拠と言えるでしょう。


それから、余談ですが‥ このような加熱痕跡がある弦楽器を 私は特にアマティ工房の名器に多数見るように思います。

例えば ジローラモ・アマティの息子である ニコロ・アマティが 1640年以降に製作したとされる このヴァイオリンもそのひとつです。

Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年

私は このヴァイオリンは本当に『すばらしい!』と思います。

 


Nicolò Amati ( 1596–1684 )   Violin 1640年以降

 

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恐縮ですが 続きは こちらです。

 

 

 

 

2018-1-26                Joseph Naomi Yokota

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裏板ボトムブロックの端付近も確認してください。

ご存じな方も多いように 弦楽器製作を取り巻く環境は 1980年代後半からとても良くなりました。

デジタルカメラの高性能化、データ処理技術の向上、そしてインターネットの普及などによる情報交換の高速・広域化は 私にとってめまいを感じるほどのスピードでした。

そして 気がつけば  “オールド・バイオリン” などについての資料が容易に集められる時代となっていました。

Giuseppe Guarneri del Gesù  /  The back thickness
VIENNA micro-CT LAB

こうして‥ グアルネリ・デル・ジェズとされるヴァイオリン裏板の厚さをながめたり、ヤコブ・シュタイナーのそれを知ることができる訳ですから 時代とはいえ 不思議なものだと思います。

Jacob Stainer   /  The back thickness

これらの追い風もうけて‥  私は “オールド・バイオリン”の表板、 裏板にみられる響きにつながる要素と そのへりのオーバーハング部に特徴的な加工がしてあること、そしてコーナーブロックの形状は 音響的目的のために関係( Relation )させてあると考えるようになりました。


私は この連続性こそが “オールド・バイオリン” の発音システムの “失われた技術”の正体であると思っています。

左図では 左側角が振動の起点となり奥の角がリレーションすることで「  ゆるみ 」が生まれます。また右図は対称型で 左側角の起点と手前の角がリレーションします。

ヴァイオリンやチェロ、ビオラなどは F字孔周りの振動と 共鳴部の響きによって独特の音色を生みだしています。私は この発音システムが その時に共鳴部に十分な “ゆるみ”を発生させる役割を果たしていると考えるようになりました。


そこで “オールド・バイオリン”などの高性能型を区別するためのチェック・ポイントとして、私は上図 a. の裏板ボトムブロックの端付近( 高音側 )の剛性差を確認することを皆さんにおすすめしたいと思います。

この例として アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるヴァイオリンと ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) の 1651年製、そして アントニオ・ストラディヴァリの 1733年製から その部分の画像を並べてみました。
左側の アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) のヴァイオリンにおける 点 A の剛性差については異論がないと思います。

そして‥ もし判断が分かれるとすると、あとの二台ですね。

これが意図的な剛性差のための加工と確信するには 下図の 赤線辺りが 響胴のねじり軸として機能するとスムーズにゆるみが生じることを理解する必要があるのではないでしょうか。

“Thickness”   G.B. GUADAGNINI ( 1711-1786 )  Cellos
1743年頃 & 1757 年

そのために‥ 少し話がそれて恐縮ですが 下に私の過去の投稿をあげさせていただきます。

【 ヴァイオリンの音は聴くほかにも “見て‥” 知ることが出来ます。】

弦楽器の表板は スプルース材の年輪がたてになるように使用されています。そのため縦に割れやすい特性があり それが影響してこのチェロの魂柱部には縦方向の割れ( Sound post Crack )が入っていて 表面のニスにも 縦方向のひび割れがはいっています。


私はこのニスに入った縦ひび( a. )はバランスが調和していなかったことで歪みが溜まり 表板が疲労した過程できざまれたものと思っています。

では b. c. そして d. のひび割れはなぜ入ったのでしょうか?
私は この年輪に直交するひび割れは チェロやヴァイオリンに設定された音響システムによって入ったものと考えます。

因みに‥ 私がこのように ニスのひび割れと響きを関係づけて考えるようになったのは  2003年 9月29日 の 16:45頃からです。

長くなりますが、ここで その時のお話をさせて下さい。

それは 2週間前まで 11歳の長女が使っていた 1/2サイズのヴァイオリンを 7歳の二女が使いたいと言い張ったので 、その準備として 弦などの交換を検討するために 工房の入り口に立ってこのヴァイオリンを私がチェックしている時のことでした。

風もなく空が晴れわたったおだやかな夕方で 私が立っている工房の入り口には まだ日差しがさしこんでいました。

そのときニスのひび割れが 『 キラッ ! 』と蜘蛛の糸のように光ったのが 私の目にとびこんできました。 それで私は このヴァイオリンの表板と側板にはいった ニスのひびを確認してみました。 はじめは 『  なるほど。 分数ヴァイオリンでも フルサイズとおなじ入り方をするんだ‥‥ 。』と思いながら観察していたのですが、 当時 私が記憶していた他の事例とあまりにも合致していたので 『  これは‥ もしかして! 』と思ったときに 私の顔色は変ったと思います。

それまでニスのひび割れを特に重大なことと思っていなかった私でしたが、このときヴァイオリン響胴の振動モードとそれが きちんと繋がったのです。 私はこのとき『  ヴィジョンが降りてきた‥‥ 。』感覚のなかで 『  いま自分の頭のなかにうかんでいるヴァイオリンのヴィジョンは本当なのかな? 』と 戸惑いながらも楽器の角度を変えたりしながら観察して、もう一度 頭にうかんだ ヴァイオリンの振動モードに誤りがないかを検討しました。

その最中のことです。  私が表板側と側板に気をとられてよくみていなかった 裏板がレイヤー映像のように頭のなかに浮かんだのです。 『  表板がこう振動して側板はブロックによって こう動き‥ということは裏板のここら辺りにこういう形状のニスひびが‥‥ 。』と 私は 独り言をいいながら 裏板を見るために ヴァイオリンをひっくり返しました。

いまでも その瞬間をときどき思い出します。
とにかく感動しました。  私が予測したとおりの形状の小さなニスひび割れが 裏板の推定した位置に 入っていたのです。 おかげさまで 私は 鉱山技師が鉱脈を発見したような 歓びを経験しました。

下の図は そのニスひびを 2005年になって 私のノートに記録したものです。


この時に私がはじめに気がついたのは下幅広部に真横に入っているニスひびが テールピースの下で繋がっておらず 魚のウロコ状のニスひびとなっている事でした。

それで私は このニスひびは ボトムブロックの端付近( 高音側 )の点 a. から ゆれがはじまる”ねじり”によるものと判断したのです。

その証拠に反対側のネックブロック部をみると 点 b. 辺りからブロックのねじりによるニスひびがはいっています。

【  弦楽器のニスに入ったヒビが物語ること‥。】


このような ネックブロックのねじりは上の動画で確認できます。
おそらく撮影の都合だと思いますが鏡像になっていますので ネックブロックは手前側が高音でその奥が低音側となっています。

“Varnish crack”   1970年製     Karl Hofner Cello( 2006年撮影 )

Cittern  /  English  (  Length 616mm – String length 340  )  1600年頃


Cittern by Gasparo da Salo  (  ca.1542 – ca.1609 ) Brescia  1570年頃


Jacob Stainer  ( Absam, Tyrol  )  Bass Tenor Viola da Gamba 1673年

Cello –  Joseph Naomi Yokota ,  Tokyo  2014年

それから 私が上図で – 7.0° としているねじりの軸線は 下にあげさせていただいた アントニオ・ストラディヴァリ ( 1644-1737 ) が 1679年に製作したヴァイオリンの “サンライズ”の裏板年輪の木取を参考にしました。


私はこれらの仮説と状況証拠によりその楽器が “オールド・バイオリン”の音響システムに基づいているかを確認するために 裏板ボトムブロックの端付近( 高音側 )の”意図的”な剛性差の痕跡を確認することは重要と考えています。


最後に実例として アンドレア・アマティ ( ca.1505-1577 ) が 1566年頃に製作したと考えられるヴァイオリンをあげると‥  裏板へりのオーバーハングの差異は小さかったとしても、点 B. のひび割れを この楽器の特質のひとつと見ることが出来ると思います。

これにより 少なくとも 下に並べた 1555年頃のヴァイオリンと同じ製作者によると考えても違和感はないのではないでしょうか?

このように音響システムの視点を持ちながら 弦楽器を観察すると “オールド・バイオリン” と贋作の違いは 意外と見分けやすいのではないかと 私は思います。

 Gasparo da Salò  /   Violoncello

 

2017-2-09                 Joseph Naomi Yokota

裏板 右回転 21°~23°位置 のオーバーハングについて

 

私は “オールド・バイオリン”の特徴である、へり部分の側板からオーバーハングする設定が “意図的”に少なくされている部分があることは音響的に重要と考えています。

 

Andrea Amati  ( ca.1505-1577 ) ,   Violin “Charles Ⅸ”  1566年頃

これは 裏板の焼いた針などでつけられた痕が明瞭なヴァイオリンで確認すると、オーバーハングする設定が “意図的”に少なくされている部分は 直線状の軸線に対応している事からも同意していただけると思います。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin  1555年頃

例として アンドレア・アマティのヴァイオリンで確認してみましょう。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin  1555年頃

このヴァイオリンは 裏板 右回転 22.4°位置の下端部オーバーハングがかなり削り込まれているようです。

このように “オールド・バイオリン”では ライニングのすぐ近くまで削られたヴァイオリンが何台も存在します。

但し、ここまで削り込む加工がされたものは 16世紀から 19世紀までの弦楽器においてその存在は貴重です。

上図のように ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) や アントニオ・ストラディヴァリ ( 1644-1737 ) のヴァイオリンでは オーバーハング部の削り込みは外見上の違和感が少ない仕上げとなっています。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin  1555年頃

Nicolò Amati ( 1596–1684  ) ,  Violin 1651年

Antonio Stradivari ( 1644-1737 )  Violin  “Rode – Le Nestor”  1733年

いずれにしても下図のように左下コーナー部で パフリングの外側の幅を確認したあとで 左下部のパフリングの外幅を見てみると、あきらかに差異があることが分るのではないでしょうか。

Francesco Goffriller ( 1692–1750 )    Violin  1719年頃








Francesco Goffriller ( 1692–1750 )    Violin  1719年頃

2017-2-04                 Joseph Naomi Yokota

それが本物の”オールド・バイオリン”でしたら 裏板の マークを確認してください。

 

私は”オールド・バイオリン” の特徴を確認 するときは 裏板駒下部と その左下に焼いた針などでつけられた マークが無いかを調べます。

例えば アントニオ・ストラディヴァリが製作したとされるヴァイオリン “ローデ” の裏板には下写真のような位置に それが見られます。
Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin  “Rode / Le Nestor” 1733年

参考にして頂くために‥ このストラディヴァリウスと クレモナ派の始祖と伝えられる アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられるもの、そして その孫である ニコロ・アマティが その 100年ほど後に製作したヴァイオリンの画像を並べました。

A、点 B は3台とも同じ座標です。

これを観察すると ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) の弟子である アントニオ・ストラディヴァリ ( 1644-1737 ) が アンドレア・アマティ( ca.1505–1577 )の 170年以上も後に、その製作方法を誠実に受け継いでいたことが感じられると思います。

私はこのようにして比較対象をしながら”オールド・バイオリン”の研究を進めました。

そのなかで 、参照のためにあげた アンドレア・アマティが 1555年頃に製作したと考えられる このヴァイオリンが 非常に重要な意味をもっていると考えるようになりました。

Andrea Amati ( ca.1505–1577 ) ,  Violin 1555年頃

なぜなら、この楽器は “オールド・バイオリン” に多数入っている焼いた針などでつけられた痕が直線状の軸線として用いられたことを暗示しているからです。

これらのピン・マークを 高解像度の画像で確認していくと、下の参考写真のように それらが連なる軸線を何本も見出すことができます。

Antonio Stradivari ( 1644-1737 ),  Violin  “Rode / Le Nestor” 1733年

この作業は‥ 満天の星空をながめながら星座を探すのに似ていますが、細かい “点” ではなくもっとはっきりした “工具痕跡” として加工された マークをもつ楽器を参考にすれば ニコロ・アマティ ( 1596–1684  ) が 1651年に製作したとされるヴァイオリンのように 拡大すると細かい “点” が多数見られる楽器でも それほど難しくはありません。

私は それらの マークが連なる線が 正中線に対して右回転、あるいは左回転で何度にあたるかを画像ソフト上で確認して資料化しています。


Nicolò Amati ( 1596–1684  ) violin 1651年

例えば このヴァイオリンの高解像度画像では上のストラディヴァリウスと同じ 右回転 21.6度の位置に 14個の焼いた針痕を見ることができます。

また 私は下図のように 右回転 14.8度と 28.2度にも軸線を見出しました。

同じように観察をしていくと 下写真の アンドレアの息子たちである アントニオと ジローラモの兄弟が製作したとされるヴァイオリンでも 21.6度 には 10個の針痕があるようです。

 Antonio and Hieronymus Amati        Cremona 1629

私は このようにして基礎資料を増やしていきました。
そしてその後の研究により 結局これが”オールド・バイオリン” の発音システムに繋がっていることが解明できました。

Gasparo da Salò  /  Violoncello

そういう事で、これは 弦楽器を鑑定する場合にも強力な状況証拠となり得ますので 私は皆さんにヴァイオリンなどを調べる際は 高解像度の写真を撮影し‥ それを 拡大して焼いた針などで付けられたマークの位置関係を検証することをお奨めいたします。

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2017-2-03                 Joseph Naomi Yokota

糸巻きの長さは 弦楽器の響きを左右します。

marco-gandolfi-violin-1994%e5%b9%b4-b-mono-l

Marco Gandolfi,   violin  Cremona  1994年

これは先日 整備のために私の工房に持ち込まれたヴァイオリンのヘッド部です。

私は、この挑戦的なペグは 製作時のままだと判断しました。

なかなか面白いアイデアでしたが 残念ながら 彼が製作した響胴とは調和していませんでした。

それでも‥ 私は このように糸巻きの長さを意識して弦楽器を製作する人を すばらしいと思います。

 

2013-5-04-hところで、糸巻きの役割を皆さんご存知でしょうか。

私は ペグ機構は 単に弦をチューニングしながら固定する役割のほかに、響胴のゆれに積極的に影響をあたえる仕組みとして考案されたと考えています。

これは下の写真のように糸巻きをはずした状態と 4本とも取り付けた状態、それから左側の D線、G線ペグ 2本を取り付けた状態と その逆に右側だけなど いくつか条件を変えて揺らしてみると 響胴部の固さが変わったり 重心位置が移動しますので ‥ 可能な方は 実際にゆらしてみることをおすすめします。

2013-5-04-e-l2013-5-04-f-l2013-5-04-g-l

参考としての実験は こういう感じとなります。

2013-5-04-a-l

2013-5-04-h-l
2013-5-04-d-l
糸巻きでヴァイオリンのゆれ方が変わることを確認したら、最後に エンドピンを差し込んでから 同様にヴァイオリンを揺らしてみてください。

ヴァイオリンの重心が手元近くに移動するので、ヴァイオリンが軽くなったように感じるはずです。

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それでは‥ そもそも歴史の上で 糸巻きの長さはどういう変遷をたどったのかをすこし見てみましょう。

Umgegend von Flensburg gebraucht Bredebro 1909 Verlag Th Thomson Flensburg L

この写真は 1909年頃にユトランド半島の 小さな町 ブレデブロ( Bredebro of Southern Denmark )で撮影されたようです。ここは 1866年にドイツに併合されたドイツ北端の都市フレンスブルク( Flensburg )から北西に30㎞ほど離れた場所です。

下の拡大写真のように 左側の 2人は短い糸巻きで右側の男性は長い糸巻きの楽器を使用しています。写真は 実にわかりやすいですね!

umgegend-von-flensburg-gebraucht-bredebro-1909-verlag-th-thomson-flensburg-i-lこのように 1900年代の初頭に撮影された弦楽器の写真には 長短の糸巻きが混在しています。

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Still-Life with a Violinist      1620年頃

ヴァイオリンの黎明期にさかのぼりますが 1620年頃に製作されたこの油画にも 短い糸巻きを見ることが出来ます。

また 私は 下のような版画にも 十分資料としての価値があると考えています。

john-gunn-the-theory-and-practice-of-fingering-the-violoncello-1789%e5%b9%b4-2-l
John Gunn   “The Theory and Practice of Fingering the Violoncello”   1789年

それから、この 著名チェリストの肖像画でも糸巻きが短かったことがわかります。

bernhard-romberg-1767-1841-1815%e5%b9%b4-1%e3%80%80%e3%80%80

Bernhard Romberg ( 1767-1841 )  1815年

結論としては‥ 私が調べてみた限りでは 現在のように長い糸巻きが一般化したのは第一次世界大戦以降のようです。

marco-gandolfi-violin-1994%e5%b9%b4-a-l
さて、音響上の証明は残念ながら 実際に設定してみるしかありません。

因みに 私が先日整備のために お預かりしたヴァイオリンの糸巻きは下の写真の設定に変更し響胴の共鳴が起りやすくなりました。

興味がある方は この糸巻きの長さ設定を試してみてください。

marco-gandolfi-violin-1994%e5%b9%b4-c-mono-l
この投稿はここまでです。

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2016-11-09                Joseph Naomi Yokota

 

弦楽器のニスに入ったヒビが物語ること‥。

viola-2002%e5%b9%b4-a-l395mm Viola  /  Pygmalius   anno 2002
F.    393.0 – 186.0 – 126.7 – 238.5
B.    395.0 – 187.5 – 126.8 – 239.5

このビオラは  所有者の方が 今から 14年程まえに大学のオーケストラ部に所属する際に購入され  6年ほど使用したのちに休眠状態だったものです。

この楽器には 写真でもわかるようにニスにヒビ割れが入っています。

viola-2002%e5%b9%b4-b-l
そして、このニスのヒビ割れを確認しやすいように 私がトレースしたのが下の画像です。

viola-2002-2016%e5%b9%b4-%e3%83%8b%e3%82%b9%e3%81%b2%e3%81%b3%e5%89%b2%e3%82%8c-1-lviola-2002-2016%e5%b9%b4-%e3%83%8b%e3%82%b9%e3%81%b2%e3%81%b3%e5%89%b2%e3%82%8c-2-l
これらを検証すると響胴の運動のしかたが理解できます。

viola-2002%e5%b9%b4-c-mono-l
たとえばこの画像は上の二枚を駒側から見たようにレイヤー処理をしたものです。

私の経験では ニスのひび割れが確認できるヴァイオリンやビオラ、チェロでは、楽器としてのグレードが違っても いくつかの共通するパターンが見られました。

このことから 普及型であっても これらの弦楽器は 基本となる弦楽器システムの一部は設定出来ていると 私は考えています。

言い方を変えれば こういう普及型の弦楽器こそ、達成できなかった条件設定を確認するのに適していると私は思っています。

 

2016-11-06               Joseph Naomi Yokota

【  裏板ボトムブロックの端付近も確認してください。】

指板の面取りは 興味深い設定だと思います。

cello-fingerboard-1

1701 ~ 1714年  War of the Spanish Succession
“France : Louis XIV ( 1638-1715 ) × Habsburg : Karl VI ( 1685-1740 )”

●  Cremona governance countries
España ( 1513 ~ 1524, 1526 ~ 1701 ) – France (  1701 ~ 1702 ) –  Republik Österreich / Habsburg  ( 1707 ~ 1848 )
●  Casa Savoia :  1713年 Regno di Sicilia – 1720年 Regno di Sardegna  / Torino – 1848年 The First War of Independence – 1859年 The Second War of Independence –  1866年 The Third War of Independence

 

● Luigi Rodolfo Boccherini ( 1743-1805 ), 1743 Lucca / 1757 Vienna  “The court employed” / 1761 Madrid / 1771 String Quintet Op. 11  No. 5 ( G 275 ) :   Italian cellist and composer 

Marie Antoinette ( 1755-1793.10.16 )
1770年  She married  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  /  ” Louis XVI ( 1774 ) “  at the age of 14.
1793年  ” Louis XVI ” ( 1774 )  /  Louis-Auguste ( 1754-1793.1.21 )  

●  Johann Peter Salomon ( 1745-1815 ), Bonn / Prussia / ca.1780 London / 1791 ~ 1792, 1794 ~ 1795 Franz Joseph Haydn  :  Violinist

□  François-Xavier Tourte ( 1747-1835),  Paris :   Bow maker

●  Carl Stamitz ( 1745-1801 ), Mannheim / 1762 Mannheim palace orchestra / 1770 Paris / Praha, London  :  Violinist

●  Johann Anton Stamitz ( 1754 – ‥ ), Mannheim / 1770 Paris / 1782 ~ 1789 Versailles / ‘ 1798‥1809 Paris ‘  :   Violinist

■  Giovanni Battista Ceruti  ( 1755-1817 ) , Cremona  :  Violin maker.

●  Giovanni Battista Viotti ( 1755-1824 ), Fontanetto Po / Torino, Paris, Versailles, 1788 Paris, London, 1819-1821 Paris,  London :   Violinist

●  Federigo Fiorillo ( 1755-1823 ),  Braunschweig / 1780 Poland / 1783 Riga / Paris / 1788 London  He played the viola in Saloman’s quartet.  / 1873 Amsterdam, Paris

●  Wolfgang Amadeus Mozart ( 1756-1791 ), Salzburg / 1762 München, Wien / 1763 ~ 1766 Frankfurt, Paris, London / 1767 ~ 1769 Wien / 1769 ~ 1771 Milano, Bologna, Roma, Napoli / 1773, 1774 ~ 1775 Wien / 1777 München, Mannheim, Augsburg / 1778 Paris / 1779 Salzburg / 1781 München, Wien / 1783  Salzburg  / 1787 Praha, Wien / 1789 Berlin / 1790 Frankfurt / 1791 Wien, Praha, Wien

ドイツのチェリスト  ベルンハルト・ロンベルクは 父親と共に1790年頃に ボンにおいて ケルン大司教の宮廷オーケストラに参加したとされています。そして そこで知り合ったベートーヴェンの ‘ あなたのためにチェロ協奏曲を作曲する。 ‘という申し出を断った逸話が残る人です。

ロンベルクは、チェロの設計と演奏にいくつかの革新をもたらしたことでも知られています。

例えば 1/2 や 3/4サイズのチェロを作るべきであると提案したことやチェロの記譜法の単純化などがそうですが、弦楽器にとってはなんといっても チェロの指板にフラット面を設定したことが重要だと私は思います。

このアイデアに関しては 演奏上の目的などいくつかの説明が試みられていますが、私の個人的な推測としては ネック振り設定と 指板裏加工の考え方を反映したものと思っています。

皆さんは どうお考えでしょうか?

 

●  Bernhard Heinrich Romberg  ( 1767-1841 ),   “The Münster Court Orchestra” / 1790 Bonn  “The Court Orchestra” /  He lengthened the cello’s fingerboard and ‘Flattened’ the side under the C string  :   German cellist and composer 

●  Rodolphe Kreutzer ( 1766-1831 ), Versailles / 1803 Wien “Kreutzer Sonata ” Ludwig van Beethoven 1770-1827,  Paris 1795 ~ 1826 ‘Conservatoire de Paris’ –  1796年 Caprices – 1807 comprises 40 pieces – “42 Études ou Caprices”  / Genève, Swiss :   Violinist

●  Pierre Baillot ( 1771-1842 ),  Paris :   Violinist

●  Pierre Rode ( 1774-1830 ), Bordeaux / 1787 Paris /  1804 Saint Petersburg, Moscow / 1812 Wien ” Ludwig van Beethoven 1770-1827  Violinsonate Nr. 10 in G-Dur, Op. 96 ” / 1814 ~ 1819年  Berlin,  “24 capricci”  /  1830 Lot-et-Garonne :   Violinist

●  August Duranowski ( ca.1770-1834 ), Warsaw / Paris / 1790 Brussels / Strasbourg :   Violinist

●  Ignaz Schuppanzigh ( 1776-1830 ), Vienna /  He gave violin lessons to Beethoven, and they remained friends until Beethoven’s death.  :  “Schuppanzigh Quartet”  :   Violinist

 

 

2016-11-02               Joseph Naomi Yokota